第32話 八歳になった元メイドの新生活!? 天才少年と三人の少女、元に戻る方法を探します!
翌朝。
ヴァイス男爵家の食堂には、何とも言えない空気が漂っていた。
いつもなら、マルタが朝食の準備を確認し、使用人たちへ指示を出している時間だ。
しかし、今日は違う。
長い食卓の端に、小さな少女が一人座っていた。
栗色の髪。
落ち着いた茶色の瞳。
白いブラウスに、濃紺の膝丈スカート。
髪には、昨日と同じ銀色の髪留めがついている。
服はアンナとベラが夜のうちに探してくれたものだった。以前、屋敷で預かっていた子供用の衣服を仕立て直したらしい。
見た目だけなら、どこにでもいる八歳くらいの女の子だ。
だが。
「レオンハルト様。パンをお取りいたしましょうか?」
「……いや、マルタ。自分で取れるよ」
「そうですか。では、お茶のお代わりを――」
「マルタ」
母上が静かに声をかけた。
「はい、奥様」
「あなたは今、食事をする側でしょう?」
「……あ」
少女になったマルタは、手にしていたティーポットを見下ろした。
そして、ゆっくりと食卓へ戻した。
「……失礼いたしました」
母上は困ったように微笑んだ。
「謝らなくていいのよ。昨日から何度も言っているでしょう?」
「……はい」
マルタは小さく頷いた。
俺は、その様子を見つめながらパンをかじった。
……まだ慣れないな。
昨日まで大人だった人が、突然俺と同じくらいの年齢になってしまった。
しかも、話し方も性格も、以前のままだ。
見た目と中身が、まったく一致していない。
リナは隣で、じっとマルタを見つめていた。
「……なあ、マルタ」
「何でしょう、リナ様?」
「本当に、あたしたちと同じくらいなんだな」
「……見た目だけですが」
「じゃあ、走る速さも同じくらいなのか?」
「……それは、試しておりません」
リナの狐耳がぴんと立った。
「じゃあ、あとで競争しようぜ!」
「リナ」
俺が声をかける。
「マルタは昨日、大変だったんだから」
「……あ」
リナは少し考えたあと、耳を伏せた。
「……そっか。ごめん」
マルタは穏やかに微笑んだ。
「お気になさらないでください。元気になりましたら、体力の確認も必要でしょう」
「……本当か!?」
「ただし、競争ではなく、安全な歩行訓練から始めます」
「……えーっ!」
リナが不満そうに声を上げた。
その様子に、エリスがくすくす笑った。
「……マルタ、やっぱりマルタだね……」
「……そうでしょうか?」
「……うん」
エリスは嬉しそうに頷いた。
「……昨日は、少し心配だったから……」
マルタの表情が柔らかくなった。
「……ありがとうございます、エリス様」
俺は三人を見ながら、小さく息を吐いた。
……うん。
見た目は変わっても、マルタはマルタだ。
それだけは、間違いない。
◇
朝食後。
父上は、俺たちを小さな応接室へ集めた。
部屋には、父上と母上、マルタ、そして俺、リナ、エリスがいる。
机の上には、昨日マルタが持ち帰った荷物が並べられていた。
革の小物入れ。
市場で買った焼き菓子。
小さな髪飾り。
そして、濡れた青いワンピース。
父上は腕を組んだ。
「……まず、昨日の出来事を整理しよう」
マルタが頷いた。
「はい、旦那様」
「マルタ。もう一度、庭園で起きたことを説明してくれ」
「承知いたしました」
マルタは椅子に座り直した。
小さな体では、足が床に届かない。
それを見て、彼女は少しだけ眉を寄せた。
……気になるんだろうな。
俺はそう思った。
マルタは静かに話し始めた。
「昨日、町で買い物を済ませたあと、昔よく通った道を散歩しておりました」
父上は頷いた。
「それから?」
「林の奥で、古い石造りの庭園を見つけました。中央には噴水があり、そこに古い文字が刻まれていたのです」
「……文字?」
俺は思わず身を乗り出した。
「どんな文字だったの?」
マルタは少し考えた。
「……正確には覚えておりません。ただ、『失われし』や『時』という言葉が読めたように思います」
……失われし、時。
俺は眉を寄せた。
何だろう。
古代魔法?
それとも、何かの儀式に使われていた場所なのか?
