第6話 家族を救うために魔法を試した俺、メイドに本気で叱られる
魔導甲冑を完成させるには、何が必要だろうか。
頑丈な装甲。自由に動く関節。四基の背部推進器。そして、それらすべてに魔力を送り届けるための機構。
俺は机の上に広げた設計図を眺めながら、ため息をついた。
「……やっぱり、材料が足りないんだよな」
青と銀を基調とした甲冑の絵。その背中には四つの推進器が描かれている。
前世で俺が愛用していた改造機体、オメガ。
恋愛シミュレーションゲーム『ターボナイト ~エターナル・ハーツ~』の世界に転生したと気づいたとき、俺は真っ先にこの機体を作ろうと決めた。
もっとも、現実は甘くない。
俺はまだ八歳で、ヴァイス男爵家には余裕のある資金もない。倉庫に眠っている祖父の古いターボナイトは、魔導核も右手の装甲も欠けた状態だ。
そのうえ、領地の水路は洪水で壊れ、父上たちは毎日のように修理費のことで頭を悩ませている。
ゲームでは、レオンハルト・ヴァイスは家の経済的な事情で魔導学院を去る脇役だった。
当時の俺は、そんな設定をほとんど気に留めなかった。
主人公のソフィア・エヴァーハートや攻略対象たちの物語を追いかけるのに忙しかったからだ。
けれど、今は違う。
この家には父上がいる。母上がいる。二人の兄上がいる。
そして、毎朝俺の身支度を手伝ってくれるマルタもいる。
彼らが苦しむ未来を、ただゲームの設定だからという理由で受け入れるつもりはなかった。
「……まずは、材料を作れるかどうかだ」
俺は設計図を閉じ、魔法の研究ノートを開いた。
これまでに使えたのは、水、火、風、土の四属性。
さらに、物質の構造を読み取って変化させる《魔導構造解析・改変》という能力もある。
もし、この力で金属を加工できるなら。
壊れた農具の修理にも、オメガの装甲作りにも役立つかもしれない。
ただし、まだ確かめていないことが多すぎる。
俺はノートの端に書いた。
『本日の目的――土と火の魔法を組み合わせ、金属に似た物質を作れるか調べる』
その下に、小さく注意事項を書き足す。
『無理はしない』
……自分で書いておいて何だが、少し頼りない注意事項だった。
◇
屋敷の裏庭には、使われなくなった石造りの作業台がある。
周囲に燃えやすいものがないことを確かめ、俺は小さな土の塊を置いた。
朝の空気は涼しく、庭木の葉が風に揺れている。遠くからは使用人たちの話し声が聞こえてきた。
「まずは土から……」
手のひらをかざす。
土の塊がわずかに浮き上がり、形を変えた。
続いて、ごく小さな火を生み出す。
赤い光が土の表面を照らした。
「……よし」
火力を上げすぎないように注意しながら、二つの魔法を同時に維持する。
これまで一つずつ使っていた魔法を組み合わせるのは、思った以上に難しかった。
土の形を保とうとすると火が弱くなる。
火を強めれば、今度は土が崩れそうになる。
「くっ……これ、結構きついな」
額に汗が滲んだ。
それでも、少しずつ調整を続ける。
すると、土の表面に変化が現れた。
赤く熱を帯びた部分が暗い色に変わり、やがて小さな銀灰色の粒が姿を見せた。
「……え?」
俺は慌てて魔法を止めた。
作業台の上には、米粒よりも小さな金属のようなものが残っていた。
「できた……のか?」
思わず顔を近づける。
表面には鈍い光沢があり、周囲の土とは明らかに質感が違っていた。
鉄なのか、それとも別の物質なのか。
見た目だけでは判断できない。
だが、何らかの変化が起きたことは確かだった。
「……すごい」
胸が高鳴る。
もし、この方法を安定させられたら。
必要な材料を少しずつ作れるようになるかもしれない。
俺はノートを取り出し、急いで記録した。
『土+火――銀灰色の粒を確認。金属かどうかは不明』
そのとき、ふと思いついた。
《魔導構造解析・改変》で調べれば、何か分かるのではないか。
すでに魔力をかなり使っている。
少し休むべきだと頭では分かっていた。
それでも、目の前の粒が何なのか気になって仕方がなかった。
「……調べるだけなら」
俺は指先を近づけ、能力を発動した。
視界の奥に、ぼんやりとした線が浮かぶ。
物質の内部構造を捉えようとする感覚。
だが、いつもと違った。
「……あれ?」
頭の奥がずきりと痛んだ。
線が乱れる。
銀灰色だった粒の表面が、じわりと暗くなった。
「……まずい」
魔法を止めようとした瞬間、粒の表面から紫色の液体が滲み出した。
ほんの数滴。
それなのに、妙に不気味だった。
液体は石の上に丸く広がり、光を受けて濃い紫色に輝いていた。
「……何だ、これ?」
金属を作ろうとしていたはずだ。
どうして液体が出てきた?
