第29話 元魔導機甲乗りのメイドが再び操縦席へ!? 北の鉱山で見つけた危険な兆候!
スカウト・ビートルが北の廃鉱山から帰還して、三日が経った。
その間、俺たちは工房にこもりきり……というわけにはいかなかった。
午前中は領地の勉強。午後は父上の許可を得て工房で作業。そして夕方には、マルタによる基礎訓練が待っている。
八歳の生活としては、なかなか忙しい。
もっとも、最近はそれが少し楽しくなってきた。
「レオン! こっちの脚、動かしていいか?」
「待って、リナ。今、右側の関節を調整してるから」
「えーっ、さっきからずっと待ってるぞ!」
「あと少しだから」
「さっきもそう言った!」
作業台の向こうで、リナが不満そうに頬を膨らませた。
赤茶色の狐耳が左右に揺れ、ふさふさした尻尾が椅子の脚を軽く叩いている。
今日は白いシャツに茶色の短い上着、動きやすい紺色のズボンという格好だ。工房で作業するときは、裾の長い服を避けるようマルタから言われている。
「……リナ、こっちを手伝ってくれる?」
エリスが隣から声をかけた。
淡い青色の作業用エプロンを身につけた彼女は、小さな魔導導線を一本ずつ並べていた。
「……この線、長さをそろえたいの」
「おっ、それなら任せろ!」
リナはすぐに椅子から飛び降りた。
……助かった。
俺は内心で胸をなで下ろし、目の前の機械へ視線を戻す。
スカウト・ビートル。
猫ほどの大きさをした、四脚式の小型魔導探査機だ。
最初の試験では無事に帰還できたものの、問題もいくつか見つかった。
脚部の関節にかかる負荷。
狭い場所での方向転換。
そして、鉱山内部で発生した通信の乱れ。
特に最後の問題は厄介だった。
「アリア、昨日の試験結果は?」
『改良した導線により、通常環境での通信安定性は向上しています。ただし、前回の坑道で確認された魔力干渉に対して、同等の効果が得られる保証はありません』
「だよね……」
俺は小さく息を吐いた。
机の端には、北の調査隊が採取した青い魔導鉱石の試料が置かれている。
青い結晶は、光の当たり方によって色合いを変えた。
見た目は綺麗だ。
でも、内部には細かな亀裂があり、魔力を流す方向によって伝導率も変化する。
しかも、一定以上の魔力を与えると微弱な振動が生じる。
高性能な材料になりそうな一方で、扱いを間違えれば機械の不調を招くかもしれない。
「……簡単にはいかないな」
俺が呟いたときだった。
工房の扉が開いた。
「レオンハルト様。旦那様がお呼びです」
マルタだった。
いつもの黒いメイド服に白いエプロン。茶色の髪は後ろできっちりとまとめられている。
「父上が?」
「はい。北方警備隊から、新しい報告が届いたそうです」
俺は手を止めた。
リナも顔を上げる。
「……鉱山の?」
「詳しいことは、旦那様から直接お聞きください」
マルタの表情は穏やかだった。
けれど、その声には普段より少しだけ緊張が混じっているように感じた。
◇
父上の書斎には、すでに護衛隊長のバルドさんが来ていた。
机の上には北方の地図と、新しい調査報告書が広げられている。
「来たか、レオンハルト」
「はい、父上」
俺たち三人が並ぶと、父上は椅子から立ち上がった。
「先日の探査について、追加の確認を行った」
「何か分かったんですか?」
「ああ。だが、良い知らせばかりではない」
父上は地図の一角を指差した。
旧採掘路の入口から少し離れた場所。
以前、馬車が鉱石を運んでいたという古い道だ。
「警備隊が周辺を調べたところ、古い運搬設備の一部がまだ残っていることが分かった」
「運搬設備……」
「小型の魔導牽引車だ。長年放置されていたため、動くかどうかは分からん」
俺は思わず身を乗り出した。
「魔導牽引車が残ってるんですか?」
「そうだ。もっとも、期待するほど状態は良くないだろう」
父上は苦笑した。
俺の反応を予想していたらしい。
「問題は、その近くで見つかった痕跡だ」