父上が続けた。
「それで、噴水へ落ちたのだな」
「……はい」
マルタは少しだけ頬を赤らめた。
「苔で足を滑らせまして……」
リナが口元を押さえた。
「……ぷっ」
「リナ」
俺が小声で注意する。
「……わ、笑ってないぞ!」
……いや、笑ってたよね。
マルタは苦笑した。
「お気になさらないでください。私の不注意です」
そして、表情を引き締めた。
「水の中で、青い魔導陣のようなものが光りました。その直後、体が軽くなり……気づいたときには、この姿になっておりました」
父上はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
母上がマルタを見つめた。
「痛みはなかったの?」
「はい。痛みはありませんでした」
「気分が悪くなったり、記憶が曖昧になったりは?」
「それもございません」
マルタは頷いた。
「ただ、体の感覚が大きく変わりました。歩幅も、筋力も、以前とは違います」
俺は小さく頷いた。
……そりゃそうだ。
大人の体から、八歳くらいの体になったんだから。
でも。
俺には、もう一つ気になることがあった。
「……マルタ」
「はい?」
「魔力はどう?」
マルタが目を瞬かせた。
「……魔力、ですか?」
「うん。以前と同じように使える?」
マルタは少し考えた。
「……昨日は、確認しておりません」
父上がすぐに口を開いた。
「それについては、医師と魔導師に調べてもらう」
俺は頷いた。
「……はい」
父上は真剣な表情になった。
「原因が分からない以上、無理な実験はしない。特に、あの噴水へ再び入ることは禁止だ」
「……分かりました」
俺は素直に答えた。
……正直、調べたい。
でも、危険な魔法かもしれない。
マルタが子供になった理由も分からないのに、安易に近づくべきじゃない。
それは、これまで何度も学んできたことだった。
◇
昼前。
屋敷へ、領内の医師と魔導師が訪れた。
医師は、白髪交じりの穏やかな男性だった。
魔導師は、青いローブを着た中年の女性。
二人とも、父上から事情を聞いているらしい。
しかし、実際にマルタを見ると、驚きを隠せなかった。
「……本当に、あのマルタさんなのですか?」
医師が尋ねた。
マルタは丁寧に頭を下げた。
「はい。ご無沙汰しております」
「……いやはや」
医師は困惑したように眼鏡を直した。
「長年診てきましたが、このような例は初めてです」
魔導師も眉を寄せた。
「……体の変化を伴う魔法は存在しますが、ここまで完全な若返りとなると……」
父上が尋ねた。
「元に戻す方法はあるのか?」
魔導師は少し考えた。
「……今の段階では、何とも申し上げられません」
その言葉に、部屋が静かになった。
マルタは表情を変えなかった。
けれど、膝の上に置いた小さな手が、わずかに握られている。
俺は、それに気づいた。
……怖いよな。
当然だ。
突然、体が変わってしまったんだから。
しかも、元に戻れるかどうかも分からない。
俺は何も言わず、彼女の隣に座った。
医師は慎重に診察を進めた。
脈拍。
呼吸。
目の反応。
手足の動き。
そして、体の成長状態。
診察が終わると、医師は父上へ向き直った。
「……現在のところ、重大な異常は見られません」
父上が息を吐いた。
「そうか」
「ただし、体は幼い子供の状態です。筋力や体力も、それに相応しいものになっています」
マルタが頷いた。
「……承知しております」
医師は続けた。
「今後しばらくは、無理な運動を避け、十分な食事と休息を取ることをおすすめします」
「はい」
次に、魔導師が小さな水晶を取り出した。
透明な球体の中には、淡い光が揺れている。
「では、魔力の状態を確認いたします」
マルタは水晶へ手を伸ばした。
小さな指が、表面に触れる。
すると。
ぽうっ。
水晶が淡い青色に輝いた。
「……ふむ」
魔導師は目を細めた。
「魔力の流れは安定しています」
俺は少し安心した。
……よかった。
でも、魔導師は続けた。
「ただし、以前の状態と比較する資料がありませんので、魔力量が変化したかどうかまでは判断できません」
……なるほど。
今の状態が正常でも、以前と同じとは限らない。
父上も頷いた。
「分かった。無理な魔法の使用は控えさせよう」
魔導師は静かに答えた。
「それがよろしいかと」
◇
診察が終わったあと。
俺たちは、屋敷の庭にあるベンチへ集まっていた。
秋の風が、木々の葉を揺らしている。
マルタは小さなカップを両手で持ち、温かいお茶を飲んでいた。
その姿は、どう見ても普通の女の子だ。
……でも。
「……レオンハルト様」
「ん?」
