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乙女ゲームの退学予定モブ、改造魔法で最強の魔導機甲を造る!  作者: ジャクロの精霊


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第22話 狐少女と人魚少女の新生活! 壊れたオメガの改修と、少しずつ縮まる心の距離

人の心というものは、魔導機甲よりもずっと複雑なのかもしれない。


 壊れた魔力回路なら、原因を調べて修理すればいい。歪んだ金属なら、俺の固有能力《魔導構造解析・改変》を使って、元の形に近づけることができる。


 けれど、傷ついた心はそうはいかない。


 どこが壊れているのか、目で見ることはできないし、魔法で簡単に直せるものでもない。


 だからこそ、俺は焦らないことにした。


 リナとエリスがこの屋敷に来てから、数日が過ぎた。


 二人はまだ俺たちを完全には信用していない。


 それでも、少しずつ変化は起きていた。


 特にエリスは、以前よりも小さな声で挨拶を返してくれるようになった。


 一方のリナはというと……。


「おい、チビ貴族! 勝手に入ってくるなよ!」


 相変わらずだった。


 ……いや、俺も八歳だから、チビと言われても仕方がないんだけどさ。


     ◇


 朝食を終えた俺は、マルタに頼まれて二人の客室へ向かっていた。


 手には小さな籠を持っている。中身は母上が用意してくれた焼き菓子だ。


 蜂蜜を使った素朴な菓子で、ヴァイス家では昔からよく食べられている。


 我が家は貧乏男爵家なので、豪華な菓子を毎日用意できるわけではない。けれど、料理長が焼いてくれるこの菓子は、俺も大好きだった。


 扉の前に立ち、軽くノックする。


「リナ、エリス。入ってもいい?」


「駄目!」


 即答だった。


「……じゃあ、お菓子だけ置いていくね」


「……菓子?」


 扉の向こうで、何かが動く音がした。


 続いて、鍵のかかっていない扉が少しだけ開く。


 隙間から、琥珀色の瞳が覗いた。


「……何の菓子だ?」


「蜂蜜入りの焼き菓子。母上が二人にもって」


「……毒は?」


「入ってないよ」


「本当か?」


「俺も食べてるからね」


 俺が籠の中から一つ取って口に入れると、リナはしばらくこちらを睨んでいた。


 やがて、扉をもう少し開ける。


「……そこに置け」


「はいはい」


「はいは一回!」


「はい」


 ……何だろう。


 俺、いつの間にかリナに命令される立場になってないか?


