第24話 狐少女と人魚少女が俺を取り合う!? 三機の魔導機甲計画と、メイドも参加する初めての特訓!
岩刃熊との戦いから、五日が経った。
あの日、俺は魔導甲冑を使わずに、巨大な魔獣を倒した。
前世で憧れていたロボットアニメの必殺技を参考に、火と風の魔法を組み合わせた新技《紅蓮撃・デスブロー》まで生み出してしまったのだから、自分でも驚いている。
ただし、その代償は決して小さくなかった。
右脇腹には包帯。
両拳には火傷の痕。
そして、父上と母上からは、それぞれ一時間近いお説教を受けた。
特に母上は怖かった。
『あなたが帰ってこなかったら、私たちはどうすればよかったの?』
涙を浮かべながらそう言われたときは、さすがに何も言い返せなかった。
だから、俺は反省した。
今度こそ、無茶はしない。
ちゃんと考えて行動する。
そして、何より――。
「レオンくーん!」
「ちょっと待て! エリス、抜け駆けするな!」
……どうやら、俺には新しい問題が発生しているらしい。
◇
「レオンくん、おはよう……!」
「うわっ!?」
朝。
俺がベッドの上で体を起こした瞬間、赤い髪の少女が嬉しそうに駆け寄ってきた。
エリスだ。
今日は淡い水色のワンピースを着ている。
長い赤髪は丁寧に梳かされ、片側には小さな青いリボンが結ばれていた。
以前は誰かと目が合うだけで怯えていた彼女も、最近ではずいぶん表情が柔らかくなった。
特に、俺に対しては。
「……えへへ」
エリスは俺のベッドに腰掛けると、そっと腕を伸ばしてきた。
「……ぎゅー……」
そして、俺を抱きしめた。
「……お、おはよう、エリス」
「……おはよう……!」
彼女は嬉しそうに笑っている。
もちろん、怪我をした右脇腹には触れないようにしてくれていた。
その気遣いが、何だか嬉しい。
「……もう、痛くない?」
「うん。だいぶよくなったよ」
「……ほんと?」
「本当だよ」
エリスは安心したように息を吐いた。
「……よかったぁ……」
そして、もう一度ぎゅっと抱きついてきた。
……いや、可愛いな。
こんなに甘えてくれるようになるなんて、最初に出会ったころからは想像もできなかった。
ところが。
「……おい」
低い声が聞こえた。
俺が顔を上げると、扉のところにリナが立っていた。
赤茶色の髪。
ぴんと立った狐耳。
ふわふわの尻尾。
今日は動きやすい薄茶色の服に、ベラが仕立て直してくれた緑色のスカートを合わせている。
その琥珀色の瞳が、俺とエリスを交互に見つめていた。
「……何やってんだ?」
「……え?」
エリスが振り返る。
「……レオンくんに……おはようって……」
「それは見れば分かる!」
リナは頬を膨らませた。
「何でお前だけ抱きついてんだよ!」
俺は目を瞬かせた。
「……リナ?」
「な、何だよ!」
「……もしかして、リナも?」
「ち、違う!」
即答だった。
けれど、尻尾は左右に大きく揺れている。
「……あたしは、こいつがちゃんと回復したか確かめに来ただけだ!」
「……そっか」
「何だ、その顔!」
「いや、何でもないよ」
俺が笑うと、リナはますます不機嫌そうになった。
そして、ベッドの反対側へ回り込む。
「……ちょっと、そこ空けろ」
「……え?」
エリスが首を傾げる。
「……何で……?」
「いいから!」
リナはベッドに腰掛けた。
そして、俺の左腕を掴む。
「……ふん」
次の瞬間。
ぎゅっ。
リナも俺に抱きついてきた。
「……えっ!?」
俺は驚いた。
「リ、リナ!?」
「う、うるさい!」
彼女は顔を真っ赤にしている。
「……怪我が治ったか、確認してるだけだ!」
「……抱きつかないと確認できないの?」
「できるんだよ!」
……どういう理屈だ。
俺は苦笑した。
すると、反対側のエリスが頬を膨らませた。
「……リナ……ずるい……」
「何がだよ!」
「……私が先に……ぎゅーしてた……」
「だから何だよ!」
「……レオンくん……私のこと……好き……?」
突然、エリスが俺を見上げた。
「……え?」
「……好き……?」
大きな緑色の瞳が、まっすぐ俺を見つめている。
俺は少し考えた。
「……うん。好きだよ」
エリスの顔が、ぱあっと明るくなった。
「……えへへ……!」
ところが。
「……おい!」
今度はリナが声を上げた。
「……じゃあ、あたしは!?」
「もちろん、リナも好きだよ」
「……っ!?」
リナの耳が、ぴんと立った。
尻尾が勢いよく揺れる。
「……そ、そうか……」
彼女は顔を背けた。
「……まあ、当然だな!」
……何が当然なんだろう。
でも、二人が嬉しそうだから、まあいいか。
そう思ったのも束の間。
「……でも、レオンくん……昨日……私といっぱいお話ししてくれた……」
エリスが得意げに言った。
リナの耳が動いた。
「……は?」
「……オメガのこと……教えてくれた……」
「そ、それくらい、あたしだって聞いたことあるし!」
「……私は……青い魔力の流れも……見つけた……」
「ぐっ……!」
リナが言葉に詰まった。
そして、何かを思いついたように笑った。
「……ふん! でもエリス、お前、寝てるときによだれ垂らしてるだろ!」
「……っ!?」
エリスの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「……リ、リナ……!」
「この前なんか、枕が濡れてたぞ!」
「……そ、それは……!」
エリスは慌てて口元を押さえた。
俺は思わず吹き出しそうになった。
……いや、笑っちゃ駄目だ。
本人は真剣なんだから。
しかし。
「……リナだって……!」
エリスが珍しく大きな声を出した。
「……この前……おねしょしたもん……!」
部屋が静まり返った。
リナの耳が、ゆっくりと倒れる。
「…………は?」
その顔から、みるみる血の気が引いた。
「……エ、エリス……?」
「……夜……マルタさんに……シーツ……」
「わあああああっ!!」
リナが叫んだ。
「言うなぁぁぁっ!!」
彼女は顔を真っ赤にして、両手を振り回した。
「そ、それは違う! あれは、その……!」
俺は慌てて口を押さえた。
笑ってはいけない。
絶対に笑ってはいけない。
でも、二人のやり取りがあまりにも子供らしくて。
「……ぷっ」
「……おい、レオン!」