バルドさんが一枚の紙を差し出した。
そこには、地面に残っていた跡の簡単な図が描かれている。
幅の広い擦過痕。
いくつかの深い窪み。
そして、崩れた石の間を通る不規則な線。
「……これ、車輪の跡ですか?」
「そうとも考えられます。しかし、車輪にしては間隔が一定ではありません」
バルドさんが答えた。
「大型の魔物が通った可能性もあります。ただ、今の段階では判断できません」
俺は黙って図を見つめた。
岩刃熊。
以前、森で遭遇したあの巨大な魔物の姿が頭をよぎる。
……まさか。
でも、証拠はない。
あの魔物が鉱山から来たとも限らない。
「父上。この跡、最近できたものなんですか?」
「少なくとも、古い設備が使われていた当時のものではないらしい。だが、正確な時期までは分からん」
父上は地図を閉じた。
「そこで、現地の設備をもう少し調べたいと考えている」
「スカウト・ビートルを使うんですね!」
「ああ。ただし、それだけでは難しい」
「……え?」
父上は俺を見た。
「牽引車がある場所は、旧採掘路の入口から外れた斜面だ。地面が荒れていて、今のスカウト・ビートルでは移動に時間がかかる」
確かに。
小型探査機は狭い場所に強いけれど、広い荒地を長距離移動するようには造っていない。
「それに、古い設備を調べるには、もう少し大きな作業機械が必要だ」
俺は少し考えた。
……作業機械。
工房には、古い運搬用の魔導機械が何台か残っている。
その中には、父上が修理して使っていた小型の作業機もあったはずだ。
「……父上」
「何だ?」
「工房の《ワークランナー》は使えませんか?」
父上の眉が上がった。
「ほう。あれか」
ワークランナー。
農作業や荷物の運搬に使われる、二脚式の小型魔導作業機だ。
魔導機甲ほどの出力はなく、武器もない。
高さは二メートルほど。
操縦席は簡素で、速度も遅い。
でも、荒れた地面での作業には向いている。
「確かに、あれなら調査用の装置を運べるかもしれんな」
「はい。それに、スカウト・ビートルを現地まで運ぶこともできます」
父上は考え込んだ。
そのとき。
「旦那様」
マルタが静かに口を開いた。
「ワークランナーを使用するのでしたら、操縦者の選定も必要かと存じます」
「ああ。それは考えている」
父上が頷いた。
マルタは少しだけ視線を下げた。
「……もしよろしければ、私が操縦いたします」
書斎が静かになった。
俺は思わず彼女を見た。
「……マルタが?」
「はい」
マルタはいつもの落ち着いた表情で答えた。
「古い形式の作業機であれば、以前にも扱った経験がございます」
父上はしばらく彼女を見つめていた。
「……久しぶりになるな」
「そうですね」
「無理をする必要はないぞ」
「承知しております」
マルタは小さく微笑んだ。
「ですが、皆様に安全な操縦を教える立場ですから。自分でも、その基本を守りたいと思っております」
その言葉に、父上はゆっくりと頷いた。
「分かった。まずは工房で動作確認をしよう」
俺の胸が高鳴った。
……マルタが、また操縦席に乗る。
元魔導機甲乗りだった彼女の腕前を、実際に見られるかもしれない。
◇
午後。
俺たちは工房の裏にある整備場へ集まっていた。
そこには、灰色の装甲を持つ小型魔導作業機が立っている。
ワークランナーだ。
太い二本の脚。
荷物を持ち上げるための短い腕。
胸部には、簡単な操縦席。
戦闘用の魔導機甲と比べると、ずんぐりした姿をしている。
リナが首を傾げた。
「……なんか、オメガより太ってるな」
「作業用だからね」
俺は笑った。
「重い荷物を運ぶために、安定性を重視してるんだ」
「へえ……」
エリスは機体を見上げた。
「……優しそうな形……」
「……そうかな?」
「……うん。強そうだけど、怖くない……」
なるほど。
そういう見方もあるのか。
父上と整備士たちが、機体の点検を進めている。
俺も設計図を確認しながら、魔導回路の状態を調べた。