 籠を差し出すと、部屋の奥から小さな声が聞こえた。


「……レオンハルトくん……」


 エリスだった。


 赤い髪を肩の後ろで結び、淡い水色のワンピースを着ている。マルタが選んだ服らしく、白い襟元には小さな花の刺繍が施されていた。


 彼女はリナの背後から、恐る恐る顔を覗かせた。


「……お、おはよう……」


 俺は思わず笑顔になった。


「おはよう、エリス。よく眠れた?」


「……う、うん……」


 彼女は小さく頷いた。


「……あのね……昨日より……よく眠れたの……」


「そっか。よかった」


 エリスの表情が少しだけ柔らかくなった。


 すると、リナが俺たちの間に割り込んできた。


「……もう用事は終わっただろ」


「うん。じゃあ、またね」


「……ふん」


 扉が閉まる。


 俺は苦笑しながら廊下を歩き始めた。


 そのとき、閉まった扉の向こうから声が聞こえた。


「……リナ、このお菓子、おいしい……」


「……分かってる。あたしも食べてるんだから」


「……また、ありがとうって……言いたいな……」


「……別に、あいつに言わなくてもいいだろ」


 少しの沈黙。


「……でも、まあ……菓子は悪くないな」


 俺は思わず笑ってしまった。


 リナ。


 扉、思ったより音が通るんだよ。


     ◇


 二人の世話は、主にマルタが担当していた。


 ただし、彼女一人ですべてをこなすのは難しいため、屋敷で働く二人の侍女も協力している。


 一人は、栗色の髪を後ろでまとめた若い侍女のアンナ。


 もう一人は、少し年上で裁縫が得意なベラだ。


 どちらも母上が信頼している使用人で、二人の事情については必要な範囲だけ伝えられていた。


 ある日の午後、俺が廊下を通りかかると、客室から楽しそうな声が聞こえてきた。


「エリス様、こちらのリボンはいかがですか?」


「……わぁ……」


「赤い髪によく似合うと思いますよ」


「……で、でも……こんな綺麗なもの……」


「遠慮なさらないでください。奥様が昔使っていたものを、少し直しただけですから」


 扉が開いていたので、俺はそっと中を覗いた。


 エリスは椅子に座り、アンナに髪を梳いてもらっていた。


 長い赤髪は丁寧に整えられ、後ろには小さな青いリボンが結ばれている。


 エリスは鏡を見つめ、信じられないという表情をしていた。


「……これ……私……?」


「もちろんです」


 アンナが微笑む。


「とてもお似合いですよ」


 エリスは頬を赤くした。


「……あ、ありがとう……」


 その隣では、ベラがリナの服の寸法を測ろうとしていた。


「では、リナ様。腕を少し上げていただけますか?」


「……何で?」


「新しい服を仕立てるためです」


「……今のでいい」


「ですが、尻尾の部分が少し窮屈でしょう?」


 リナの耳がぴくりと動いた。


 実際、彼女のスカートは普通の人間用に作られているため、尻尾を通す部分が少し狭かった。


「……別に、我慢できる」


「我慢する必要はありませんよ。少し布を足せば、ずっと楽になります」


「……本当に?」


「はい」


 リナはしばらく迷ったあと、渋々腕を上げた。


「……じゃあ、ちょっとだけな」


「ありがとうございます」


 ベラが寸法を測り始める。


 その途中で、彼女が尋ねた。


「尻尾に触れてもよろしいでしょうか?」


「駄目!」


「承知しました。では、触れずに測りますね」


 あまりにも自然な返事だったので、リナは逆に驚いたようだった。


「……え?」


「嫌なことはいたしませんよ」


 ベラは穏やかに微笑んだ。


 リナは何も言わなかった。


 ただ、その尻尾が少しだけ下がった。


 警戒が解けたのかもしれない。


 俺は邪魔をしないように、そっとその場を離れた。


 ……いいな。


 こういう時間が、もっと増えてくれればいい。


     ◇


 一方、そのころ。