しかも、こんな色のものが。
毒。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
もちろん、見た目だけで毒だと決めつけることはできない。
だが、正体が分からない以上、安全だとも言えなかった。
俺は息を呑んだ。
「……触らないほうがいいな」
そう呟きながら、もう少し詳しく観察しようと身をかがめた。
そのときだった。
「レオンハルト様!」
背後から鋭い声が響いた。
振り向くと、マルタが立っていた。
茶色の髪を後ろでまとめ、紺色のメイド服に白いエプロンをつけている。頬に散ったそばかすはいつもと同じだったが、その表情は普段の穏やかなものではなかった。
彼女の視線が、作業台の上の紫色の液体に向けられる。
「……それは、何ですか?」
「えっと……」
「触りましたか?」
「い、いえ。まだ……」
「では、そのまま離れてください」
マルタは俺の腕を掴もうとして、すぐに手を止めた。
俺の指先に何か付着していないか確かめたのだろう。
「こちらへ。作業台から離れて」
いつもよりずっと強い口調だった。
俺は素直に従った。
「マルタ、これは……」
「説明は後です。まず、お怪我はありませんか? 息苦しさや気分の悪さは?」
「少し頭が痛いけど……」
「頭が?」
マルタの顔色が変わった。
「いつからですか?」
「魔法を使っていたら、少し……」
「……魔法を使っていたのですね」
彼女は目を閉じ、大きく息を吸った。
そして、俺を見つめた。
「レオンハルト様。今すぐ旦那様にお知らせします」
「ま、待って! そんなに大ごとにしなくても……」
「大ごとです」
きっぱりと言われた。
「何なのか分からない液体が出てきて、しかも頭痛まであるのですよ?」
「……はい」
「もし、それが身体に悪いものだったら、どうなさるおつもりだったのですか?」
返す言葉がなかった。
俺は作業台の上を見た。
紫色の液体は、何事もなかったかのようにそこに残っている。
自分でも危険だと思った。
それなのに、好奇心を優先してしまった。
「……ごめんなさい」
マルタはすぐには答えなかった。
しばらくして、少しだけ声を和らげた。
「謝るのは、まず安全を確かめてからです」
◇
父上に事情が伝わると、屋敷の裏庭は一時的に立ち入り禁止になった。
正体不明の液体には誰も触れず、作業台の周囲を隔離することになった。父上は専門知識のある者に確認してもらうまで、そのままにしておくよう命じた。
俺は父上の執務室に呼ばれた。
「レオンハルト」
机の向こうに座る父上は、いつになく厳しい表情だった。
「何をしようとしていた?」
俺は正直に説明した。
土と火の魔法を組み合わせたこと。
金属のような粒ができたこと。
その構造を調べようとして、紫色の液体が現れたこと。
父上は途中で口を挟まず、最後まで聞いてくれた。
「……そうか」
そして、深く息を吐いた。
「お前が魔導工学に興味を持っていることは知っている。倉庫の鍵も、勉強のために渡した」
「はい……」
「だが、危険な実験を一人で行ってよいとは言っていない」
「……ごめんなさい」
「お前が無事だったのは幸運かもしれん。何が起きたのか、まだ誰にも分からないのだからな」
父上の声は大きくなかった。
それがかえって胸に刺さった。
「今後、倉庫での魔法実験は禁止する。屋外であっても、未知の物質を作るような実験は一人で行わないこと。必要なら、必ず私に相談しなさい」
「……はい」
「分かったな?」
「はい。約束します」
父上はしばらく俺を見つめていた。
やがて、その表情が少し緩んだ。
「レオン。私は、お前の好奇心を悪いものだとは思っていない」
俺は顔を上げた。
「だが、学ぶことと、無謀なことをするのは違う。そこだけは忘れないでくれ」
「……はい、父上」
執務室を出たとき、廊下にはマルタが待っていた。
「レオンハルト様」