「……ご、ごめん!」
「笑ったな!?」
「ち、違う! ちょっとびっくりしただけ!」
リナは涙目になっていた。
その姿を見て、俺はすぐに表情を改めた。
「……リナ」
「……何だよ」
「……そういう失敗は、誰にだってあるよ。気にしなくていい」
リナは口を閉じた。
「……でも……」
「……俺も、小さいころに失敗したことあるし」
「……本当か?」
「うん」
もちろん、前世も含めればいろいろある。
……というか、今の俺も八歳なんだけど。
エリスも、少し申し訳なさそうに俯いた。
「……リナ……ごめん……」
リナはしばらく黙っていた。
やがて、小さく鼻を鳴らす。
「……あたしも、よだれのこと言って悪かった」
「……うん……」
そして、二人は顔を見合わせた。
少しの沈黙。
次の瞬間。
「……ふふっ」
「……へへっ」
二人とも笑い始めた。
俺も、つられて笑った。
……ああ。
何だか、いいな。
こういう朝も。
ところが。
「皆様」
背後から、穏やかな声が聞こえた。
俺たち三人は、同時に振り返った。
そこには、朝食の乗ったワゴンを押したマルタが立っていた。
にっこりと微笑んでいる。
ただし。
目が、笑っていない。
「……病人のお部屋で、随分と楽しそうですね」
「……あ」
「……あっ」
「……あ……」
三人の声が重なった。
マルタは静かにワゴンを止めた。
「まず、リナ様」
「……は、はい!」
「エリス様の恥ずかしいことを、勝手にお話ししてはいけません」
「……はい……」
「そして、エリス様」
「……は、はい……」
「リナ様の失敗も、他の方に話してはいけませんよ」
「……ごめんなさい……」
マルタは頷いた。
「それから、レオンハルト様」
「……はい」
「お二人が喧嘩しているときに、面白がってはいけません」
「……はい……」
……全部見抜かれている。
恐るべし、マルタ。
彼女は俺たちを見渡した。
「それと、レオンハルト様はまだ療養中です。抱きつくときは、怪我をした場所に触れないよう気をつけてくださいね」
「……はい!」
「……うん……!」
二人は元気よく返事をした。
マルタはようやく、いつもの優しい笑顔に戻った。
「よろしい。では、朝食にしましょう」
その瞬間。
「……あたしがレオンにスープを渡す!」
「……私が……パンを……!」
「お前はそっち!」
「……リナは……そっち……!」
「……二人とも?」
マルタの声が、再び低くなった。
「「……はい」」
俺は思った。
……この屋敷で一番強いのは、もしかしたらマルタかもしれない。
◇
朝食の後。
俺は父上の許可を得て、工房へ向かった。
もちろん、重いものを持ったり、魔力を大量に使ったりすることは禁止されている。
今日は設計図を確認するだけだ。
「……アリア。オメガの状態は?」
『修復工程は最終段階に入っています』
左手首の黒い腕輪が、淡く光った。
『右肩部の魔力伝導路は再調整済み。関節機構の低出力試験も完了しています』
「……おお!」
俺は思わず声を上げた。
工房の中央には、青と銀の魔導甲冑が立っている。
全高約百四十センチ。
細身ながらも頑丈な装甲。
胸部には、小型魔力炉を収めるための構造。
背中には、四基の推進器用の装着部。
俺の夢の第一歩。
《オメガ》。
ただし、まだ完成形ではない。
推進器は外装と一部の魔力伝導路しかできておらず、安定飛行は不可能だ。
武装もない。
魔力炉の出力も、長時間の戦闘には足りない。
それでも。
確実に前へ進んでいる。
「……あと、どれくらい?」
『父上様による最終確認と、脚部衝撃吸収機構の調整が完了すれば、数日以内に地上歩行試験を再開できる見込みです』
「……本当!?」
『ただし、レオンハルト様の身体が回復するまでは搭乗を推奨しません』
「……分かってるよ」
俺は苦笑した。
……先回りされた。
そのとき。
「……レオン!」
背後から声が聞こえた。
振り返ると、リナとエリスが工房の入口に立っていた。
マルタも一緒だ。
「……何してるんだ?」
「オメガの確認だよ」
「……また、あの青いのか!」
リナの瞳が輝いた。
エリスも、興味深そうに機体を見上げる。
「……きれい……」
俺は笑った。
「ありがとう」
リナはオメガの周囲を歩き始めた。
「……なあ、これ、もう動くのか?」
「もう少しでね」
「……空も飛べる?」
「……それは、まだ」
「……何だよ!」
「飛行装置って、難しいんだよ」
俺が苦笑すると、リナは腕を組んだ。
「……じゃあ、早く完成させろよ!」
「簡単に言うなあ……」
そんなやり取りをしていると。
『レオンハルト様』
アリアが突然、声をかけてきた。
「……ん?」
『以前から検討していた提案があります』
「……提案?」
『はい。リナ様とエリス様の魔力特性についてです』
俺は目を瞬かせた。
リナとエリスも、腕輪へ視線を向ける。
「……あたしたち?」
『はい』
アリアの声は落ち着いていた。
『リナ様は狐獣人特有の感覚能力と、未制御の幻術適性を持っています』
「……幻術……」
リナが自分の手を見つめた。
以前、怖くなったときに、自分の姿がいくつも見える現象が起こったことがある。
本人も、まだ上手に扱えていない。
『一方、エリス様は水属性魔力に対する高い感受性を示しています』
「……私……?」
『はい。オメガの伝導路の異常を発見した際にも、その能力が確認されました』
エリスは少し照れくさそうに微笑んだ。
俺は頷いた。
「……確かに、二人ともすごい力を持ってるよね」
『そこで、提案があります』
「……何?」
『オメガの設計技術を応用し、二人専用の魔導甲冑を開発することは可能と考えられます』
俺は固まった。
「…………え?」
リナも固まった。
「…………は?」
エリスは首を傾げた。
「……まどう……こうちゅう……?」
アリアは続けた。
『リナ様には、高機動型の魔導甲冑』
『エリス様には、水中適応型の魔導甲冑』
『それぞれの能力に合わせた専用機を設計することで、オメガとは異なる性能を実現できる可能性があります』
俺は、ゆっくりとオメガを見上げた。
そして。
「……それって……」
胸が高鳴った。
「……三機の魔導甲冑を造るってこと!?」
『はい』
……何だ、それ。
最高じゃないか!
