第5話 俺の魔法は伝説の《万象変成》だったらしい ~全属性が使えるなら、夢が広がりすぎる!~
世の中には、知らないほうが幸せなこともある。
例えば、買おうと思っていた商品が翌日に半額になったこととか。
徹夜して作ったゲームの改造データが、保存ミスで全部消えていたこととか。
好きだった女の子に恋人ができたと、本人から嬉しそうに報告されることとか。
……最後の話はやめよう。
せっかく異世界に転生したんだ。前世の嫌な思い出まで持ち出す必要はない。
それより、今の俺にはもっと大切な問題がある。
「……銅線がない」
俺は倉庫の作業台に置かれた魔導灯を見下ろし、腕を組んだ。
朝食を終えてから一時間ほど。
昨日、父上から借りた『初等魔導工学入門』を参考に、古い魔導灯の構造を調べていた。
今日の目標は単純だ。
壊れた魔導灯を修理する。
それだけ。
……なのだが。
「よりによって、一番必要な部分がないとは……」
俺の目の前にあるのは、掌ほどの大きさの小型魔導灯だった。
真鍮製の台座に、白く濁った魔導ガラスが取りつけられている。かつては柔らかな光を放っていたのだろうが、今ではすっかり埃をかぶり、表面には細かな傷が走っていた。
内部には、魔力を光へ変換する簡単な回路がある。
その回路の一部が破損していた。
正確には、回路を繋ぐ細い銅製の導線が失われていたのだ。
昨日までの俺なら、どうにもできなかっただろう。
だが、今は違う。
俺には《魔導構造解析・改変》と名づけた不思議な魔法がある。
物の内部構造を読み取り、条件が揃えば形を変えることができる力だ。
もっとも、まだ小さな留め具を少し曲げ直せる程度だけどな。
「材料さえあれば、何とかなると思うんだけど……」
俺は工具箱の中を覗き込んだ。
古い釘。
錆びた留め具。
折れた金属棒。
用途の分からない小さな部品。
銅らしいものも少しはあるが、どれも別の装置に取りつけられたままだ。
勝手に取り外すわけにはいかない。
父上との約束もある。
魔導核には触らないこと。
危険な道具を勝手に使わないこと。
分解や実験をするときは、必ず相談すること。
俺は、作業台の端に置いた魔導灯を見つめた。
「……銅が少しだけあればいいんだよな」
必要なのは、ほんの数ミリ。
それだけで、途切れた回路を繋げられる可能性がある。
俺は何気なく右手を持ち上げた。
昨日、金属の留め具を改変したときの感覚を思い出す。
あのときは、すでに存在している金属の形を変えた。
では。
もし、最初から材料が存在しなかったら?
「……いや、無理だろ」
思わず苦笑する。
何もないところから物を生み出す。
そんなことができるなら、わざわざ材料を集める必要なんてない。
だが、俺の頭には、一つの疑問が浮かんでいた。
この世界の魔法は、炎や水を生み出せる。
魔導工学の本にも、魔力を特定の属性へ変換する術式について書かれていた。
ならば、金属だって魔力から生み出せるのではないか?
「……試すだけなら」
俺はそこで言葉を止めた。
金属をいきなり生成して、もし熱を持ったり飛び散ったりしたら危険だ。
それに、俺はまだ八歳。
前世の知識があっても、この小さな体で使える魔力には限りがある。
「……まずは、もっと安全なものからだな」
俺は魔導灯を脇へ寄せ、作業台の上を片づけた。
それから、昨日父上に見せてもらった初等魔導工学の本を開く。
目指すページは、属性魔法の基礎について書かれた部分だ。
『水属性魔法は、魔力を水の性質へ変換することで発現する』
『ただし、属性への適性が乏しい者は、魔力を注いでも正常な現象を起こせない』
「……なるほど」
俺は頷いた。
魔法には適性がある。
この世界では、基本的に生まれ持った属性の魔法を習得しやすいらしい。
水属性に適性がある者は水魔法を。
火属性に適性がある者は火魔法を。
複数の属性に適性がある者も存在するが、珍しい。
それが一般常識だ。
「……じゃあ、俺は何属性なんだ?」
今まで、そんなことを考えたことがなかった。
俺が使っていたのは、物の構造を読み取る奇妙な魔法だけだったからだ。
もしかすると、あれも何らかの属性に分類されるのかもしれない。
俺は作業台の上に小さな陶器の皿を置いた。
その上に右手をかざす。
「……水」
まずは、最も扱いやすそうな属性から試してみることにした。
水なら、多少失敗しても大きな危険はない。
もちろん、大量に生み出せば別だが、今の俺にそんなことができるとは思えない。
俺は目を閉じた。
冷たい水。
透明な液体。
指の間を流れ落ちる感触。
前世で何度も触れてきた、ごく普通の水を思い浮かべる。
そして、体の奥にある不思議な温かさを、右手へ集めた。
「…………」
何も起こらない。
「……まあ、そう簡単にはいかないか」
俺は小さく息を吐いた。
もう一度、意識を集中させる。
今度は、単に水を想像するのではなく、昨日までの実験で感じた構造の感覚を思い出した。
水は何からできている?
