第7話 乙女ゲームでは没落する男爵家、俺は壊れた魔導ポンプを調べたい
兄上の執務室を訪ねると、机の上には分厚い帳簿が三冊も積まれていた。
窓から差し込む朝日が、古びた革表紙を照らしている。部屋にはインクと紙の匂いが漂い、壁際の棚には領地の地図や書類が隙間なく並べられていた。
「おはようございます、アルブレヒト兄上」
「おはよう、レオン。ちょうどいいところに来たね」
十九歳の兄上は、手にしていた羽根ペンを置いて微笑んだ。いつもきちんと整えられた服装をしている兄上だが、今日は少し疲れた顔をしていた。机の端には、すでに飲み終えた茶器が二つ置かれている。
「昨日、帳簿を見せてくれるって言っていましたよね」
「ああ、約束したからね。ただし、途中で眠くなっても責任は取らないよ」
「大丈夫です!」
「それは頼もしい。では、こちらにおいで」
兄上は自分の隣に椅子を置き、一冊目の帳簿を開いた。
細かな数字がびっしりと書き込まれている。
俺は前世で会社員をしていたから、数字を見ること自体には慣れている。とはいえ、この世界の貨幣制度や領地経営については、まだ知らないことばかりだった。
「まず、これは領地の収入だよ。農地からの税収、商人から納められる通行料、それから森の資源を売った代金だ」
兄上は項目を指で示しながら説明した。
「そして、こちらが支出。使用人の給金、建物の維持費、街道の整備費、農業用の設備を動かすための魔石代……」
「魔石代?」
「そう。領地の魔導設備は、動かすだけでもお金がかかるんだ」
兄上は別の帳簿を開いた。
「特に魔導ポンプは重要だよ。川から水を汲み上げ、用水路を通して畑へ送る。これがなければ、高い場所にある農地には十分な水が届かない」
「……それが、洪水で壊れたんですね」
「そういうことだね」
兄上の指が、赤いインクで囲まれた数字の上で止まった。
「問題は、修理費だけじゃないんだ」
「ほかにもあるんですか?」
「壊れた水路の土砂を取り除く人手が必要だし、運搬用の馬車も手配しなければならない。交換部品を買うなら、王都から取り寄せる費用もかかる」
兄上はそこで小さく息を吐いた。
「しかも、農地が使えなければ、来年の収入も減ってしまう」
俺は帳簿を見つめた。
つまり、今お金がないだけではない。
修理が遅れれば遅れるほど、将来の収入まで減っていく。
前世の知識で考えれば、資金繰りが悪化している状態だ。
「……じゃあ、修理できなかったら?」
「来年は、もっと厳しくなるだろうね」
兄上は穏やかな声で答えたが、その目は笑っていなかった。
「父上は領民への負担を増やしたくないと考えている。僕も同じだ。でも、支出を減らすだけでは限界があるんだ」
「……」
「難しい話だったかな?」
「いえ」
俺は首を振った。
むしろ、嫌というほど理解できた。
そして、帳簿の数字を見つめているうちに、ある記憶が蘇った。
――『ターボナイト ~エターナル・ハーツ~』。
前世で俺が夢中になった乙女ゲーム。
物語の中心にいるのは、ヒロインのソフィア・エヴァーハートと、彼女を取り巻く四人の攻略対象だった。
アドリアン、ダリウス、ルシアン、フェリックス。
彼らの物語が進む魔導学院には、数多くの生徒が登場する。
レオンハルト・ヴァイスも、その一人だった。
ただし、俺は主人公でも攻略対象でもない。
学院に登場する、名前のある脇役。
ゲームでは、ヴァイス家の経済的な事情によって、レオンハルトが学院を去ることになる。
当時の俺は、その設定を深く考えたことがなかった。
ゲームを進めれば、ソフィアたちの恋愛や事件が次々に起こる。脇役が一人いなくなったところで、物語の中心が変わるわけではなかったからだ。
だが、今は違う。
俺の目の前には、その「経済的な事情」が数字となって並んでいる。
この帳簿を書いているのは、俺に優しくしてくれるアルブレヒト兄上だ。
領地を守ろうとしているのは、毎日遅くまで働いている父上だ。
そして、苦しむのはゲームの背景にいたはずの人々だ。
……こんなの、ただの設定じゃない。
「レオン?」
兄上の声で我に返った。
「どうしたんだい? 急に黙り込んで」
「あ……すみません」
「何か分からないところがあった?」
俺は少し迷ってから尋ねた。
「兄上。もし、壊れた機械を新しい部品を買わずに直せたら、修理費は安くなりますか?」
