第21話 赤髪の少女の正体は人魚だった!? 隠された秘密と、二人の保護者になる俺の決意
この世界には、人間以外にもさまざまな種族が存在している。
エルフ、ドワーフ、獣人、竜人。
そして、海の底に暮らすといわれる人魚族。
前世で遊んでいた乙女ゲーム『ターボナイト ~エターナル・ハーツ~』では、種族ごとに独自の文化や魔法が設定されていた。
特に人魚族は、ゲーム本編でもほとんど姿を見せない謎の種族だった。
彼らについては、いくつもの伝説が存在する。
美しい歌声で海を鎮める。
水の魔力を自在に操る。
そして、陸上では人間の脚を持ち、水中では魚の尾へと姿を変える。
もっとも、最後の話については、ゲーム内の書物でも「真偽不明」とされていた。
俺自身、ただの昔話だと思っていた。
少なくとも、今日までは。
◇
リナとエリスを屋敷の奥にある客室へ移した翌朝。
俺は父上の執務室に呼ばれていた。
重厚な机の上には、盗賊たちから押収した帳簿と、いくつかの報告書が並べられている。
「レオン。昨夜は眠れたか?」
「はい。父上こそ、ちゃんと休んでくださいね」
「ははは。八歳の息子に心配されるとはな」
父上は苦笑しながら椅子に腰掛けた。
けれど、その表情はすぐに真剣なものへと変わった。
「昨日、北門に現れた不審者についてだが、まだ身元は分かっていない」
「……そうですか」
「ただ、あの男は盗賊たちが使用していた荷車の特徴を知っていたらしい」
俺は眉をひそめた。
やっぱり、偶然じゃないのかもしれない。
「二人を探していた可能性は?」
「否定できん。だが、断定もできない」
父上は報告書を閉じた。
「当面、リナとエリスには屋敷の中で過ごしてもらうつもりだ。もちろん、閉じ込めるつもりはないがな」
「……はい」
昨日のことを思い出す。
リナは最後まで俺を睨んでいた。
大嫌いだ、とも言われた。
正直、少し傷ついた。
でも、仕方がないと思っている。
彼女たちは、俺たちを信用する理由なんて持っていないのだから。
「父上」
「何だ?」
「……俺、二人に謝りたいんです」
父上は少し驚いたように目を開いた。
「昨日のことか?」
「はい。守るためだったとしても、嫌がる二人を無理に移動させましたから」
父上はしばらく俺を見つめていた。
やがて、静かに頷いた。
「そうだな。必要な判断だったとしても、あの子たちの恐怖まで消えるわけではない」
「……はい」
「ただし、謝ったからといって、すぐに許してもらえるとは思うなよ」
「分かっています」
俺が答えると、父上は優しく微笑んだ。
「ならば、行っておいで」
◇
客室へ向かう途中、俺はマルタと出会った。
彼女は白いエプロンを身につけ、清潔な衣服とタオルを抱えていた。
「おはようございます、レオンハルト様」
「おはよう、マルタ。それ、二人の?」
「はい。今日はお二人にお風呂へ入っていただこうと思いまして」
「……お風呂?」
「ええ。昨日はお疲れのようでしたので、体を拭く程度にしていただきました。ですが、長い間まともに入浴できなかったご様子ですから」
なるほど。
盗賊たちに捕まっていた間、二人はまともに体を洗うこともできなかったのだろう。
「リナは嫌がりそうだね」
「ふふ。すでに一度、断られてしまいました」
「……やっぱり」
「ですが、温かいお湯は気持ちがよいものです。無理強いせず、お話ししてみます」
マルタは微笑んだ。
俺はその顔を見て、少し安心した。
マルタなら、きっと大丈夫だ。
「じゃあ、俺は後で二人に会いに行くよ」
「はい。それがよろしいかと」
そう言って、俺たちは廊下で別れた。
このときの俺は、まだ知らなかった。
その入浴が、エリスの秘密を明らかにすることになるなんて。
◇
「お風呂?」
客室の中で、リナは眉をひそめた。
赤茶色の髪から伸びた狐の耳が、警戒するように立っている。
昨日渡された白いブラウスと茶色のスカートは、彼女の小柄な体によく似合っていた。
ただし、尻尾だけは落ち着かない様子で左右に揺れている。