 父上は執務室で、一通の書状を作成していた。


 机の上には、盗賊たちから押収した帳簿の写しと、魔導甲冑に関する報告書が並べられている。


 父上は何度も文章を読み直し、慎重に言葉を選んでいた。


「……これでよし」


 最後に署名を記し、蝋で封をする。


 その封筒には、ヴァイス家の紋章が刻まれていた。


「父上?」


 ちょうど部屋へ入ってきた俺は、その様子を見て首を傾げた。


「何を書いていたんですか?」


「陛下への報告書だ」


「……王様に?」


「ああ」


 俺は驚いた。


 王様。


 この世界のエルディア王国を治める人物だ。


 乙女ゲームの中でも、その存在は重要だった。


 王家は王立魔導騎士学院の運営にも深く関わっており、ゲームの攻略対象の一人である王子アドリアンも、その一族に属している。


 もっとも、俺が学院へ入学するのは、まだ何年も先の話だ。


 今はそんなことより、父上の報告書が気になった。


「……どうして、王様に?」


 父上は椅子に座り直した。


「今回の盗賊事件は、単なる地方の犯罪では済まない可能性がある」


「……魔導甲冑のことですか?」


「それもある。だが、それだけではない」


 父上は押収した帳簿の写しを指さした。


「珍しい種族の子供を捕らえ、どこかへ運ぼうとしていた。もし組織的な人身売買が行われているのなら、我が領地だけの問題ではない」


 俺は黙った。


 リナとエリス。


 二人のような子供が、ほかにも捕まっているかもしれない。


 そう考えると、胸が苦しくなった。


「……ほかにも、いるんでしょうか」


「分からん。だが、可能性がある以上、調べる必要がある」


 父上は真剣な表情で続けた。


「王国には、各地の犯罪組織を調査する権限と人員がある。我々だけでは追えない情報も集められるだろう」


「……なるほど」


「ただし、二人の名前や現在の居場所は、この書状には記していない」


 俺は顔を上げた。


「……どうしてですか?」


「情報が漏れる可能性を考えたからだ」


 父上は静かに答えた。


「陛下を疑っているわけではない。しかし、王都へ届くまでに書状がどれほど多くの人の手を経るか分からん。希少種族の少女がどこにいるか、むやみに広めるべきではない」


 俺は思わず感心した。


 さすが父上だ。


 ただ報告するだけじゃなく、二人の安全まで考えている。


「……それじゃ、王様には何を伝えるんですか?」


「武装した盗賊団の存在、特殊な魔導甲冑の使用、そして希少種族を対象とした誘拐の疑いだ。必要なら、信頼できる調査官を派遣していただくよう求める」


 父上は書状を持ち上げた。


「もちろん、すぐに返事が来るとは限らん。王都までは距離があるからな」


「……そうですよね」


「それまでは、我々ができることをする」


 父上は俺を見た。


「レオン。お前も二人を守りたいのだろう?」


「はい!」


「ならば、まず自分の体を大切にしなさい」


「……え?」


「先日の戦いで、どれほど無茶をしたか忘れたわけではあるまいな?」


 俺は思わず目を逸らした。


「……あはは」


「笑ってごまかすな」


 父上の声が少し厳しくなる。


「雷魔法を自分の体に流すなど、二度とするなよ」


「……はい」


 あのときの痛みは、今でも覚えている。


 筋肉が痺れ、指先が動かなくなった。


 もし、もう少し無理をしていたら。


 考えるだけで恐ろしい。


「……だからこそ、オメガを改良したいんです」


 俺は父上を見つめた。


「自分の体を傷つけずに、もっと安全に動かせるようにしたい」


 父上はしばらく俺を見つめた。


 そして、小さく頷いた。


「……よし。午後から工房へ来なさい」


「本当ですか!?」


「ああ。ただし、無理な魔力消費は禁止だ」


「はい!」


 俺は思わず拳を握った。


 ようやく、オメガの本格的な改修を始められる!