「何か、お考えですか?」
俺は目を瞬かせた。
「……分かる?」
「はい。先ほどから、ずっと難しい顔をしていらっしゃいます」
……やっぱり、マルタだな。
俺は苦笑した。
「……どうすれば元に戻せるかなって」
マルタは少し黙った。
そして、静かに言った。
「……ありがとうございます」
「え?」
「私のために、考えてくださっているのでしょう?」
「……うん」
俺は頷いた。
「だって、マルタにはいつも助けてもらってるから」
マルタは微笑んだ。
「……それが、私の仕事ですから」
「仕事だけじゃないよ」
俺はすぐに答えた。
マルタが目を瞬かせた。
「……え?」
「マルタは、俺たちの大切な人だから」
俺は少し照れくさくなった。
でも、続けた。
「だから、困ってるなら助けたいんだ」
マルタはしばらく俺を見つめていた。
そして、ゆっくりと目を伏せた。
「……そう、ですか」
その声は、少しだけ震えていた。
リナが隣から身を乗り出した。
「そうだぞ! マルタはあたしたちの先生だし!」
エリスも頷いた。
「……いつも、優しくしてくれるもん……」
マルタは二人を見た。
そして、小さく笑った。
「……ありがとうございます」
その笑顔は、いつもより少しだけ幼く見えた。
◇
午後。
俺は父上の許可を得て、工房で古い魔法の資料を調べていた。
もちろん、マルタ本人を実験に使うつもりはない。
まずは、噴水の仕組みについて情報を集めることにした。
「……アリア」
『はい、レオンハルト様』
「古代の魔法で、体の年齢を変えるものってある?」
『現在アクセス可能な記録には、該当する術式の詳細情報は存在しません』
「……そっか」
『ただし、古代魔導技術の記録には欠損が多く、存在しないと断定することはできません』
俺は頷いた。
……そうだよな。
アリアの記憶は、まだ完全じゃない。
以前、北の鉱山で見つけたときも、古い記録の多くが破損していた。
でも。
それと今回の噴水が関係しているとは限らない。
俺は紙に書き込んだ。
『現時点で、噴水と古代魔導技術の関係は不明』
次に、マルタが覚えている文字を整理する。
『失われし』
『時』
……うーん。
これだけじゃ、何も分からないな。
俺は椅子にもたれかかった。
すると、リナが机の上を覗き込んだ。
「……レオン」
「ん?」
「これ、何してるんだ?」
「マルタが見た文字を調べてるんだよ」
「……ふーん」
リナは少し考えた。
「……だったら、もう一回見に行けばいいじゃん」
「……まあ、そうなんだけど」
俺は頷いた。
「でも、危険な場所かもしれないからね」
エリスが静かに言った。
「……遠くから、見るだけなら……?」
俺は顔を上げた。
「……遠くから?」
「……うん。近づかないで、魔力の流れを調べるとか……」
……なるほど。
確かに、直接噴水へ触れなければ、危険を減らせるかもしれない。
でも、魔力がどの範囲まで影響するのか分からない。
だから、まずは大人たちと相談する必要がある。
「……いい考えだね、エリス」
俺は微笑んだ。
「父上に相談してみよう」
エリスは嬉しそうに頷いた。
「……うん……!」
リナも拳を握った。
「じゃあ、あたしも行く!」
「まだ決まってないよ」
「えーっ!」
俺は苦笑した。
……本当に、元気だな。
◇
夕方。
父上は、俺たちの提案を聞いていた。
机の上には、古い庭園の位置を示した地図が広げられている。
「……なるほど。噴水そのものを調べたいのか」
「はい」
俺は頷いた。
「でも、直接触れるつもりはありません」
父上は腕を組んだ。
「……それでも、危険はある」
「分かっています」
俺は真剣に答えた。
「だから、まずは周囲の安全を確認してから、離れた場所で観測する方法を考えたいんです」
父上はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……よし。まずは警備隊に庭園の位置を確認させよう」
「……ありがとうございます!」
「ただし、レオンハルトたちはまだ行かせない」
「……はい」
俺は素直に頷いた。
父上は続けた。
「現地の状況が分かってから、改めて判断する」
「分かりました」
……焦らない。
無理をしない。
それが、今の俺にできることだ。
◇
その夜。
マルタは、屋敷の客室で一人、鏡の前に立っていた。
小さな少女の姿。
栗色の髪。
茶色の瞳。
幼い顔立ち。
何度見ても、慣れない。
「……本当に、変わってしまいましたね」
彼女は小さく呟いた。
鏡の中の少女も、同じように口を動かす。
マルタは椅子へ腰を下ろした。
そして、両手を見つめた。