前世の理科で習った知識が浮かぶ。
水素と酸素。
その組み合わせ。
もちろん、魔法が前世の化学と同じ原理で動くとは限らない。
だが、何かを生み出そうとするなら、その正体を理解しておいたほうがいいはずだ。
(……水を、作る)
指先に、わずかな熱が集まった。
いや、熱というより、何かが流れ込む感覚だ。
俺は息を止めた。
すると。
ぽたり。
「…………え?」
皿の上に、小さな水滴が落ちた。
俺は目を見開いた。
陶器の白い表面に、透明な粒が一つ。
倉庫の窓から差し込む朝日を受けて、きらりと光っている。
「……今の、俺が?」
天井を見上げる。
雨漏りはない。
手のひらを見る。
汗でもない。
そもそも、俺は皿に触れていなかった。
「…………」
俺はもう一度、右手をかざした。
水を思い浮かべる。
魔力を集める。
すると、指先に透明な粒が現れた。
それは少しずつ大きくなり、やがて重みに耐えられなくなったように落下した。
ぽたり。
「…………」
二つ目だ。
俺は皿を持ち上げ、じっと見つめた。
水滴が二つ、ゆっくりと一つにまとまっていく。
指先で触れると、確かに冷たい。
幻覚ではない。
「……できた」
俺は呟いた。
「……本当に、水ができた」
心臓が、どくんと大きく鳴った。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。
「……すげえ」
思わず笑みがこぼれた。
「すげえぞ、これ……!」
たった二滴の水。
普通の魔法使いなら、笑ってしまうような成果かもしれない。
だが、俺にとっては違った。
昨日まで、存在している物の形を変えることしかできなかった。
それなのに、今は何もないところから水を生み出したのだ。
しかも、魔導具を使わずに。
自分の魔力だけで。
「……これ、もしかして……」
俺は自分の手のひらを見つめた。
ある考えが、頭をよぎる。
もし、水が作れるなら。
ほかの属性は?
火は?
風は?
土は?
「…………」
俺はゆっくりと皿を置いた。
そして、口元を押さえた。
……駄目だ。
笑いが止まらない。
何だ、この感覚は。
新しいゲームを初めて起動したとき。
隠し要素を偶然見つけたとき。
長い時間をかけて作った改造データが、初めて正常に動いたとき。
あの胸が弾む感覚に、よく似ている。
「……ちょっと待てよ」
俺は思わず呟いた。
「これ、ものすごいことなんじゃないか?」
◇
俺は、すぐに次の実験を始めた。
……と言いたいところだが、まずは落ち着く必要があった。
興奮したまま火を生み出して、倉庫を燃やしたら洒落にならない。
父上に叱られるどころの話ではない。
というか、家が燃えたら借金が増える。
それだけは絶対に避けたい。
「……火は外で試そう」
俺は陶器の皿を片づけた。
それから、倉庫の裏にある石畳の空き地へ向かった。
周囲には燃えやすいものがない。
少し離れたところには、水を入れた桶も置かれている。
念のため、そこから動かずに試すことにした。
俺は右手を前に出した。
「……火」
今度は、炎を思い浮かべる。
赤く揺れる光。
温かさ。
燃焼。
魔力を指先へ集める。
だが――。
「……あれ?」
何も起こらなかった。
もう一度。
やはり駄目だ。
「……水とは違うのか?」
俺は眉をひそめた。
水を作るときは、冷たい液体を具体的に想像できた。
だが、火はどうだ?