     ◇


 午後。


 ヴァイス家の工房には、金属を打つ音が響いていた。


 カンッ、カンッ。


 炉の中では赤い炎が燃え、作業台には工具や魔導部品が並べられている。


 そして、工房の中央。


 そこには、俺の愛機が立っていた。


 《オメガ》。


 青と銀の装甲を持つ、小型の魔導甲冑。


 全高は約百四十センチ。


 背中には四基の推進器を取り付けるための機構が備えられているが、まだ安定した飛行はできない。


 現在は試作零・一型。


 完成には程遠い。


 しかも、先日の盗賊との戦闘で右腕と肩関節が損傷し、内部の魔力回路にも異常が発生していた。


「……うわぁ」


 俺はオメガを見上げた。


 改めて見ると、傷だらけだ。


 青い装甲には擦り傷が走り、右肩の一部は取り外されている。


 父上が隣に立った。


「まずは、右腕の動作不良を直そう」


「はい!」


「原因は分かるか?」


 俺はオメガの右肩へ手を伸ばした。


 そして、目を閉じる。


「《魔導構造解析》」


 視界の奥に、青白い線が浮かび上がった。


 魔力回路。


 関節構造。


 金属の接合部分。


 普段は見えない内部構造が、少しずつ頭の中に描き出されていく。


 だが。


「……あれ?」


 俺は眉をひそめた。


 右肩の魔力回路に、小さな乱れがある。


 まるで、細い管の中で水が渦を巻いているようだった。


「……ここ、変だ」


『レオンハルト様。魔力流路に局所的な抵抗が発生しています』


 アリアの声が響いた。


「……やっぱり」


 父上が覗き込んだ。


「何か見つけたのか?」


「はい。回路の一部が歪んでいます。魔力がうまく流れていないみたいです」


「ふむ……」


 父上は工具を手に取った。


「ならば、まず外側の固定具を外そう」


「はい!」


 俺たちは協力して装甲を取り外した。


 内部から現れたのは、細い魔導線と複雑な歯車機構だった。


 その一部が、熱によってわずかに変形している。


「……これか」


 父上が呟いた。


「雷魔法を無理に流した影響だろうな」


 俺は苦笑した。


「……すみません」


「反省しているなら、それでいい。次に同じことをしなければな」


 父上は新しい金属片を作業台に置いた。


「この部品を使って補強しよう」


「はい!」


 俺は金属片に手をかざした。


「《魔導構造解析・改変》」


 青白い光が、指先から広がる。


 金属の内部構造が見える。


 結晶の並び。


 細かな歪み。


 魔力が通るための溝。


 俺は慎重に魔力を流し、既存の金属を少しずつ変形させた。


 無理に一度で完成させようとはしない。


 ほんの少し。


 また少し。


 父上が設計図と照らし合わせながら、形を確認してくれる。


「……よし。その程度で止めなさい」


「はい」


 俺は魔法を解除した。


 額には、うっすらと汗が浮かんでいる。


 以前なら、もっと大量の魔力を使っていたはずだ。


 でも、今回は違う。


 必要な部分だけを変えた。


『魔力消費量は、前回の同程度の加工より減少しています』


 アリアが告げた。


「……本当!?」


『はい。ただし、比較できる記録は限られています』


 俺は思わず笑顔になった。


 少しずつだけど、成長している。


 魔法の威力を上げるだけが、強くなる方法じゃない。


 正確に使えるようになることも、大切なんだ。


     ◇


 しばらく作業を続けたあと、俺たちは右肩の補強部品を取り付けた。


 父上が固定具を締める。


「……これでよし」


「動かしてみてもいいですか?」


「低出力ならな。お前は外から操作しなさい」


「はい!」


 俺はオメガの外部操作盤に手を置いた。


 魔力を少しだけ流す。


 青い回路が、淡く光り始めた。


 ウィィン……。


 オメガの右腕が、ゆっくりと持ち上がる。


「……おお!」


 俺は目を輝かせた。


 動いた!


 以前よりも、ずっと滑らかだ!


「父上! 見てください!」


「ああ。悪くないぞ」


 父上も満足そうに頷いた。


 俺はさらに腕を動かそうとした。


 そのとき。


 ガコンッ!


