第33話 八歳になった元メイドが大変身!? 新しいドレスと小さな騎士様、そして初めての再訓練!
マルタ・エーレンフェルトには、どうしても納得できないことがあった。
それは、昨日から自分の身の回りの世話を、ほかの使用人たちがすべて引き受けていることだった。
「アンナ。洗濯物でしたら、私もお手伝いできますよ」
「駄目です」
「ですが、軽いものだけでも……」
「駄目です」
「では、食器を片づける程度なら」
「マルタさん」
アンナは洗濯物を抱えたまま、振り返った。
「昨日、奥様から何と言われましたか?」
「……今の体に慣れるまで、無理をしないようにと」
「そのとおりです」
マルタは小さくため息をついた。
以前の彼女なら、アンナより頭一つ高い位置から話していたはずだった。
ところが今は、逆だ。
アンナを見上げなければならない。
それが、何とも落ち着かなかった。
「……それにしても、何もさせていただけないのは困ります」
「でしたら、今日はご自分のことをしてください」
「自分のこと、ですか?」
「はい。まずは、お洋服ですね」
アンナはにっこりと笑った。
その笑顔を見た瞬間、マルタは妙な胸騒ぎを覚えた。
「……アンナ?」
「奥様がお呼びですよ。仕立て屋さんがいらっしゃっていますから」
「……仕立て屋?」
「ええ。マルタさんの新しいお洋服を作るんです!」
マルタは固まった。
「……私の?」
「もちろんです!」
アンナは嬉しそうに頷いた。
「今の体に合う服が必要でしょう?」
それは、確かに正論だった。
しかし。
「……必要最低限のもので十分なのですが」
「それは奥様に直接おっしゃってください」
アンナは笑顔のまま答えた。
マルタは、嫌な予感を抱えながら廊下を歩き始めた。
◇
ヴァイス男爵家の小さな衣装室には、色とりどりの布が広げられていた。
白。
淡い青。
深い紺色。
落ち着いた赤。
柔らかなクリーム色。
窓際には、裁縫道具を並べた女性が二人座っている。
その中央で、母上――ヘレナが楽しそうに布を選んでいた。
「マルタ、来たわね!」
「奥様。お呼びでしょうか?」
「ええ。こちらへいらっしゃい」
マルタが近づくと、母上は彼女の肩に青い布を当てた。
「……うん。やっぱり、この色が似合うわ」
「奥様……」
「何かしら?」
「その……ここまでしていただく必要は……」
「あるわよ」
母上は即答した。
「あなた、いつまで借り物の服を着ているつもり?」
「……それは」
「それに、今の服では動きにくいでしょう?」
マルタは言葉に詰まった。
確かに、現在着ている服は、屋敷に保管されていた子供用の衣服を急いで直したものだ。
大きさは何とか合っている。
しかし、袖の長さや腰回りには、まだ違和感が残っていた。
「……おっしゃるとおりです」
「でしょう?」
母上は満足そうに笑った。
「だったら、遠慮しないの」
仕立て屋の女性が柔らかく微笑んだ。
「マルタ様。まずは採寸をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……はい。お願いいたします」
マルタは小さく頷いた。
そして、両腕を横へ広げた。
仕立て屋が布製の巻尺を取り出す。
肩幅。
袖丈。
腰回り。
脚の長さ。
順番に測っていく。
マルタは静かに立っていた。
しかし、内心では複雑な気持ちだった。
……まさか、この年齢になって、子供服の採寸を受けることになるとは。
もちろん、正確には年齢が戻ったわけではない。
記憶も経験も、そのままだ。
ただ、体だけが八歳ほどになってしまった。
それなのに。
「まあ、可愛らしい!」
仕立て屋が声を上げた。
「このくらいの年齢でしたら、少しふんわりした袖が似合いますね」
「そうでしょう?」
母上が嬉しそうに頷いた。
「それに、マルタは昔から落ち着いた色が好きだから、紺色を中心にしましょう」
「奥様……」
「でも、せっかくだから少し可愛らしくしたいわね」
「……可愛らしく、ですか?」
「ええ!」
母上の瞳が輝いた。
マルタは、思わず一歩後ずさった。
……これは。
もしかして、私に拒否権はないのでしょうか。
◇
一時間後。
俺は工房で、オメガの脚部について父上と相談していた。
右膝の関節には、まだ小さな変形が残っている。
歩行だけなら大きな問題はない。
しかし、急な方向転換や着地の衝撃には不安があった。
「……ここに補助部品を追加すれば、負担を分散できると思うんです」
