第19話 古代AIが見抜いた俺の可能性!? 盗賊の荷物から二人の少女を発見しました!
人間の運命は、変えられるのだろうか。
もし、最初から決められた未来があるとして。
その未来を、自分の意思で書き換えることはできるのだろうか。
そんなことを考えるようになったのは、この世界に転生してからだった。
前世の俺は、二十五歳で死んだ。
恋愛に失敗し、仕事に追われ、気がつけば自分が何のために生きているのかさえ分からなくなっていた。
そして今、俺は八歳の少年、レオンハルト・ヴァイスとして生きている。
大好きだった乙女ゲーム『ターボナイト ~エターナル・ハーツ~』の世界で。
ゲームでは、俺は魔法学園を途中で去るだけの名もなきモブだった。
けれど、現実は少しずつ変わり始めている。
俺は魔導甲冑を造った。
古代魔導知性体と出会った。
そして先日の戦いでは、自分でも想像していなかった魔法を使った。
氷。
溶岩。
雷。
特に雷魔法は、オメガだけでなく俺自身の体まで速くした。
ただし、その代償は大きかった。
「……いてて」
俺は机に向かいながら、右肩をさすった。
盗賊の襲撃から五日。
ようやく筋肉痛が落ち着いてきたところだった。
目の前には、オメガの新しい設計図が広がっている。
父上から許されたのは、設計と部品の確認まで。魔力を使った実験は、まだ禁止されていた。
「……やっぱり、魔力の流れを調整するだけじゃ足りないな」
俺は鉛筆で関節部分に丸をつけた。
昨日、父上と話し合った結果、オメガの問題点は三つに整理された。
第一に、左右の脚の出力差。
第二に、急激な魔力供給による関節への負荷。
第三に、操縦者である俺自身の体への衝撃。
雷魔法を利用すれば、機体の反応速度を上げられる可能性がある。
だが、それに耐えられる構造がなければ意味がない。
「……難しいなあ」
『当然です。現在のオメガは試作機ですから』
机の上に置いた黒い腕輪から、アリアの声が響いた。
「分かってるけどさ。もう少し簡単にいくと思ってた」
『未知の技術を実用化する過程で、問題が発生するのは自然なことです』
「……それもそうか」
俺は苦笑した。
そのとき、アリアが不意に言った。
『レオンハルト様。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか』
「ん? 何?」
『あなたは、なぜそこまで魔導機甲の開発に執着するのですか』
俺は鉛筆を止めた。
「……執着?」
『はい。領地の防衛に役立つという理由は理解しています。しかし、それ以前から、あなたはオメガの完成を強く望んでいました』
俺は少し考えた。
前世で遊んでいたゲーム。
画面の中で輝いていたターボナイト。
剣を振るい、空を駆け、魔法を放つ巨大な騎士たち。
俺は、あの機体にずっと憧れていた。
「……好きだから、かな」
『好き、ですか』
「うん。魔導甲冑って、格好いいだろ?」
『外観的な評価でしょうか』
「それもあるけど……自分の手で何かを造って、それが本当に動くって、すごく嬉しいんだ」
俺は設計図を見つめた。
「それに、オメガが完成すれば、今までできなかったことができるようになるかもしれない」
『例えば?』
「遠くへ行ったり、誰かを助けたり……あとは、自由に生きたり」
少し照れくさくなって、笑った。
「俺、今度こそ自分の人生を自分で決めたいんだ」
アリアはしばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
『……理解しました』
◇
アリアは、レオンハルトの言葉を記録していた。
正確には、彼女の損傷した記録領域に残された情報と、現在観測できる少年の行動を照合していた。
《魔導構造解析・改変》。
レオンハルトが使用する魔法。
既存の物質や魔導機構を読み取り、その構造を変化させる能力。
当初、アリアはそれを高度な解析系統の魔法だと考えていた。
しかし、先日の戦闘で、その評価を修正する必要が生じた。
少年は水の流れを制御し、冷却によって氷を生み出した。
土と火を組み合わせ、局所的な溶融現象を発生させた。
さらに、放電現象を利用して魔導機構の応答速度を変化させた。
そのすべてが、既存の魔法理論から完全に逸脱しているわけではない。
