第14話 兄と剣術を始めた俺、魔法の成長を喜んでいたら領地に盗賊が現れた
木剣が風を切る音が、朝の中庭に響いていた。
屋敷の裏手にある訓練場では、セドリック兄上が一人で剣を振っている。紺色の訓練服の袖を肘までまくり、額に浮かんだ汗を気にも留めず、何度も同じ動作を繰り返していた。
踏み込み、斬り下ろし、半歩退いて構え直す。
その一連の動きには、無駄がほとんどないように見えた。
俺は訓練場の入口で足を止め、しばらく兄上の姿を眺めていた。
先日の採掘場での出来事が、まだ頭から離れない。
灰色の毛並みをした魔物。鋭い牙。地面を蹴って飛びかかってきたときの、あの恐ろしい速さ。
俺は水魔法と土魔法を使って魔物の足を止め、風魔法で別の一頭の体勢を崩すことができた。
けれど、もしセドリック兄上や護衛たちがいなかったら、どうなっていただろう。
考えるだけで背筋が冷たくなる。
魔法が使えるからといって、戦えるわけではない。
それを、あの日に思い知らされた。
「……よし」
俺は小さく拳を握り、訓練場へ足を踏み入れた。
「セドリック兄上!」
兄上が木剣を止め、こちらを振り向いた。
「おっ、レオンじゃないか。どうした? こんな朝早くから」
「お願いがあります」
「何だ、改まって。俺にできることなら聞いてやるぞ」
兄上は笑いながら、木剣を肩に担いだ。
俺は一度深呼吸してから言った。
「俺に剣術を教えてください!」
兄上の笑顔が止まった。
「……剣術?」
「はい!」
「お前が?」
「そうです!」
兄上は俺の顔をまじまじと見つめたあと、急に吹き出した。
「はははっ! 何だ、急に! 昨日まで魔導機械の話ばっかりしてたじゃないか!」
「笑わないでください!」
「いや、悪い悪い。馬鹿にしてるわけじゃないんだ。ただ、ちょっと意外でな」
兄上は木剣を下ろし、俺の前にしゃがんだ。
「……採掘場のことか?」
その言葉に、俺は黙って頷いた。
兄上の表情から笑みが消えた。
「怖かったか?」
「……はい」
正直に答えると、胸の奥が少し苦しくなった。
「魔法は使えました。でも、魔物が近づいてきたとき、何をすればいいのか分からなくなって……。兄上が助けてくれなかったら、俺は……」
「レオン」
兄上が俺の肩に手を置いた。
「お前はまだ八歳だぞ。あんな魔物を怖がるのは当たり前だ」
「でも……」
「それに、お前の魔法のおかげで助かった場面もあった。あれは立派だったよ」
兄上はそう言ってから、少しだけ真剣な声になった。
「ただ、強くなりたいって気持ちは分かる。俺も昔はそうだったからな」
「兄上も?」
「ああ。初めて父上に剣を教わったころは、転んでばっかりだった」
「……兄上が?」
「何だ、その顔は。俺だって最初から剣が上手かったわけじゃないぞ」
俺は思わず笑った。
兄上は立ち上がり、訓練場の隅に置かれた木剣の束を調べ始めた。
やがて、俺の腕の長さに合いそうな短い木剣を一本取り出した。
「よし。父上には俺からも話しておく。危険なことはさせないし、最初は基礎だけだ」
「本当ですか?」
「おう。ただし、途中で投げ出すなよ?」
「絶対に投げ出しません!」
「その言葉、覚えておくからな」
兄上は楽しそうに笑った。
◇
父上から訓練の許可が下りたのは、その日の朝食後だった。
ただし、条件が三つあった。
使うのは子供用の木剣だけ。訓練はセドリック兄上の監督下で行うこと。そして、疲れたら必ず休むこと。
母上からは、さらに一つ付け加えられた。
「怪我をしたら、すぐにマルタに見せるのよ」
「はい、母上」
隣に立っていたマルタが、なぜか深く頷いた。
「レオンハルト様。以前の魔法実験のように、限界まで頑張るのは禁止ですからね」
「……分かってるよ」
「本当に?」
「本当だってば!」
マルタは栗色の髪を揺らしながら、ようやく微笑んだ。
「それなら、私も安心です」
……どうやら、俺の信用はまだ完全には回復していないらしい。
こうして、俺の剣術訓練が始まった。
ところが。
「まずは、そこに立て」
「はい!」
「足を肩幅くらいに開いて、右足を少し前へ」
「こうですか?」
「もう少し膝を曲げろ。肩に力が入りすぎだ」
「……こう?」
「そうそう。そのまま動くなよ」
俺は木剣を構えた。
一分。
二分。
三分。
「……兄上」
「何だ?」