火そのものは物質ではない。
燃えるという現象だ。
燃料と酸素が反応し、熱と光を放つ。
前世の知識を思い出しながら、俺はもう一度考えた。
大きな炎は必要ない。
まずは、ほんの小さな火花でいい。
(……熱を、光へ)
指先に魔力が集まる。
その瞬間。
ぱちっ。
「うわっ!」
小さな火花が弾けた。
俺は驚いて手を引っ込めた。
指先に、わずかな熱が残っている。
「……出た?」
もう一度、指先を見る。
何もない。
だが、確かに火花が散った。
「……ははっ」
笑いがこぼれた。
「……火も、できた!」
俺は思わず拳を握った。
水。
火。
二つの属性。
偶然ではない。
俺は、本当に複数の属性を扱えている。
「……じゃあ、次は風だ!」
俺は周囲を確認してから、両手を前へ出した。
風。
空気の流れ。
目には見えないが、確かに存在するもの。
今度は、水や火よりも想像しやすかった。
魔力を集めると、掌の前に小さな流れが生まれた。
足元に落ちていた枯れ葉が、ふわりと浮き上がる。
「……おおっ!」
枯れ葉は空中で一回転し、すぐに地面へ落ちた。
それだけだった。
だが、十分だ。
「風も成功!」
俺は嬉しくなって、思わずその場で跳ねた。
八歳の体は軽い。
前世では、こんなに無邪気にはしゃぐことなんてなかった気がする。
……いや、ゲームの新しい改造に成功したときは、似たようなことをしていたかもしれない。
俺は足元の土を見つめた。
「……次は、土だな」
地面に手をかざす。
今度は、土の粒を思い浮かべた。
小さな石。
砂。
鉱物の粒子。
それらが集まり、形を作る。
魔力が指先へ流れた。
すると、掌の上に、茶色い粒が一つ現れた。
「……!」
俺は息を呑んだ。
粒は、ほんの小さな砂粒ほどの大きさだった。
だが、確かに存在している。
俺は指先でつまもうとした。
しかし、小さすぎてうまく掴めない。
「……土まで」
水。
火。
風。
土。
四つの属性。
俺は自分の掌を見つめた。
胸が、どきどきしている。
だが、それは恐怖ではなかった。
期待だ。
もっと知りたい。
もっと試したい。
この力がどこまで使えるのか、確かめたい。
「……まさか」
俺は呟いた。
その瞬間、前世の記憶の奥に眠っていた一つの言葉が浮かび上がった。
『万象変成』
……え?
俺は、その場で固まった。
今、何を思い出した?
万象変成。
その名前には、聞き覚えがあった。
いや、違う。
聞いたことがあるどころじゃない。
俺は、その言葉を知っている。
前世で何度も遊んだ乙女ゲーム。
『ターボナイト ~エターナル・ハーツ~』
その世界設定の中に、確か――。
「……嘘だろ」
俺は小さく呟いた。
背筋に、ぞくりとした感覚が走る。
興奮していた頭が、急に冷えていく。
……いや。
落ち着け。
まだ、決まったわけじゃない。
だが。
もし、俺の記憶が正しければ。
「……これって、まさか……」
俺は、震える手を見つめた。
「……《万象変成魔法》なのか?」
◇
俺は倉庫へ戻ると、作業台の椅子に腰を下ろした。
頭の中では、前世のゲームの情報が次々と浮かび上がっていた。
『ターボナイト ~エターナル・ハーツ~』
乙女ゲームでありながら、魔導甲冑や魔法技術の設定が妙に細かい作品だった。
俺がこのゲームに夢中になった理由も、そこにある。
恋愛イベントより、ターボナイトの装備や魔導技術の説明を読むほうが楽しかった。
公式設定資料集も買った。
ゲーム内の図書館にある資料も、かなり読み込んだ。
そして、その中に。
確かに、あった。
『《万象変成魔法》』
すべての属性へ魔力を変化させる、極めて特殊な魔法。
通常の魔法使いは、生まれ持った属性の適性に従って魔法を使う。
火属性に適性がある者は、炎を生み出しやすい。
水属性に適性がある者は、水を操りやすい。
複数の属性を扱える者もいるが、それでも限界がある。