俺は図面を指差した。
父上はしばらく眺めたあと、首を横に振った。
「考え方は悪くない。だが、この位置では部品同士が干渉する」
「……あ」
言われてみれば、そのとおりだった。
膝を深く曲げると、追加した部品が内部の駆動軸に当たってしまう。
「……また失敗か」
「失敗ではない。図面の段階で問題が分かったのだから、むしろ良いことだ」
父上は穏やかに言った。
「実際に組み立ててから壊すより、ずっと安く済む」
「……はい」
俺は苦笑した。
……確かに。
ヴァイス男爵家には、無駄遣いできるほどのお金はない。
兄上からもらった予算帳には、今日使った材料費まで細かく記録してある。
オメガの改良も、慎重に進めなければならない。
そのとき。
工房の扉が開いた。
「レオン!」
リナが勢いよく顔を出した。
赤茶色の髪が揺れ、狐耳がぴんと立っている。
「ちょっと来てくれ!」
「……どうしたの?」
「マルタがすごいことになってる!」
「……え?」
俺は思わず立ち上がった。
……まさか、また体に何か起きたのか?
「マルタに何かあったの!?」
「うん!」
リナは真剣な顔で頷いた。
「すっごく可愛くなってる!」
「…………」
俺は固まった。
父上が横で小さく笑った。
「……行ってきなさい、レオンハルト」
「……はい」
俺は何とも言えない気持ちで、リナのあとを追った。
◇
応接室へ入ると、そこには母上とエリスがいた。
エリスは両手を胸の前で合わせ、嬉しそうに微笑んでいる。
「……レオンくん、見て……!」
「……何を?」
俺が尋ねた、そのときだった。
「レオンハルト様」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
そして、俺は目を瞬かせた。
そこに立っていたのは、小さな少女だった。
柔らかな栗色の髪は、肩のあたりで緩やかに整えられている。
右側には、いつもの銀色の髪留め。
白いブラウスには、小さく膨らんだ袖と繊細な縫い目が施されていた。
首元には、深い赤色のリボン。
その上から、濃紺の短い上着を羽織っている。
上着の袖口には、細い銀色の刺繍が入っていた。
腰には同じ紺色のプリーツスカート。
膝下までの白い靴下に、茶色の編み上げ靴。
さらに、肩からは小さな青いケープがかかっている。
派手すぎず、上品で、動きやすそうな服装だった。
けれど。
何より印象的だったのは、その表情だ。
少し恥ずかしそうに微笑んでいる。
……マルタ?
「……どうでしょうか?」
少女は小さく両手を広げた。
「奥様が、選んでくださったのです」
俺はしばらく言葉を失った。
……いや。
似合ってる。
ものすごく似合ってる。
でも、昨日までメイド服を着た大人の女性だった人が、急にこんな格好で現れたら、驚くに決まっている。
「……レオンハルト様?」
マルタが首を傾げた。
「……おかしいでしょうか?」
「い、いや!」
俺は慌てて首を振った。
「すごく似合ってるよ!」
マルタは目を瞬かせた。
そして、嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとうございます」
母上が満足そうに頷いた。
「でしょう? 私もそう思ったのよ」
リナがマルタの周りをくるくる回った。
「すげえ! なんか、お姫様みたいだ!」
「……リナ様。あまり回ると目が回りますよ」
「大丈夫だって!」
エリスも小さく頷いた。
「……マルタ、可愛い……」
「……エリス様まで」
マルタは少し頬を赤らめた。
俺は思わず笑った。
……いつも厳しいマルタが、こんなに照れてる。
何だか新鮮だな。
すると、マルタがこちらを見た。
その瞳に、少しだけ悪戯っぽい光が浮かんだ。
「……レオンハルト様」
「ん?」
「先ほど、リナ様がお姫様のようだとおっしゃいましたね」
「……うん」
マルタはスカートの裾を軽く持ち上げ、上品にお辞儀をした。
「では、本日だけは私をお姫様として扱ってくださいますか?」
「……え?」
俺は固まった。
マルタは微笑んだ。
「例えば、庭園までエスコートしていただくとか」
「……ええっ!?」
リナが目を輝かせた。
「おおっ! 面白そう!」
エリスも驚いた顔をしている。
俺は慌てて言った。
「ま、マルタ!?」
「ふふっ」
マルタは口元に手を当てた。
「冗談でございます」
「……じょ、冗談?」
「はい。少しだけ、からかってみたくなりまして」
……この人。
こんな性格だったっけ!?