「……動力系統は問題なさそう」
『右脚の関節部に軽度の摩耗を確認しています』
アリアが報告した。
「……やっぱり」
俺は父上に伝えた。
「右脚の関節、少し摩耗してます」
「分かった。交換部品を確認しよう」
父上は整備士へ指示を出した。
しばらくして、古い部品が取り外され、新しいものに交換された。
もちろん、完全な新品ではない。
工房に保管されていた予備部品だ。
俺は《魔導構造解析・改変》を使い、接続部分のわずかな歪みを修正した。
魔力を流しすぎないよう、慎重に。
「……よし」
俺は手を離した。
「これなら大丈夫そうです」
父上が頷いた。
「よくやった。あとは操縦試験だ」
その言葉を聞いて、リナの耳がぴんと立った。
「マルタが乗るんだよな!?」
「はい」
マルタが前へ進み出た。
今日は訓練のときと同じ、濃紺の上着と黒いズボンを身につけている。
彼女は機体を見上げ、静かに息を吐いた。
その表情は、普段のメイドとしてのものとは少し違っていた。
懐かしさ。
緊張。
そして、ほんのわずかな寂しさ。
……気のせいかな。
「マルタ」
父上が声をかけた。
「準備はいいか?」
「はい、旦那様」
マルタは頷いた。
「いつでも」
◇
ワークランナーの操縦席が開いた。
マルタは足場を使って乗り込み、座席へ腰を下ろす。
手元の操縦桿を確認し、足元の踏み板へ足を置いた。
その動作には迷いがなかった。
「……すげえ」
リナが呟いた。
俺も同じ気持ちだった。
マルタは魔導回路の起動手順を一つずつ確認した。
急がない。
慌てない。
必要な操作だけを、正確に行っていく。
やがて、機体の胸部にある魔導灯が淡く輝いた。
低い駆動音が整備場に響く。
「……起動しました」
マルタの声が、機体に取り付けられた伝声装置から聞こえた。
父上が頷く。
「まずは歩行試験だ。無理をするな」
「承知しました」
ワークランナーの右脚が、ゆっくりと持ち上がった。
そして、地面へ下ろされる。
次に左脚。
一歩。
二歩。
三歩。
……おお。
安定している。
古い作業機なのに、ほとんど揺れがない。
マルタは一定の速度で歩き、整備場の中央へ進んだ。
「……すごい」
エリスが小さく呟いた。
リナは拳を握った。
「……マルタ、格好いい!」
俺は機体の動きをじっと見つめた。
……なるほど。
操縦桿を大きく動かしていない。
機体の重心を感じながら、必要な分だけ操作しているんだ。
昨日の訓練で教わったことと同じだ。
ワークランナーがゆっくりと方向を変える。
右へ。
左へ。
そして、停止。
動きに無駄がない。
父上も感心したように頷いた。
「……腕は鈍っていないようだな」
マルタが小さく笑った。
「基本は、体が覚えているものです」
その言葉に、俺は胸が熱くなった。
……本当に、元操縦士なんだ。
今まで、メイドとしてのマルタしか知らなかった。
でも、彼女には俺たちの知らない時間がある。
街道を守り、魔物と戦い、人々の暮らしを支えていた過去。
……もっと、知りたいな。
そう思った。
◇
操縦試験は順調に進んだ。
ワークランナーは、木箱を持ち上げたり、低い段差を越えたりしながら、安定した動きを見せた。
しかし、最後の試験で小さな問題が起きた。
機体が重い木箱を持ち上げた瞬間。
右脚の駆動音が、わずかに変わったのだ。
「……ん?」
俺は耳を澄ませた。
ギィ……。
金属が擦れるような音。
ほんの一瞬だった。
でも、確かに聞こえた。
「……アリア」
『右脚の負荷が一時的に増加しました』
「……やっぱり」
俺が父上へ知らせようとした、そのとき。
「旦那様」
マルタの声が響いた。
「右脚に違和感があります。試験を中断いたします」
父上がすぐに頷いた。
「了解した。荷物を下ろして停止しろ」
「承知しました」
ワークランナーは、ゆっくりと木箱を地面へ下ろした。
そして、安全な姿勢で停止する。
マルタが操縦席から降りてきた。