「そうです。温かいお湯をご用意しました」
マルタは衣服を机の上に置いた。
「お二人とも、長旅でお疲れでしょう。ゆっくり温まっていただければと思いまして」
「……別に、汚れてないし」
リナは顔を背けた。
そのとき、隣にいたエリスが小さく袖を引っ張った。
「……リ、リナ……」
「何?」
「……わ、私……」
エリスは俯いていた。
肩まで伸びた赤い髪が、顔の横に垂れている。
その緑色の瞳には、不安が浮かんでいた。
「……お風呂……入らなくても……いい……?」
マルタは少し驚いた。
「もちろん、無理に入っていただく必要はありませんよ」
「……ほ、本当……?」
「はい」
エリスはほっとしたように息を吐いた。
けれど、リナが彼女を見た。
「……エリス」
「……な、何……?」
「お前、ずっと体を洗えてなかっただろ」
「……う、うん……」
「……あたしと一緒なら、大丈夫か?」
エリスは答えなかった。
ただ、両手でスカートの裾を握りしめていた。
リナはその様子を見て、何かを察したように口を閉じた。
「……分かった。無理しなくていい」
マルタは二人のやり取りを静かに見守っていた。
だが、エリスの髪に絡まった汚れや、袖口から覗く細かな傷が気になっていた。
「エリスさん。もしお湯が苦手でしたら、濡らしたタオルでお体を拭くだけでも構いません」
「……え?」
「お好きな方法を選んでくださいね」
エリスは少し考えた。
そして、小さく頷いた。
「……そ、それなら……」
リナが彼女の手を握った。
「大丈夫。あたしも一緒にいるから」
「……うん……」
◇
ヴァイス家の浴室は、それほど豪華なものではない。
石造りの床に、大きな木製の浴槽。
壁には湯を温めるための魔導石が取り付けられている。
貧乏男爵家とはいえ、最低限の魔導設備は整っていた。
もっとも、その魔導石も古く、最近は温度が安定しなくなっているらしい。
いずれ俺が修理することになりそうだ。
そんな浴室へ、マルタは二人を案内した。
「こちらでございます」
リナは周囲を見回した。
「……ふうん」
浴槽からは白い湯気が立ち上っている。
温かな空気に包まれ、リナの狐耳が少しだけ緩んだ。
「……悪くないな」
小さな呟きだった。
マルタは微笑んだ。
「ありがとうございます」
「べ、別に褒めてない!」
リナは慌てて顔を背けた。
その一方で。
エリスは浴槽を見た瞬間、動きを止めていた。
「……っ」
顔色が、みるみる青くなる。
緑色の瞳が大きく開かれ、唇が震え始めた。
「……エリス?」
リナが声をかけた。
だが、エリスは返事をしなかった。
一歩。
また一歩。
浴槽から離れるように後ずさる。
「……い、嫌……」
か細い声だった。
「……お水……駄目……」
マルタはすぐに近づくのをやめた。
「エリスさん。大丈夫ですよ。お風呂に入らなくても構いません」
「……ほ、本当……?」
「もちろんです」
エリスは震えながら頷いた。
けれど、そのとき。
リナが浴槽の縁に置かれていた木桶へ手を伸ばした。
「じゃあ、あたしが先に――」
その拍子に、桶が傾いた。
「あっ!」
ぱしゃんっ。
温かい湯が床へこぼれた。
飛び散った水滴が、エリスの足元にかかった。
その瞬間だった。
「……いやぁっ!」
エリスが悲鳴を上げた。
床に落ちた水が、淡い青色に輝いた。
「……え?」
リナが目を見開いた。
エリスの体を、青白い魔力の光が包み込む。
彼女は慌てて壁に手をついた。
「……や、やだ……止まって……!」
光は消えなかった。
むしろ、強くなっていく。
エリスの足元から、細かな光の粒が舞い上がった。
そして。
彼女の姿が、変わり始めた。
◇
「……エリス!?」
リナが叫んだ。
エリスは床に座り込んでいた。
その下半身を包んでいた青い光が、ゆっくりと消えていく。
そして、そこに現れたのは。
人間の脚ではなかった。
赤みを帯びた真珠色の鱗に覆われた、一本の長い魚の尾。
鱗の表面には、淡い青と金色の光が流れている。
尾の先には、薄い布のように広がる美しい尾びれがあった。