だが、八歳の少年が短期間で複数の現象を理解し、自分の技術へ応用しようとしている。
そこに、アリアは特異性を見いだしていた。
『……レオンハルト様』
「ん?」
『あなたの能力には、まだ解明されていない可能性があります』
「……そうなの?」
『はい。特に、魔法を単なる属性としてではなく、構造と作用の組み合わせとして理解している点です』
俺は首を傾げた。
「……難しい言い方だね」
『例えば、一般的な魔法使いは火を放つために火属性魔力を使用します。しかし、あなたは火を利用して物質の状態を変化させようとしました』
「……ああ、溶岩のこと?」
『そうです。あなたは結果として生じる現象を考え、そのために魔力を組み立てています』
俺は少し考えた。
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
前世の知識があるから、物が熱で溶けることも、電気が機械を動かすことも知っている。
でも、この世界では、それを魔法で実現できる。
「……それって、すごいことなの?」
『少なくとも、私が現在参照できる記録には、同様の発想をこれほど早く実践した八歳児の例はありません』
「……へえ」
俺は思わず笑った。
「じゃあ、俺って天才?」
『その可能性はあります』
「……そこは否定しないんだ」
『ただし、昨日のような無謀な行動を繰り返せば、才能を発揮する前に命を失う危険があります』
「……はい」
相変わらず厳しい。
けれど、アリアは続けた。
『レオンハルト様。私には、まだ多くの記憶が欠落しています』
「……うん」
『それでも、あなたの行動を観測するうちに、一つの可能性を考えるようになりました』
「……何?」
黒い腕輪が、淡い青色に光った。
『あなたは、既存の魔導技術を改良するだけでなく、これまで不可能だと考えられていた技術を実現するかもしれません』
俺は目を見開いた。
『そして、その技術が広まれば、人々の暮らしや国の力関係まで変わる可能性があります』
「……そんな大げさな」
『大げさとは限りません』
アリアの声は、いつになく真剣だった。
『レオンハルト様。あなたは、いつかこの世界の運命そのものを変える存在になるかもしれません』
俺はしばらく黙っていた。
世界の運命。
そんなこと、考えたこともなかった。
俺が望んでいるのは、ただ自由に生きることだ。
家族と穏やかに暮らして、好きな魔導機甲を造って。
それだけなのに。
「……アリア」
『はい』
「世界を変えるとか、そういうのはよく分からないけどさ」
俺は設計図の端を指で押さえた。
「目の前で困ってる人がいたら、助けられるくらいにはなりたいかな」
アリアは答えなかった。
だが、腕輪の光が一度だけ静かに瞬いた。
『……その回答を記録します』
◇
午後。
父上から呼ばれた俺は、屋敷の裏手にある保管庫へ向かっていた。
隣にはマルタが歩いている。
「レオンハルト様、本当にお体は大丈夫ですか?」
「うん。もうほとんど痛くないよ」
「無理はなさらないでくださいね」
「分かってる」
保管庫の前では、父上とアルブレヒト兄上、それから警備隊長が待っていた。
中には、先日の盗賊たちから押収した品々が運び込まれているらしい。
「来たか、レオン」
「父上、何かあったんですか?」
「ああ。盗賊たちの所持品を整理しているのだが、少し気になるものが見つかってな」
父上は保管庫の扉を開けた。
中には木箱や袋、壊れた武器、古びた防具などが並べられていた。
壁際には、黒い魔導甲冑から取り外された装甲片も置かれている。
ただし、危険な炉心は別の場所に隔離されているらしい。
「お前の解析魔法で、何か分かるかもしれんと思ってな」
「……俺が調べてもいいんですか?」
「安全が確認されたものだけだ。魔力の使用も、短時間に限る」
「はい!」
俺は頷いた。
父上は警備隊長へ視線を向けた。
「まず、例の箱を」
「承知しました」
隊長が一つの木箱を運んできた。
中には、いくつかの金属片と、古い革袋が入っていた。
俺はその一つを手に取った。
黒ずんだ金属の板。
表面には、細かな模様が刻まれている。
「……これ」
俺は眉をひそめた。
どこかで見たことがある。
先日、父上が見せてくれた敵機の炉心の図面。