「……え?」


 突然、右腕が止まった。


 続いて、肩の内部から妙な音が響く。


 ギギギ……。


「……あれ?」


 父上が眉をひそめた。


「……レオン。魔力を止めなさい」


「は、はい!」


 俺は慌てて操作盤から手を離した。


 オメガの右腕が、途中で止まったままになる。


 父上は腕を組んだ。


「……まだ負荷が大きいな」


「……うぅ」


 せっかく動いたのに。


 俺はがっくりと肩を落とした。


 そのときだった。


「……ぷっ」


 小さな笑い声が聞こえた。


「……え?」


 振り返ると、工房の入口に三人の姿があった。


 マルタ。


 エリス。


 そして、リナ。


 リナは口元を押さえていた。


「……ぷっ、あははは!」


 突然、笑い始めた。


「な、何だよ、あれ! 途中で止まってるじゃん!」


 俺は顔を赤くした。


「……リナ!?」


「すごい機械だと思ったら、腕が上がったまま動かなくなってる!」


「ま、まだ修理中なんだよ!」


「……あはは! 変なの!」


 リナはお腹を抱えて笑っていた。


 俺は思わずむっとした。


 けれど。


 その笑顔を見て、少しだけ驚いた。


 リナが、こんなふうに笑うところを初めて見た。


 いつも怒っているか、警戒しているか、エリスを守ろうとしているか。


 そんな彼女が、今は年相応の女の子みたいに笑っている。


 ……いや、実際に年相応の女の子なんだけど。


 俺は思わず苦笑した。


「……そんなに面白い?」


「面白いに決まってるだろ!」


 リナは笑いながら答えた。


「お前、すっごい得意そうな顔してたのに!」


「……うぐっ」


 反論できない。


 確かに、かなり得意げだった。


 その隣で、エリスが小さく笑った。


「……ふふ……」


 俺は顔を上げた。


 エリスは慌てて口元を押さえた。


「……あっ……ご、ごめんなさい……」


「いいよ。笑ってくれて嬉しいくらいだ」


「……え……?」


「だって、二人とも楽しそうだから」


 エリスは少し驚いたようだった。


 そして、頬を赤くした。


「……う、うん……」


 マルタが優しく微笑んだ。


「お二人が工房を見てみたいとおっしゃったので、お連れしました」


「そっか。もちろん大歓迎だよ」


 俺は二人を見た。


「ただし、工具や魔導石には勝手に触らないでね。危ないから」


「……分かってるよ」


 リナが鼻を鳴らした。


 エリスは小さく頷いた。


「……うん……」


     ◇


「……それで、これがオメガ?」


 リナが青と銀の機体を見上げた。


「そうだよ。俺が造ってる魔導甲冑なんだ」


「……お前が?」


「うん。父上にも手伝ってもらってるけどね」


 リナは信じられないという表情をした。


「……八歳なのに?」


「八歳だからって、何もできないわけじゃないよ」


「……ふうん」


 彼女は腕を組んだ。


 けれど、その視線はオメガから離れなかった。


 特に背中の四基の推進器に興味があるらしい。


「……なあ。背中についてる筒みたいなの、何?」


「推進器だよ」


「……すいしんき?」


「魔力を使って、機体を前へ押し出す装置なんだ」


「……飛べるの?」


 その質問に、俺は少し困った。


「……今はまだ無理かな」


「……何だよ」


「でも、いつか飛べるようにするつもりだよ」


 リナは眉を上げた。


「……本当に?」


「うん」


「……空を?」


「そう」


 リナはしばらく黙った。


 そして、小さく呟いた。


「……変な夢」


「そうかな?」


「……普通、空なんか飛ぼうと思わないだろ」


「でも、飛べたらすごいと思わない?」


 リナは答えなかった。


 ただ、工房の天井を見上げた。


 その狐耳が、少しだけ動いた。


「……まあ」


 小さな声。


「……ちょっとは、すごいかもな」


 俺は笑った。


「でしょ?」


「……調子に乗るな!」


 また怒られた。


 ……本当に難しいな、この子。


 そのとき。


「……あ、あの……」


 エリスが小さく手を上げた。


「ん? どうしたの?」


 彼女はオメガの右肩を指さした。


「……そこ……」


「……そこ?」


「……青い光が……変……」


 俺は首を傾げた。


「……変?」


 エリスは不安そうに頷いた。


「……うまく言えないけど……」


 彼女は両手を胸の前で握った。


「……お水が……狭いところを通って……苦しそうに流れてるみたい……」


 俺は目を見開いた。


 水が、苦しそうに流れている?


 その言葉を聞いた瞬間、あることを思い出した。


 さっき、俺が《魔導構造解析》で見た魔力回路。


 あの小さな渦。


 まさか。


「……エリス。ちょっと待ってて」


 俺はオメガの右肩に手を伸ばした。


「《魔導構造解析》」


 青白い光が視界に広がる。


 魔力回路の内部構造が浮かび上がった。


 そして。


「……あっ!」


 俺は思わず声を上げた。


 右肩の奥。


 さっき修理した部分とは別の場所に、細い流路の歪みがあった。


 魔力がそこを通るたびに、小さな渦が発生している。


 その影響で、関節への供給が不安定になっていたのだ。


「……これか!」


『レオンハルト様。新たな流路異常を確認しました』


 アリアが告げた。


 俺は驚いた。


 エリスは、これを感じ取っていたのか?


