第26話 俺が造った水路で領地が大繁栄!? 元魔導機甲乗りのメイドと、青い魔導鉱石の秘密!
ヴァイス男爵領の朝は、以前よりもずっと賑やかになった。
屋敷の窓を開けると、遠くの村から荷車の車輪が軋む音や、畑仕事に向かう人々の声が聞こえてくる。風に乗って漂ってくるのは、湿った土と若い麦の匂いだ。
数か月前までは、こんな光景を当たり前に見ることはできなかった。
水不足。
老朽化した水路。
不安定な収穫。
借金に苦しむ男爵家。
この領地には、問題が山積みだった。
けれど、今は違う。
「レオン! 早くしろって!」
廊下の向こうから元気な声が響いた。
振り返ると、赤茶色の狐耳をぴんと立てた少女が、両手を腰に当てて立っていた。
リナだ。
琥珀色の瞳は朝日を受けて輝き、ふさふさした尻尾が落ち着きなく左右に揺れている。今日は白いブラウスに深緑色の吊りスカートという格好で、足元には歩きやすい革靴を履いていた。
「まだ出発まで時間があるよ、リナ」
「あるけどさ! 早く行きたいんだよ!」
「村は逃げないって」
「そういうことじゃない!」
リナが頬を膨らませた。
その後ろから、もう一人の少女が顔を覗かせる。
「……おはよう、レオンくん」
エリスだった。
長い赤髪を淡い水色のリボンでまとめ、真珠色の刺繍が入った青いワンピースを着ている。緑色の瞳はまだ少し眠そうだったが、俺と目が合うと嬉しそうに細められた。
「おはよう、エリス」
「……今日は、村の人たちに会えるんだよね?」
「うん。水路の様子を見に行くんだ」
そう答えると、エリスは胸の前で小さく両手を合わせた。
「……楽しみ」
「なあ、レオン!」
リナが俺の袖を引っ張った。
「村を見たら、工房に戻るんだよな?」
「そのつもりだけど」
「じゃあ、ヴァーミリオン・フォックスの設計も進めようぜ!」
「昨日も言ったでしょ。まず材料を調べないと」
「分かってるって!」
そう言いながらも、彼女の尻尾は不満そうに揺れている。
すると、エリスが控えめに口を開いた。
「……セイレーンも……」
「うん。エリスの機体も忘れてないよ」
「……えへへ」
「おい、エリス! あたしの方が先に完成するからな!」
「……でも……私の方が、泳ぐのは速いと思う……」
「だから、水の中は反則だって!」
「……リナも、森の中なら速いでしょ?」
「それは当然だろ!」
……また始まった。
二人は最近、何かにつけて自分の魔導甲冑の方が優れていると言い合う。
もちろん、どちらもまだ設計図の段階なのだが。
俺が苦笑していると、背後から落ち着いた声が聞こえた。
「皆様。朝食が冷めてしまいますよ」
振り返ると、マルタが立っていた。
黒い長袖のメイド服に、白いエプロン。髪はいつものようにきっちりとまとめられ、背筋は一本の棒を通したように真っすぐだった。
彼女が微笑むと、リナの耳がぴくりと動いた。
「……マルタ」
「はい?」
「今日は訓練もするんだよな?」
「予定しております。ただし、村から戻って、皆様の体調を確認してからです」
「よしっ!」
「それから、レオンハルト様」
「は、はい」
なぜか俺まで背筋を伸ばしてしまった。
「右脇腹のお傷は、もうほとんど塞がっておりますが、無理な運動はまだ禁止です」
「分かってるよ」
「魔力の使いすぎもいけません」
「うん」
「お一人で森へ向かうことも禁止です」
「……それはもうしないってば」
マルタは満足そうに頷いた。
「結構です。では、朝食にいたしましょう」
リナが俺の耳元へ顔を寄せ、小声で囁いた。
「……マルタって、父ちゃんより怖いときあるよな」
「聞こえておりますよ、リナ様」
「ひゃっ!?」
リナの尻尾が大きく跳ねた。
エリスが口元を押さえて笑い、俺もつられて吹き出した。
こうして、今日もヴァイス家の一日が始まった。
◇
朝食を終えた俺たちは、マルタと護衛の騎士一人に付き添われ、村へ向かった。
馬車の窓から見える景色は、以前とずいぶん違っていた。
乾燥してひび割れていた畑には、青々とした作物が並んでいる。新しく補強した水路には澄んだ水が流れ、小さな分水門が畑ごとに水量を調整していた。
俺が修理した古い魔導揚水装置も、遠くで規則正しい音を立てている。
あれを直したときは、本当に大変だった。
錆びついた歯車。
破損した魔力伝導路。
無駄に魔力を消費する古い構造。