リナが駆け寄る。
「マルタ! 大丈夫か!?」
「はい。私は何ともありません」
マルタは微笑んだ。
「ですが、機体の状態を確認する必要がありますね」
俺は右脚の関節部を調べた。
先ほど交換した部品には問題がない。
けれど、その奥にある古い駆動軸が、わずかに歪んでいた。
「……あ」
俺は息を呑んだ。
「交換した部品じゃなくて、こっちだったんだ……」
父上が隣にしゃがんだ。
「負荷がかかったときだけ、歪みが表面化したのだろう」
俺は頷いた。
……危なかった。
もし、このまま現地へ持っていっていたら。
荒れた斜面で、動けなくなっていたかもしれない。
俺はマルタを見た。
「……どうして、すぐに気づいたの?」
マルタは少し考えた。
「操縦席から伝わる振動が、いつもと違ったのです」
「……振動?」
「はい。音や計器だけでは分からないこともあります」
彼女はワークランナーを見上げた。
「機体が何かを訴えているように感じることがあるのですよ」
俺は目を見開いた。
……すごい。
経験を積んだ操縦士だからこそ、分かることなのかもしれない。
「……俺も、いつか分かるようになるかな」
マルタは微笑んだ。
「なれますよ。ですが、焦らずに学んでください」
「……うん」
俺は頷いた。
◇
その日の夕方。
ワークランナーの修理が終わるまで、俺たちは工房でスカウト・ビートルの改良を続けた。
リナは脚の動きを確認し、エリスは魔力の分配を調整する。
俺は通信ケーブルの接続部分を見直していた。
すると、マルタが温かいお茶を運んできた。
「皆様、少し休憩なさってください」
「……ありがとう、マルタ」
俺は椅子に座った。
リナはお菓子を見つけると、すぐに手を伸ばした。
「……あっ、これ昨日の蜂蜜菓子だ!」
「はい。村のパン屋さんから、また届けていただきました」
リナは嬉しそうに笑った。
エリスも一つ手に取る。
「……甘い……」
俺はお茶を飲みながら、マルタを見た。
「……マルタ」
「はい?」
「今日の操縦、すごかった」
マルタは少し驚いた顔をした。
「ありがとうございます」
「俺、オメガを動かすとき、まだ余計な操作が多いんだと思う」
「そうですね」
……即答された。
俺は苦笑した。
マルタも小さく笑う。
「ですが、レオンハルト様には機体の構造を理解する力があります」
「……うん」
「その力を、操縦にも生かせるようになれば、きっと素晴らしい操縦士になれるでしょう」
俺は少し照れくさくなった。
「……頑張るよ」
マルタは頷いた。
そして、ふと窓の外へ視線を向けた。
夕焼けが工房の床を赤く染めている。
「……昔は、私も機体のことばかり考えていました」
彼女がぽつりと呟いた。
俺たちは顔を上げた。
「……マルタ?」
「訓練が終わっても、操縦のことを考えて。休みの日にも、整備場へ顔を出して……」
彼女は少し懐かしそうに笑った。
「上官から、何度も休めと言われたものです」
リナが首を傾げた。
「……今と同じじゃん」
マルタは一瞬、言葉を失った。
そして。
「……そうかもしれませんね」
小さく笑った。
俺も笑った。
「母上も、マルタに休んでほしいって言ってたよ」
「……聞いていらしたのですか?」
「あ、うん。廊下で少しだけ」
マルタは困ったように微笑んだ。
「奥様には、いつもお気遣いいただいております」
エリスがそっと言った。
「……マルタも……ゆっくりしてね……」
リナも頷く。
「そうだぞ! 休みの日くらい、好きなことしろよ!」
マルタは三人を見つめた。
そして、柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
◇
翌日。
修理を終えたワークランナーの再試験が行われた。
今度は、右脚の駆動軸も交換している。
父上と整備士が慎重に点検し、マルタが再び操縦席へ乗り込んだ。
歩行。
方向転換。
荷物の持ち上げ。
そして、停止。