 彼女は魔導工学なんて知らないはずだ。


 それなのに、魔力の流れを水に例えて、異常を見つけた。


 ……やっぱり、人魚族の感覚は普通じゃない。


「……エリス!」


 俺が振り返ると、彼女はびくりと肩を震わせた。


「……は、はい……!」


「すごいよ!」


「……え……?」


「君のおかげで、原因が分かった!」


 エリスは目を丸くした。


「……わ、私……?」


「うん!」


 俺は笑顔で頷いた。


「ありがとう!」


 エリスはしばらく呆然としていた。


 そして、頬を真っ赤にした。


「……あ……う……」


 言葉が出てこないらしい。


 リナが俺を睨んだ。


「……おい。エリスを困らせるなよ」


「えっ!? 褒めただけだよ!」


「……声が大きい!」


「……ごめん」


 俺は慌てて声を落とした。


 すると、エリスが小さく笑った。


「……ふふ……」


 そして、恥ずかしそうに呟いた。


「……役に立てて……よかった……」


 その言葉に、俺は少し胸が温かくなった。


 エリスは今まで、自分の能力を隠さなければならなかった。


 珍しい種族だから。


 人魚だから。


 そんな理由で、怖い思いをしてきた。


 でも、ここでは違う。


 彼女の力を、誰かが奪うためのものにはしたくない。


 自分で使いたいと思ったときに、自由に使えるようになってほしい。


「……エリス」


「……な、何……?」


「また何か気づいたら、教えてくれる?」


 彼女は少し驚いた。


 そして、ゆっくりと頷いた。


「……う、うん……」


 俺は笑った。


「ありがとう」


 そのとき、父上が口を開いた。


「レオン。エリスの感覚は確かに興味深いが、あまり頼りすぎるなよ」


「……はい?」


「彼女はまだ子供だ。ここへ来たばかりでもある。手伝うことを義務にしてはいけない」


 俺ははっとした。


 そうだ。


 エリスは、俺の研究のためにここへ来たわけじゃない。


 俺はすぐに頷いた。


「……分かりました」


 そして、エリスを見た。


「無理しなくていいからね。見てるだけでも大丈夫だよ」


 エリスは小さく微笑んだ。


「……うん……」


 リナはそんな俺たちを、黙って見つめていた。


     ◇


 その後、俺は父上と一緒に、オメガの右肩をもう一度分解した。


 エリスが指摘した流路の歪みは、想像以上に厄介だった。


 金属の内部に細かな亀裂があり、魔力が通るたびにわずかな振動が発生していたのだ。


「……これを直さないと、また同じことになりますね」


「ああ。しかも、負荷を上げれば亀裂が広がる可能性がある」


 父上は真剣な表情で頷いた。


「どうする?」


 俺は少し考えた。


 単純に金属を厚くすれば、重量が増える。


 重量が増えれば、オメガの動きが鈍くなる。


 それでは意味がない。


 ……ならば。


「……流路そのものを変えてみます」


 父上が眉を上げた。


「ほう?」


「魔力が急に曲がるから、負荷が集中するんです。もっと緩やかに流れるようにすれば……」


 俺は設計図に新しい線を描いた。


 父上はそれを見つめた。


「……なるほど。だが、加工できるか?」


「やってみます」


 俺は金属部品に手をかざした。


「《魔導構造解析・改変》」


 青白い光が広がる。


 俺は内部構造を確認しながら、少しずつ金属を変形させた。


 無理に一度で完成させない。


 魔力の流れを意識する。


 細い川を、少しずつ広げるように。


 角を丸くする。


 歪みを減らす。


 そして、亀裂のある部分は、父上が用意した補強材で支える。


 数分後。


「……ふぅ」


 俺は魔法を解除した。


 少し疲れたが、まだ余裕はある。


『魔力消費量は許容範囲内です』


 アリアが告げた。


 父上が部品を確認する。


「……よし。試してみよう」


 俺たちは部品を取り付け直した。


 そして、外部操作盤から低出力の魔力を流す。


 ウィィン……。


 オメガの右腕が、ゆっくりと持ち上がった。


 俺は息を止めた。


 さっきと同じ位置。


 そこで止まるかと思ったが。


 ウィン……。


 腕は、さらに動いた。


「……おお!」


 俺は思わず声を上げた。


 右腕が、滑らかに曲がる。


 そして、ゆっくりと元の位置へ戻った。


「……動いた!」


 父上も笑顔になった。


「よし! 成功だ!」


 俺は思わず拳を握った。


「やったぁ!」


 その瞬間。


「……おお……」


 背後から、小さな声が聞こえた。


 振り返ると、エリスが目を輝かせていた。


「……すごい……」


 彼女はオメガを見つめていた。


「……本当に……動いた……」


 俺は笑った。


「エリスのおかげだよ」


 彼女は恥ずかしそうに俯いた。


「……えへへ……」


 その隣で、リナが腕を組んだ。


「……ふん」


 そして、小さく呟いた。


「……まあ、さっきよりはマシだな」


 俺は笑ってしまった。


「それ、褒めてる?」


「褒めてない!」


 ……やっぱり、リナはリナだ。


     ◇


 夕方。


 工房の片付けを終えたころには、窓の外が橙色に染まっていた。