◇
「……ちょ、ちょっと待て!」
リナが声を上げた。
「……あたしにも、あんなの造ってくれるのか!?」
「……うん。もしリナが欲しいなら」
俺が答えると、彼女の尻尾が勢いよく揺れた。
「……ほ、欲しい!」
即答だった。
俺は思わず笑った。
「……早いね」
「だ、だって!」
リナはオメガを指差した。
「……あんなのに乗れたら、すっごく強くなれるだろ!」
その瞳は、まるで宝物を見つけた子供のように輝いていた。
……いや、実際に子供なんだけど。
エリスは、少し遠慮がちに手を上げた。
「……あ、あの……」
「……どうしたの?」
「……私のも……造れる……?」
「もちろん」
俺は頷いた。
「エリスが乗りたいなら、造りたいと思ってるよ」
彼女の緑色の瞳が輝いた。
「……お水の中も……泳げる……?」
「……それを目標にしたいな」
「……ほんと……?」
「うん。でも、すぐにはできないよ」
俺は二人を見た。
「オメガだって、まだ完成してないからね」
リナは腕を組んだ。
「……じゃあ、どれくらいかかるんだ?」
「……うーん」
俺は考え込んだ。
正直、分からない。
オメガの開発だけでも、材料費と時間がかなり必要だった。
しかも、二人の魔導甲冑は、それぞれ専用の設計が必要になる。
ただ外見を変えればいいという話じゃない。
リナの機体は、軽量化と高機動性。
エリスの機体は、水中での魔力伝導と、変身時にも安全に搭乗できる構造。
どちらも難題だ。
……でも。
やってみたい。
俺は工房の机へ向かった。
「……アリア。設計図を出せる?」
『簡易構想図であれば可能です』
机の上に置いた紙へ、俺は鉛筆を走らせた。
アリアの助言を受けながら、まず一つ目の機体を描く。
細身の装甲。
鋭い頭部。
赤と白を基調とした配色。
背中には、尻尾を思わせる二基の姿勢制御装置。
「……これが、リナの機体」
俺は紙を見せた。
「《ヴァーミリオン・フォックス》」
リナは目を丸くした。
「……うわぁ……!」
彼女は机へ身を乗り出した。
「……これ、あたしの!?」
「まだ構想だけどね」
「……すげえ……!」
リナは嬉しそうに尻尾を振った。
その様子を見て、俺も笑顔になる。
次に、もう一枚の紙を取り出した。
今度は、白と青を基調とした機体。
丸みを帯びた装甲。
水の抵抗を減らすための滑らかな外形。
背部には、魚の鰭を思わせる可動式の推進器。
搭乗部は、エリスの変身に合わせて形を調整できるようにしたい。
「……こっちは、エリスの機体」
俺は紙を見せた。
「《セイレーン》」
エリスは息を呑んだ。
「……きれい……」
小さな指で、紙の端に触れる。
「……これ……私が……乗れるの……?」
「……うん。いつかね」
彼女はしばらく設計図を見つめていた。
そして、嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとう……レオンくん……」
俺は少し照れくさくなった。
「……まだ造ってないよ?」
「……でも……嬉しい……」
その言葉に、胸が温かくなる。
リナも設計図を見比べていた。
「……なあ、レオン」
「……何?」
「……あたしの方が速いんだよな?」
「……そうなる予定だね」
「……よし!」
リナは得意げに笑った。
「……じゃあ、エリスには負けないな!」
エリスが頬を膨らませた。
「……私のは……お水の中……速いもん……」
「……陸の上なら、あたしが勝つ!」
「……お水の中なら……私……!」
俺は苦笑した。
「……まだ、どっちも完成してないんだけど」
「「……絶対、負けない!」」
二人の声が重なった。
……ああ。
これは、完成したら大変そうだ。
◇
ところが、現実はそう甘くなかった。
『レオンハルト様』
アリアが声をかけてきた。
「……ん?」
『新規魔導甲冑二機の製造には、大量の資材が必要です』
「……だよね」
『特に、高純度の魔導鉱石が不足しています』
俺はため息をついた。
ヴァイス家は、決して裕福ではない。
最近は領地の設備改善によって少しずつ状況がよくなっているけれど、まだ借金も残っている。
オメガの修理だけでも、父上にはかなり助けてもらった。
これ以上、簡単に材料を要求するわけにはいかない。
「……鉱石かあ」
俺は腕を組んだ。
すると。
『一つ、候補があります』
「……え?」
『古代記録の断片に、特殊な魔導鉱石の産出地と思われる地名が残されています』
俺は目を見開いた。
「……本当!?」
『はい。ただし、記録は破損しており、正確な位置は不明です』
「……どの辺り?」
『ヴァイス領北方の山岳地帯と推定されます』
……北方。
俺は思わず眉をひそめた。
北の鉱山。
アリアを見つけた場所。
そして、謎の古代技術。
……また、北か。
「……その鉱石って、どんなもの?」
『通常の魔導鉱石よりも、魔力の伝導効率が高い可能性があります』
「……なるほど」
『ただし、実物の確認が必要です。記録の信頼性も保証できません』
俺は頷いた。
……すぐに行くわけにはいかない。
今の俺は怪我人だ。
それに、北方の鉱山には、まだ分からないことが多い。
父上と相談しないと。
「……分かった。後で父上に話してみる」
『賢明な判断です』
そのとき、リナが俺の袖を引っ張った。
「……なあ」
「……何?」
「……その鉱石があれば、あたしたちの機体も造れるのか?」