父上と何日もかけて修理し、既存の部品を組み直して、ようやく安定して動かせるようになったのだ。
「……わあ」
エリスが窓に手を添えた。
「……お水が、いっぱい……」
「前は、こんなに流れてなかったんだよ」
俺が説明すると、彼女は驚いた顔で振り返った。
「……レオンくんが、直したの?」
「父上や村の職人さんたちと一緒にね」
「……すごい……」
エリスはもう一度、水路を見つめた。
「……お水があると……みんな、嬉しいんだね」
「そうだね」
俺は頷いた。
前世の日本では、蛇口をひねれば水が出てくることが当たり前だった。
けれど、この世界では違う。
水を運ぶだけでも時間がかかるし、雨が降らなければ畑が枯れてしまう。
だからこそ、水路を修理した意味は大きかった。
「なあ、レオン」
リナが窓の外を指差した。
「あれ、何してるんだ?」
見ると、数人の村人が水路の脇に木製の小さな車輪を取り付けていた。
「ああ。水の流れを使って、作業を楽にする仕組みを試してるんだと思う」
「へえ!」
リナの目が輝いた。
「水って、そんなこともできるんだな!」
「うん。流れる力を利用すれば、いろいろなものを動かせるよ」
「……じゃあさ」
「ん?」
「セイレーンって、水で動くのか?」
エリスがぱっと顔を上げた。
「……動く……?」
「水中での移動に、水流を利用する仕組みは考えてるよ。でも、魔力の制御が必要だから簡単じゃない」
俺が答えると、エリスは目を輝かせた。
「……私、頑張る……!」
「おいおい、あたしのヴァーミリオン・フォックスだって負けないからな!」
「リナの機体は、まず地面を安全に走れるようにしないとね」
「分かってるって!」
そんな話をしているうちに、馬車は村の広場へ到着した。
◇
「おおっ! レオンハルト様じゃありませんか!」
馬車を降りた途端、太い声が響いた。
振り返ると、日に焼けた顔の農夫がこちらへ歩いてくるところだった。
大きな手には土がつき、古びた帽子の下には白髪が混じっている。
「こんにちは、グスタフさん」
「いやあ、お久しぶりです!」
グスタフは帽子を脱ぎ、深々と頭を下げた。
「おかげさまで、今年の畑は見違えるようですよ!」
「本当ですか?」
「ええ! 去年は水が足りず、半分近く諦めていた畑にも、今年は作物を植えられました」
俺は思わず笑顔になった。
「それはよかったです!」
「それだけじゃありません。水を運ぶ仕事が減ったおかげで、村の若い連中が畑の手入れに時間を使えるようになりましてな」
グスタフは嬉しそうに笑った。
「まだ収穫前ですから、油断はできませんがね。今年は去年よりずっと希望があります」
……希望。
その言葉が、胸に残った。
俺が造ったのは、ただの水路だ。
壊れた装置を直し、水の流れを改善しただけ。
それなのに。
誰かの暮らしを、こんなにも変えられるんだ。
「……レオン」
隣で、リナが小さく呟いた。
「……何?」
「お前、すげえな」
「え?」
彼女は畑を見つめたまま続けた。
「だって、みんな嬉しそうじゃん」
俺は少し照れくさくなった。
「俺だけの力じゃないよ。父上も、職人さんたちも、村の人たちも頑張ったんだ」
「でも、最初に直そうって考えたんだろ?」
「……まあ、そうだけど」
リナは満足そうに笑った。
「じゃあ、やっぱりすげえ!」
その隣で、エリスが俺の手をそっと握った。
「……レオンくん、優しいね」
「えっ?」
「……お水で、みんなを助けたんだね」
俺は返事に困ってしまった。
前世では、会社の仕事をこなすだけで精いっぱいだった。
誰かに感謝されることなんて、ほとんどなかった気がする。
だから、こんなふうに真っすぐ褒められると、どうしていいか分からない。
すると、グスタフが二人を見た。
「おや? こちらのお嬢さん方は?」
リナの耳が、ぴくりと動いた。
エリスも少し緊張したように俺の後ろへ寄る。
俺は二人の様子を確かめてから答えた。
「今、屋敷で一緒に暮らしている友達です。リナとエリスっていいます」
「そうでしたか!」
グスタフは二人に優しく微笑んだ。
「ようこそ、ヴァイス領へ!」
「……お、おう!」
「……こんにちは……」
リナは少しぎこちなく頭を下げた。
エリスも、小さくお辞儀をする。
グスタフは二人の耳や髪をじろじろ見ることもなく、畑の話を続けた。