俺が呆然としていると、母上が楽しそうに笑った。
「まあ、マルタ。あなた、そんな冗談も言えるのね」
「……奥様」
マルタは少し照れたように目を伏せた。
「私も、たまには冗談くらい申し上げます」
リナが勢いよく手を上げた。
「じゃあ、あたしもお姫様!」
「……え?」
「レオン! あたしもエスコートしてくれ!」
エリスが小さく手を上げた。
「……わ、私も……少しだけ……」
俺は三人を見た。
そして、天井を仰いだ。
……何でこうなるんだ。
前世では、こんな経験は一度もなかったぞ。
いや、そもそも八歳の子供が、三人のお姫様をエスコートするって何なんだよ!?
母上は楽しそうに笑った。
「それなら、午後のお茶会を庭で開きましょうか」
「……母上!?」
「いいじゃない。今日は天気もいいもの」
……どうやら。
俺に拒否権はないらしい。
◇
午後のお茶会は、思った以上に賑やかなものになった。
庭園の小さなテーブルには、焼き菓子と果物が並べられている。
マルタが昨日買ってきた蜂蜜菓子もあった。
リナは椅子に座るなり、胸を張った。
「レオン! お姫様には何をするんだ?」
「……え?」
「エスコート!」
「……いや、それは歩くときの話じゃない?」
リナは少し考えた。
「じゃあ、お菓子を取ってくれ!」
「……それは自分で取れるでしょ」
「お姫様なんだから!」
……理屈がめちゃくちゃだ。
俺は苦笑しながら、菓子の皿をリナの前へ置いた。
「はい、リナ姫」
「おおっ!」
リナの尻尾が嬉しそうに揺れた。
エリスは小さく笑っている。
「……レオンくん、私にも……?」
「もちろん」
俺は皿を差し出した。
「はい、エリス姫」
「……あ、ありがとう……」
エリスは頬を赤くした。
その様子を見て、マルタが静かに微笑んだ。
「……では、私にもお願いできますか?」
俺は彼女を見た。
「……マルタも?」
「はい」
マルタは上品に両手を膝へ置いた。
「本日は、お姫様というお約束ですので」
……まだ続けるのか。
俺は苦笑した。
「分かったよ」
皿を差し出す。
「どうぞ、マルタ姫」
すると。
マルタは少しだけ目を細めた。
「……ありがとうございます、私の小さな騎士様」
「……っ!」
俺は思わず顔を赤くした。
……何だ、その呼び方!