「……マルタ」
「少し、お話ししてもよろしいですか?」
俺は頷いた。
◇
マルタは俺を小さな談話室へ連れていった。
窓際には花を飾った丸いテーブルがあり、午後の日差しが薄いカーテンを通して差し込んでいる。
彼女は俺を椅子に座らせると、水の入ったコップを置いた。
「頭痛は、まだありますか?」
「もう、ほとんど……」
「そうですか。よかった」
マルタは向かい側に座った。
いつもなら、お茶の時間には笑顔でお菓子の話をしてくれる。
だが今日は、なかなか口を開かなかった。
俺はコップを両手で持った。
「……まだ怒ってる?」
「怒っています」
即答だった。
「……ですよね」
「でも、それ以上に心配しました」
マルタは膝の上で両手を重ねた。
「最近のレオンハルト様は、ずっと何かを考えていらっしゃいます。朝から本を読み、食事の後もノートを書き、時間があれば倉庫へ行こうとなさる」
「……そんなに?」
「ええ。お部屋へお茶をお持ちしても、気づかないことがあります」
……それは、少し心当たりがあった。
「どうして、そんなに急いでいらっしゃるのですか?」
俺は答えに詰まった。
どう説明すればいいのだろう。
この世界が、前世で遊んだ乙女ゲームの世界だということ。
自分が、いずれ学院を去る脇役だということ。
家族の未来に、経済的な破綻が待っているかもしれないということ。
そんな話をしたところで、信じてもらえるとは思えない。
マルタは急かさなかった。
ただ、静かに待っていた。
「……作りたいものがあるんだ」
俺はようやく口を開いた。
「作りたいもの、ですか?」
「うん。魔導甲冑」
マルタが目を丸くした。
「魔導甲冑……あの、大きな鎧のことですか?」
「そう。倉庫にある祖父上のターボナイトみたいな。でも、もっと自由に動けて、空も飛べるもの」
「空を?」
「背中に四つの推進器をつけるんだ。剣も盾も持たせたいし、遠くの敵を攻撃できる武器も……」
そこまで話して、俺は口を閉じた。
しまった。
また夢中になってしまった。
だが、マルタは笑わなかった。
「……お名前は、あるのですか?」
「え?」
「その、レオンハルト様が作りたい甲冑の名前です」
俺は少し驚いた。
そして、照れくさくなりながら答えた。
「……オメガ」
「オメガ……」
「うん。俺だけの魔導甲冑なんだ」
マルタはその名前を小さく繰り返した。
「素敵な夢ですね」
「……本当?」
「ええ。レオンハルト様が、そんなに楽しそうにお話しなさるのを久しぶりに見ました」
その言葉に、胸が少し温かくなった。
けれど、マルタはすぐに表情を引き締めた。
「でも、それと今日のことは別です」
「……はい」
「オメガを作るためなら、危険なことをしてもよいと思っていらっしゃるのですか?」
「違うよ。ただ……」
俺は言葉を探した。
「材料が必要なんだ。でも、うちにはあまりお金がないから……」
マルタは黙って聞いていた。
「父上も兄上も、領地のことでずっと忙しいだろ? 水路が壊れて、畑も大変で……。俺にも何かできないかと思って」
「……それで、魔法で材料を作ろうと?」
「うん。もし金属を作れたら、壊れた道具も直せるかもしれないし、オメガの部品も……」
話しているうちに、自分がどれほど多くのことを一度にやろうとしていたのか、分かってきた。
家族を助けたい。
領地を立て直したい。
学院を去る未来を変えたい。
オメガを作りたい。
そのすべてを、早く実現しようとしていた。
マルタはしばらく黙っていた。
やがて、静かに尋ねた。
「レオンハルト様。旦那様や奥様が、一番大切になさっているものは何だと思いますか?」
「……領地?」
「もちろん、領地の方々の暮らしも大切にされています」
彼女は優しく首を振った。
「ですが、レオンハルト様のことも、それと同じくらい大切になさっているのですよ」
俺は何も言えなかった。