しかし、《万象変成魔法》は違う。
魔力そのものを、さまざまな属性へ変換できる。
水。
火。
風。
土。
雷。
氷。
光。
闇。
重力。
金属。
鉱物。
さらに、毒や溶岩、自然属性など、通常は特殊な適性を必要とするものまで。
理論上、あらゆる属性を扱える可能性がある。
そして、その魔法を持っていた人物は――。
「……三人」
俺は呟いた。
ゲームの設定資料集に記載されていた、歴史上の確認例は三人だけだった。
しかも、その三人は、すでにこの世を去っている。
誰もが歴史上の人物であり、ゲーム本編には登場しなかった。
俺が覚えているのは、魔法の概要と、その希少性についての説明だけだ。
三人がどんな人生を送り、どのように死んだのか。
そこまでは、はっきりと思い出せない。
「……いや、待てよ」
俺は額に手を当てた。
そもそも、あの魔法はゲーム本編では使えなかったはずだ。
少なくとも、プレイヤーが自由に習得できるものではなかった。
設定資料に登場するだけの、伝説的な魔法。
それが。
今。
俺の体に?
「…………」
俺はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと両手を持ち上げた。
水を生み出した手。
火花を散らした指先。
風を起こした掌。
土の粒を作った魔力。
それらは、すべて同じ力から生まれた。
もし、本当に《万象変成魔法》なら。
俺は、ほかの属性も扱えるのか?
雷も。
氷も。
光も。
闇も。
重力も。
金属も。
鉱物も。
「…………」
俺は、ゆっくりと口元を押さえた。
……まずい。
これは、まずいぞ。
何がまずいって。
可能性が多すぎる。
「……はは」
小さな笑いが漏れた。
「……はははっ!」
俺は椅子から立ち上がった。
「すげえ……!」
思わず声が大きくなる。
「すげえぞ、これ!」
水も火も風も土も使える。
しかも、それだけじゃない。
雷も氷も光も闇も、全部だ。
もちろん、今すぐ使えるとは限らない。
属性ごとに必要な知識も違うだろう。
魔力の消費量だって、きっと違う。
だが、可能性がある。
それが何より重要だった。
「……待てよ。雷属性が使えるなら、魔導銃に応用できるんじゃないか?」
俺は作業台の上に置いていた設計図を引き寄せた。
オメガ。
俺がいつか完成させる、理想の魔導甲冑。
そこには、すでに剣や盾、魔導銃、魔導砲の構想が描かれていた。
「……剣に炎をまとわせることもできるかもしれない」
俺は鉛筆を握った。
「氷属性なら、冷却装置にも使えるんじゃないか?」
魔導甲冑は、魔力を大量に消費する。
特に高出力の装備を使えば、回路が熱を持つはずだ。
ならば、氷属性の魔法を利用して冷却できれば――。
「……いや、待て。冷やしすぎても駄目か。金属が脆くなる可能性もあるな」
俺は考え直した。
それでも、試してみる価値はある。
さらに。
「……重力魔法」
その言葉を口にした瞬間、胸が高鳴った。
もし重力を制御できれば、オメガの機動力は大きく変わるかもしれない。
ただし、空を飛ぶための推進器が不要になるわけではない。
重力の制御だけで自由に飛行できるとは限らないし、魔力の消費も分からない。
だが、姿勢制御や着地時の負担軽減に利用できる可能性はある。
「……金属属性もあるんだよな」
俺は、倉庫の奥に立つ古いターボナイトを見た。
銀色の装甲。
傷んだ関節。
失われた部品。
もし、金属を生み出せるなら。
必要な材料を、少しずつ自分で作れるようになるかもしれない。
さらに、鉱物属性を応用できれば。
特殊な結晶。
魔力を通しやすい素材。
強度の高い装甲材。
そんなものまで、いつか研究できるかもしれない。
「……最高じゃないか」
俺は呟いた。
頬が緩む。
笑いが止まらない。
「……最高だよ、この世界!」
前世では、ゲームの中でしか実現できなかった。
装備を組み合わせ、性能を調整し、自分だけの機体を完成させる。