マルタは、そんな俺を見て小さく笑った。
「ふふっ。レオンハルト様は、本当に素直でいらっしゃいますね」
「……マルタ!」
「はい?」
「……からかわないでよ」
「失礼いたしました」
そう言いながらも、彼女の口元には笑みが残っていた。
リナが不満そうに頬を膨らませた。
「ずるい! あたしも騎士様って呼ぶ!」
「……別に、呼ばなくてもいいよ」
「じゃあ、レオン騎士!」
「……何それ」
エリスも小さく呟いた。
「……レオンくんは、優しい騎士様だね……」
……やめてくれ。
そんなこと言われたら、余計に恥ずかしい。
俺は顔を覆った。
すると、マルタが楽しそうに笑った。
その笑顔を見て、俺は少し驚いた。
……こんなに笑う人だったんだな。
いつも落ち着いていて、厳しくて、頼りになる。
そんなマルタしか、俺は知らなかった。
でも、今は違う。
彼女も、こうして冗談を言って笑うことができる。
……少し、安心した。
◇
お茶会が終わったあと。
マルタは、庭の端にある訓練場を見つめていた。
そこには、以前彼女が使っていた木製の訓練器具が並んでいる。
低い障害物。
平衡感覚を鍛えるための細い板。
そして、足運びを確認するための目印。
マルタは、しばらくそれらを眺めていた。
「……マルタ?」
俺が声をかけると、彼女は振り返った。
「……レオンハルト様」
「どうしたの?」
「……少し、体を動かしてみようかと思いまして」
俺は眉を寄せた。
「……大丈夫なの?」
「医師からは、軽い運動なら問題ないと言われております」
「……そうなんだ」
俺は少し考えた。
確かに、今の体に慣れるためには、少しずつ動く必要がある。
でも、無理は禁物だ。
「……じゃあ、俺も一緒にいるよ」
マルタは微笑んだ。
「ありがとうございます」
彼女は訓練場へ向かった。
リナとエリスも、興味深そうについてきた。
「おっ! 訓練か!」
リナが嬉しそうに叫ぶ。
「今日は、あたしがマルタに教えてやる!」
マルタは静かに振り返った。
「……リナ様」
「な、何だ?」
「昨日の平衡訓練では、三回ほど足を踏み外されましたね」
「……うっ」
「まずは、ご自分の記録を改善なさってください」
「……はい」
リナの耳がしゅんと下がった。
俺は思わず笑った。
……やっぱり、マルタだ。
体が小さくなっても、先生としての迫力は変わらない。
◇
最初に行ったのは、簡単な歩行訓練だった。
地面に引かれた線の上を、ゆっくり歩く。
ただ、それだけ。
しかし、マルタは慎重だった。
足を置く位置。
重心の移動。
腕の振り方。
一つずつ確認している。
「……なるほど」
彼女は小さく呟いた。
「やはり、以前とは感覚が違いますね」
俺は頷いた。
「……うん」
「歩幅を小さくすると安定しますが、急な方向転換では上半身が遅れてしまいます」
……さすがだな。
自分の体の変化を、ちゃんと分析している。
俺は少し感心した。
次に、低い障害物をまたぐ練習をした。
マルタは慎重に足を上げた。
しかし。
「……っ!」
足が思ったより上がらなかった。
靴の先が障害物に触れる。
体が前へ傾いた。
「マルタ!」
俺は慌てて駆け寄った。
彼女はすぐに姿勢を立て直そうとした。
けれど、間に合わない。
俺は彼女の腕を支えた。
「……大丈夫!?」
マルタは驚いたように俺を見た。
「……レオンハルト様」
「怪我してない?」
「……はい」
彼女は小さく頷いた。
「ありがとうございます」
俺は胸をなで下ろした。
「……よかった」
マルタは、しばらく黙っていた。
そして、静かに自分の手を見つめた。
「……情けないですね」
「……え?」
「以前なら、この程度の障害物で足を取られることなどありませんでした」
その声は、少しだけ沈んでいた。
俺は何も言えなかった。
マルタは小さく笑った。
「……頭では分かっているのです。体が変わったのですから、同じように動けないのは当然だと」
彼女は訓練場を見渡した。
「ですが……実際にできなくなると、思った以上に悔しいものですね」
俺は彼女を見つめた。
……そうだよな。
マルタは、ずっと俺たちを守ってくれた人だ。
危険な場所でも冷静で、どんなときも頼りになった。
そんな人が、今は簡単な障害物を越えることさえ難しい。
……悔しいに決まっている。
「……マルタ」
「はい?」
「俺も、最初は何もできなかったよ」
マルタが目を瞬かせた。
「……レオンハルト様?」
「オメガを造るときだって、失敗ばっかりだった」