「今日、もし何かあったら……奥様がどれほど悲しまれるか、お考えになりましたか?」
「……」
「アルブレヒト様も、セドリック様も、きっとご自分を責めてしまいます」
マルタはそこで一度言葉を切った。
「私だって、怖かったのです」
その声が、少しだけ震えていた。
俺は顔を上げた。
「……マルタ?」
「作業台の上に、見たこともない液体がありました。レオンハルト様は顔色が悪くて、頭が痛いとおっしゃって……」
彼女は視線を落とした。
「もし、私がもう少し遅く来ていたらと思うと……」
マルタは最後まで言わなかった。
それでも、十分だった。
俺はコップを握りしめた。
前世でも、仕事に夢中になって家族を心配させたことがあった。
母さんに食事を取るよう言われても、あと少しだからと先延ばしにした。
妹の美咲に、休みの日くらい外へ出ようと誘われても、画面から目を離さなかった。
そして、突然死んだ。
もう二度と、あの家族に会うことはできない。
……今の家族にも、同じ思いをさせるつもりなのか。
「……ごめん」
俺は小さく言った。
「マルタのこと、そこまで心配させるなんて思ってなかった」
「……はい」
「俺、早く何とかしなきゃって、そればかり考えてた」
マルタは静かに頷いた。
「レオンハルト様」
「うん」
「このお屋敷には、旦那様も、奥様も、お兄様方もいらっしゃいます。私たち使用人もおります」
彼女は少しだけ身を乗り出した。
「どうか、何もかもお一人で背負おうとなさらないでください」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にあった硬いものが、少しだけ緩んだ気がした。
俺はずっと、自分だけが未来を知っていると思っていた。
だから、自分が何とかしなければならないと。
けれど、未来を知らないからといって、みんなが何も考えていないわけじゃない。
父上も兄上たちも、それぞれの方法で家族を守ろうとしている。
俺は、その一員なのだ。
「……分かった」
俺は頷いた。
「これからは、ちゃんと相談する」
「本当ですか?」
「うん。危ない実験も、一人ではしない」
マルタはようやく微笑んだ。
「それなら、少し安心しました」
そして、俺の前に置かれたコップを指差した。
「では、まずお水を飲んでください。お話ししている間、ずっと持ったままですよ」
「……あ」
俺は慌てて水を飲んだ。
マルタが小さく笑った。
その笑顔を見て、俺もようやく肩の力を抜くことができた。
◇
翌朝。
俺は父上の許可を得て、庭で簡単な水魔法の練習をすることになった。
もちろん、今回は一人ではない。
少し離れた場所には父上がいて、その隣にはマルタも立っている。
「……なんだか、すごく見られてる気がする」
俺が呟くと、マルタが微笑んだ。
「気のせいではありません」
「……ですよね」
父上は腕を組んだ。
「今日は新しい魔法を試すのではない。すでに使える水魔法を、無理のない範囲で維持するだけだ」
「はい」
「少しでも異変があれば、すぐに止めること」
「分かりました」
俺は深呼吸し、手のひらを前に出した。
小さな水の球が浮かび上がる。
昨日までなら、魔力を一定の形に保つだけでも、かなり意識を集中させる必要があった。
だが今日は、少し違った。
「……あれ?」
水の球が安定している。
大きさは拳ほど。
表面がわずかに揺れているものの、形は崩れない。
俺は呼吸を整えながら、その状態を維持した。
一分。
二分。
そして、三分ほど経ったところで、自分から魔法を解除した。
水が静かに地面へ落ちる。
「……終わりました」
父上が近づいてきた。
「体調は?」
「大丈夫です。少し疲れたけど、昨日みたいな頭痛はありません」
「そうか」
父上は安心したように頷いた。
俺は自分の手を見つめた。
以前より長く魔法を維持できた気がする。
それなのに、疲労はそれほど大きくない。
……どうしてだ?