 俺は作業台の上に設計図を広げ、今日の成果を書き込んでいた。


 右肩の魔力流路を改良。


 低出力での動作試験成功。


 ただし、高負荷試験は未実施。


 次は、関節の衝撃を吸収する機構を考えなければならない。


 戦闘中の急激な動作に耐えるには、まだ足りない。


 それに、背中の四基の推進器も未完成のままだ。


 ……やることが多すぎる。


 でも、楽しい。


 俺が設計図を見つめていると、背後から小さな声が聞こえた。


「……レオンハルトくん……」


 振り返ると、エリスが立っていた。


 マルタは少し離れた場所で待っている。


「……エリス?」


 彼女は両手を胸の前で握っていた。


「……あ、あの……」


「うん?」


「……また……来てもいい……?」


 俺は目を丸くした。


「……工房に?」


 エリスは小さく頷いた。


「……うん……」


 そして、少し恥ずかしそうに続けた。


「……オメガ……もっと見たい……」


 俺は思わず笑顔になった。


「もちろん!」


 エリスの顔が明るくなった。


「……ほ、本当……?」


「うん。ただし、マルタと一緒に来てね。工房には危ないものもあるから」


「……うん!」


 彼女は嬉しそうに頷いた。


 その笑顔を見て、俺も嬉しくなった。


 すると。


「……おい」


 リナが横から声をかけてきた。


「……何?」


「……あたしも、来ていいのか?」


 俺は少し驚いた。


「……リナも?」


「……べ、別に興味があるわけじゃない!」


 彼女は慌てて顔を背けた。


「エリスが来るなら、あたしもついていかないといけないだろ!」


「……なるほど」


「……何だよ、その顔!」


「いや、何でもない」


 俺は笑いながら答えた。


「もちろん、リナも歓迎するよ」


 彼女は少しだけ目を見開いた。


 そして、そっぽを向いた。


「……ふん」


 尻尾が、ゆっくりと左右に揺れている。


 俺はその様子を見て、少しだけ安心した。


 昨日まで、リナは俺の顔を見るだけで怒っていた。


 でも、今日は自分から話しかけてくれた。


 ほんの小さな変化。


 それでも、俺には嬉しかった。


     ◇


 マルタが夕食の準備を知らせに来たとき、リナはまだオメガを見つめていた。


 青と銀の装甲。


 修理された右腕。


 背中に並ぶ四基の推進器。


 そして、作業台に広げられた設計図。


「……なあ」


 リナが突然口を開いた。


「……何?」


「……それ、完成したらどうなるんだ?」


 俺は首を傾げた。


「オメガ?」


「……そう」


 彼女は腕を組んだ。


「……強くなるのか?」


 俺は少し考えた。


「……うん。今よりは、ずっと強くなると思う」


「……ふうん」


「でも、ただ強くするだけじゃないよ」


 リナが俺を見た。


「……どういう意味?」


 俺はオメガを見上げた。


 まだ未完成の機体。


 傷だらけの装甲。


 それでも、俺にとっては大切な夢だった。


「……誰かを守れる機体にしたいんだ」


 リナは黙った。


「自分だけじゃなくて、家族や、領地のみんなも」


 俺は少し笑った。


「……もちろん、リナとエリスもね」


 リナの耳がぴくりと動いた。


「……っ」


 彼女は何かを言おうとした。


 けれど、すぐに口を閉じた。


 しばらくして、小さく呟いた。


「……そんなの、簡単に言うなよ」


 俺は彼女を見た。


「……え?」


「……守るって、簡単なことじゃないだろ」


 その声は、いつもより静かだった。


 俺は少し考えた。


 そして、頷いた。


「……うん。分かってる」


 リナは俺を睨んだ。


「……本当に?」


「うん。だから、もっと強くなりたいんだ」


 俺はオメガを見上げた。


「まだ完成してないし、失敗もたくさんすると思う。でも、諦めたくない」


 リナは何も言わなかった。


 ただ、しばらくオメガを見つめていた。


 そして。


「……じゃあ」


 小さな声で呟いた。


「……ちゃんと完成させろよ」


 俺は目を見開いた。


「……え?」


 リナは顔を赤くした。


「……何でもない!」


 そして、エリスの手を握った。


「ほら、行くぞ!」


「……う、うん……」


 二人はマルタと一緒に工房を出ていった。


 俺はその背中を見送った。


 そして、思わず笑ってしまった。


「……アリア」


『はい』


「……少しは、仲良くなれたかな」


 少しの沈黙。


 そして、アリアが答えた。


『少なくとも、リナ様の警戒心には変化が見られます』


「……そっか」


『ただし、信頼関係が十分に形成されたと判断するには、まだ時間が必要です』


「……うん。分かってる」


 俺は小さく頷いた。


 焦らなくていい。


 少しずつでいいんだ。


 オメガの修理も。


 魔法の訓練も。


 二人との関係も。


 全部、一歩ずつ進めていけばいい。


     ◇


 その夜。


 父上は執務室で、封をした書状を一人の騎士に手渡していた。


「王都まで、慎重に運んでくれ」


「はっ!」


 騎士は深く頭を下げた。