「……可能性はあるよ」
リナは目を輝かせた。
「……じゃあ、探しに行こうぜ!」
「……いや、今すぐは無理だよ」
「……何でだよ!」
「俺、まだ怪我してるし」
「……あ」
リナの耳が下がった。
俺は笑った。
「……それに、危ない場所かもしれないからね」
エリスも小さく頷いた。
「……危ないの……嫌……」
「……うん」
俺は二人を見た。
「だから、まずは準備をしよう」
「……準備?」
「……そう」
俺は微笑んだ。
「二人とも、魔法の練習をしてみない?」
◇
「……魔法の練習!?」
リナが大きな声を上げた。
「……あたしも!?」
「もちろん」
俺は頷いた。
「将来、魔導甲冑に乗るなら、自分の魔力をちゃんと扱えるようになった方がいいからね」
リナは拳を握った。
「……よし! やる!」
エリスも、少し緊張した様子で手を上げた。
「……私も……やってみたい……」
俺は嬉しくなった。
「……うん!」
そして、二人を見つめた。
「……いつか、三人で一緒に冒険できたらいいね」
リナが目を丸くした。
「……冒険?」
「うん。もちろん、ちゃんと安全を確保してからだけど」
俺はオメガを見上げた。
「……俺、いつかこの世界をいろいろ見て回りたいんだ」
前世では、仕事に追われて、ほとんど旅行もできなかった。
せっかく魔法のある世界に生まれたんだ。
知らない場所へ行ってみたい。
美しい景色を見たい。
古代の魔導技術も調べたい。
そして、いつか。
オメガで空を飛びたい。
「……そのとき、二人も一緒だったら嬉しいな」
リナはしばらく黙っていた。
そして、にやりと笑った。
「……いいぜ!」
尻尾を大きく振る。
「……あたしが、お前を守ってやる!」
俺は目を丸くした。
「……え?」
「……今度は、あたしの番だからな!」
その言葉に、胸が温かくなった。
エリスも、俺の手をそっと握った。
「……私も……一緒に行きたい……」
「……うん」
俺は笑った。
「……じゃあ、決まりだね」
そのとき。
「……あらあら」
背後から、穏やかな声が聞こえた。
マルタだった。
「皆様、とても楽しそうですね」
「……マルタ!」
俺が振り返ると、彼女は優しく微笑んでいた。
「……いつか、三人で冒険なさるのですか?」
「……うん!」
俺は頷いた。
「……オメガと、二人の魔導甲冑が完成したらね」
マルタは少し考えた。
そして。
「……それでしたら、私もご一緒させていただきたいですね」
「…………え?」
俺は固まった。
リナもエリスも、目を丸くした。
「……マルタも!?」
「はい」
彼女は当然のように頷いた。
「皆様のお世話をするのが、私の仕事ですから」
俺は思わず笑った。
「……でも、冒険だよ?」
「存じております」
「……危ないかもしれないよ?」
「ですから、私も必要でしょう?」
……確かに。
何も言い返せない。
リナが嬉しそうに笑った。
「……じゃあ、マルタも一緒だ!」
エリスも頷く。
「……うん……!」
俺は少し考えた。
……もしかして。
いつか、マルタ用の魔導甲冑も必要になるのかな。
いや。
さすがに、まだ早いか。
でも。
何だか、想像すると楽しくなってきた。
◇
その日の午後。
俺たちは屋敷の中庭に集まっていた。
もちろん、俺はまだ怪我人なので、実際に激しく動くことはできない。
そこで、今日は二人の魔力適性を調べることにした。
父上にも許可をもらっている。
ただし、条件があった。
『危険な魔法は禁止。魔力を使いすぎないこと。そして、必ず大人が監督すること』
……というわけで。
「本日は、私が皆様の訓練をお手伝いいたします」
マルタが、にっこりと微笑んだ。
俺は頷いた。
「よろしく、マルタ」
「はい。レオンハルト様」
リナは腕を組んだ。
「……なあ、マルタって魔法使えるのか?」
マルタは少し笑った。
「少しだけですよ」
「……ふうん」
リナはあまり期待していないようだった。
……いや。
何だか嫌な予感がする。
俺はアリアへ小声で尋ねた。
「……アリア。マルタの魔力って、分かる?」
『正確な測定はできません。ただし、身体動作には無駄が少ないと推定されます』
「……え?」
俺はマルタを見た。
彼女は普段と変わらず、穏やかに微笑んでいる。
……まさか。
この人、何か隠してる?
◇
「では、まずはリナ様から始めましょう」
「……よし!」
リナは元気よく前へ出た。
中庭には、木製の杭が五本並べられている。
それぞれの間隔は、約二メートル。
「まずは、この杭の間を走ってください」
「……それだけ?」
「はい。ただし、できるだけ静かに」
リナはにやりと笑った。
「……簡単だな!」
次の瞬間。
タッ!
彼女が走り出した。
速い。
小さな体が、まるで風のように動く。
右。
左。
右。
狐耳を揺らしながら、杭の間をすり抜けていく。
俺は思わず声を上げた。
「……すごい!」
リナは得意げに笑った。
「……へへっ!」
しかし。
「リナ様」
マルタが静かに言った。
「……何だ?」
「足音が大きすぎます」
「……は?」
リナは目を丸くした。
「……速ければいいんじゃないのか?」
「速さだけでは、相手に動きを読まれてしまいますよ」
マルタは微笑んだ。
「もう一度、お願いします」
リナは頬を膨らませた。
「……分かったよ!」
そして、再び走り出した。
今度は、足音を抑えようとしている。
けれど。
ゴツンッ!