すべて問題なく完了した。
「……よし」
父上が頷いた。
「これなら、現地で使えそうだ」
俺は胸をなで下ろした。
ただし、今回の目的はあくまで調査だ。
ワークランナーで危険な場所へ突っ込むわけではない。
スカウト・ビートルを安全な位置まで運び、必要な範囲を調べる。
それだけだ。
……今度こそ、無理はしない。
俺は心の中でそう決めた。
◇
二日後。
俺たちは再び北の旧採掘路へ向かった。
今回は、ワークランナーを運ぶための大型馬車も用意されている。
護衛隊の人数も、前回より少し多い。
ただし、調査地点は坑道の内部ではない。
旧採掘路から外れた、古い運搬設備の跡地だ。
山の斜面に沿って、崩れかけた石の道が続いている。
その先には、錆びた金属の骨組みが見えた。
「……あれが、昔の運搬設備か」
俺は思わず呟いた。
リナが耳を立てた。
「……何か、変な音がする」
「音?」
「……うん。風の音とは違う感じ」
エリスも静かに目を閉じた。
「……魔力の流れ……少し、乱れてる……」
俺は二人を見た。
……またか。
前回の鉱山でも、似たような反応があった。
でも、原因は分からない。
父上が近づいてきた。
「レオンハルト。準備を始めるぞ」
「はい」
俺たちは、安全が確認された平地に観測台を設置した。
ワークランナーは、マルタが操縦する。
スカウト・ビートルは、荷台に固定されていた。
マルタが操縦席へ乗り込む。
魔導灯が点灯した。
「……起動確認」
彼女の声が伝声装置から聞こえた。
「旦那様、いつでも動けます」
「よし。慎重に進め」
「承知しました」
ワークランナーがゆっくりと歩き始めた。
重い足音が、山の斜面に響く。
俺たちは観測板で機体の状態を確認する。
……安定してる。
さすがマルタだ。
機体は、崩れた石の間を慎重に進んでいく。
やがて、古い運搬設備の近くへ到着した。
「……ここで停止します」
マルタが報告した。
父上が頷く。
「了解した。周囲の安全を確認してから、探査機を下ろそう」
護衛たちが慎重に周囲を調べる。
その間、俺は観測板を見つめていた。
……あれ?
古い運搬設備の下に、何かがある。
黒い金属片。
それも、普通の錆びた鉄とは違う。
「……父上」
「何だ?」
「ここ、少し拡大できますか?」
父上が観測板を覗き込んだ。
俺は映像を拡大した。
そこには、古い金属片が映っていた。
表面には、細い溝が刻まれている。
……魔導回路?
俺は眉を寄せた。
「……何だろう」
アリアが静かに答えた。
『詳細不明。表面の形状から、魔導機械の部品である可能性があります』
「……やっぱり」
父上が頷いた。
「記録しておこう。今は触れるな」
「はい」
俺は映像を保存した。
そのときだった。
リナが突然、耳をぴんと立てた。
「……待って!」
俺たちは振り返った。
「……何か来る!」
バルドさんがすぐに剣へ手を伸ばした。
「全員、警戒!」
護衛たちが周囲を見回す。
俺も息を呑んだ。
……何だ?
風が吹く。
木々が揺れる。
そして。
遠くの斜面から、小さな石が転がり落ちてきた。
カラカラ……。
その音が、静かな山道に響く。
「……落石?」
俺が呟いた瞬間。
地面が、わずかに震えた。
ゴゴ……。
父上の表情が変わった。
「……まずい。斜面が崩れるぞ!」
◇
「全員、退避!」
バルドさんの声が響いた。
護衛たちが素早く動く。
俺たちも、父上に促されて安全な場所へ下がった。
斜面の上から、石が次々と落ちてくる。
最初は小さな石だった。
だが、次第に大きな岩も混じり始める。
「……マルタ!」
俺は思わず叫んだ。
ワークランナーは、まだ運搬設備の近くにいる。
その上には、不安定な岩がいくつもあった。
「マルタ、すぐに戻って!」
俺が伝声装置へ向かって叫ぶと、彼女の声が返ってきた。
「承知しております」
落ち着いた声だった。
ワークランナーが方向を変える。
しかし。
ガラガラッ!