「途中で不審な者に接触された場合は、無理に進まず、安全な場所から報告せよ」


「承知しました!」


 騎士は書状を受け取り、部屋を出ていった。


 父上は窓の外を見つめた。


 夜空には、無数の星が輝いている。


「……どうか、これ以上の犠牲者が出ないことを願う」


 小さく呟いた。


 しかし、その表情は険しかった。


 盗賊たちが使用していた黒い魔導甲冑。


 不可解な魔導部品。


 そして、希少種族の少女たち。


 それらが偶然同じ場所に集まったとは、どうしても思えなかった。


 父上は机の上に残された一枚の報告書を見つめた。


 そこには、黒い装甲片に刻まれていた紋様の写しが描かれている。


 《エクリプス計画》。


 意味は、まだ分からない。


 だが、父上はその紋様を見つめながら、静かに眉をひそめた。


「……レオンたちの平穏を、何としても守らねばな」


     ◇


 一方、屋敷の奥にある客室では、リナとエリスが並んで座っていた。


 ベラが仕立て直した新しい寝間着を着て、温かな毛布に包まっている。


 リナの寝間着には、尻尾を通すためのゆったりとした穴が設けられていた。


 そのおかげか、彼女は以前よりもずっと楽そうだった。


「……ねえ、リナ」


 エリスが小さく呼びかけた。


「……何?」


「……今日、楽しかったね……」


 リナは少し黙った。


「……まあ、悪くはなかったな」


 エリスは微笑んだ。


「……オメガ……すごかった……」


「……途中で止まったけどな」


「……ふふ……」


 二人は小さく笑った。


 しばらくして、エリスが呟いた。


「……レオンハルトくん……優しいね……」


 リナは顔を背けた。


「……まだ分かんないだろ」


「……うん……」


「……人間は、最初だけ優しいこともあるんだから」


 エリスは黙った。


 そして、少し考えたあと、静かに言った。


「……でも……私……もう少し……信じてみたい……」


 リナは驚いたように彼女を見た。


「……エリス?」


 エリスは毛布を握りしめた。


「……今日……私が言ったこと……ちゃんと聞いてくれた……」


 その声は、少しだけ嬉しそうだった。


「……それに……ありがとうって……言ってくれた……」


 リナは何も言わなかった。


 しばらくして、窓の外を見つめた。


「……変な奴だよな」


「……うん……」


「……八歳のくせに、魔導甲冑なんか造って……」


「……うん……」


「……しかも、あたしたちを守るとか言って……」


 リナは尻尾を抱きしめた。


 そして、小さく呟いた。


「……本当に、守れるのかな……」


 エリスは少し考えた。


 そして、優しく微笑んだ。


「……分からない……」


「……だろ?」


「……でも……」


 エリスは窓の外を見た。


 工房の方角には、まだ小さな灯りが見えていた。


「……あの子なら……頑張ってくれそう……」


 リナは何も言わなかった。


 ただ、その琥珀色の瞳には、昨日までとは少し違う光が宿っていた。


 疑いが消えたわけではない。


 恐怖がなくなったわけでもない。


 それでも。


 あの青と銀の魔導甲冑を見たとき。


 そして、それを必死に修理していた少年の姿を見たとき。


 リナの心には、小さな疑問が生まれていた。


 ――もしかしたら、あいつは本当に約束を守るつもりなのかもしれない。


 そんな考えを振り払うように、彼女は毛布を頭まで被った。


「……もう寝る!」


「……うん。おやすみ、リナ……」


「……おやすみ」


 部屋の灯りが消える。


 静かな夜が訪れた。


 そして、工房では。


 俺がまだ、オメガの設計図を見つめていた。


「……よし。次は衝撃吸収機構だな」


『レオンハルト様。そろそろ就寝時刻です』


「……あと五分だけ」


『その発言は、本日三回目です』


「……えっ?」


 俺は思わず時計を見た。


 ……うわ。


 もうこんな時間か。


「……分かった。今日はここまでにするよ」


『賢明な判断です』


 俺は苦笑しながら設計図を片付けた。


 そして、工房の中央に立つオメガを見上げた。


 まだ未完成。


 まだ弱い。


 それでも。


 今日、確かに一歩前へ進んだ。


 魔法も。


 オメガも。


 そして、リナとエリスとの関係も。


 俺は小さく笑った。


「……明日も頑張ろうな、オメガ」


 青と銀の装甲が、ランプの光を静かに反射していた。


 もちろん、返事はない。


 けれど。


 いつか、この機体で大空を飛ぶ日が来る。


 そのとき、リナとエリスにも見せてあげたい。


 誰にも追われず、怯えずに済む世界が、きっとあるのだと。


 そう思いながら、俺は工房の灯りを消した。


 王都へ向かう一通の書状が、これから何をもたらすのか。


 そして、盗賊たちの背後に何が潜んでいるのか。


 まだ、俺は知らない。


 ただ今は、この穏やかな日々を大切にしたかった。


 俺たちの物語は、まだ始まったばかりなのだから。

この章を読んでいただき、本当にありがとうございます!


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