兄上は目を瞬かせた。
「そうだね。もちろん、部品の状態によるけれど、使えるものを再利用できれば費用は抑えられるよ」
「じゃあ、古い部品を加工して使うのは?」
「それも可能だと思う。ただ、魔導機械は普通の農具とは違うからね。専門的な知識が必要になる」
「……そうですよね」
兄上は俺の顔をじっと見た。
「もしかして、レオンは魔導ポンプを直したいのかい?」
「はい」
俺は頷いた。
「すぐにできるとは思っていません。でも、何が壊れているのか分かれば、何か方法が見つかるかもしれません」
兄上は少し驚いたようだった。
やがて、ふっと微笑んだ。
「なるほど。まず原因を調べるわけだね」
「はい!」
「それなら、父上に相談してみようか」
「本当ですか?」
「ただし、見るだけだよ。勝手に機械を動かしたり、魔法を使ったりしてはいけない」
「……はい」
昨日のことを思い出し、俺は背筋を伸ばした。
兄上はそんな俺を見て、少しおかしそうに笑った。
「ずいぶん素直だね」
「反省しましたから……」
「それなら安心だ」
◇
昼前、俺は父上の執務室を訪ねた。
事情を説明すると、父上はしばらく腕を組んで考えていた。
「魔導ポンプを見たい、か」
「はい。アルブレヒト兄上に帳簿を見せてもらって、修理がどれほど大切なのか分かったんです」
「そうか」
父上は俺と兄上を交互に見た。
「今日はちょうど、東側の農地を確認しに行く予定だ。同行することは構わん」
「ありがとうございます!」
「ただし、条件がある」
父上は指を一本立てた。
「機械には触れないこと」
「はい」
二本目。
「魔法を使わないこと」
「はい」
三本目。
「必ず私かアルブレヒトのそばにいること」
「分かりました!」
父上は少しだけ眉を上げた。
「返事がよすぎると、かえって心配になるな」
「そ、そんなことないです!」
兄上が横で笑いを堪えていた。
父上も口元を緩めた。
「では、支度をしてきなさい」
俺は頭を下げ、部屋を出た。
廊下を歩いていると、ちょうどマルタと出会った。
紺色のメイド服に白いエプロン。茶色の髪をきちんとまとめた彼女は、俺を見るなり足を止めた。
「レオンハルト様。ずいぶん嬉しそうですね」
「父上と兄上と一緒に、農地を見に行くんだ!」
「農地へ、ですか?」
「うん。壊れた魔導ポンプも見られるんだって」
マルタの笑顔が、ほんの少しだけ固まった。
「……魔導ポンプを?」
「あっ、見るだけだよ! 触らないし、魔法も使わない!」
俺が慌てて説明すると、マルタはじっと俺を見つめた。
「旦那様の許可は?」
「ちゃんともらった!」
「アルブレヒト様もご一緒ですか?」
「うん!」
「危険なことはなさいませんね?」
「約束する!」
彼女はようやく安心したように息を吐いた。
「それなら、よろしいでしょう」
「……マルタって、最近ちょっと厳しくない?」
「誰のせいでしょうね?」
「……俺です」
「よくお分かりで」
マルタはくすりと笑った。
そして、俺の襟元を整えながら言った。
「外はまだ地面がぬかるんでいるそうです。汚れてもよい上着と、歩きやすい靴をご用意しますね」
「ありがとう、マルタ」
「それと、お帰りになったら、どんなものをご覧になったのか教えてください」
「うん。オメガの参考になるものがあるかもしれないし!」
「ふふ。では、楽しみにしております」
彼女の笑顔を見て、俺は少し嬉しくなった。
オメガのことを知っている人が、この世界にもいる。
それだけで、何だか心強かった。
◇
馬車に揺られて領地の東側へ向かうと、屋敷の周囲とは景色が大きく変わっていった。
石畳の道が終わり、車輪が土の上を進む。
窓の外には畑が広がっていた。
だが、その光景は俺が想像していたものとは違っていた。
畑の一部にはまだ濁った水が残り、別の場所では乾いた土がひび割れている。
洪水によって運ばれてきた泥が用水路を塞ぎ、壊れた木柵が道端に積み上げられていた。
「……ひどい」
思わず呟くと、向かいに座っていた父上が頷いた。
「川の水が引いても、被害がなくなるわけではない。水路に溜まった土砂を取り除き、壊れた設備を直さなければ、畑は元に戻らん」
「水が多すぎても、少なすぎても駄目なんですね」
「そうだ」
アルブレヒト兄上が窓の外を指差した。
「あの丘の上にある畑が見えるかい?」