浴室の灯りを受けるたびに、その尾びれは虹色に輝いた。
まるで、海の中に差し込む陽光を閉じ込めたようだった。
「……な……」
リナは言葉を失った。
マルタも驚きに目を見開いていた。
しかし、エリスは自分の尾を見た瞬間、顔を両手で覆った。
「……いや……」
ぽろり。
涙が頬を伝った。
「……見ないで……」
その声は震えていた。
「……お、お願い……見ないで……!」
マルタはすぐに動いた。
棚から大きなタオルを取り、エリスの体を優しく包む。
「大丈夫ですよ、エリスさん」
「……ご、ごめんなさい……!」
「謝らなくていいんです」
「……わ、私……隠してたの……」
エリスは泣きながら言った。
「……人間じゃ……ないの……」
マルタは静かに首を振った。
「それで、何か問題があるのでしょうか?」
エリスは目を見開いた。
「……え……?」
「あなたがどの種族であっても、私たちの対応は変わりません」
「……でも……」
「今は寒くないようにしましょうね」
マルタはもう一枚の乾いたタオルを持ってきた。
リナはエリスの隣に膝をついた。
「……エリス」
「……リナ……」
「……大丈夫。あたしがいる」
リナはエリスの手を握った。
けれど、その手も小さく震えていた。
リナ自身、エリスがこんな姿になるところを初めて見たのかもしれない。
そのとき。
エリスの尾が、ぴくりと動いた。
床にこぼれた水が、まるで引き寄せられるように彼女の周囲へ集まり始める。
「……っ!?」
マルタが驚いた。
水滴が空中へ浮かび、小さな球体を形作った。
その中心には、淡い青色の光が揺れている。
だが、エリスがさらに泣き始めると、水球は形を失って床へ落ちた。
ぱしゃっ。
静寂が戻った。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
エリスは何度も謝り続けた。
マルタは彼女の肩にタオルをかけ直した。
「大丈夫です。何も壊れていませんし、誰も怒っていませんよ」
けれど、エリスの涙は止まらなかった。
◇
そのころ、俺は廊下で古い魔導書を読んでいた。
父上から借りた、水属性魔法に関する本だ。
オメガの冷却機構を改良するため、少しでも知識を増やそうと思っていた。
「……水の流れを一定に保つには、魔力の供給量を――」
そこまで読んだとき。
『レオンハルト様』
アリアの声が響いた。
「ん?」
『近距離で、通常とは異なる水属性魔力の変動を検出しました』
「……水属性?」
『はい。発生源は浴室付近と思われます』
俺は顔を上げた。
浴室。
そこには、マルタと二人がいるはずだ。
「……何かあったのかな」
そのとき、浴室の方からマルタの声が聞こえた。
「誰か、乾いた毛布を持ってきてください!」
俺は本を閉じた。
「……マルタ?」
急いで浴室の前まで向かう。
扉の外には、慌てた様子の使用人が立っていた。
「レオンハルト様!」
「何があったの?」
「エリス様が、突然……!」
使用人は言葉に詰まった。
俺は眉をひそめた。
「……怪我をしたの?」
「い、いえ。ただ、お体が……」
そのとき、扉の向こうからマルタの声がした。
「レオンハルト様ですか?」
「うん! 何かあった?」
「エリスさんが少し取り乱しておられます。申し訳ありませんが、毛布をお持ちいただけますか?」
「分かった!」
俺は近くの棚から毛布を取り、扉の前へ戻った。
マルタが少しだけ扉を開け、毛布を受け取る。
「ありがとうございま――」
そのとき。
「……レオンハルト……?」
中から、エリスの小さな声が聞こえた。
俺は動きを止めた。
「……エリス?」
「……い、嫌……」
彼女の声が震えた。
「……見られたら……」
マルタはすぐに扉を閉めようとした。
俺も慌てて顔を背ける。
「ご、ごめん! 入らないから!」
すると、エリスが泣きながら呟いた。
「……でも……」
小さな沈黙。
「……レオンハルトくんに……聞いてほしい……」
俺は驚いた。
「……俺に?」