それが、俺の何より好きな時間だった。
だが、今は違う。
ここには、本物の魔法がある。
本物の魔導甲冑がある。
そして、俺自身の手で、それらを作れる可能性がある。
「……絶対に作ってやる」
俺は設計図を見つめた。
「俺だけの、世界最高のターボナイトを!」
その瞬間だった。
「レオン?」
「うわあっ!」
背後から声が聞こえ、俺は飛び上がった。
振り返ると、倉庫の入り口にセドリックが立っていた。
茶色の髪を少し乱し、訓練用の木剣を肩に担いでいる。
兄は、怪訝そうに俺を見つめていた。
「……何してるんだ?」
「え、えっと……」
俺は慌てて設計図を隠そうとした。
だが、セドリックはすでに作業台の上を見ていた。
「……また鎧の絵か?」
「……はい」
「本当に好きだな、お前」
セドリックは笑った。
そして、俺の隣へ来ると、設計図を覗き込んだ。
「……ん? 何だ、この剣の横に書いてあるのは?」
「雷属性を使った魔導剣の構想です」
「雷?」
「はい。剣に雷の魔力を流せば、普通の剣とは違う効果を持たせられるかもしれません」
セドリックは目を輝かせた。
「おおっ! それは格好いいな!」
「ですよね!」
俺は思わず身を乗り出した。
「それに、盾へ魔力障壁を展開できれば、防御力も上げられると思うんです!」
「魔力障壁か!」
「はい! あと、背中の推進器なんですけど、重力魔法と組み合わせたら――」
「……ちょっと待て」
セドリックが俺の肩を掴んだ。
「お前、急に何を言い出してるんだ?」
「……え?」
「雷だの重力だの、話が飛びすぎだろ」
俺は口を閉じた。
……しまった。
また興奮してしまった。
「……すみません」
「いや、怒ってるわけじゃないけどな」
セドリックは苦笑した。
「ただ、お前の頭の中はどうなってるんだろうって思ってさ」
「……普通ですよ?」
「普通の八歳は、そんなこと考えないと思うぞ」
「…………」
……そうなのか?
前世の俺なら、休日に何時間でも装備構成を考えていたんだけどな。
まあ、あれは二十五歳の趣味だったか。
セドリックは設計図をもう一度見つめた。
そして、ふっと笑った。
「でも、面白そうだな」
「……兄上?」
「いつか、本当に作れるといいな。お前のオメガ」
俺は目を見開いた。
兄は、当然のように続けた。
「完成したら、俺にも見せてくれよ」
「……はい!」
俺は大きく頷いた。
「絶対に見せます!」
「おう。楽しみにしてるぞ」
セドリックは笑いながら、俺の頭を軽く撫でた。
……よし。
ますます、やる気が出てきた。
ただし。
魔法の秘密については、まだ話さないほうがいいだろう。
俺自身、何ができるのか理解していない。
それに、《万象変成魔法》が本当に伝説の魔法なら、周囲に知られたとき何が起こるか分からない。
まずは、確かめることが先だ。
◇
午後。
俺は自分の部屋へ戻り、机に向かっていた。
目の前には、魔導工学の本と、新しく用意した一冊のノート。
表紙には、こう書いてある。
『魔力研究記録』
俺は今日の実験結果を書き込んでいった。
『水属性――成功。水滴二つ』
『火属性――成功。小さな火花』
『風属性――成功。枯れ葉を一枚浮かせた』
『土属性――成功。砂粒一つ』
書き終えたところで、俺は鉛筆を止めた。
「……あれ?」
何かがおかしい。
午前中、俺は四つの属性を試した。
そのあと、セドリックと話しているうちに、少し疲れを感じた。
だが、今はどうだ?
さっきより、体が軽い。
魔力も、ある程度戻っている気がする。
「……回復してる?」
俺は首を傾げた。
魔力は、使えば減る。
休めば回復する。
それ自体は、この世界では常識だ。
だが、俺が気になったのは別のことだった。
午前中、最初に水を作ったとき。
魔力を指先へ集めるだけで、かなり苦労した。
ところが、風を起こしたときはどうだった?