魔力量そのものが増えたのだろうか。
いや、まだ分からない。
単に今日は十分休んだからかもしれないし、同じ魔法を繰り返し使うことで制御が上達したのかもしれない。
「……父上」
「何だ?」
「魔法って、練習すると魔力の使い方が上手くなるんでしょうか?」
「もちろんだ。魔力量だけでなく、無駄なく使う技術も重要だと聞く」
「……なるほど」
俺は頷いた。
もし魔力を効率よく使えるようになれば、オメガにも役立つ。
四基の推進器を動かすには、相当なエネルギーが必要になるはずだ。
ただ大量の魔力を流すだけでは、すぐに消耗してしまうかもしれない。
必要な場所へ、必要な量を送る。
その技術が重要なのだろう。
「……また難しいことを考えていませんか?」
マルタの声に、俺はびくりとした。
「い、いや、別に!」
「本当でしょうか?」
彼女は少し疑わしそうに俺を見た。
「オメガのことを考えていたのでは?」
「……どうして分かったの?」
「昨日、あれほど楽しそうにお話しなさっていましたから」
父上が首を傾げた。
「オメガ?」
「あっ……」
俺は固まった。
マルタは口元に手を当てた。
「申し訳ありません。まだ旦那様にはお話ししていなかったのですね」
父上は興味深そうに俺を見た。
「何だ、それは?」
……こうなったら仕方ない。
俺は少し照れながら説明した。
「いつか作りたい魔導甲冑の名前です」
「ほう」
「背中に四つの推進器があって、剣と盾も持っていて……」
父上は真剣な顔で聞いていたが、やがて小さく笑った。
「なるほど。ずいぶん大きな夢だな」
「……無理だと思いますか?」
「今のお前には難しいだろう」
即答だった。
俺は少し肩を落とした。
だが、父上は続けた。
「しかし、今できないことと、一生できないことは違う」
俺は顔を上げた。
「学び続ければ、いつか近づけるかもしれん。そのためにも、まずは自分の身体を大切にしなさい」
「……はい!」
マルタも微笑んでいた。
その表情を見て、俺は昨日の約束を思い出した。
焦らなくていい。
一つずつ進めばいいのだ。
◇
その日の夕食では、領地の水路について話題になった。
アルブレヒト兄上が帳簿を持ち込み、父上と修理費について相談していた。
「東側の水路は、土砂の撤去だけなら何とかなるかもしれません。ただ、魔導ポンプの修理費が……」
「技師を呼ぶ費用も必要になるな」
父上は難しい顔をした。
セドリック兄上はパンをちぎりながら、眉をひそめた。
「俺が手伝えればいいんだけどな。泥を運ぶくらいならできるぞ」
「それはありがたいが、お前一人でどうにかなる量ではない」
アルブレヒト兄上が苦笑した。
母上は静かに話を聞いていたが、やがて父上に尋ねた。
「王都からの支援は、まだ難しいのでしょうか?」
「申請はしている。だが、ほかの領地も被害を受けているからな。いつ届くかは分からん」
俺はスープの匙を止めた。
……やっぱり、簡単にはいかないのか。
ゲームでは、ヴァイス家の経済的な問題はほんの短い説明で済まされていた。
だが、現実は違う。
壊れた水路があり、困っている農民がいる。
修理費を計算する兄上がいて、支援を求める父上がいる。
そして、何とか助けたいと考えている家族がいる。
俺はそっと口を開いた。
「……父上」
「ん?」
「魔導ポンプって、どんな仕組みなんですか?」
父上が俺を見た。
「急にどうした?」
「魔導工学の勉強をしていて、気になったんです」
嘘ではない。
俺は本当に知りたかった。
壊れた機械を直すことができれば、領地の役に立つかもしれない。
そして、その経験はオメガを作るための勉強にもなる。
父上は少し考えた。
「魔力を動力に変えて、水を送り出す装置だ。だが、詳しい構造は私も専門ではない」
「……そうなんですね」
「なぜ、そんなことを聞く?」
俺は少し迷った。
昨日までなら、何も言わずに自分で調べようとしたかもしれない。
だが、今は違う。
「……勉強してみたいんです」
俺は父上の目を見た。
「すぐに修理できるとは思っていません。でも、仕組みを知れば、何か手伝えることがあるかもしれません」
食卓が少し静かになった。
父上は俺を見つめ、それからゆっくりと頷いた。