マルタは少し考えたあと、エリスに確認した。
「本当に、よろしいのですか?」
「……う、うん……」
マルタは彼女の体を毛布とタオルで十分に覆い、浴室の隣にある小さな休憩室へ移した。
そこで、俺を呼んだ。
「レオンハルト様。こちらへ」
俺は慎重に扉を開けた。
そして。
「……え?」
目の前の光景に、言葉を失った。
◇
エリスは長椅子に座っていた。
肩には大きな毛布がかけられ、体は清潔なタオルで包まれている。
その下から、一本の長い尾が伸びていた。
赤みを帯びた真珠色の鱗。
透き通るような尾びれ。
窓から差し込む光を受けて、宝石のように輝いている。
俺は思わず息を呑んだ。
……まさか。
いや、そんなはずは。
でも、この姿は。
「……人魚……?」
小さく呟いた瞬間、エリスの肩がびくりと震えた。
「……っ!」
彼女は毛布を強く握りしめた。
「……や、やっぱり……分かるんだ……」
俺は慌てて口を閉じた。
しまった。
驚いて、つい言ってしまった。
リナが俺を睨んだ。
「……おい」
「……リナ」
「変なこと言うなよ」
彼女はエリスの前に立った。
「エリスは何も悪くないんだからな!」
「……うん。分かってる」
「本当に分かってんのか!」
「分かってるよ」
俺は静かに答えた。
そして、エリスを見た。
彼女は俯いていた。
赤い髪が頬にかかり、緑色の瞳から涙がこぼれている。
「……ごめんなさい……」
エリスが呟いた。
「……ずっと……隠してて……」
「……エリス」
「……わ、私……普通じゃないの……」
その声が震えた。
「……お水に触ると……時々……こうなっちゃうの……」
俺は息を呑んだ。
「……自分で戻せないの?」
エリスは小さく首を振った。
「……で、できるときも……あるけど……」
彼女は涙を拭った。
「……怖いと……うまく……できない……」
なるほど。
水に触れることで、体が本来の姿へ変わる。
けれど、まだ魔力の制御が不安定なんだ。
俺の頭の中で、ゲームの設定が次々とつながっていく。
人魚族。
陸上では人間の脚を持つ。
水中では尾を持つ。
そして、その変化には魔力が関係している。
ゲームの設定資料には、幼い人魚が変身を制御できず、陸上で困ることがあるという伝承も記されていた。
あれは、ただの噂じゃなかったのか。
『レオンハルト様』
アリアが静かに告げた。
『対象の下半身に、特殊な魔力構造を確認しました』
「……やっぱり」
『通常の変身魔法とは異なります。身体構造そのものが、魔力によって変化している可能性があります』
俺は目を見開いた。
つまり、幻術じゃない。
本当に体が変化しているんだ。
俺はエリスを見つめた。
人魚族は、その美しい姿や歌声で知られる種族だった。
実際、エリスの赤い髪と澄んだ緑色の瞳には、どこか神秘的な雰囲気がある。
けれど。
今の彼女は、ただ怯えて泣いている小さな女の子だった。
珍しい種族だからって、怖い思いをしていい理由にはならない。
「……エリス」
俺はゆっくりと膝を曲げた。
彼女と目線を合わせる。
「……俺、怒ってないよ」
エリスは恐る恐る顔を上げた。
「……ほ、本当……?」
「うん」
「……でも……私……人魚……」
「それがどうしたの?」
エリスは目を見開いた。
「……え……?」
「人魚でも、人間でも関係ないよ」
俺は小さく笑った。
「エリスはエリスだろ?」
その瞬間。
エリスの瞳が大きく揺れた。
「……っ」
彼女は何かを言おうとした。
でも、言葉が出てこない。
代わりに、大粒の涙が頬を伝った。
「……う……」
ぽろぽろと涙がこぼれる。
「……うぅ……」
俺は少し慌てた。
「えっ!? ご、ごめん! 変なこと言った?」
エリスは首を振った。
「……ち、違う……」
涙を流しながら、必死に答える。
「……そんなこと……言われたの……初めて……」
俺は言葉を失った。
エリスは毛布を握りしめた。
「……みんな……私のこと……珍しいって……」
声が震えていた。
「……高く売れるって……」
俺の胸が、ぎゅっと締めつけられた。