属性は違う。
それなのに、魔力を集める動作そのものは、少しやりやすくなっていた。
「……慣れたのか?」
俺は自分の右手を見つめた。
何となく、前世の記憶が浮かんだ。
学生時代、少しだけ筋力トレーニングをしていたことがある。
最初は腕立て伏せを十回するだけでも大変だった。
だが、続けているうちに、少しずつ回数が増えていった。
もちろん、一日で急に筋肉が大きくなるわけではない。
練習して、休んで、また練習する。
その積み重ねで、体が変わっていく。
「……待てよ」
俺は小さく呟いた。
「魔力も、同じなんじゃないか?」
俺はノートを開いた。
そこに、新しい見出しを書き加える。
『仮説――魔力は訓練によって成長するのか?』
……面白い。
これは、かなり面白いぞ。
魔力を使う。
回復させる。
そして、また使う。
それを繰り返せば、魔力の扱いが上手くなるのではないか?
さらに、長期間続ければ、使える魔力の総量も増えるかもしれない。
もちろん、まだ仮説だ。
単に、魔法の使い方に慣れただけという可能性もある。
だが、調べる価値は十分にある。
「……よし」
俺は椅子から立ち上がった。
そして、右手を前に出した。
「……水」
魔力を指先へ集める。
すると、小さな水滴が現れた。
ぽたり。
机の上に置いた皿へ落ちる。
「……うん」
俺は頷いた。
午前中より、少しだけやりやすい。
だが、これだけでは分からない。
俺は、もう一度試した。
ぽたり。
二滴目。
さらに、もう一度。
ぽたり。
三滴目。
「……おお」
俺は目を輝かせた。
午前中は二滴作っただけで、かなり疲れた。
だが、今は三滴作れている。
もちろん、休憩した影響もあるだろう。
それでも、手応えはあった。
「……もう一回!」
俺は再び魔力を集めた。
しかし。
「……っ!」
突然、頭の奥がずきりと痛んだ。
視界がわずかに揺れる。
俺は慌てて机に手をついた。
「……うわ」
足元がふらついた。
水滴は現れない。
代わりに、体の奥から力が抜けていく感覚があった。
「……駄目だ」
俺は椅子へ座り込んだ。
額には汗が浮かんでいる。
心臓も、少し速く動いていた。
……危なかった。
調子に乗りすぎた。
「……これも、筋トレと同じか」
俺は苦笑した。
無理をすれば、体を痛める。
魔力も同じなのかもしれない。
むしろ、目に見えない分だけ危険だ。
俺はノートに書き込んだ。
『魔力を使いすぎると、頭痛と倦怠感が発生する』
『無理な連続使用は禁止』
『訓練後は必ず休息を取る』
それから、少し考えた。
毎日、どれくらい練習すればいいのだろう?
いきなり限界まで使うのは危険だ。
まずは、余裕を残した状態で終えるべきだろう。
水滴を一つ作る。
休む。
翌日、同じことを繰り返す。
そして、少しずつ変化を記録する。
それなら、無理なく続けられるかもしれない。
「……うん。これでいこう」
俺はノートの新しいページに、簡単な予定を書いた。
『朝――体調確認』
『午前――基礎魔法の練習』
『午後――魔導工学の勉強』
『夕方――研究記録の整理』
『夜――十分に休む』
……完璧だ。
いや、待て。
この予定だと、ほとんど一日中勉強していることになる。
前世の会社員生活と、あまり変わらないんじゃないか?