その自然な態度に、俺は少し安心した。
◇
村の広場は、以前より活気に満ちていた。
焼きたてのパンを並べる店。
新しく作った木製の農具を売る職人。
小さな荷車に野菜を積み込む商人。
まだ裕福な村とは言えない。
古い家も多いし、修理が必要な道路も残っている。
それでも、人々の表情は明るかった。
「レオンハルト様!」
今度は、パン屋の女主人が声をかけてきた。
「これ、よかったら召し上がってください!」
差し出されたのは、蜂蜜を塗った小さな焼き菓子だった。
「えっ、でも、お金を……」
「いいんですよ! 水路のお礼です!」
「いや、そういうわけには……」
「じゃあ、今日は試食ということにしてくださいな!」
……強引だ。
でも、嬉しい。
俺はマルタへ視線を向けた。
彼女は微笑んで頷いた。
「ご厚意ですから、ありがたくいただきましょう」
「……ありがとうございます」
俺が受け取ると、リナの耳がぴんと立った。
「……甘い匂い!」
エリスも目を輝かせる。
「……おいしそう……」
俺は焼き菓子を三つに分けた。
「はい、二人とも」
「やった!」
「……ありがとう……!」
リナは一口食べた瞬間、尻尾を大きく振った。
「うまっ!」
エリスも頬を緩めた。
「……甘い……」
その様子を見た女主人が笑った。
「まあ、可愛らしいこと!」
リナは口いっぱいに菓子を頬張ったまま、顔を赤くした。
「……か、可愛いって言うな!」
エリスがくすくす笑う。
俺も笑った。
すると、近くで遊んでいた村の子供たちが駆け寄ってきた。
「レオンハルト様!」
「ねえねえ、あの青い魔導甲冑、また動かすの?」
「今度、見せてよ!」
俺は目を丸くした。
「オメガのこと?」
「そう!」
「すごく格好よかったって、お父さんが言ってた!」
……噂になってるのか。
盗賊との戦いを見た村人たちの間で、オメガのことが広まっているらしい。
「まだ試験中だから、すぐには見せられないけど……」
「えーっ!」
「完成したら見せて!」
「うん。そのときは、安全な場所から見てもらえるようにするよ」
子供たちは歓声を上げた。
その様子を見ていたリナが、俺の袖を引いた。
「なあ、レオン」
「何?」
「……お前って、人気者なんだな」
「そんなことないよ」
「あるって!」
彼女は少しだけ頬を膨らませた。
「……なんか、知らなかった」
エリスが首を傾げる。
「……リナ、どうしたの?」
「べ、別に!」
リナは顔を背けた。
けれど、尻尾は俺の腕に軽く触れたままだった。
俺は苦笑した。
……何だか、少し照れくさいな。
◇
村の視察を終えたころ、マルタが俺たちを水路の分岐点へ案内した。
そこには、父上と職人たちが取り付けた小さな分水装置がある。
木製の水門と、魔力で補助する簡易的な制御機構。
水位が上がりすぎると、一定量の水を別の水路へ逃がす仕組みだ。
「……これが、レオンハルト様のお考えになった改良の一つですね」
マルタが言った。
「うん。でも、実際に造ったのは職人さんたちだよ」
「それでも、素晴らしいことです」
彼女は静かに水路を見つめた。
「人々の暮らしを支える技術は、長く残りますから」
俺は少し驚いた。
「……マルタ?」
「はい?」
「何だか、今日はいつもより真面目だね」
マルタは目を細めた。
「私はいつも真面目ですよ」
「……あ、はい」
リナが吹き出した。
「ぷっ! レオン、怒られた!」
「怒っておりませんよ、リナ様」
「ひゃっ!」
……相変わらず、マルタには敵わない。
そのとき、エリスが水路の縁へしゃがみ込んだ。
透明な水が、さらさらと流れている。
「……きれい……」
彼女はそっと指先を近づけた。
水面に小さな波紋が広がる。
「……エリス、気をつけてね」
「……うん」
エリスは頷いた。
その瞬間、彼女の指先から淡い青色の光が広がった。
水面に浮かんでいた小さな葉が、ゆっくりと動く。
まるで、見えない手に押されているようだった。
「……おお」
俺は目を見開いた。
エリスは水の流れを少しだけ変えている。
しかも、以前よりずっと自然に。
「……エリス、上手になったね」
「……ほんと?」
「うん」
彼女は嬉しそうに笑った。
すると、リナが隣にしゃがみ込んだ。
「じゃあ、あたしも!」
「……え?」
リナは水面をじっと見つめた。
そして、目を閉じる。
次の瞬間。
ぽんっ!