「……お魚の姿になったら……もっと……高くなるって……」
リナが唇を噛んだ。
マルタも悲しそうな表情になった。
エリスは泣きながら続けた。
「……だから……ずっと……隠してたの……」
俺は拳を握った。
やっぱり。
盗賊たちは、エリスが人魚だと知っていたんだ。
そして、その価値を利用しようとしていた。
「……エリス」
俺は机の上に置かれていた乾いたタオルを手に取った。
「……これ、使って」
エリスは驚いたように俺を見た。
「……え……?」
「涙、拭いていいよ」
俺はタオルを差し出した。
エリスは震える手で受け取った。
「……あ、ありがとう……」
彼女は目元を拭った。
けれど、涙はなかなか止まらなかった。
俺は少し迷ったあと、尋ねた。
「……頭、撫でてもいい?」
エリスは目を丸くした。
しばらく俺を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「……う、うん……」
俺はそっと手を伸ばした。
赤い髪に、優しく触れる。
ゆっくりと、頭を撫でた。
「……大丈夫だよ」
エリスの肩が震えた。
「……ここでは、誰も君を売ったりしない」
「……ほ、本当……?」
「うん」
俺は静かに頷いた。
「……もう、怖い思いをしなくていいようにしたいんだ」
エリスは唇を噛んだ。
そして。
「……う……うわぁぁん……!」
突然、大きな声で泣き始めた。
俺は驚いた。
「えっ!? エリス!?」
彼女はタオルで顔を覆いながら、泣き続けた。
リナが慌てて近づく。
「エリス! どうしたんだよ!」
けれど、マルタが静かに首を振った。
「……大丈夫ですよ」
「……え?」
「きっと、ずっと我慢していたのでしょう」
マルタは優しく微笑んだ。
「今は、泣かせてあげましょう」
俺はエリスの頭を撫で続けた。
小さな体。
細い肩。
震える手。
こんなに小さな子が、どれだけ怖い思いをしてきたんだろう。
俺には想像もできなかった。
でも。
これから先は、少しでも安心して笑えるようにしてあげたい。
そう思った。
◇
しばらくすると、エリスの涙はようやく落ち着いた。
マルタが温かい飲み物を用意し、リナは彼女の隣に座っている。
俺は少し離れた椅子に腰掛けていた。
「……それで」
リナが口を開いた。
その声は、いつもより低かった。
「……お前、エリスが人魚だって分かったんだよな」
「……うん」
「……じゃあ、あたしが狐獣人だってことも知ってるよな」
「うん」
リナは俺を睨んだ。
「……何で驚かないんだよ」
俺は少し考えた。
正直に言えば、前世のゲームで知っていたからだ。
でも、それを説明するわけにはいかない。
「……本で読んだことがあるんだ」
「……本?」
「うん。いろんな種族について書かれた本」
嘘ではない。
ゲームの中で読んだ設定資料も、本のようなものだったし。
……いや、かなり苦しい言い訳かもしれない。
リナは眉をひそめた。
「……変な奴」
「よく言われる」
「褒めてない!」
俺は苦笑した。
リナは腕を組んだ。
そして、しばらく黙っていた。
やがて。
「……なあ」
「ん?」
「……あたしたちを、どうするつもりなんだ?」
その言葉に、俺は顔を上げた。
リナは真剣な表情だった。
狐の耳が、ぴんと立っている。
「……あたしたちが珍しい種族だって、分かったんだろ」
「……うん」
「だったら……」
彼女は唇を噛んだ。
「……お前も、あたしたちを売るのか?」
俺は息を呑んだ。
「……そんなことしないよ」
「……本当か?」
「本当」
「……じゃあ、何のために助けたんだよ」
俺は少し考えた。
何のため。
そんなこと、難しく考えたことはなかった。
ただ、二人が困っていたから。
怖がっていたから。
助けたいと思ったから。
「……助けたかったから、かな」
リナは目を見開いた。
「……は?」
「だって、困ってる人を見つけたら、助けたいだろ?」
「……そんな理由で?」
「うん」
リナは呆れたように俺を見た。
「……馬鹿じゃないの?」