「……まあ、好きなことだからいいか」
俺は笑った。
誰かに命令されてやる仕事ではない。
自分の夢のための研究だ。
それなら、いくらでも楽しめる。
……ただし、無理はしない。
そこだけは、絶対に守ろう。
◇
夕食の時間。
食堂には、いつものように家族が集まっていた。
父上は今日も少し疲れた顔をしている。
母上は、そんな父上を気遣うように温かいスープを勧めていた。
アルブレヒト兄上は、領地の収支について書かれた書類を脇に置いている。
セドリック兄上は、訓練で腹が減ったのか、すでにパンを二つ食べ終えていた。
そして俺は――。
「……レオンハルト?」
「はい?」
母上の声で、我に返った。
顔を上げると、長い栗色の髪を肩に流した母上が、心配そうに俺を見つめていた。
「どうしたの? さっきから、ずっと考え事をしているみたいだけれど」
「……えっと」
俺は慌ててスプーンを持ち直した。
「魔導工学のことを考えていました」
母上は目を瞬かせた。
「……また?」
「はい!」
俺が元気よく答えると、セドリックが笑い出した。
「はははっ! こいつ、今日もずっと鎧の話をしてたんだぞ!」
「兄上!」
「雷の剣だの、空を飛ぶ装置だの、すごい勢いで話してたな!」
……やめてくれ。
恥ずかしい。
母上は少し驚いたようだったが、すぐに微笑んだ。
「まあ。本当に好きなのね」
「……はい」
俺は小さく頷いた。
父上が、静かに口を開いた。
「レオンハルト。魔導工学の本は読んでいるか?」
「はい。とても面白いです」
「そうか」
父上は少しだけ満足そうな顔をした。
それから、真面目な表情に戻る。
「だが、知識だけで何でもできると思ってはいけない。魔導技術は、扱い方を間違えれば危険だ」
「……はい」
俺は素直に頷いた。
今日の実験で、それは十分に分かっている。
たった数滴の水を作るだけでも、魔力を使いすぎれば頭痛が起こる。
もし、あれが火や雷だったら。
もっと危険なことになっていたかもしれない。
「……父上」
「何だ?」
「魔力って、練習すれば増えるんですか?」
俺は、できるだけ自然な口調で尋ねた。
父上は少し考えた。
「魔力の総量には、生まれ持った素質が大きく関わると言われている」
「……そうなんですか」
「ああ。だが、訓練によって魔力の扱いが上達することはある。無駄な消費を減らしたり、術式を安定させたりすることは可能だ」
なるほど。
やはり、制御能力は鍛えられるらしい。
「じゃあ、魔力の総量は増えないんですか?」
「まったく増えないとは言い切れん。成長とともに変化する者もいるし、長年の修練で以前より多くの魔力を扱えるようになる者もいる」
父上はスープを一口飲んだ。
「ただし、誰でも好きなだけ増やせるわけではない。魔力を無理に使い切るような訓練は、体を壊す危険がある」
「……分かりました」
俺は真剣に頷いた。
……つまり。
俺の仮説は、完全に間違っているわけではない。
魔力の制御は鍛えられる。
総量も、成長や訓練によって変化する可能性がある。
だが、どこまで増えるかは分からない。
そして、無理な訓練は危険。
……よし。
やっぱり、慎重に続けよう。
「レオンハルト」
今度は、母上が声をかけてきた。
「勉強も大切だけれど、ちゃんと外で遊ぶのよ?」
「……はい」
「お友達とも仲良くしないとね」
「…………」
俺は、思わずスプーンを止めた。
友達。
……そういえば、今の俺には、同じ年頃の友達がほとんどいない。
前世の記憶が戻ってからは、魔導甲冑のことばかり考えていた。
母上は優しく微笑んだ。
「今度、近くの貴族のお子さんたちと会う機会があれば――」
「……母上」
「なあに?」
「僕は、今は魔導工学の勉強がしたいです」
俺は真剣な顔で答えた。
母上は少し困ったように笑った。
「……本当に、そればかりなのね」
セドリックが肩を揺らした。
「ははっ! こいつ、将来は鎧と結婚するんじゃないか?」
「しませんよ!」
俺は即座に否定した。
……いや、待て。
もし、オメガが完成したら。
俺は毎日、整備して、磨いて、装備を調整して……。
……駄目だ。
少しだけ、否定しきれない気がしてきた。
アルブレヒトが、静かに笑った。
「まあ、何かに熱中できるのは悪いことではないさ」
「そうだな」
父上も頷いた。
「ただし、周りが見えなくなるほど夢中になるのは感心しないぞ」
「……はい」
俺は、少しだけ肩をすくめた。
家族の笑い声が、食堂に広がった。