「……いたっ!」
杭に肩をぶつけた。
俺は思わず立ち上がりそうになった。
「……リナ、大丈夫!?」
「……だ、大丈夫だ!」
リナは顔を真っ赤にしている。
エリスが小さく笑った。
「……ふふっ……」
「……笑うなよ!」
「……ご、ごめん……」
マルタは穏やかに言った。
「リナ様。速く動くことと、正確に動くことは違います」
リナは少し考えた。
「……正確に……」
「はい。魔導甲冑に乗るときも、同じことが大切になるでしょう」
俺は頷いた。
確かに。
オメガだって、速く動くだけなら簡単かもしれない。
でも、正確に制御できなければ、危険だ。
「……なるほど」
リナは真剣な表情になった。
「……もう一回!」
その姿を見て、俺は嬉しくなった。
……いいぞ。
少しずつ、成長している。
◇
次は、エリスの番だった。
「……わ、私……できるかな……」
彼女は不安そうに両手を握っている。
俺は笑った。
「……大丈夫。失敗してもいいんだよ」
「……うん……」
中庭の机には、水の入った小さな器が置かれていた。
マルタが説明する。
「エリス様。まずは、この水を少しだけ動かしてみましょう」
「……はい……」
エリスは器へ手を伸ばした。
緑色の瞳が、水面を見つめる。
しばらく沈黙が続いた。
そして。
ぽちゃん。
水面に、小さな波紋が広がった。
「……あっ!」
エリスが声を上げた。
俺も身を乗り出した。
「……動いた!」
彼女は驚いたように、自分の手を見つめた。
「……私……?」
「……うん!」
俺は頷いた。
「……すごいよ、エリス!」
彼女の顔が、ぱあっと明るくなった。
「……えへへ……!」
リナは腕を組んだ。
「……それくらい、あたしだってできるし!」
「……じゃあ、リナもやってみる?」
「……え?」
俺が尋ねると、リナは少し慌てた。
「……い、いや! あたしは幻術だから!」
「……そっか」
俺は笑った。
……相変わらずだなあ。
エリスはもう一度、水へ手を伸ばした。
今度は、水面から小さな球が浮かび上がる。
直径は三センチほど。
透明な水の球。
それが、ふわふわと宙に浮いた。
「……わぁ……!」
エリスが嬉しそうに声を上げた。
俺も思わず拍手した。
「……すごい!」
ところが。
その瞬間。
ぱしゃっ!
水球が弾けた。
「……きゃっ!」
エリスの顔に、水がかかった。
赤い髪が濡れ、頬に水滴が伝う。
「……あ……」
彼女は固まった。
リナが吹き出した。
「……ぷっ!」
「……リナ……!」
「……はははっ! 顔びしょびしょ!」
エリスは頬を膨らませた。
「……もう……!」
俺は慌ててタオルを差し出した。
「……はい、エリス」
「……ありがとう……」
彼女は顔を拭いた。
幸い、足元にはほとんど水がかからなかったので、人魚への変身は起こらなかった。
……よかった。
もし中庭で突然変身したら、本人もびっくりするだろうからね。
◇
「……じゃあ、次は幻術だな!」
リナが元気よく言った。
俺は頷いた。
「……うん。でも、無理はしないでね」
「……分かってる!」
彼女は胸を張った。
そして、目を閉じる。
狐耳が、ぴくりと動いた。
周囲の空気が、わずかに揺れる。
俺は息を呑んだ。
……来るか?
リナの周囲に、淡い光が集まり始めた。
そして。
ぽんっ!
リナの隣に、もう一人のリナが現れた。
「……おおっ!」
俺は目を見開いた。
エリスも驚いたように声を上げる。
「……リナが……二人……!」
リナは得意げに笑った。
「……へへっ!」
しかし。
ぽんっ!
さらに一人。
ぽんっ!
また一人。
ぽんっ!
さらに一人。
「……え?」
俺は固まった。
気づけば、中庭には五人のリナが立っていた。
「……リナが五人!?」
俺は思わず叫んだ。
エリスも目を丸くした。
「……いっぱい……!」
リナ本人も驚いている。
「……えっ!? ちょ、ちょっと待て!」
幻影のリナたちが、勝手に動き始めた。
一人は右へ。
一人は左へ。
一人はその場でくるくる回っている。
そして、もう一人は。
「……あっ!」
俺の方へ走ってきた。
……いや、幻影だから触れないんだけど。
でも、あまりにも本物そっくりだ。
「……すごいな……」
俺は感心した。
ところが。
「……うわっ!」
リナ本人が、自分の幻影に気を取られて足をもつれさせた。
どてんっ!
芝生の上に転んだ。
「……いたた……」
その瞬間。
幻影が、すべて消えた。
中庭が静まり返る。
そして。
「……ぷっ」
エリスが笑った。
「……ふふふっ……!」
俺も、つられて笑ってしまった。
「……あははっ!」
リナは顔を真っ赤にした。
「……笑うなぁっ!」
マルタは静かに微笑んだ。
「リナ様。幻術そのものは、とても素晴らしかったですよ」
「……ほ、本当か?」
「はい。ただし、術を使っている間も、周囲をよく見ましょうね」
リナは少し照れくさそうに頷いた。
「……分かった……」
俺は思った。
……この二人、本当に才能がある。
まだ未熟だけど。
これから、きっと強くなれる。
◇
その後、マルタは木製の短い棒を一本取り出した。
「では、最後に簡単な動作訓練をしましょう」
リナが首を傾げた。
「……動作訓練?」
「はい。私が棒を動かしますので、触れられないように避けてください」
リナはにやりと笑った。
「……簡単じゃん!」
俺は少し不安になった。
……大丈夫かな。
マルタは棒を構えた。
その姿勢は、驚くほど自然だった。
足を肩幅に開き、重心を低くする。
無駄な力が入っていない。
俺は思わず呟いた。
「……マルタ?」
「はい?」
「……もしかして、戦い方を知ってる?」
マルタは微笑んだ。
「少しだけですよ」
……また、それか。
その瞬間。
「……行くぞ!」
リナが飛び出した。
速い。
小さな体が、一気にマルタへ迫る。
しかし。
ひょい。
マルタは、ほんの少し体をずらした。
「……えっ!?」
リナが通り過ぎる。
そして。
とんっ。
木の棒が、リナの肩へ軽く触れた。
「……はい。一回目です」
「……は!?」
リナは目を丸くした。
「……今、何した!?」
「少し避けただけですよ」
「……嘘だ!」
俺は思わず笑った。
……いや、今のはすごかった。
動きが、ほとんど見えなかった。
リナはもう一度挑戦した。
しかし。
とんっ。
「……二回目です」
「……くっ!」
さらにもう一度。
とんっ。
「……三回目です」
「……何で当たるんだよぉっ!」
リナは涙目になった。
エリスは口元を押さえて笑っている。
「……ふふっ……」
俺も笑いながら、マルタを見た。
「……マルタ、強いね」
「いえいえ」
彼女は穏やかに首を振った。
「若いころ、少しだけ護身術を習ったことがあるだけです」
……絶対、それだけじゃないだろ。
俺は心の中で突っ込んだ。
アリアも小さく呟いた。
『……興味深いですね』
「……だよね」
『マルタ様の動作は、一般的な使用人の身体技術とは異なる可能性があります』
……やっぱり。
いつか、詳しく聞いてみたいな。
◇
休憩を挟んだ後、俺は二人へ最後の課題を出した。
「……じゃあ、今度は二人で協力してみよう」
リナが首を傾げた。
「……協力?」
「うん」
俺は中庭の端を指差した。
そこには、小さな木製の台が置かれている。
台の上には、青い布が結ばれた旗。
その周囲には、簡単な仕掛けがあった。
水を流すと動く小さな水車。
そして、魔力の揺らぎを感知すると鈴が鳴る仕組みだ。
どちらも、父上の古い教材を借りて組み合わせたものだった。
「……あの旗を取ってきてほしいんだ」
リナは目を輝かせた。
「……簡単じゃん!」
「ただし、鈴を鳴らさずにね」
「……え?」
俺は笑った。
「それから、水車を動かさないと、旗の台が開かないようになってる」
エリスが首を傾げた。
「……お水……?」
「うん。エリスの力が必要だと思う」
リナは腕を組んだ。
「……じゃあ、あたしが先に行って、旗を取ってくる!」
「……え?」
エリスが驚いた。
「……でも……」
「大丈夫だって!」
リナは走り出した。
しかし。
チリンッ!