「……ひどいな」
「だって、普通そんなことしないだろ!」
俺は小さく笑った。
「……そうかもしれないね」
リナはしばらく俺を睨んでいた。
そして、低い声で言った。
「……じゃあ、これからどうするんだよ」
俺は少し考えた。
父上は、二人をしばらく保護するつもりだと言っていた。
でも、それだけでは足りない気がした。
盗賊たちの背後にいる連中が、まだ二人を探しているかもしれない。
リナは狐獣人。
エリスは人魚。
どちらも、非常に珍しい種族だ。
そんな二人を、簡単に外へ出すわけにはいかない。
それに。
俺は、二人が安心して暮らせる場所を見つけたいと思っていた。
だから。
「……決めた」
俺は立ち上がった。
リナが眉をひそめる。
「……何を?」
俺は二人を見つめた。
そして、はっきりと言った。
「俺が、二人の保護者になる」
沈黙。
リナが目を見開いた。
エリスも驚いたように顔を上げた。
マルタは一瞬、動きを止めた。
そして。
「……はああああ!?」
リナの叫び声が、部屋中に響き渡った。
「お、お前が!?」
「うん」
「保護者!?」
「うん」
「……お前、自分が何歳か分かってんのか!?」
「八歳だけど」
「分かってるなら言うなぁっ!」
リナが真っ赤な顔で怒鳴った。
俺は思わず笑ってしまった。
「……まあ、そうだよね」
「そうだよね、じゃない!」
リナは頭を抱えた。
「……何なんだよ、お前……」
俺は笑いながら続けた。
「もちろん、俺一人じゃ無理だよ。父上にも協力してもらう」
「……父上?」
「うん。父上はこの領地の男爵だから、二人を正式に保護する方法も考えてくれると思う」
リナは黙った。
俺は続けた。
「でも、俺も責任を持ちたいんだ」
「……責任?」
「うん。二人が困ったとき、ちゃんと助けられるようになりたい」
俺は拳を握った。
「だから、俺が二人を守る」
リナは俺をじっと見つめていた。
その瞳には、まだ疑いが残っている。
けれど、昨日のような強い怒りはなかった。
「……勝手な奴」
彼女は小さく呟いた。
「……そうかもしれない」
「……あたしたちの気持ち、ちゃんと聞けよ」
俺は頷いた。
「……うん。昨日はごめん」
リナは驚いたように目を開いた。
「……え?」
「無理に部屋を移したこと。怖い思いをさせたよね」
俺は頭を下げた。
「……ごめんなさい」
リナは何も言わなかった。
しばらくして、顔を背けた。
「……別に、許したわけじゃないからな」
「……うん」
「……まだ、信用してないし」
「分かってる」
「……でも」
リナは少しだけ声を落とした。
「……エリスを泣かせなかったのは、認めてやる」
俺は目を丸くした。
「……え?」
「……何でもない!」
リナは真っ赤な顔で怒鳴った。
その尻尾が、左右に大きく揺れていた。
エリスが小さく笑った。
「……ふふ……」
俺はその笑顔を見て、少し安心した。
◇
その日の夕方。
俺は父上の執務室へ向かった。
もちろん、二人の保護について相談するためだ。
「……なるほど」
父上は俺の話を聞き終えると、ゆっくりと頷いた。
「狐獣人と人魚族か……」
「はい」
「それが本当なら、二人が狙われた理由も少し見えてくるな」
父上は腕を組んだ。
「だが、レオン。お前が二人の保護者になるというのは、少し難しいぞ」
「……やっぱり?」
「当然だ。お前はまだ八歳だからな」
父上は苦笑した。
俺も思わず笑ってしまった。
「……ですよね」
「しかし、二人を守りたいという気持ちは分かった」
父上は真剣な表情になった。
「当面は、ヴァイス家として二人を保護しよう。正式な身元確認と、必要な手続きも進める」
「……本当ですか!?」
「ああ。ただし、本人たちの意思も確認する必要がある。家族が見つかれば、その事情も調べなければならん」
俺は頷いた。
「……はい!」
父上は微笑んだ。
「それに、二人を守るためには、お前自身ももっと強くならなければならんな」
俺は拳を握った。
「……はい!」
オメガ。
俺が造った、青と銀の魔導甲冑。