水路の向こう側に、小さな赤茶色の狐の幻影が現れた。
「……おおっ!」
俺は思わず声を上げた。
幻影は水面の上を走るように跳ねた。
もちろん、実体はない。
水を押すこともできない。
それでも、見た目は本物そっくりだった。
「……へへっ!」
リナは得意げに笑った。
「どうだ!」
「すごいよ、リナ!」
俺が褒めると、彼女の耳がぴんと立った。
しかし。
「……あっ」
エリスが小さく声を上げた。
彼女が動かしていた水の流れと、リナの幻影が重なった瞬間。
水面に映った狐の姿が、少しだけ揺らいだ。
「……あれ?」
リナが首を傾げた。
俺も目を凝らした。
幻影そのものは変わっていない。
けれど、水面に映る像は、わずかに違う動きをしている。
……なるほど。
水面の反射と幻術の見え方が、うまく一致していないんだ。
「……リナ」
「何?」
「今の、面白いね」
「……え?」
「幻術をもっと上手に使うには、周りの景色や光の反射も考えた方がいいかもしれない」
リナは目を丸くした。
「……そんなことまで?」
「うん。相手に本物だと思わせたいならね」
彼女は少し考えた。
そして、にやりと笑った。
「……じゃあ、もっと練習する!」
エリスも小さく頷いた。
「……私も、お手伝いする……」
「おう!」
二人は顔を見合わせて笑った。
俺も笑う。
……いいな。
こういう訓練なら、二人とも楽しみながら上達できそうだ。
◇
屋敷へ戻ったのは、昼食を少し過ぎたころだった。
父上はまだ北方の調査から戻っていない。
見回り役たちとともに、旧採掘路の周辺を確認しているはずだ。
俺たちは昼食を済ませると、工房へ向かった。
今日は、父上から預かった青い魔導鉱石の性質を調べる予定だった。
工房の中央には、オメガが立っている。
青と銀の装甲は、窓から差し込む光を受けて輝いていた。
先日の地上機動試験で見つかった右脚の問題は、まだ完全には解決していない。
衝撃吸収機構。
魔力伝導路。
関節部の負荷。
どれも、今の材料では改善に限界がある。
「……よし」
俺は机の上に小さな木箱を置いた。
中には、親指ほどの大きさの青い鉱石片が入っている。
「これが、北方で見つかった鉱石だよ」
リナが身を乗り出した。
「……へえ!」
エリスも興味深そうに覗き込む。
「……きれい……」
鉱石は灰色の岩肌に包まれていたが、内部には淡い青色の結晶が走っていた。
光の角度によって、細い線が浮かび上がる。
まるで、凍った水の中に小さな川が流れているようだった。
「アリア。測定を始めよう」
『了解しました。低出力測定を推奨します』
「うん」
俺は小型の魔力測定器を取り出した。
父上が昔使っていた装置を修理したものだ。
魔力を流すと、内部の針が反応する。
ただし、測定できるのは基本的な伝導特性だけ。
細かな構造は、俺の能力で調べる必要がある。
「まずは普通の魔導鉱石と比べてみよう」
俺は二つの試料を並べた。
片方は一般的な魔導鉱石。
もう片方が、北方の青い鉱石。
同じ程度の魔力を流す。
測定器の針が動いた。
普通の鉱石は、安定した反応を示す。
青い鉱石は――。
「……あれ?」
針が少し大きく振れた。
しかし、すぐに小刻みに震え始める。
「……変だな」
『魔力伝導に方向性がある可能性があります』
アリアが説明した。
『結晶の配列に沿って魔力が流れる場合と、それ以外の方向では、反応が異なっています』
「……なるほど」
俺は鉱石を見つめた。
つまり、魔力を流す方向によって性能が変わるのか。
これは面白い。
でも、扱いが難しそうだ。
「……レオンくん」
エリスが小さく声をかけた。
「……何?」
「……その石……お水みたい……」
「……水?」
「……うん」
彼女は鉱石を見つめていた。
「……中に、細い川があるみたい……」
俺は目を見開いた。
……細い川。
それは、俺が解析で見た魔力伝導路の形に似ている。
「エリス。どこに流れてるように感じる?」
「……えっと……」
彼女は少し考え、鉱石の一端を指差した。
「……こっちから……」
そして、反対側へ指を動かす。
「……こっち……」
俺はアリアへ視線を向けた。
「……アリア?」
『レオンハルト様の解析結果と、おおむね一致しています』
俺は息を呑んだ。
……すごい。
エリスは、俺のような構造解析能力を持っているわけじゃない。
それなのに、魔力の流れを感覚的に捉えている。
「……エリス、すごいよ!」
俺が褒めると、彼女は目を丸くした。
「……ほんと……?」
「うん!」
エリスの頬が、ほんのり赤くなった。
「……えへへ……」
その隣で、リナが腕を組んだ。
「……あたしだって、何か分かるぞ!」
「本当?」
「……うん!」
彼女は鉱石へ顔を近づけた。
狐耳がぴくぴくと動く。
しばらくして。
「……何か、変な感じがする」
「……変な感じ?」
「……音みたいな……でも、音じゃないみたいな……」
俺は首を傾げた。
「……どういうこと?」
リナは困った顔になった。
「分かんないよ! でも、こう……」
彼女は両手を動かした。
「……細かく震えてる感じ!」
俺は鉱石を見つめた。
……振動?
もしかして、魔力の流れに伴う微細な変化を感じているのか?
「アリア。測定器に振動は出てる?」
『微弱な周期変動を確認しています。ただし、リナ様が何を感知しているかは断定できません』
「……なるほど」
俺は頷いた。
エリスは流れを感じる。
リナは、何らかの揺らぎを感じる。
そして俺は、構造を解析できる。
……三人の感覚を合わせれば、今まで見つけられなかった問題も発見できるかもしれない。
そう思った瞬間だった。
「レオンハルト様」
背後から、マルタの声がした。
「……はい?」
「測定器の配置を、少し変えてみてはいかがでしょう」
俺は振り返った。
「……配置?」
「はい。魔力を流す方向を変えるのでしたら、試料だけでなく、測定器側の固定位置も確認した方がよろしいかと」
俺は目を瞬かせた。
……確かに。
今は鉱石を手で回している。
それだと、接触位置や圧力が変わってしまう。
測定結果に誤差が出る可能性がある。
「……なるほど!」
俺はすぐに木製の固定具を取り出した。
「マルタ、ありがとう!」
「いえ。昔、似たような検査を見たことがあるだけです」
……昔?