俺は苦笑した。
「歩かせるだけでも大変だったし、今だって右膝の問題が残ってる」
マルタは静かに聞いていた。
「でも、だからって、オメガが駄目な機体だとは思わない」
俺は続けた。
「今はまだ、できないことがあるだけなんだ」
マルタは目を伏せた。
「……そうですね」
「マルタだって、同じだよ」
俺は微笑んだ。
「今の体に慣れてないだけ。マルタの経験がなくなったわけじゃない」
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
「……レオンハルト様」
「それに、マルタは俺たちに教えてくれたでしょ?」
「……何をでしょう?」
「危険なときは、無理しないこと」
俺は笑った。
「だから、今はマルタも無理しちゃ駄目だよ」
マルタは、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……ふふっ」
小さく笑った。
「……一本取られてしまいましたね」
「……え?」
「まさか、私が教えたことを、レオンハルト様から教え返されるとは思いませんでした」
俺は少し照れくさくなった。
「……だって、本当のことだし」
マルタは微笑んだ。
「……ありがとうございます」
その声は、先ほどよりも明るかった。
◇
訓練を終えたあと、俺たちは工房へ戻った。
マルタは少し疲れた様子だったが、表情は落ち着いていた。
俺は机の上にある図面を取り出した。
「……マルタ」
「はい?」
「ちょっと、見てほしいものがあるんだ」
俺が広げたのは、簡単な操縦訓練装置の設計図だった。
木製の座席。
左右の操縦桿。
足元の踏み板。
そして、動きを示す小さな表示板。
魔導機甲そのものを動かすわけではない。
操縦桿を動かすと、内部の歯車と連動して、表示板の針が動く。
そんな簡単な仕組みだ。
「……これは?」
マルタが尋ねた。
「操縦訓練用の装置だよ」
俺は答えた。
「実際の機体を動かさなくても、基本操作を練習できるようにしたいんだ」
マルタは図面を見つめた。
「……なるほど」
「今のマルタでも使えるように、座席の高さを変えられるようにしようと思ってる」
彼女は少し驚いた顔をした。
「……私のために?」
「うん」
俺は頷いた。
「もちろん、リナとエリスにも使ってもらうつもりだけどね」
リナが勢いよく手を上げた。
「おおっ! あたしも操縦できるのか!?」
「まだ練習だけだよ」
「それでもいい!」
エリスも興味深そうに図面を見た。
「……私も、やってみたい……」
俺は微笑んだ。
「うん。みんなで練習しよう」
マルタは、しばらく図面を見つめていた。
そして、静かに口を開いた。
「……レオンハルト様」
「ん?」
「一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「……何?」
マルタは図面の一部分を指差した。
「この操縦桿ですが、もう少し抵抗をつけた方がよろしいかと」
「……抵抗?」
「はい。実際の魔導機甲では、機体の状態によって操縦桿から伝わる感覚が変わります」
俺は目を見開いた。
……なるほど!
確かに、ただ動かすだけじゃ、本物の操縦感覚には近づかない。
マルタは続けた。
「例えば、脚部に負荷がかかっている場合、操作が重く感じられることがあります。そうした違いを練習できれば、より役立つでしょう」
「……すごい!」
俺は思わず声を上げた。
「それ、考えてなかった!」
マルタは少し照れたように微笑んだ。
「……お役に立てたのでしたら、何よりです」
「もちろん!」
俺は鉛筆を取り、図面へ書き込んだ。
……やっぱり。
マルタの経験は、すごい。
体が小さくなったからって、それが消えるわけじゃない。
俺は改めて、そう思った。
◇
夕方。
マルタは工房の窓際に立ち、外を眺めていた。
庭では、リナとエリスが楽しそうに話している。
レオンハルトは、父親と一緒に図面を確認していた。
その姿を見つめながら、マルタは小さく微笑んだ。
……本当に、不思議なお方です。
あの少年は、まだ八歳。
それなのに、ときどき大人のような言葉を口にする。
今日もそうだった。
『今はまだ、できないことがあるだけなんだ』
その言葉は、思った以上に胸に残っていた。
マルタは自分の小さな手を見つめた。
……私は、何を恐れていたのでしょう。
体が変わったこと。
仕事ができなくなること。