「そうか」
アルブレヒト兄上が微笑んだ。
「それなら、まずは修理費や材料のことも勉強するといい。機械は、仕組みが分かるだけでは直せないからね」
「はい、兄上」
「明日、時間があれば帳簿を見せてあげるよ」
「本当ですか!」
「ただし、難しい数字がたくさん出てくるぞ?」
「頑張ります!」
セドリック兄上が笑った。
「レオンは将来、騎士になるんじゃなくて、機械職人になるのか?」
「魔導工学者です!」
「おお、格好いいじゃないか!」
母上がくすりと笑った。
父上も、少しだけ表情を和らげていた。
その光景を見ながら、俺は思った。
……ああ。
こういう時間を、守りたいんだ。
◇
夜。
俺は自室の机に向かい、今日の出来事をノートにまとめていた。
紫色の液体については、まだ何も分からない。
あれが毒なのか、別の物質なのか。
調べたい気持ちはある。
だが、今は勝手に触れるべきではない。
父上が専門家に確認すると言ってくれたのだから、その結果を待とう。
俺は新しいページを開いた。
『今後の目標』
一、魔法の制御を安全に練習する。
二、魔導工学の基礎を学ぶ。
三、領地の魔導ポンプについて調べる。
四、オメガの設計を少しずつ進める。
そこまで書いて、ペンを止めた。
窓の外には、静かな夜空が広がっている。
この世界は、かつて俺が遊んでいた乙女ゲームの舞台だ。
魔導学院に入れば、ソフィア・エヴァーハートや攻略対象たちの物語が始まる。
その中で、レオンハルト・ヴァイスという少年は、本来なら目立つことなく姿を消すはずだった。
だが、俺はその未来を変えたい。
学院を去らずに済むように。
家族が苦しまなくて済むように。
そして、いつかオメガを完成させるために。
ただし、未来を知っているからといって、何でも一人で解決できるわけじゃない。
今日、マルタが教えてくれた。
俺には、頼れる家族がいる。
助けを求めてもいい。
失敗したら、立ち止まって考え直せばいい。
「……よし」
俺はノートの最後に、一行を書き足した。
『焦らず、一つずつ。無理をすると、オメガを完成させる前に倒れてしまう』
……なんだか、妙に現実的な目標になってしまった。
俺は小さく笑った。
そのとき、扉が控えめに叩かれた。
「レオンハルト様。まだ起きていらっしゃいますか?」
マルタの声だった。
「うん、起きてるよ」
扉が開き、彼女が顔を覗かせた。
「もうお休みになる時間ですよ」
「……あと少しだけ」
「昨日も同じことをおっしゃっていました」
「……覚えてた?」
「もちろんです」
マルタは机の上のノートを見た。
そこには、オメガの設計図が少しだけ覗いている。
「今日もオメガの研究ですか?」
「うん。でも、もう終わるところ」
「そうですか」
彼女は微笑んだ。
「では、未来の魔導工学者様。今日はしっかりお休みください」
「……その呼び方、ちょっと恥ずかしいんだけど」
「ふふ。では、オメガの開発者様?」
「もっと恥ずかしい!」
マルタが声を立てて笑った。
俺もつられて笑ってしまった。
そして、ノートを閉じた。
「……おやすみ、マルタ」
「おやすみなさいませ、レオンハルト様」
彼女が扉を閉める。
俺はベッドに潜り込み、天井を見上げた。
オメガを作る道のりは、まだ始まったばかりだ。
魔法も、工学も、知らないことだらけ。
それでも、今日一つだけ分かったことがある。
この世界で俺が守りたいものは、もうゲームの画面の向こうにあるわけじゃない。
同じ屋根の下で暮らし、俺を心配してくれる人たちなのだ。
俺は目を閉じた。
明日は、アルブレヒト兄上に帳簿を見せてもらおう。
魔導ポンプの修理費。
材料の値段。
そして、領地の現状。
まずは、そこからだ。
――伝説の魔法を持っていたとしても、俺はまだ八歳の子供なのだから。
焦らず、一歩ずつ。
いつか必ず、オメガを完成させてみせる。
今度は、大切な人たちを心配させない方法で。
この章を楽しんでいただけたなら、ぜひご感想をお聞かせください。
コメント、評価、または単に章を読んだ感想など、何でも構いません。
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