かつて、グランガードの操縦桿を握っていた手。
重い装備を運び、魔導機甲の整備を手伝い、何度も人々を守ってきた手。
今では、こんなにも小さい。
……これから、どうなるのでしょう。
不安がないわけではなかった。
元に戻れるのか。
今までどおり働けるのか。
魔導機甲に乗れるのか。
そして、ヴァイス男爵家の役に立てるのか。
考え始めると、きりがなかった。
そのとき。
コンコン。
扉が叩かれた。
「……マルタ?」
レオンハルトの声だった。
「……はい。どうぞ」
扉が開き、小さな少年が顔を出した。
銀色がかった淡い金髪。
澄んだ青い瞳。
いつもの寝間着姿だった。
手には、小さな包みを持っている。
「……まだ起きてた?」
「はい。少し考え事をしておりました」
「……そっか」
レオンハルトは部屋へ入った。
そして、包みを差し出した。
「……これ」
マルタは首を傾げた。
「……何でしょう?」
「今日、工房で作ったんだ」
包みを開くと、中には小さな革の腕輪が入っていた。
柔らかい革で作られ、内側には薄い布が縫い付けられている。
「……腕輪?」
「うん」
レオンハルトは少し照れくさそうに笑った。
「今のマルタ、服も道具も大きすぎるでしょ?」
「……はい」
「だから、まずは使いやすいものを一つ作ってみたんだ」
マルタは腕輪を見つめた。
特別な魔法が込められているわけではない。
高価な宝石もついていない。
ただ、小さな手首に合うように作られた、簡単な革の腕輪だった。
けれど。
「……ありがとうございます」
マルタは静かに微笑んだ。
レオンハルトも笑った。
「それと、もう一つ」
「……はい?」
「元に戻る方法、ちゃんと探すから」
マルタは目を瞬かせた。
レオンハルトは真剣な表情で続けた。
「でも、すぐに見つからないかもしれない」
「……はい」
「だから、それまでは無理しないでね」
マルタはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……承知いたしました」
レオンハルトは微笑んだ。
「じゃあ、おやすみ、マルタ」
「おやすみなさいませ、レオンハルト様」
少年は小さく手を振り、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
静かな部屋に、再び一人になる。
マルタは、手の中の腕輪を見つめた。
そして、ゆっくりと手首につけた。
ぴったりだった。
「……ふふっ」
小さな笑い声が漏れた。
……本当に、不思議なお方ですね。
レオンハルトは、いつも自分のことより他人のことを考えている。
時には、それが心配になる。
けれど、今日の言葉は嬉しかった。
マルタは鏡を見た。
そこには、八歳ほどの少女が映っている。
でも。
その瞳には、少しだけ希望が戻っていた。
「……大丈夫です」
彼女は小さく呟いた。
「私は、まだ私ですから」
そして、静かに微笑んだ。
◇
同じころ。
俺は自室の机で、明日の予定を書いていた。
『マルタの体調確認』
『噴水の情報収集』
『オメガの安全装置の改良』
『リナとエリスの訓練』
……やること、いっぱいだな。
俺は苦笑した。
でも、悪い気分じゃない。
むしろ、少しだけ楽しみだった。
マルタを元に戻す方法は、まだ分からない。
けれど、何もしないわけにはいかない。
それに。
今回の出来事で、改めて思った。
魔法の世界には、まだ知らないことがたくさんある。
俺が前世で知っていたゲームの世界よりも、ずっと広くて、複雑だ。
……だからこそ。
学ばなければならない。
もっと、たくさん。
俺は鉛筆を置いた。
そして、窓の外を見上げた。
夜空には、無数の星が輝いている。
いつか、オメガであの空を飛ぶ。
リナとエリスと一緒に。
そして、マルタにも見てもらいたい。
……いや。
できることなら。
マルタにも、もう一度操縦席へ座ってほしい。
あの人が、もう一度自分の意志で空を見上げられるように。
俺は静かに拳を握った。
「……頑張ろう」
小さく呟いた。
窓の外では、秋の風が静かに木々を揺らしていた。
そして、遠く離れた古い庭園では。
誰もいない噴水の底に、ほんの一瞬だけ、淡い青い光が走った。
しかし、その光を見た者は誰もいなかった。
――マルタの体に起きた変化。
その理由は、まだ分からない。
けれど、ヴァイス男爵家の人々は、少しずつ新しい日常へ歩き始めていた。
この章を楽しんでいただけたなら、ぜひご感想をお聞かせください。
コメント、評価、または単に章を読んで感じたことなど、何でも構いません。
読んでいただきありがとうございました!