誰かの役に立てなくなること。
そして。
必要とされなくなること。
……そうですね。
彼女は静かに息を吐いた。
もしかすると、一番怖かったのは最後のことだったのかもしれない。
けれど、レオンハルトは違った。
彼は、マルタが以前のように働けなくても、変わらず大切にしてくれている。
リナもエリスも、彼女を先生として慕ってくれている。
……それだけで、十分ではありませんか。
マルタは小さく頷いた。
そのとき。
「……マルタ?」
背後から声がした。
振り返ると、レオンハルトが立っていた。
「……レオンハルト様」
「疲れてない?」
「はい。少し休めば大丈夫です」
「……そっか」
レオンハルトは微笑んだ。
マルタは、その顔を見つめた。
そして、ふと悪戯心が芽生えた。
「……レオンハルト様」
「ん?」
「本日は、ありがとうございました」
「……別に、そんな」
マルタは小さく首を傾げた。
「……では、お礼に一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「……何?」
彼女は少しだけ微笑んだ。
「明日も、私の騎士様でいてくださいますか?」
「……っ!?」
レオンハルトの顔が、一瞬で赤くなった。
「ま、マルタ!?」
「ふふっ」
マルタは楽しそうに笑った。
「冗談でございます」
「……もう!」
レオンハルトは頬を膨らませた。
「最近、マルタまでリナみたいになってきた!」
「……それは、少々困りますね」
「困るんだ!?」
マルタは声を立てて笑った。
その笑い声は、工房の窓から差し込む夕日に溶けていった。
……楽しい。
彼女は、ふと思った。
以前の自分は、こんなふうに冗談を言っていただろうか。
いつも仕事のことを考え、誰かを守ることばかり気にしていた。
けれど、今は。
少しだけ、肩の力を抜いてもいいのかもしれない。
マルタは静かに微笑んだ。
レオンハルトが、不思議そうに彼女を見た。
「……どうしたの?」
「……いいえ」
彼女は首を横に振った。
「何でもございません」
そして、心の中で呟いた。
……ありがとうございます、レオンハルト様。
あなたのおかげで、私は少しずつ前を向けそうです。
◇
その夜。
父上の執務室に、警備隊長バルドが訪れていた。
机の上には、一枚の地図が広げられている。
「……例の庭園を確認しました」
バルドが報告した。
父上は顔を上げた。
「……見つかったのか?」
「はい。マルタ殿の証言どおり、林の奥に古い石造りの庭園が存在していました」
「……噴水は?」
「確認しております。ただし、旦那様のご命令どおり、近づいてはおりません」
父上は頷いた。
「それでいい」
バルドは続けた。
「庭園の入口には、古い石柱がありました。文字はほとんど読めませんが、何らかの紋章が刻まれています」
「……紋章?」
「はい。現在、古い領地の記録と照合しております」
父上はしばらく考えた。
「……所有者は分かったか?」
「いいえ。まだ確認できておりません」
バルドは首を横に振った。
「ただし、一つ気になることがございます」
「……何だ?」
「庭園へ続く石畳の道ですが、かなり古いものです。それにもかかわらず、一部には比較的新しい補修の痕跡がありました」
父上の表情が変わった。
「……誰かが手入れをしていた可能性があるのか?」
「断定はできません。しかし、完全に放置されていた場所とも言い切れません」
父上は地図を見つめた。
北の鉱山。
古い魔導技術。
そして、今回の庭園。
今のところ、それらが関係している証拠はない。
だからこそ、慎重に調べなければならない。
「……分かった。明日、古い土地台帳を確認しよう」
「承知しました」
バルドは頭を下げた。
そして、部屋を出ていった。
父上は一人、地図を見つめた。
「……一体、何が起きているのだ……」
その呟きに答える者はいなかった。
窓の外では、静かな夜が広がっていた。
そして、遠く離れた古い庭園では。
月明かりを受けた噴水が、何事もなかったかのように水を流し続けていた。
マルタの体を変えた不思議な力。
その正体は、まだ分からない。
けれど。
レオンハルトたちの新しい日常は、少しずつ動き始めていた。
この章を楽しんでいただけたなら、ぜひご感想をお聞かせください。
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読んでいただきありがとうございました!