鈴が鳴った。
「……あっ」
リナが止まる。
俺は苦笑した。
「……失敗だね」
「……何でだよ!」
「魔力の揺らぎを感知する仕組みだからね。幻術を使うと、鈴が鳴るんだ」
「……ずるい!」
「……ちゃんと説明したよ?」
リナは頬を膨らませた。
エリスが小さく手を上げた。
「……あの……」
「……ん?」
「……私……お水……動かしてみる……」
俺は頷いた。
「……うん。お願い」
エリスは水の入った器へ手をかざした。
小さな水球が浮かび上がる。
それを、ゆっくりと水車へ運ぶ。
しかし。
途中で水球が揺れた。
「……あっ……!」
ぱしゃっ!
水が地面へ落ちた。
エリスは肩を落とした。
「……ごめんなさい……」
俺は首を振った。
「……大丈夫。もう一回やってみよう」
リナは少し考えた。
そして、エリスの隣へ歩いてきた。
「……なあ」
「……リナ……?」
「……あたしが、周りを見てる」
エリスが目を丸くした。
「……え?」
「……お前は、水を動かすことだけ考えろ」
リナは照れくさそうに顔を背けた。
「……あたしが、ちゃんと教えてやるから」
エリスは少し驚いた。
そして、嬉しそうに微笑んだ。
「……うん……!」
俺は、その様子を見つめた。
……いいね。
これだよ。
俺が見たかったのは。
二人が、それぞれの力を使って協力する姿。
エリスが水球を浮かべる。
リナが周囲の仕掛けを観察する。
「……もう少し右!」
「……うん……!」
「……ゆっくり!」
「……うん……!」
水球が、水車の上へ到達した。
ぱしゃっ。
水が流れ落ちる。
くるくる。
水車が回り始めた。
カタンッ。
旗の台が開いた。
「……やった!」
リナが声を上げた。
エリスも嬉しそうに笑った。
「……できた……!」
そして、リナは鈴の仕掛けを避けながら進んだ。
今度は、無理に幻術を使わない。
足元を確認し、静かに動く。
そして。
「……取ったぁっ!」
青い旗を掲げた。
俺は思わず拍手した。
「……すごい!」
マルタも微笑んだ。
「お見事です、お二人とも」
エリスが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「……レオンくん……!」
リナも続いた。
「……見たか、レオン!」
「……うん! 二人ともすごかったよ!」
その瞬間。
二人が同時に俺へ抱きついてきた。
「……ぎゅー!」
「……へへっ!」
「……うわっ!?」
俺は慌てた。
「ちょ、ちょっと! 脇腹!」
二人が固まった。
「……あっ!」
「……ご、ごめん!」
マルタがすぐに近づいてきた。
「……お二人とも?」
「「……はい……」」
またしても、二人は小さくなった。
俺は思わず笑った。
……本当に、賑やかになったなあ。
◇
夕方。
訓練を終えた俺たちは、屋敷へ戻った。
リナとエリスは疲れたらしく、マルタに連れられて休憩室へ向かった。
俺も自室へ戻ろうとした。
そのとき。
「レオン」
廊下の向こうから、父上の声が聞こえた。
振り返ると、父上が立っていた。
今日はいつもの作業着ではなく、濃紺の上着を着ている。
その表情は、少し真剣だった。
「……父上?」
「少し話がある。兄たちと一緒に、私の書斎へ来なさい」
俺は首を傾げた。
「……兄上たちも?」
「ああ。家族に関わる大切な話だ」
……何だろう。
俺は少し緊張しながら、父上の後についていった。
◇
書斎には、すでに二人の兄上が待っていた。
長兄のアルブレヒト兄上。
十九歳。
落ち着いた雰囲気を持つ、頼れる兄だ。
領地の財政や管理について、父上をよく手伝っている。
そして、次兄のセドリック兄上。
十七歳。
赤みがかった茶髪と、鋭い目つきが特徴の剣士だ。
性格は少し熱血だけど、弟思いの優しい兄でもある。
「……レオン、体は大丈夫か?」
アルブレヒト兄上が心配そうに尋ねた。
「……うん。だいぶよくなったよ」
「無茶するなよ」
セドリック兄上が笑った。
「次に岩刃熊なんかと戦うときは、俺を呼べ」
「……兄上、そんな簡単に呼べないよ」
「はははっ! それもそうだな!」
俺は苦笑した。
……本当に、頼もしい兄だ。
父上は机の前に立った。
「さて。三人とも、よく聞いてくれ」
その声に、俺たちは姿勢を正した。
父上は一通の書状を取り出した。
封蝋には、王立学院の紋章が刻まれている。
俺は目を見開いた。
……王立学院?
まさか。
「アルブレヒト、セドリック」
父上が二人を見た。
「お前たちに、王立魔導騎士学院から正式な案内が届いた」
アルブレヒト兄上が目を丸くした。
「……父上。それは……」
「以前から申請していた、上級課程への受け入れが認められた」
セドリック兄上が勢いよく立ち上がった。
「……本当ですか!?」
「ああ」
父上は頷いた。
「二人とも、来期から王立学院で学ぶことができる」
……え?