俺は少し気になった。
でも、今は測定が先だ。
◇
測定を繰り返した結果、青い鉱石には確かに特殊な性質があることが分かった。
結晶の向きが合えば、魔力が比較的滑らかに流れる。
しかし、内部には小さな亀裂があり、そこでは流れが乱れてしまう。
俺は《魔導構造解析・改変》を使って、その亀裂を確認した。
もちろん、魔力消費は最低限。
マルタが横で監督している。
「……ここだ」
俺は鉱石の内部構造を見つめた。
細い結晶の一部が、わずかにずれている。
もし、この部分を整えられれば。
魔力の流れを、もう少し安定させられるかもしれない。
「アリア。少しだけ改変してみたい」
『推奨される魔力使用量は、ごく少量です』
「うん」
俺は頷いた。
既存の結晶構造を、ほんのわずかに調整する。
新しい物質を造るわけじゃない。
鉱石の中にある構造を、できる範囲で整えるだけだ。
俺はゆっくりと魔力を流した。
淡い光が、指先に集まる。
結晶のずれが、少しずつ修正されていく。
しかし。
「……っ」
突然、指先に抵抗を感じた。
魔力の流れが、細い亀裂に引っかかったのだ。
『レオンハルト様。魔力負荷が上昇しています』
アリアの声が響いた。
俺はすぐに手を止めた。
「……ここまでにしよう」
マルタが静かに頷いた。
「よろしい判断です」
俺は深呼吸した。
……危なかった。
無理に続ければ、鉱石が割れたかもしれない。
それに、今の俺の体には負担が大きい。
先日のオメガの試験と同じだ。
止めることも、大切な判断なんだ。
「……どうなった?」
リナが身を乗り出した。
俺は測定器を確認した。
針が動く。
今度は、さっきよりも少し安定していた。
「……おおっ!」
俺は思わず声を上げた。
「……成功?」
エリスが尋ねた。
「うん。少しだけだけど、魔力の流れが改善したみたい」
リナの耳がぴんと立った。
「……やったじゃん!」
エリスも嬉しそうに笑った。
「……よかった……!」
俺は鉱石を見つめた。
まだ、実用化できる段階じゃない。
耐久性も、衝撃に対する反応も分からない。
でも。
これは、確かな一歩だった。
「……ありがとう、二人とも」
俺が言うと、リナは目を丸くした。
「……え?」
「エリスが魔力の流れを教えてくれて、リナが揺らぎに気づいてくれたから、調べる場所を絞れたんだ」
エリスは嬉しそうに微笑んだ。
「……私たち……役に立った……?」
「もちろん!」
俺は笑った。
「三人で見つけた成果だよ」
リナは一瞬、黙った。
そして、顔を背けた。
「……へへっ」
尻尾が嬉しそうに揺れていた。
◇
鉱石の測定を終えた後、俺はオメガの操縦席を確認することにした。
もちろん、今日は起動しない。
父上から、魔力を使う作業は短時間に限るよう言われている。
俺は操縦席の内部へ入り、座席と操縦桿の位置を見直していた。
「……うーん」
右側の操縦桿。
足元の制御板。
姿勢を固定するための補助具。
以前よりは改善した。
けれど、まだ問題がある。
特に、急旋回したときの体の支え方だ。
俺は設計図を見つめながら呟いた。
「……ここ、もう少し変えた方がいいかな」
そのとき。
「レオンハルト様」
下から、マルタの声が聞こえた。
「……はい?」
「その座席の右側ですが、少し高すぎるのではありませんか?」
俺は目を瞬かせた。
「……え?」
マルタは操縦席を見上げていた。
「右旋回の際、操縦士の体が外側へ流れやすくなるように見えます」
俺は眉をひそめた。
「……確かに、少し体が傾くけど」
「そのとき、右手で操縦桿を強く握りすぎる可能性があります」
「……あ」
俺は息を呑んだ。
そうか。
体を支えようとして、操縦桿に余計な力が入る。
すると、操作が乱れる。
その結果、機体の姿勢制御にも影響が出る。
……なるほど。
「……マルタ、よく分かったね」
「少し気になっただけです」
彼女は穏やかに答えた。
俺は操縦席から降りた。
「……でも、普通はそんなところまで分からないと思うんだけど」
マルタは一瞬、黙った。
その表情に、ほんのわずかな変化があった。
何かを思い出したような。
遠い昔を見つめるような。
「……そうですね」
彼女は小さく呟いた。
そして、静かに微笑んだ。
「昔、少しだけ魔導機甲に乗っていたことがございますので」
「…………え?」
俺は固まった。
リナも、エリスも。
同時に、マルタを見た。
「…………えええええっ!?」
工房に、俺たち三人の声が響いた。
◇
「マ、マルタが!?」
リナが目を丸くした。
「魔導機甲に乗ってたの!?」
「はい」
マルタは、まるで今日の夕食について答えるような調子で頷いた。
「若いころの話ですが」
「……本当に!?」
俺は思わず身を乗り出した。
「はい。本当です」
「……どんな機体に乗ってたの!?」
リナが興奮した様子で尋ねた。