大きな岩が、進路の前へ落ちた。
「……っ!」
俺は息を呑んだ。
マルタはすぐに機体を停止させた。
そして、周囲を確認する。
「……前方の道が塞がれました」
父上が険しい表情になった。
「無理に進むな! 別の道を探せ!」
「はい」
マルタは機体をゆっくりと後退させた。
だが、背後にも崩れた石が積もっている。
……まずい。
このままだと、動けなくなる。
俺は観測板を見つめた。
ワークランナーの周囲。
斜面。
岩の位置。
……何か、方法は。
そのとき、エリスが小さく声を上げた。
「……レオンくん!」
「……どうしたの?」
「……右側……地面の魔力が……少し、違う……」
「……右側?」
俺は観測板を見た。
右側には、古い石の道が続いている。
見た目は崩れているけれど、地面の下に何かの構造物があるようだった。
アリアが報告する。
『右側の地盤に、人工的な補強構造が存在する可能性があります』
……補強構造。
昔の運搬設備を支えるためのものかもしれない。
「父上!」
俺は地図を指差した。
「右側の道、昔の補強路かもしれません!」
父上はすぐに確認した。
「……確かに、古い図面にも補助路がある」
バルドさんが頷いた。
「ただし、現在の強度は不明です」
……そうだ。
使えるかどうか、分からない。
そのとき、マルタの声が響いた。
「旦那様。右側の地面を確認できますでしょうか?」
父上は考えた。
そして、すぐに指示を出した。
「探査機を使う。人は近づけるな」
「承知しました」
ワークランナーの荷台から、スカウト・ビートルが下ろされた。
俺は操縦板を握った。
「……頼むぞ」
小さな探査機が、ゆっくりと右側の道へ進んでいく。
地面の状態を調べる。
石の下にある補強材。
古い金属の支柱。
そして、比較的安定した地盤。
『補強構造を確認。ただし、一部に損傷があります』
「……全部は通れないか」
俺は唇を噛んだ。
すると、リナが声を上げた。
「……レオン! こっち!」
彼女は観測板の端を指差した。
そこには、細い道が映っている。
ワークランナーが通るには、少し狭い。
でも、右側の岩を避ければ進めるかもしれない。
「……ここなら!」
俺は父上を見た。
父上はすぐに地図を確認した。
そして、マルタへ伝えた。
「右側に補強された通路がある。ただし、狭い。無理だと判断したら停止しろ」
「承知しました」
ワークランナーがゆっくりと動き始めた。
右脚を一歩。
次に左脚。
大きく動かさない。
必要な分だけ、慎重に。
マルタは機体を少しずつ進めていく。
その姿を見て、俺は息を呑んだ。
……すごい。
あんな狭い場所で、あんなに安定して動かせるなんて。
途中、機体の肩が岩に近づいた。
俺は思わず声を上げそうになった。
だが、マルタは慌てなかった。
ほんの少しだけ機体を傾ける。
そして、ゆっくりと通り抜けた。
……通った!
ワークランナーは、無事に補強路を抜けた。
その直後。
背後で大きな音が響いた。
ドゴォンッ!