まだ未完成で、先日の戦いでは大きな損傷を受けてしまった。
でも。
いつか、あの機体を完成させたい。
誰かを守れる力にしたい。
俺はそう思った。
◇
夜。
俺は自分の部屋で、アリアと話していた。
「……アリア」
『はい』
「今日、エリスが人魚だって分かったけど……」
『はい』
「……やっぱり、珍しいことなのかな」
『現在参照可能な記録では、人魚族は非常に希少な種族です』
「……そうだよね」
『さらに、狐獣人と人魚族が同時に捕らえられていた点は、注目すべき事実です』
俺は眉をひそめた。
「……偶然じゃないってこと?」
『その可能性があります』
アリアは静かに続けた。
『ただし、現時点では証拠が不足しています』
「……うん」
俺は窓の外を見た。
月明かりが、中庭を照らしている。
リナとエリス。
二人とも、まだ俺たちを完全には信用していない。
でも。
今日、少しだけ前へ進めた気がした。
「……アリア」
『はい』
「俺、二人を守れるかな」
少しの沈黙。
そして、アリアが答えた。
『現在のレオンハルト様の戦闘能力だけでは、あらゆる脅威に対処することは不可能です』
「……うん」
『ですが、あなたには家族と協力者がいます』
俺は目を開いた。
『すべてを一人で背負う必要はありません』
俺は小さく笑った。
「……そうだね」
父上。
母上。
兄上たち。
マルタ。
そして、アリア。
俺には、頼れる人たちがいる。
だからこそ。
これからは、もっと強くなりたい。
オメガを完成させたい。
そして、二人が安心して笑える未来を造りたい。
俺は静かに拳を握った。
「……よし」
『何でしょうか』
「明日から、オメガの修理を本格的に進めよう」
『身体への負担を考慮し、無理のない作業計画を推奨します』
「分かってるよ」
俺は苦笑した。
そして、机の上に広げられた設計図を見つめた。
青と銀の装甲。
四基の推進器。
まだ実現していない飛行機構。
完成までの道のりは長い。
けれど。
今の俺には、新しい目標ができた。
自分の運命を変えるだけじゃない。
リナとエリスの未来も、守りたい。
そのために。
俺は、もっと強くなる。
◇
同じころ。
屋敷の奥にある客室では、リナとエリスが並んで座っていた。
エリスの尾は、すでに人間の脚へ戻っていた。
マルタが用意した柔らかな寝間着を着て、毛布にくるまっている。
「……ねえ、リナ」
エリスが小さく呟いた。
「……何?」
「……レオンハルトくん……変わった子だね……」
リナは鼻を鳴らした。
「……変どころじゃないだろ」
「……ふふ……」
エリスは小さく笑った。
「……でも……優しかった……」
リナは黙った。
しばらくして、低い声で言った。
「……まだ信用するなよ」
「……うん……」
「……人間は、何を考えてるか分かんないんだから」
「……うん……」
エリスは少し考えた。
そして、静かに呟いた。
「……でも……」
「……何?」
「……あの子……私のこと……怖がらなかった……」
リナは目を見開いた。
エリスは毛布を握りしめた。
「……人魚だって分かっても……」
その声は、少しだけ嬉しそうだった。
「……エリスはエリスだって……言ってくれた……」
リナは何も言わなかった。
ただ、窓の外を見つめた。
やがて、小さく呟いた。
「……馬鹿な奴」
けれど、その声には、昨日ほどの怒りはなかった。
エリスは微笑んだ。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
リナは彼女の寝顔を見つめた。
「……保護者、ね……」
小さく呟く。
「……八歳のくせに、何言ってんだか……」
それでも。
リナの尻尾は、いつもより少しだけ穏やかに揺れていた。
その夜。
二人の少女は、久しぶりに安心した表情で眠りについた。
彼女たちの未来が、少しずつ変わり始めていることを。
まだ、誰も知らなかった。
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