エリスも目を輝かせている。
「……強かった……?」
マルタは少し困ったように微笑んだ。
「それほど立派なものではありませんよ」
「いやいやいや!」
俺は思わず叫んだ。
「魔導機甲の操縦経験があるって、すごいことだよ!」
マルタは少し考えた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「以前、私はある地方の防衛部隊に所属しておりました」
俺たちは息を呑んだ。
「……防衛部隊?」
「はい。主に街道の警備や、魔獣の襲撃から集落を守る仕事をしておりました」
リナの耳がぴんと立った。
「……じゃあ、戦ったこともあるのか?」
「ございます」
あまりにもあっさりした返事だった。
俺は言葉を失った。
……まさか。
いつも俺たちの世話をしてくれるマルタが。
魔導機甲の元操縦士だったなんて。
そういえば。
以前、リナとエリスの訓練を手伝ってもらったとき。
マルタは、驚くほど簡単にリナの動きを見切っていた。
足運びも、姿勢も。
まるで、戦い慣れた人のようだった。
……あれは、そういうことだったのか。
「……父上は知ってるの?」
俺が尋ねると、マルタは頷いた。
「はい。ラインハルト様は、私の経歴をご存じです」
「……そうなんだ」
俺は少し考えた。
父上が、マルタを信頼している理由。
屋敷の安全を任せている理由。
そして、俺たちの訓練を安心して任せていた理由。
ようやく、少し分かった気がした。
「……なあ、マルタ!」
リナが勢いよく手を上げた。
「今度、あたしに操縦を教えてくれよ!」
エリスも小さく頷いた。
「……私も……教えてほしい……」
マルタは二人を見つめた。
そして、穏やかに微笑んだ。
「もちろん、基本的なことでしたら」
「……やった!」
「……嬉しい……!」
リナは飛び跳ね、エリスは胸の前で両手を合わせた。
俺も思わず笑顔になった。
……これは、すごい。
魔導機甲の操縦経験がある人が、こんなに近くにいたなんて。
しかも、マルタなら二人の性格もよく分かっている。
きっと、いい先生になってくれる。
そのとき、ふと疑問が浮かんだ。
「……マルタ」
「はい?」
「どうして、操縦士を辞めたの?」
その瞬間。
マルタの表情が、ほんの少しだけ変わった。
笑顔は消えていない。
けれど、その瞳の奥に、静かな影が差した。
「……いろいろ、ありまして」
短い返事だった。
俺は、それ以上聞けなかった。
マルタはオメガを見上げた。
青と銀の装甲。
小さな操縦席。
未完成の背部推進器。
その姿を、どこか懐かしそうに見つめていた。
「魔導機甲は、人を守るための力にもなります」
彼女は静かに言った。
「ですが、使い方を誤れば、人を傷つける力にもなります」
俺は黙って聞いていた。
「強い機体を造ることは、大切です。けれど、それだけでは立派な操縦士にはなれません」
マルタは俺を見た。
「レオンハルト様。操縦士にとって最も大切なことは、何だと思われますか?」
俺は少し考えた。
……強さ?
……技術?
……勇気?
いや。
先日のオメガの試験で、父上が教えてくれたことがある。
「……無事に帰ってくること?」
マルタの瞳が、少しだけ大きくなった。
そして。
「……はい」
彼女は、優しく微笑んだ。
「それが、とても大切なのです」
その声には、不思議な重みがあった。
俺は何も言えなかった。
マルタの過去に、何があったのか。
まだ分からない。
けれど。
いつか、彼女が話したくなったときには。
ちゃんと聞こうと思った。
◇
「では、せっかくですから」
マルタが手を叩いた。
「皆様に、簡単な訓練をしていただきましょう」
「……え?」
俺は目を瞬かせた。
「今から?」
「はい。ただし、魔力は使いません」
マルタは工房の隅から、三つの木製の椅子を運んできた。
そして、床に並べる。
「座ってください」
俺たちは顔を見合わせた。
「……これで何するんだ?」
リナが首を傾げた。
「操縦姿勢の訓練です」
「……姿勢?」
「はい」
マルタは椅子の前に立った。
「魔導機甲を動かすとき、操縦士の体は機体の動きに合わせて揺れます」
俺は頷いた。
それは、オメガの試験でも感じた。
「そのとき、体を支えようとして無駄な力を入れると、操作が乱れます」
マルタは椅子に腰掛けた。
背筋を伸ばし、両足を床へ置く。
両手は、見えない操縦桿を握るような位置にある。
「大切なのは、力任せに踏ん張ることではありません」
彼女は、わずかに上体を傾けた。
「重心を意識し、必要な部分だけに力を入れることです」
……なるほど。
俺は真剣に見つめた。
リナも、エリスも、椅子へ座った。
「では、右旋回を想定します」
マルタが言った。
「体が左へ流れるような力を受けたと考えてください」
俺たちは体を傾けた。
すると。