俺は固まった。
王立魔導騎士学院。
その名前を、俺は知っている。
いや。
知っているどころじゃない。
そこは、俺が前世で遊んだ乙女ゲーム。
『ターボナイト ~エターナル・ハーツ~』
その物語の中心となる場所だった。
主人公のソフィア・エヴァーハートが通い、攻略対象の青年たちと出会う学院。
魔導甲冑の技術。
貴族同士の争い。
恋愛。
そして、さまざまな事件。
そのすべてが、あの学院を舞台に展開していく。
……でも。
俺は、まだ八歳だ。
学院へ入る年齢には達していない。
それに、今回の話は兄上たちの上級課程だ。
ゲーム本編の出来事が、今すぐ始まるわけじゃない。
それでも。
俺の胸は、高鳴っていた。
……ついに、学院の名前が出てきた。
◇
「……ですが、父上」
アルブレヒト兄上が静かに言った。
「学費は、どうなさるおつもりですか?」
父上は頷いた。
「当然の疑問だ」
そして、机の上に帳簿を広げた。
「以前なら、二人を同時に送り出すことは不可能だった」
俺は息を呑んだ。
……そうだ。
ヴァイス家は貧しい。
領地の維持だけでも大変だった。
俺がゲームで学院を退学する理由も、家の経済事情だった。
父上は続けた。
「だが、最近の灌漑設備の改善と、工房での修理事業によって、収入が少しずつ安定してきている」
俺は目を見開いた。
……あ。
それって。
俺が父上と一緒に改良した設備だ。
壊れていた水路。
古い魔導機械。
そして、領地の工房。
それらを修理したことが、少しずつ結果につながっている。
「もちろん、まだ余裕があるわけではない」
父上は真剣な表情で言った。
「二人の学費を支払えば、家計はかなり厳しくなる」
アルブレヒト兄上は眉をひそめた。
「……それなら、私は残ります」
「……兄上?」
俺は驚いた。
アルブレヒト兄上は静かに続けた。
「領地の管理は、まだ私が必要でしょう。セドリックだけを送り出してください」
「……おい、兄貴!」
セドリック兄上が声を上げた。
「そんなこと言うなよ!」
「だが、現実的に考えれば――」
「俺だって、兄貴を置いていきたくない!」
二人の声が重なった。
俺は黙って見つめていた。
……兄上たち。
本当に、家族思いだな。
父上は二人を見て、静かに微笑んだ。
「……だからこそ、私は二人を送り出したい」
その言葉に、二人が顔を上げた。
「お前たちは、今まで家のために多くのことを我慢してきた」
父上の声は、穏やかだった。
「だが、これからは自分たちの未来も考えてほしい」
アルブレヒト兄上が唇を噛んだ。
セドリック兄上も黙っていた。
「学院で学んだ知識は、いずれ領地の力になる。だが、それだけではない」
父上は二人を見つめた。
「お前たち自身の夢を、諦めてほしくないんだ」
しばらく沈黙が続いた。
そして。
「……父上」
アルブレヒト兄上が、ゆっくりと頭を下げた。
「……ありがとうございます」
セドリック兄上も続いた。
「……俺、絶対に強くなって帰ってきます!」
父上は笑った。
「ああ。期待している」
俺はその光景を見つめながら、胸が熱くなった。
……よかった。
本当に、よかった。
◇
「……ところで、レオン」
父上が俺を見た。
「……はい?」
「お前にも、話しておきたいことがある」
俺は姿勢を正した。
「……何でしょう?」
父上は少し笑った。
「最近、リナとエリスの魔法訓練を始めたそうだな」
「……あ」
俺は目を瞬かせた。
「……はい」
「マルタから聞いた」
……やっぱり。
報告されていたか。
父上は腕を組んだ。
「それから、二人の専用魔導甲冑を造りたいとも考えているそうだな」
「……はい!」
俺は頷いた。
「……でも、今すぐじゃありません」
父上は静かに俺を見つめた。
「……ほう?」
「まずは、オメガをちゃんと完成させます。それから、二人の魔力特性を調べて、必要な材料を集めて……」
俺は少し言葉を切った。
「……無理のない範囲で、少しずつ造りたいです」
父上はしばらく黙っていた。
そして。
「……よし」
小さく頷いた。
「その考えなら、私も協力しよう」
「……本当ですか!?」
「ああ。ただし、条件がある」
俺は背筋を伸ばした。
「……はい!」
「まず、二人の意思を尊重すること」
「……はい」
「次に、危険な訓練をさせないこと」
「……はい」
「そして、魔導甲冑は完成したからといって、すぐに戦わせていいものではない」
父上の表情が真剣になった。
「お前も、今回の岩刃熊との戦いで、それを学んだはずだ」
俺は静かに頷いた。
「……はい」
父上は微笑んだ。
「ならば、いい」
俺は嬉しくなった。
「……ありがとうございます、父上!」
すると、セドリック兄上が笑った。
「……へえ! レオン、もう自分の部隊を造るつもりか?」
「……ぶ、部隊じゃないよ!」
「はははっ! いいじゃないか!」
アルブレヒト兄上も微笑んだ。
「……三機の魔導甲冑か。夢があるな」
俺は少し照れくさくなった。
「……まだ、設計段階だけどね」
すると、アルブレヒト兄上が言った。
「……学院へ行ったら、魔導甲冑の新しい技術について調べてこよう」
「……えっ!?」
「お前の役に立つかもしれないからな」
セドリック兄上も笑った。
「俺は、実戦での操縦技術を学んでくるぜ!」
俺は二人を見つめた。
そして、思わず笑顔になった。
「……ありがとう、兄上たち!」
◇
その夜。
俺は自室の机に向かっていた。
目の前には、三枚の設計図。
青と銀の《オメガ》。
赤と白の《ヴァーミリオン・フォックス》。
白と青の《セイレーン》。
まだ、完成しているのはオメガの試作機だけだ。
残りの二機は、ただの構想図。
でも。
俺には、はっきりと未来が見えていた。
三機の魔導甲冑が並ぶ姿。
リナが得意げに笑い、エリスが嬉しそうに手を振る。
そして、俺たち三人で空を飛ぶ。
……いつか。
必ず。
「……アリア」
『はい』
「……俺、頑張るよ」
『承知しています』
「……二人の機体も、ちゃんと造りたい」
『そのためには、まずオメガの完成と資材の確保が必要です』
「……うん」
俺は頷いた。
そして、北方の山岳地帯を示す古い地図へ視線を向けた。
……魔導鉱石。
アリアが見つけた、古代記録の断片。
もし本当に特殊な鉱石があるなら、オメガの改良にも役立つかもしれない。
でも、今はまだ行けない。
父上と相談して、安全を確認してからだ。
……焦る必要はない。
俺たちには、時間がある。
そう思った、そのとき。
コンコン。
扉を叩く音が聞こえた。
「……誰?」
「……レオン」
リナの声だった。
俺は笑った。
「……入っていいよ」
扉が開く。
そこには、リナとエリスが立っていた。
二人とも寝間着姿だ。
リナは小さな枕を抱えている。
エリスも、同じように枕を持っていた。
……え?