温かいスープ。
焼きたてのパン。
窓の外に広がる夕暮れ。
前世では、仕事から帰って一人で食事をすることが多かった。
だが、今は違う。
こうして家族と食卓を囲む時間がある。
……悪くないな。
俺は小さく笑い、スープを口へ運んだ。
◇
夜。
俺はベッドに腰を下ろし、今日の研究記録を読み返していた。
机の上には、オメガの設計図が広がっている。
青銀の装甲。
四基の背部推進器。
魔導剣。
魔導盾。
魔導銃。
魔導砲。
そして、今日新しく書き加えた文字。
『属性魔法との連動』
俺は、その言葉を指先でなぞった。
……可能性は、無限に近い。
いや、実際には限界がある。
魔力。
材料。
知識。
技術。
そして、時間。
どれも簡単には手に入らない。
だが。
俺には、まだ時間がある。
八歳。
この世界での人生は、始まったばかりだ。
今は水滴を数滴作るだけで精一杯。
火だって、小さな火花しか出せない。
風は枯れ葉を一枚動かす程度。
土は砂粒一つ。
……それでも。
今日、俺は確かに一歩前へ進んだ。
俺の魔法は、壊れたものを直すだけの力ではなかった。
物の構造を読み取り、変化させる。
さらに、魔力そのものをさまざまな属性へ変換する。
伝説の《万象変成魔法》。
もし本当に、あの三人と同じ力を持っているなら。
俺は、どこまで行けるのだろう。
「……楽しみだな」
俺は小さく呟いた。
胸の奥が、また熱くなる。
雷を生み出せるようになったら。
氷を操れるようになったら。
重力を制御できるようになったら。
金属や鉱物を自在に生成できるようになったら。
そのすべてを、オメガの開発に役立てられるかもしれない。
考えるだけで、わくわくしてくる。
「……でも、まずは水滴だな」
俺は苦笑した。
最強の魔導甲冑を目指す男が、今できることは水滴を作ること。
何とも地味な話だ。
だが、それでいい。
大きな夢ほど、最初の一歩は小さいものだ。
俺はノートを開き、最後のページに新しい目標を書き込んだ。
『第一目標――魔力の制御を安定させる』
『第二目標――基本四属性を安全に扱えるようになる』
『第三目標――魔力の成長について調べる』
『第四目標――魔導工学と属性魔法を組み合わせる』
『最終目標――オメガ完成』
書き終えた俺は、満足げに頷いた。
「……よし」
これで、明日からやることが決まった。
まずは、無理のない範囲で魔力を鍛える。
そして、少しずつ新しい属性を試していく。
いつか、雷も氷も光も闇も、すべて使いこなせるようになりたい。
もちろん、それは簡単なことではないだろう。
だが、だからこそ面白い。
俺はノートを閉じ、机の上に置いた。
それから、ベッドに横になる。
天井を見つめながら、ふと考えた。
前世の俺は、恋愛に振り回されてばかりだった。
誰かに好かれたい。
認められたい。
そんなことを考えて、疲れ果てていた。
だが、今は違う。
俺には、やりたいことがある。
自分の力を理解すること。
魔導技術を学ぶこと。
家族の役に立つこと。
そして、世界で一つだけのオメガを完成させること。
それだけで、十分に幸せだ。
「……恋愛なんて、やっぱり後回しだな」
俺は小さく笑った。
乙女ゲームの世界に転生したからといって、わざわざ恋愛イベントに飛び込む必要はない。
ソフィアや攻略対象たちには、彼らの物語がある。
俺は俺の道を進む。
誰にも邪魔されず、自由気ままに。
好きなものを作りながら、生きていく。
……そのはずだった。
だが、このときの俺は、まだ知らなかった。
自分が手に入れた《万象変成魔法》が、単に珍しい魔法というだけでは済まないことを。
そして、かつてその力を持っていた三人が、なぜ歴史から姿を消したのか。
その答えに、いつか向き合う日が来ることを。
……まあ、そんなことは今の俺には分からない。
それより、明日の実験だ。
水滴を、もう少し安定して作れるようになりたい。
それから、魔導灯の修理方法も考えよう。
銅を生成できるかどうかは、まだ試していない。
だが、もしできたら。
……ふふっ。
また一つ、夢に近づける。
「……最高だな、異世界って」
俺は満足げに呟いた。
そして、明日の研究を楽しみにしながら、ゆっくりと目を閉じた。
――伝説の魔法を手に入れた少年の、長い長いものづくり人生は、まだ始まったばかりだった。
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