「……うわっ!」
リナが勢いよく傾きすぎた。
椅子が、がたんと揺れる。
「リナ様。力を入れすぎです」
「……だって!」
「もう少し、ゆっくり」
マルタは穏やかに指導した。
エリスは、反対にほとんど動かなかった。
「エリス様。少しだけ体を動かしてみましょう」
「……こう……?」
「はい。とても上手です」
エリスは嬉しそうに微笑んだ。
俺も真似してみた。
……なるほど。
思ったより難しい。
魔導甲冑の操縦って、魔力を流すだけじゃないんだ。
体の使い方も、重要なんだな。
「……マルタ」
「はい?」
「これ、オメガの操縦席にも取り入れられそうだね」
彼女は微笑んだ。
「そうですね。座席の形状や、体を固定する部分を調整すれば、負担を減らせるかもしれません」
俺は目を輝かせた。
「……よし!」
そして、思わず立ち上がろうとした。
「……レオンハルト様」
マルタの声が響いた。
俺はぴたりと止まった。
「……はい」
「今日は、設計を少し考えるだけにしてくださいね」
「……分かってるよ」
リナが笑った。
「ははっ! また怒られた!」
「リナ様も、まだ訓練は終わっておりませんよ」
「……えっ!?」
今度は、俺とエリスが笑う番だった。
◇
夕方。
俺たちは工房の机を囲んでいた。
そこには、三枚の設計図が並んでいる。
《オメガ》。
《ヴァーミリオン・フォックス》。
《セイレーン》。
そして、その隣には、小さな青い鉱石片。
今日の測定結果を記した紙。
俺は鉱石を見つめた。
「……まだ、ほんの少ししか分からないけど」
リナが首を傾げた。
「……何が?」
「この鉱石、うまく使えばオメガの改良に役立つかもしれない」
俺は設計図を指差した。
「それに、二人の機体にも」
リナの目が輝いた。
「……ほんとか!?」
「うん。ただし、もっと材料が必要だし、安全性も確かめないといけない」
エリスが小さく頷いた。
「……じゃあ、まだ完成しないんだね……」
「そうだね」
俺は笑った。
「でも、今日の成果は大きいよ」
リナは少し考えた。
そして、鉱石を見つめた。
「……なあ、レオン」
「何?」
「……あたしたち、本当に役に立ったのか?」
俺は目を瞬かせた。
リナは、少しだけ不安そうな顔をしていた。
「だって、難しいことは全部お前がやってるし……」
エリスも、静かに俯いた。
「……私たち、まだ魔導甲冑にも乗れないし……」
俺は二人を見つめた。
そして、ゆっくりと首を振った。
「……そんなことないよ」
俺は今日の測定記録を手に取った。
「エリスが魔力の流れを感じてくれたから、鉱石の内部を調べる方向が分かった」
エリスが顔を上げた。
「……うん……」
「リナが揺らぎに気づいてくれたから、異常があることも分かった」
リナの耳がぴんと立った。
「……そうなのか?」
「うん」
俺は頷いた。
「それに、マルタが測定方法を教えてくれたから、正しい結果に近づけたんだ」
マルタが穏やかに微笑んだ。
「皆様で協力した成果ですね」
俺は小さな鉱石を持ち上げた。
「これは、まだ完成した部品じゃない。でも、三人で調べた最初の材料だよ」
リナは、しばらく黙っていた。
そして。
「……へへっ」
嬉しそうに笑った。
「……じゃあ、あたしも研究員だな!」
「そうだね」
「……私も……?」
エリスが尋ねた。
「もちろん!」
俺は笑った。
「二人とも、大事な仲間だよ」
エリスの瞳が、嬉しそうに揺れた。
「……えへへ……」
そして、彼女はそっと俺の手を握った。
リナも反対側から、俺の袖を掴んだ。
「……なあ、レオン」
「何?」
「……絶対、三機造ろうな」
俺は頷いた。
「……うん」
エリスも小さく言った。
「……三人で……一緒に……」
「……うん」
俺は二人を見つめた。
「約束だよ」
三人の小さな手が、机の上で重なった。
その隣には、青い鉱石が静かに置かれていた。
◇
その夜。
屋敷の書斎では、父上が北方の調査報告を読んでいた。
夕方遅くに、見回り役たちとともに無事帰還したのだ。
報告書には、旧採掘路の周辺で確認された地形や、道の状態が記されている。
崩れかけた橋。
長年使われていない山道。
そして、古い採掘場の入口。
父上は、ある一文で手を止めた。
『旧採掘場の入口付近にて、比較的新しい足跡を確認』
「……新しい足跡?」
父上は眉をひそめた。
報告によれば、足跡は複数あった。
ただし、雨で形が崩れており、人間のものか、魔獣のものかは判別できない。
それだけではない。
入口付近には、何かを引きずったような跡も残っていたという。
「……誰かが、あの場所を使っているのか?」
父上は地図を広げた。
北方の旧採掘路。
以前、アリアが発見された鉱山地帯とも、地理的には近い。
だが、同じ場所とは限らない。
ましてや、古代の技術や盗賊たちと関係があるかどうかなど、今の段階では分からなかった。