「はい」
「そこは魔導ポンプが動かなければ、水を送るのが難しいんだ」
俺は遠くの畑を見つめた。
まだ緑が残っている場所もある。
だが、あのまま水が届かなければ、いずれ作物は枯れてしまうのだろう。
馬車が村の近くで止まった。
俺たちが降りると、数人の農民が父上のもとへ集まってきた。
「男爵様!」
先頭にいたのは、日に焼けた顔に深い皺を刻んだ年配の男性だった。
作業着の袖を肘までまくり、泥のついた長靴を履いている。
「お忙しいところ、わざわざありがとうございます」
「こちらこそ、待たせてしまってすまない。水路の様子はどうだ?」
父上が尋ねると、男性は表情を曇らせた。
「昨日も皆で泥を運びましたが、まだ半分も終わっておりません。それに、上の畑へ水を送るポンプが動かないままで……」
「分かっている。技師への問い合わせは続けている」
「承知しております。ただ……」
男性は一度口を閉じた。
それから、覚悟を決めたように続けた。
「男爵様。種をまく時期は待ってくれません。このままでは、次の収穫がどうなるか……」
その声には、怒りよりも疲労が滲んでいた。
父上は目を逸らさなかった。
「すまない。すぐに解決できるとは約束できん」
男性が俯く。
「だが、必ず方法を探す。今できることから進めていこう」
「……ありがとうございます」
俺は二人のやり取りを黙って聞いていた。
ゲームなら、こういう場面はどう描かれていただろう。
おそらく、背景の農村として少し映るだけだったかもしれない。
けれど、目の前の男性には生活がある。
畑があり、家族がいて、次の収穫を待っている。
父上が守ろうとしているのは、こういう人たちなのだ。
俺は拳を握った。
……何かできないだろうか。
そう考えた瞬間、昨日のマルタの言葉が頭に浮かんだ。
『何もかもお一人で背負おうとなさらないでください』
俺は握っていた手をゆっくり開いた。
焦るな。
まずは、ちゃんと見て、学ぼう。
◇
農地を一通り見回ったあと、俺たちは魔導ポンプのある建物へ向かった。
それは川沿いに建てられた、古い石造りの施設だった。
外壁には洪水の際についた泥の跡が残り、入口の木製扉には大きな傷が走っている。
建物の中へ入ると、ひんやりとした空気が肌に触れた。
湿った石の匂い。
油と金属が混ざった独特の匂い。
そして、中央には巨大な機械が鎮座していた。
「……おお」
思わず声が漏れた。
太い金属製の管が床から伸び、複数の歯車が組み合わさっている。
その奥には魔力を動力に変えるための装置があり、金属の枠に囲まれた魔導回路が見えた。
だが、装置は完全に沈黙していた。
歯車は動かず、管の一部には乾いた泥がこびりついている。
「これが、魔導ポンプ……」
「そうだ」
父上が答えた。
「川の水を汲み上げ、高い場所にある用水路へ送るための設備だ」
俺は機械を見上げた。
大きい。
屋敷の倉庫にある祖父のターボナイトとは、まったく違う形をしている。
だが、使われている技術には共通点があるはずだ。
魔力を動力に変える。
その力を機構へ伝える。
そして、必要な動作を生み出す。
……オメガも同じだ。
四基の推進器を動かすには、魔力を効率よく送り込む仕組みが必要になる。
関節を動かすにも、力を無駄なく伝える機構が欠かせない。
ゲームでは、装備の性能や機体の数値ばかり気にしていた。
だが、現実に作るとなれば、こうした仕組みを一つずつ理解しなければならない。
「レオン、あまり近づきすぎないようにね」
アルブレヒト兄上の声がした。
「あ、はい!」
俺は一歩下がった。
危ない危ない。
夢中になると、つい近づいてしまう。
父上は機械の側面を指差した。
「洪水のあと、何度か動かそうとしたらしいが、正常には作動しなかったそうだ」
「どこが壊れているんですか?」
「それが分からん。泥が内部に入り込んだ可能性もあるし、魔力を伝える部分が傷んでいるのかもしれない」
「……なるほど」
俺は機械の周囲をゆっくり見回した。
歯車。
金属の管。
固定用の支柱。
そして、床に取り付けられた大きな支持金具。
そのとき、ある部分が目に留まった。
「……ん?」
歯車の近くにある金属製の支持具。
ほかの部分と比べると、ほんの少しだけ傾いているように見えた。
俺は首を傾げた。
……あれ、曲がってないか?