あそこに描かれていた模様と、少し似ている。
「アリア、分かる?」
『近距離での観測を開始します』
腕輪が淡く光った。
『……類似する刻印構造を確認。ただし、同一のものかは不明です』
「……やっぱり」
俺は金属板を机に置いた。
父上が尋ねる。
「何か分かったか?」
「まだ詳しくは。でも、敵の魔導甲冑に使われていた模様と似ています」
「……そうか」
父上は真剣な表情になった。
「やはり、何らかの組織が関わっているのかもしれんな」
俺は頷いた。
普通の盗賊が、あんな特殊な魔導甲冑を手に入れられるとは思えない。
しかも、北の廃坑の周辺で目撃されていたという話もある。
何かがつながっているのだろうか。
俺は保管庫の奥へ視線を向けた。
そこには、まだ確認されていない荷物がいくつも積まれていた。
「……父上。あっちの荷物は?」
「ああ。盗賊たちが使っていた荷車の積み荷だ。危険物がないか確認したあと、順番に調べている」
「……見てもいいですか?」
父上は少し考えた。
「警備隊長と一緒なら構わん。ただし、勝手に触るなよ」
「はい」
俺は隊長について、保管庫の奥へ向かった。
古い布。
食料の入った袋。
木箱。
壊れた道具。
盗賊たちが奪ったと思われる品々が、雑然と積まれていた。
その中に、一台だけ、妙に頑丈な荷車があった。
側面には鉄の補強が施され、後部には小さな扉がついている。
「……これ、何を運んでたんですか?」
俺が尋ねると、隊長は首を傾げた。
「まだ詳しくは分かっておりません。盗賊たちが屋敷へ運び込もうとしていた荷車の一つです」
俺は荷車を見つめた。
何かがおかしい。
普通の荷車にしては、扉の位置が低い。
しかも、外側に鍵を取り付けるための金具がある。
……まるで。
誰かを閉じ込めるために造られたみたいだ。
「……隊長さん」
「はい?」
「この中、確認しました?」
「外からは確認しましたが、内部の仕切りまではまだ……」
そのときだった。
コトン。
小さな音がした。
俺は足を止めた。
「……今、何か聞こえませんでした?」
隊長も耳を澄ませた。
しばらく、沈黙が続く。
そして。
コトッ。
今度は、はっきりと音がした。
荷車の中からだ。
「……誰かいる?」
俺は思わず呟いた。
隊長がすぐに剣へ手を伸ばした。
「坊ちゃん、下がってください」
俺は頷き、数歩後退した。
隊長は慎重に荷車の扉へ近づいた。
鍵は外されていたが、扉は固く閉じられている。
隊長が取っ手を引いた。
ギィィ……。
扉がゆっくり開く。
中は薄暗かった。
古い毛布と木箱が積まれている。
そして、その奥。
「……っ!」
小さな影が動いた。
次の瞬間。
「近づくなぁっ!」
甲高い声が響いた。
何かが飛んできた。
小さな木片だった。
隊長は反射的に盾で受け止めた。
俺は目を見開いた。
そこにいたのは。
二人の少女だった。
◇
一人は、獣人の少女だった。
年齢は俺と同じくらいだろうか。
少し乱れた赤茶色の髪。
頭の上には、三角形の大きな狐の耳が生えている。
そして、腰の後ろには、ふさふさした尻尾。
金色に近い琥珀色の瞳が、こちらを鋭く睨んでいた。
着ているのは、擦り切れた茶色の上着と短いズボン。
腕には細かな傷があり、頬にも汚れがついている。
その少女は、もう一人の少女を背中に庇うようにして立っていた。
「来るなって言ってるだろ!」
狐の少女が叫んだ。
その手には、折れた木の棒が握られている。
震えているのに、決して下ろそうとしない。
そして、その背後にいたのは。
鮮やかな赤い髪の少女だった。
肩より少し長い髪は絡まり、ところどころ埃がついている。
大きな緑色の瞳。
白い肌。
細い手足。
薄い灰色のワンピースは汚れ、裾が破れていた。
彼女は狐の少女の服を両手で掴み、必死に体を隠していた。
「……ひっ」
俺たちと目が合った瞬間、赤髪の少女は小さな悲鳴を上げた。
そして、さらに奥へ身を縮めた。
「……大丈夫?」
俺が声をかけると、狐の少女が歯を剥いた。
「何が大丈夫だ! 近づくな、人間!」
「……え?」
「どうせ、またあたしたちを売るつもりなんだろ!」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
売る?