父上はしばらく考え込んだ。
そして、静かに呟いた。
「……まずは、入口の安全を確認する必要があるな」
彼は報告書を閉じた。
窓の外では、夜風が木々を揺らしていた。
◇
同じころ。
俺は自室の机に向かっていた。
今日の出来事を、手帳へ書き込んでいる。
村の水路。
人々の笑顔。
青い鉱石。
そして、マルタの過去。
……まさか、マルタが元魔導機甲乗りだったなんて。
俺は思わず笑ってしまった。
「……本当に、驚いたなあ」
『レオンハルト様』
アリアの声が響いた。
「……ん?」
『マルタ様の操縦経験は、今後の訓練において有益と考えられます』
「……そうだね」
俺は頷いた。
「リナとエリスの先生になってもらえそうだ」
『はい。また、オメガの操縦席設計にも改善の余地があります』
「……うん」
俺は設計図を見つめた。
マルタが教えてくれた姿勢の取り方。
体を支える位置。
操縦桿に余計な力を入れない工夫。
どれも、実際に乗ったことがある人だからこそ分かることだ。
……やっぱり、経験って大事なんだな。
俺は鉛筆を手に取った。
そして、オメガの操縦席に小さな修正を書き加えた。
そのとき。
コンコン。
扉を叩く音が聞こえた。
「……レオンくん……?」
エリスの声だった。
「……入っていいよ」
扉が開いた。
そこには、エリスとリナが立っていた。
二人とも寝間着姿だ。
エリスは淡い水色の寝間着。
リナは白い寝間着に、赤いリボンを結んでいる。
「……どうしたの?」
俺が尋ねると、リナは少し照れくさそうに顔を背けた。
「……別に」
「……別に?」
「……その……」
エリスが小さく笑った。
「……リナ、レオンくんに……おやすみって言いたかったんだよね……」
「ち、違うって!」
リナの顔が真っ赤になった。
「エリスが言いたいって言ったんだろ!」
「……私は、言いたかったよ……?」
「……うっ!」
リナが言葉に詰まった。
俺は思わず笑った。
「……二人とも、おやすみ」
エリスが嬉しそうに微笑んだ。
「……おやすみ、レオンくん……」
リナも小さく呟いた。
「……おやすみ、レオン」
そのまま帰るのかと思ったら、エリスが俺の机を指差した。
「……あ……」
「……ん?」
「……三つの設計図……」
俺は頷いた。
「うん。少しだけ見直してたんだ」
エリスは嬉しそうに微笑んだ。
「……セイレーン……」
リナも目を輝かせた。
「……ヴァーミリオン・フォックス!」
二人は机の上の設計図を見つめた。
そして、顔を見合わせた。
「……あたしの方が速いからな!」
「……私の方が、泳ぐのは速いよ……」
「だから水の中は反則だって!」
「……ふふっ……」
俺は苦笑した。
……本当に、仲がいいんだか悪いんだか。
そのとき。
「皆様」
背後から、穏やかな声が響いた。
三人が振り返る。
扉のところに、マルタが立っていた。
いつものように、にっこりと微笑んでいる。
「……もう、お休みの時間ですよ」
「……あっ」
「……あ……」
リナとエリスが同時に固まった。
マルタは静かに続けた。
「明日も訓練がありますから、しっかり眠ってくださいね」
「……はーい……」
「……うん……」
二人は名残惜しそうに俺を見た。
俺は笑った。
「また明日ね」
「……おう!」
「……また明日……!」
マルタに連れられ、二人は部屋を出ていった。
扉が閉まる。
静かな夜が戻ってきた。
俺は、机の上の設計図を見つめた。
青と銀のオメガ。
赤と白のヴァーミリオン・フォックス。
白と水色のセイレーン。
まだ、完成には程遠い。
けれど。
今日、俺たちは一つ前へ進んだ。
村の人たちが笑っていた。
リナとエリスが、自分たちの力で研究を手伝ってくれた。
そして、マルタが新しい可能性を教えてくれた。
……俺の夢は、もう俺一人のものじゃない。
そう思うと、不思議と胸が温かくなった。
「……アリア」
『はい』
「……いつか、三機で一緒に飛べるかな」
『現時点では、技術的課題が多数残っています』
「……うん」
『しかし、達成不可能と判断する根拠もありません』
俺は目を瞬かせた。
そして、笑った。
「……そっか」
窓の外には、満天の星空が広がっていた。
遠くには、北方の山々が黒い影となって浮かんでいる。
あの山のどこかに、俺たちの未来を変える鉱石が眠っているのかもしれない。
でも、今はまだ。
焦らず。
一歩ずつ。
進んでいこう。
俺は設計図を丁寧に重ねた。
そして、静かに呟いた。
「……絶対、完成させよう」
オメガ。
ヴァーミリオン・フォックス。
セイレーン。
三機の魔導甲冑。
そして、三人の仲間。
その夢を胸に、俺は部屋の明かりを消した。
――北方の鉱山に眠る秘密が、やがて俺たちの運命を大きく動かすことになるとは。
このときの俺は、まだ知らなかった。