「……どうしたの?」
俺が尋ねると、リナは少し照れくさそうに顔を背けた。
「……その……」
エリスが小さく手を上げた。
「……今日……楽しかった……」
「……うん。俺もだよ」
俺が笑うと、エリスは嬉しそうに微笑んだ。
「……それで……」
リナが口を開いた。
「……明日も、一緒に訓練するんだよな?」
「……うん。もちろん」
リナの尻尾が揺れた。
「……そっか」
そして、少しだけ笑った。
「……じゃあ、約束だぞ」
「……うん」
俺は頷いた。
すると、エリスが俺の机を指差した。
「……あ……!」
彼女は設計図を見つけたらしい。
「……セイレーン……!」
嬉しそうに駆け寄ってくる。
リナも目を輝かせた。
「……ヴァーミリオン・フォックス!」
二人は机の上の設計図を見つめた。
そして、顔を見合わせた。
「……あたしの方が速い!」
「……私の方が……お水の中……速い……!」
「……また、それ?」
俺は苦笑した。
しかし、今度は喧嘩にならなかった。
二人とも、嬉しそうに笑っていた。
その姿を見て、俺は思った。
……ああ。
この二人と出会えて、本当によかった。
すると、リナが突然、俺を見た。
「……なあ、レオン」
「……何?」
「……あたし、もっと強くなるからな」
その声は、いつになく真剣だった。
「……今度は、お前を守れるくらい」
俺は目を見開いた。
エリスも頷いた。
「……私も……頑張る……」
俺は二人を見つめた。
そして、ゆっくりと笑った。
「……うん」
小さく頷く。
「……一緒に強くなろう」
リナが笑った。
エリスも笑った。
その瞬間。
俺は、心の中で決めた。
いつか、必ず三機の魔導甲冑を完成させる。
そして。
誰か一人が無理をして、誰かを守るのではなく。
三人で支え合いながら、前へ進めるようになりたい。
……それが、俺の新しい目標だ。
ただし。
「……ところで、二人とも」
俺は枕を見た。
「……その枕、何?」
リナとエリスが固まった。
「……え?」
「……あ……」
しばらく沈黙が続いた。
そして。
「……べ、別に!」
リナが顔を真っ赤にした。
「……今日は、ちょっと……」
エリスが小さく呟いた。
「……レオンくんの……そばにいたくて……」
俺は目を丸くした。
「……え?」
その瞬間。
背後から、穏やかな声が響いた。
「……お二人とも?」
三人が振り返る。
扉のところに、マルタが立っていた。
にっこりと微笑んでいる。
「……寝る時間ですよ」
「「……あっ」」
リナとエリスが固まった。
マルタは静かに近づいてきた。
「枕を持って、どちらへ行かれるおつもりだったのですか?」
「……そ、その……」
「……えっと……」
二人は顔を見合わせた。
そして、同時に俺を指差した。
「……レオンが!」
「……レオンくんが……!」
「……ええっ!?」
俺は思わず叫んだ。
「……俺、何も言ってないよ!?」
マルタは微笑んだ。
「……そうですか」
その声が、妙に怖い。
「では、皆様。明日の訓練のためにも、今日はそれぞれのお部屋でお休みくださいね」
「……はーい……」
「……うん……」
二人はしょんぼりと肩を落とした。
そして、マルタに連れられて部屋を出ていった。
最後に、リナが振り返った。
「……おやすみ、レオン!」
エリスも小さく手を振った。
「……おやすみ……!」
俺は笑った。
「……おやすみ、二人とも」
扉が閉まる。
部屋に静けさが戻った。
俺は椅子に座り直した。
そして、机の上の三枚の設計図を見つめた。
「……アリア」
『はい』
「……何だか、毎日が賑やかになったね」
『はい。以前と比較して、屋敷内の会話量は明らかに増加しています』
「……そうだね」
俺は小さく笑った。
前世では、こんな毎日を想像したこともなかった。
でも。
今は、悪くないと思っている。
むしろ。
……すごく、楽しい。
俺はランプの火を少し弱めた。
そして、窓の外を見つめた。
夜空には、たくさんの星が輝いている。
遠くには、北方の山々が黒い影となって浮かんでいた。
あの山のどこかに、まだ知らない古代の魔導鉱石が眠っているかもしれない。
そして、兄上たちは王立学院へ向かう。
俺たちの未来は、少しずつ動き始めていた。
……だけど。
その未来が、前世で知っているゲームの物語と同じになるとは限らない。
いや。
もう、同じではないのかもしれない。
だって。
ゲームの中のレオンハルト・ヴァイスには。
《オメガ》も。
《アリア》も。
そして。
リナとエリスという、大切な仲間もいなかったのだから。
俺は静かに拳を握った。
……絶対に、守ってみせる。
この新しい未来を。
そして、いつか。
三機の魔導甲冑で、まだ見ぬ世界へ飛び立つんだ。
そんな夢を胸に抱きながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
――ただし、その前に。
明日の朝も、二人の少女による『レオン争奪戦』が始まることを。
このときの俺は、まだ知らなかった。
……いや。
何となく、予想はしていたけど。
それでも。
きっと、悪くない朝になるだろう。
この章を読んでいただき、本当にありがとうございます!
楽しんでいただけたなら幸いです。もしお時間があれば、コメント欄でご感想をお聞かせいただけると嬉しいです。また、もしこの物語が気に入っていただけたら、星評価をいただけると大変励みになります。
お時間とご支援、本当にありがとうございました!