もちろん、設計上そういう形なのかもしれない。
だが、金具の根元には、周囲と違う方向に泥が付着していた。
洪水の衝撃で動いたのだろうか。
「父上」
「何だ?」
「あそこの金属の支え、少し曲がっているように見えるんですけど……」
父上は俺が指差した方向を見た。
「どれだ?」
「あの歯車の下にある部分です」
父上は近づいて確認した。
しばらくして、眉をひそめる。
「……確かに、少し傾いているな」
「やっぱり……」
「だが、これが故障の原因とは限らんぞ」
「はい」
父上は金具の周囲を見回した。
「もともとこの角度なのかもしれんし、別の部分が壊れた結果、ここが歪んだ可能性もある」
……なるほど。
原因と結果を取り違えてはいけない。
前世でシステムの不具合を調べていたときにも、似たようなことがあった。
エラーが表示された場所が、必ずしも問題の発生源とは限らない。
機械も同じなのだろう。
「設計図があれば、分かるでしょうか?」
俺が尋ねると、父上は少し考えた。
「古い資料なら残っているかもしれん。祖父の代から使っている設備だからな」
アルブレヒト兄上が頷いた。
「屋敷の書庫を調べてみます。修理記録も残っているかもしれません」
「本当ですか!」
「ただし、見つかるかどうかは分からないよ」
「それでも、お願いします!」
俺は深く頭を下げた。
兄上は優しく笑った。
「分かった。帰ったら一緒に探そう」
その言葉を聞いた瞬間、胸が高鳴った。
設計図。
修理記録。
もし手に入れば、魔導ポンプの仕組みを詳しく調べられる。
そして、それはオメガを作るための勉強にもなるはずだ。
……やっと、最初の一歩が見えてきた気がした。
◇
帰りの馬車では、しばらく誰も口を開かなかった。
窓の外には、夕日に染まった畑が広がっている。
朝に見たときよりも、乾いた土の色が濃く見えた。
「……父上」
俺は静かに声をかけた。
「何だ、レオン?」
「領地の水路を全部直すのって、やっぱり大変なんですよね」
「そうだな」
「……俺にも、何かできるでしょうか」
父上はすぐには答えなかった。
窓の外を見つめてから、ゆっくりと俺に向き直った。
「レオン。お前は今日、何を見た?」
「……壊れた水路と、動かない魔導ポンプです」
「それだけか?」
俺は少し考えた。
「畑で困っている人たちも見ました」
「そうだな」
父上は頷いた。
「私は領地のすべてを、一度に元どおりにしてやることはできん。だが、だからといって何もしないわけにはいかない」
「……はい」
「一つの水路を通せば、一つの畑に水が届くかもしれん。その畑で作物が育てば、一つの家族が冬を越せるかもしれない」
父上の声は静かだった。
「大切なのは、できないことばかりを見るのではなく、今できることを探すことだ」
俺は膝の上に置いた手を見つめた。
今できること。
俺にはまだ、巨大な魔導ポンプを修理する技術はない。
オメガを完成させる力もない。
だが、設計図を読むことなら始められる。
魔導工学を勉強することもできる。
壊れた機械の仕組みを理解しようとすることも。
「……父上」
「ん?」
「俺、まずは魔導ポンプの仕組みを勉強してみます」
「そうか」
「それで、もし何か分かったら、ちゃんと相談します」
父上は少し驚いた顔をした。
それから、嬉しそうに笑った。
「それなら、私もできる限り協力しよう」
「ありがとうございます!」
隣に座っていたアルブレヒト兄上が、肩をすくめた。
「どうやら、今夜は書庫の整理をすることになりそうだね」
「兄上、お願いします!」
「まったく。うちの末っ子は、思いついたら一直線なんだから」
そう言いながらも、兄上は楽しそうだった。
◇
屋敷に戻ると、母上が玄関で出迎えてくれた。
「お帰りなさい。レオン、疲れなかった?」
「大丈夫です、母上!」
「本当に? 泥だらけになっているじゃない」
母上は俺の靴を見て、少し困ったように笑った。
その後ろから、マルタが現れた。
「レオンハルト様。お約束は守れましたか?」
「もちろん!」
「魔法は?」
「使ってない!」
「機械には?」
「触ってない!」
「では、合格ですね」
マルタは満足そうに頷いた。
「……なんだか試験みたいだね」
「大切な試験ですよ」
俺は苦笑した。
けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
心配してくれる人がいる。