まさか。
俺は荷車の内部を見た。
床には古い鎖が転がっている。
壁には、手首を固定するためと思われる金具。
そして、少女たちの足元には、小さな水差しが一つだけ置かれていた。
……これは。
ただの荷物じゃない。
人を閉じ込めて運ぶための荷車だ。
「……隊長さん」
俺は低い声で言った。
「父上を呼んできてください」
隊長の表情が険しくなった。
「承知しました」
隊長は部下へ指示を出した。
俺は少女たちへ向き直った。
「……俺たちは、君たちを売ったりしないよ」
「嘘つけ!」
狐の少女が怒鳴った。
「人間はみんなそう言うんだ! 優しくしてやるって言って、最後には鎖をつけるんだ!」
その声は、怒りに満ちていた。
でも。
俺には分かった。
彼女は怒っているだけじゃない。
怖いんだ。
自分が傷つけられることよりも、後ろの少女が傷つけられることを恐れている。
「……分かった」
俺はゆっくりと頷いた。
「じゃあ、近づかない」
そう言って、俺は一歩下がった。
狐の少女が目を見開く。
「……は?」
「君が嫌なら、無理に近づかないよ」
俺は両手を見せた。
「武器も持ってないし、何もしない」
「……ふん」
少女は警戒を解かなかった。
俺は少し考えたあと、マルタへ振り返った。
「マルタ。水と食べ物を持ってきてもらえる?」
「……はい。すぐに」
マルタは少女たちを見て、胸を痛めたような表情になった。
そして、急いで保管庫を出ていった。
俺は荷車の前にしゃがんだ。
ただし、少女たちから十分に距離を取って。
「……俺はレオンハルト。レオンハルト・ヴァイスっていうんだ」
狐の少女は答えなかった。
「八歳だよ。君たちと同じくらいかな」
そのとき。
赤髪の少女が、わずかに顔を上げた。
「……は、八歳……?」
小さな声だった。
今にも消えてしまいそうな、か細い声。
俺は頷いた。
「うん」
赤髪の少女は、俺をじっと見つめた。
けれど、すぐに狐の少女の背中へ隠れてしまった。
「……だ、駄目……」
狐の少女が振り返る。
「大丈夫。あたしが守るから」
赤髪の少女は小さく頷いた。
その様子を見て、俺は胸が締めつけられるような気持ちになった。
この二人は、いったい何をされたんだろう。
◇
しばらくして、父上がやってきた。
アルブレヒト兄上も一緒だった。
二人は荷車の中にいる少女たちを見て、表情を変えた。
「……子供だと?」
父上が呟いた。
警備隊長が頭を下げた。
「申し訳ありません。積み荷の確認が不十分でした」
「責任の話は後だ。まず、この子たちの安全を確保する」
父上は荷車へ近づこうとした。
その瞬間。
「来るな!」
狐の少女が叫んだ。
折れた木の棒を構え、父上を睨みつける。
「近づいたら、ぶっ飛ばすぞ!」
父上は足を止めた。
そして、ゆっくりと両手を下げた。
「……分かった。近づかない」
少女は少し驚いたようだった。
父上は落ち着いた声で続けた。
「私はラインハルト・ヴァイス。この屋敷の主人だ」
「……だから何だよ」
「君たちを傷つけるつもりはない。ここは、君たちを捕まえた盗賊たちの場所ではないんだ」
「……信じられるか!」
狐の少女が叫んだ。
父上は頷いた。
「すぐに信じてもらおうとは思わない」
その言葉に、俺は少し驚いた。
父上は少女たちを無理に説得しようとしなかった。
「ただ、食事と休める場所は用意する。必要なら医師も呼ぼう」
「……いらない!」
狐の少女は即答した。
だが、その直後。
ぐうう……。
小さな音が響いた。
狐の少女の腹からだった。
「……っ!?」
少女の顔が真っ赤になった。
俺は思わず笑いそうになった。
けれど、必死に我慢した。
今、笑ったら絶対に怒られる。
そのとき、赤髪の少女が小さく呟いた。
「……お、お腹……すいた……」
狐の少女が振り返った。
「……っ」
そして、悔しそうに唇を噛んだ。
俺はゆっくりと立ち上がった。
「……じゃあ、食べ物だけでもどうかな」
狐の少女は俺を睨んだ。