先ほどまで機体がいた場所へ、岩が落ちたのだ。
「……っ!」
俺は息を呑んだ。
リナも尻尾を膨らませた。
「……危なかった……!」
エリスは胸の前で手を握っている。
「……マルタ……」
やがて、ワークランナーが安全な平地へ戻ってきた。
父上が大きく息を吐いた。
「……よく戻った」
マルタの声が返ってきた。
「ありがとうございます、旦那様」
その声は、いつもと変わらず落ち着いていた。
けれど。
俺には、少しだけ疲れているようにも聞こえた。
◇
屋敷へ戻ったころには、すっかり日が暮れていた。
調査は途中で中止となった。
古い運搬設備についても、詳しいことは分からないままだ。
ただ、いくつかの記録は残せた。
黒い金属片。
不安定な斜面。
そして、古い補強路。
父上は、これ以上の調査を急がないと決めた。
「まずは地盤の安全確認だ。鉱石の調査は、その後にしよう」
俺も頷いた。
「……はい」
正直、もっと調べたかった。
でも。
今日の出来事を思い出すと、無理をする気にはなれなかった。
……もし、マルタが戻れなかったら。
そう考えただけで、胸が苦しくなる。
◇
夕食後。
俺は屋敷の廊下で、マルタを見つけた。
彼女は窓際に立ち、外の庭を眺めていた。
いつものメイド服に着替えている。
「……マルタ」
俺が声をかけると、彼女は振り返った。
「レオンハルト様」
「……今日、大丈夫だった?」
マルタは微笑んだ。
「はい。私は何ともありません」
「……本当に?」
「本当ですよ」
俺は少し黙った。
そして、ゆっくりと言った。
「……怖かった」
マルタの表情が、わずかに変わった。
「……レオンハルト様?」
「マルタが、戻ってこられないかと思って……」
俺は拳を握った。
「……怖かったんだ」
マルタはしばらく俺を見つめていた。
そして、ゆっくりと膝を折り、俺と目線を合わせた。
「……ご心配をおかけしました」
彼女は静かに言った。
「ですが、私は戻ってまいりました」
「……うん」
「それに、今日の帰還は私一人の力ではありません」
俺は顔を上げた。
「……え?」
「リナ様が道を見つけ、エリス様が地面の異変に気づき、レオンハルト様が探査機で安全を確認してくださいました」
マルタは微笑んだ。
「皆様のおかげです」
俺は胸が温かくなった。
……そうか。
俺たちは、ちゃんと協力できたんだ。
昨日の訓練で学んだことを、少しだけ実践できた。
「……でも、マルタの操縦もすごかったよ」
俺が言うと、彼女は小さく笑った。
「ありがとうございます」
そして、少しだけ真剣な表情になった。
「レオンハルト様」
「……はい」
「どれほど優れた機体でも、必ず帰還できるとは限りません」
俺は黙って聞いた。
「だからこそ、危険を避ける判断が大切なのです」
マルタは窓の外へ視線を向けた。
「……私も、昔はそのことを十分に理解していなかった時期がありました」
俺は彼女を見た。
……昔。
元魔導機甲乗りだったころの話だろうか。
けれど、マルタはそれ以上語らなかった。
俺も、無理に尋ねなかった。
「……分かった」
俺は頷いた。
「俺、もっと安全な機体を造るよ」
マルタは微笑んだ。
「楽しみにしております」
◇
その翌朝。
母上は、マルタを書斎へ呼んでいた。
「マルタ」
「はい、奥様」
「明日は、あなたのお休みにしましょう」
マルタは少し驚いた顔をした。
「……明日、ですか?」
「ええ。昨日も大変だったでしょう?」
「ですが、私は……」
「駄目よ」
母上は優しく、しかしはっきりと言った。
「あなたは、いつも働きすぎなの」
マルタは困ったように微笑んだ。
「……申し訳ございません」
「謝ることじゃないわ」
母上は笑った。
「たまには、好きなことをして過ごしなさい」
マルタはしばらく考えた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……承知いたしました」
母上は満足そうに微笑んだ。
「そうね。町へ出かけてもいいし、庭を散歩してもいいわ」
「……ありがとうございます」
マルタは頭を下げた。
そして、部屋を出た。
廊下を歩きながら、彼女は小さく息を吐いた。
「……休日、ですか」
久しぶりの、何も予定のない一日。
何をしようか。
少し考えて、彼女はふと微笑んだ。
「……たまには、ゆっくり散歩でもいたしましょうか」
その言葉は、誰にも聞かれなかった。
窓の外では、秋の風が静かに木々を揺らしていた。
ヴァイス男爵家の庭には、まだ夏の名残を残した花々が咲いている。
そして、屋敷から少し離れた場所には、長いあいだ人が訪れていない古い庭園があった。
石造りの小道。
蔦に覆われた門。
そして、中央に置かれた古い噴水。
そこに、どんな魔法が眠っているのか。
今は、誰も知らなかった。
この章を楽しんでいただけたなら、ぜひご感想をお聞かせください。
コメント、評価、または単に章を読んで感じたことなど、何でも構いません。
読んでいただきありがとうございました!