そのことが、今は嬉しかった。
夕食の席では、今日見た魔導ポンプの話になった。
セドリック兄上は俺の説明を聞くなり、目を輝かせた。
「へえ! そんなに大きな機械なのか?」
「うん。歯車もたくさんあって、太い管が何本もつながってた!」
「すごいな。じゃあ、レオンは将来、魔導ポンプ職人になるのか?」
「違います! 魔導工学者です!」
「ははは! 昨日もそんなこと言ってたな!」
セドリック兄上が笑うと、母上までつられて微笑んだ。
「でも、レオンが何かに夢中になっているのは嬉しいわ」
「ただし、無茶は禁物だぞ」
父上が付け加えた。
「……はい」
俺が素直に答えると、家族の間に小さな笑いが起こった。
その温かな空気の中で、俺は改めて思った。
……この家族を、守りたい。
◇
夜。
俺は自室の机に向かい、今日見た魔導ポンプの形をノートに描いていた。
太い管。
歯車。
魔力を伝える装置。
そして、少し傾いていた金属の支持具。
正確な寸法は分からない。
内部構造も見えていない。
それでも、忘れないうちに記録しておきたかった。
描き終えると、隣に置いていた別のノートを開いた。
そこには、青と銀の魔導甲冑が描かれている。
オメガ。
前世で俺が愛用していた機体。
四基の背部推進器と、剣、盾、銃を備えた、俺だけのターボナイト。
俺は二つの絵を見比べた。
「……全然違う形なのに、必要な知識は似ているんだな」
魔力を動力へ変換する仕組み。
力を伝えるための機構。
壊れにくい支持構造。
どれも、オメガを作るためには欠かせないものだ。
ゲームでは、素材を集めて装備を強化すれば、機体の性能を上げられた。
だが、この世界では違う。
実際に部品を作り、組み立て、動かさなければならない。
そして、間違えれば壊れる。
最悪の場合、誰かが怪我をする。
昨日の紫色の液体を思い出し、俺は小さく息を吐いた。
……焦るな。
今は、まだ学ぶ段階だ。
俺はノートの新しいページに、大きく文字を書いた。
『魔導ポンプ修理計画』
その下に、四つの項目を並べる。
一、設計図を探す。
二、故障した部分を調べる。
三、必要な材料と費用を確認する。
四、父上と兄上に相談してから修理方法を考える。
書き終えたところで、俺は満足して頷いた。
「……よし」
まだ、何も直せていない。
領地の問題も解決していない。
それでも、今日の俺は昨日より少しだけ前に進んだ気がした。
ふと、窓の外へ目を向ける。
夜空には、無数の星が輝いていた。
この世界は、乙女ゲーム『ターボナイト ~エターナル・ハーツ~』の舞台だ。
いつか魔導学院に入れば、ソフィア・エヴァーハートや攻略対象たちと出会うことになるかもしれない。
そして、本来のレオンハルト・ヴァイスは、家の経済的な事情で学院を去る。
俺はその未来を知っている。
だが、今ならまだ変えられるかもしれない。
もちろん、簡単ではない。
たった八歳の俺に、領地の借金を一度に返すことなどできない。
それでも、何もしなければ、ゲームと同じ未来が訪れるかもしれないのだ。
「……俺は、ただ消えるだけのNPCにはならない」
小さく呟いた。
主人公になりたいわけじゃない。
ソフィアたちの恋愛を邪魔したいわけでもない。
ただ、この家で暮らし続けたい。
家族と笑っていたい。
そして、いつか自分の手でオメガを完成させたい。
そのために必要なのは、突然手に入る奇跡の力ではない。
知識と経験。
失敗から学ぶこと。
そして、一緒に考えてくれる人たちだ。
俺はノートを閉じ、机の端に置いた。
「明日は、設計図が見つかるといいな……」
そう呟いて、椅子から立ち上がった。
今日はもう、無理をしない。
マルタとの約束もあるし、明日もやることがたくさんある。
俺は明かりを消し、ベッドに潜り込んだ。
魔導ポンプを直すこと。
家族の未来を変えること。
そして、オメガを作ること。
今はまだ、どれも遠い目標だ。
けれど、その三つは少しずつ、同じ道の上につながり始めていた。
――まずは、壊れた機械の仕組みを知るところから始めよう。
そう決めて、俺は静かに目を閉じた。
この章を読んでいただき、本当にありがとうございます!
楽しんでいただけたなら幸いです。もしお時間があれば、コメント欄でご感想をお聞かせいただけると嬉しいです。また、もしこの物語が気に入っていただけたら、星評価をいただけると大変励みになります。
お時間とご支援、本当にありがとうございました!