「……毒とか入ってないだろうな」
「入ってないよ」
「証拠は?」
俺は少し考えた。
「……俺が先に食べる?」
少女は目を丸くした。
「……は?」
「同じものを食べれば、少しは安心できるかなって」
父上が小さく笑った。
「それは悪くない考えだな」
そのとき、マルタが戻ってきた。
盆の上には、温かいスープと柔らかいパン、それから水の入った杯が二つ載っていた。
「お待たせしました」
マルタは荷車から少し離れた場所に盆を置いた。
「無理に食べなくても大丈夫ですよ。ここに置いておきますから」
狐の少女は、じっと盆を見つめた。
俺はパンを一つ手に取った。
「……ほら」
小さくちぎって、口に入れる。
「うん。おいしい」
狐の少女は何も言わなかった。
けれど、その尻尾がわずかに揺れた。
赤髪の少女が、狐の少女の服を引っ張った。
「……ねえ……」
「……何?」
「……た、食べたい……」
狐の少女は目を閉じた。
そして、深いため息をついた。
「……分かったよ」
彼女は木の棒を足元へ置いた。
ただし、完全に警戒を解いたわけではない。
俺たちを睨みながら、ゆっくりと荷車から降りてきた。
近くで見ると、思ったより小柄だった。
俺とほとんど同じくらいの身長だ。
彼女は盆へ近づき、まずスープの匂いを嗅いだ。
それから、慎重に一口飲む。
「……っ」
琥珀色の瞳が大きく開いた。
次の瞬間。
彼女は夢中でスープを飲み始めた。
「……あ、熱っ!」
慌てて口を離す。
俺は思わず笑ってしまった。
「ゆっくり飲んだほうがいいよ」
「う、うるさい!」
狐の少女が真っ赤な顔で怒鳴った。
でも、今度は少しだけ声に元気が戻っていた。
◇
赤髪の少女は、なかなか荷車から出てこなかった。
狐の少女が食事を始めても、奥で膝を抱えたままだった。
俺は少し離れた場所に座り、彼女を見つめた。
「……君も食べない?」
少女はびくりと肩を震わせた。
「……ご、ごめんなさい……」
「……え?」
「……怒らないで……ください……」
俺は言葉を失った。
どうして、食事を勧めただけで謝るんだ?
少女は両手で顔を覆った。
「……わ、私……何も……してない……」
その声は震えていた。
俺は胸が苦しくなった。
彼女は、何かをするたびに怒られていたのだろうか。
それとも、もっとひどいことを。
「……怒ってないよ」
俺はできるだけ優しく言った。
「君が食べたくないなら、無理に食べなくてもいいんだ」
少女は恐る恐る顔を上げた。
緑色の瞳が、俺を見つめる。
「……ほ、本当に……?」
「うん」
「……た、叩かない……?」
俺は息を呑んだ。
そして、ゆっくりと首を振った。
「叩かないよ」
少女の目に涙が浮かんだ。
俺はどうすればいいか分からなくなった。
そんなとき。
「……おい」
狐の少女が近づいてきた。
彼女は俺を睨んだ。
「その子に近づくな」
「……うん」
「そいつ、怖がりなんだよ。知らない奴が近くにいると、すぐ泣くんだ」
狐の少女は赤髪の少女へ向き直った。
「ほら。あたしが持ってきたから、食べな」
彼女はパンとスープを差し出した。
赤髪の少女は小さく頷いた。
「……あ、ありがとう……」
狐の少女は照れくさそうに顔を背けた。
「……別に」
俺はその様子を見つめた。
狐の少女は口が悪く、攻撃的だ。
でも、赤髪の少女を本当に大切に思っている。
自分がどれだけ怖くても、彼女を守ろうとしている。
俺は少しだけ、彼女のことが分かった気がした。
◇
食事が終わるころには、赤髪の少女も少し落ち着いていた。
マルタが用意した毛布を肩にかけ、狐の少女の隣に座っている。
父上は警備隊長と話し合い、二人を屋敷の客室で保護することにした。
ただし、無理に連れていくことはしない。
まずは、二人が安心できるまで待つ。
俺はその方針に賛成だった。
「……ねえ」
俺が声をかけると、狐の少女がすぐに睨んできた。
「何だよ」
「君たちの名前、聞いてもいい?」
「……何で教えなきゃいけないんだ」
「呼び方が分からないから」
「……ふん」
少女はそっぽを向いた。
しばらく沈黙が続く。
やっぱり、まだ早かったかな。
そう思ったとき。
「……リナ」
小さな声が聞こえた。
俺は顔を上げた。
狐の少女が、腕を組んだまま呟いた。
「……あたしは、リナ」
「……リナ」
「何だよ」
「いい名前だね」
「……っ!」
リナの狐耳がぴくりと動いた。
「べ、別に、お前に褒められたくないし!」
そう言って、顔を背ける。
尻尾が少しだけ揺れていた。
俺は小さく笑った。
すると、赤髪の少女が恐る恐る口を開いた。
「……わ、私は……」
俺は彼女を見た。
少女は胸の前で両手を握りしめていた。
「……エ、エリス……」
「……エリス?」
彼女は小さく頷いた。
「……はい……」
「そっか。よろしくね、エリス」
俺が微笑むと、エリスは驚いたように目を見開いた。
そして、ほんの少しだけ。
小さく微笑んだ。
「……よ、よろしく……お願いします……」
その笑顔は、とても儚かった。
けれど、俺は嬉しかった。
少なくとも、今は。
二人が少しだけ、俺たちを信じてくれた気がしたから。
◇
夕方。
リナとエリスは、マルタに案内されて屋敷の客室へ向かった。
最初、リナは部屋に入ることを嫌がった。
「鍵、かけるんだろ!」
そう叫んで、扉から離れようとしなかった。
マルタは首を振った。
「鍵はかけませんよ」
「……嘘だ!」
「では、扉を開けたままにしておきましょうか?」
リナは目を丸くした。
「……え?」
「お二人が安心できるまで、好きなようにしていただいて構いません」
リナはしばらく黙っていた。
それから、エリスを見た。
エリスは小さく頷いた。
「……ここ……あったかい……」
リナはため息をついた。
「……分かったよ」
そして、二人は部屋へ入っていった。
俺は廊下から、その様子を見守っていた。
マルタが戻ってくる。
「……レオンハルト様」
「……うん」
「お二人とも、かなり怖い思いをされたようですね」
俺は頷いた。
「……そうだね」
「すぐに心を開いてくださるとは思いません。でも、少しずつ安心していただければ……」
「……うん」
俺は閉じられた客室の扉を見つめた。
リナ。
エリス。
同じくらいの年齢なのに、あんなに怯えている。
いったい、どんな目に遭ってきたんだろう。
俺は拳を握った。
「……マルタ」
「はい?」
「二人がここにいる間、ちゃんと安心して暮らせるようにしたい」
マルタは微笑んだ。
「……はい。私もそう思います」
◇
その夜。
俺は自分の部屋で、アリアと話していた。
「……アリア」
『はい』
「今日の二人、どう思った?」
『リナ様とエリス様のことでしょうか』
「うん」
『強い警戒心と恐怖反応が見られました。特にエリス様は、他者との接触に対して著しい不安を示していました』
「……そうだよね」
俺はベッドに腰を下ろした。
「リナは、ずっとエリスを守ろうとしてた」
『はい』
「……すごいよな」
『どのような点でしょうか』
「自分だって怖いはずなのに、あんなに頑張って守ってたんだ」
俺は小さく笑った。
「俺だったら、あそこまでできるかな」
『レオンハルト様も、先日の襲撃で家族を守ろうとしました』
「……でも、無茶ばっかりだったよ」
『それでも、行動の動機には共通する部分があります』
俺は少し考えた。
確かに、リナも俺も、大切な人を守ろうとしていた。
方法は違うけれど。
「……そっか」
俺は窓の外を見た。
夜空には、星が輝いている。
この世界に転生してから、いろいろなことがあった。
魔法を覚えた。
オメガを造った。
アリアと出会った。
そして今日、新しい友達になれるかもしれない二人と出会った。
ゲームのシナリオでは、こんな出来事はなかったはずだ。
少なくとも、俺の知っている範囲では。
「……アリア」
『はい』
「俺、本当にこの世界の運命を変えられるのかな」
少しの沈黙。
そして、アリアが答えた。
『未来を正確に予測することはできません』
「……うん」
『ですが、一つだけ言えることがあります』
「……何?」
『あなたはすでに、誰かの未来を変え始めています』
俺は目を見開いた。
『本日、リナ様とエリス様は安全な場所で食事を取り、休息することができました』
俺は静かに頷いた。
『それは、少なくとも今日という一日の未来を変えたということです』
俺はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと笑った。
「……そうかもしれないね」
世界の運命を変える。
そんな大きなことは、まだ分からない。
でも。
目の前の誰かを助けることなら、できるかもしれない。
俺は拳を握った。
「……明日も、二人に会いに行ってみようかな」
『慎重な対応を推奨します』
「分かってるよ」
俺は笑った。
「焦らず、少しずつ仲良くなれたらいいな」
そのとき。
アリアが不意に言った。
『……レオンハルト様』
「ん?」
『本日確認した盗賊の荷物について、追加の情報があります』
俺は姿勢を正した。
「……何?」
『荷車の内部に刻まれていた記号の一部が、先日確認した敵機の刻印と類似していました』
「……え?」
俺は息を呑んだ。
荷車。
あの二人が閉じ込められていた場所。
そこに、敵の魔導甲冑と似た記号が?
「……それって」
『現時点では、同一の組織によるものかは断定できません』
アリアは続けた。
『しかし、偶然として処理するには、調査が必要な一致です』
俺はゆっくりと拳を握った。
盗賊たち。
黒い魔導甲冑。
エクリプス計画。
そして、リナとエリス。
何かが、つながっているのだろうか。
俺は窓の外を見つめた。
静かな夜。
屋敷のどこかで、二人の少女が眠っている。
あの二人を、もう二度と怖い目に遭わせたくない。
そう思った。
「……アリア」
『はい』
「まずは、二人が安心できるようにしよう」
『了解しました』
「それから、少しずつ調べていこう」
『はい』
俺は小さく笑った。
「……急ぐ必要はないよね」
『そのとおりです』
俺はベッドへ横になった。
明日になれば、また新しい一日が始まる。
オメガの修理。
魔法の研究。
そして、リナとエリス。
やることは、まだまだたくさんある。
けれど、不思議と嫌な気分ではなかった。
むしろ、少し楽しみだった。
この世界で、自分の未来を造っていくことが。
そして、誰かと一緒に、その未来を歩いていくことが。
俺は静かに目を閉じた。
そのころ、客室では。
「……リナ」
エリスが小さく呟いた。
「……何?」
「……ここ……本当に、大丈夫かな……」
リナはベッドの端に座り、扉を見つめていた。
狐の耳は、まだ警戒するように立っている。
「……分かんない」
リナは正直に答えた。
「でも……」
彼女は隣にいるエリスを見た。
「少なくとも、あのチビは変な奴だ」
「……チビ……?」
「そうだよ。あたしたちと同じくらいのくせに、偉そうな大人たちに囲まれてさ」
リナは鼻を鳴らした。
「それなのに、あたしたちに近づくなって言ったら、本当に近づかなかった」
エリスは少し考えた。
「……うん」
「……変な奴」
リナはもう一度呟いた。
その尻尾が、ゆっくりと揺れた。
エリスは毛布を握りしめた。
「……でも……優しかったね……」
リナは答えなかった。
ただ、少しだけ顔を赤くした。
「……まだ、信じたわけじゃないからな」
「……うん」
エリスは小さく微笑んだ。
そして、二人はようやく、柔らかなベッドへ体を横たえた。
長い間、安心して眠ることのできなかった少女たち。
その夜。
二人は初めて、鍵のかかっていない部屋で眠りについた。
彼女たちの運命が、少しずつ変わり始めていることを、まだ誰も知らなかった。
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