「いつ剣を振るんですか?」
「まだだ」
「ええっ!?」
兄上は涼しい顔で答えた。
「剣を振る前に、まず立ち方を覚えろ」
「でも、立ってるだけですよ?」
「そう思うなら、俺が少し押しても倒れないよな?」
「もちろんです!」
兄上は俺の肩を指先で軽く押した。
「わっ!」
俺はあっさり後ろへよろめいた。
兄上がすぐに腕を掴んで支えてくれる。
「ほらな」
「……今のは油断しただけです!」
「じゃあ、もう一回」
俺は慌てて構え直した。
今度こそ倒れまいと足に力を込める。
兄上がもう一度、肩を押した。
ぐらり。
「うわっ!」
また体勢が崩れた。
「どうして!?」
「上半身だけで踏ん張ろうとしてるからだ。足の裏で地面を感じろ。膝を固めすぎるな」
兄上は自分の姿勢を見せてくれた。
同じように立っているはずなのに、まるで地面に根を張った木のように安定している。
「剣を振るときも、魔物から逃げるときも、足元が大事なんだ。どれだけ腕が強くても、踏ん張れなきゃ力を出せない」
「……なるほど」
俺は兄上の足をじっと見つめた。
前世で見た武術の動画でも、似たような話を聞いたことがある。
重心。
体重移動。
姿勢の安定。
頭では理解していたつもりだった。
でも、実際に体を動かしてみると、思った以上に難しい。
八歳の体は軽く、筋力もまだ十分ではない。少し無理な姿勢を取るだけで、簡単にバランスを崩してしまう。
「もう一回お願いします!」
「おっ、いい返事だ」
兄上は笑い、俺の姿勢を直してくれた。
それからしばらく、俺はひたすら立ち方と足の運びを練習した。
剣を振れたのは、訓練を始めてかなり時間が経ってからだった。
しかも、最初に教わったのは単純な振り下ろしだけ。
……地味だ。
ものすごく地味だ。
でも、兄上が何度も繰り返す理由は、少しずつ分かってきた。
正しい姿勢で振れば、軽い木剣でも真っすぐに動く。
逆に、腕の力だけで振ろうとすると、剣先がぶれてしまう。
「そうだ、レオン。今のは悪くない」
「本当ですか?」
「ああ。ただ、振り終わったあとに前へ倒れそうになってるぞ」
「……うっ」
「攻撃したあとも、次の動きができる姿勢を残しておくんだ」
俺は頷いた。
なるほど。
剣術というのは、ただ相手を斬る技術じゃない。
自分の体を制御する技術でもあるんだ。
◇
それから数日間、俺は朝の時間を使って剣術の訓練を続けた。
最初の二日間は、ほとんど足運びと素振りだけだった。
三日目になると、兄上は木の棒を地面に並べ、その間を踏まずに移動する練習を始めた。
「右へ一歩。次は後ろ。足を交差させるなよ」
「はい!」
「目線を下げすぎるな。足元ばかり見てたら、相手の動きが分からなくなる」
「でも、見ないと踏んじゃいます!」
「だから練習するんだよ」
兄上は笑っていたが、教え方は丁寧だった。
俺がうまくできない動作は、自分でゆっくり見せてくれる。
失敗しても怒鳴ったりしない。
ただ、同じ間違いを繰り返したときだけ、少し厳しい声になる。
そんな兄上の姿を見ていると、普段の陽気な性格とは違う一面が見えてきた。
きっと、兄上自身も何年もこうして訓練してきたのだろう。
ある日の午後、訓練を終えた俺たちは、中庭の大きな木の下で休んでいた。
マルタが冷たい水と焼き菓子を運んできてくれた。
「お疲れさまでございます。レオンハルト様、セドリック様」
「ありがとう、マルタ!」
「助かるよ。レオンが思ったより頑張るから、俺まで喉が渇いちまった」
「兄上のほうがいっぱい動いてるじゃないですか」
「教えるのだって大変なんだぞ?」
兄上は笑いながら水を飲んだ。
俺も一口飲み、木の幹に背中を預けた。
腕が少し痛い。
足も重い。
でも、不思議と嫌な疲れではなかった。
しばらく静かな時間が流れたあと、俺は兄上に尋ねた。
「……兄上は、どうして騎士になりたいんですか?」
兄上は焼き菓子を口へ運びかけたまま止まった。
「ん? 急にどうした?」
「前から気になってたんです」
「そうだなあ……」
兄上は少し考えたあと、庭の向こうを見た。
「最初は単純だったよ。剣を持って戦う騎士が格好よく見えたんだ」
「兄上らしいですね」
「おい、どういう意味だ?」
俺が笑うと、兄上も笑った。
だが、次の言葉は少し静かだった。
「でも、今はそれだけじゃない」
兄上は屋敷を見上げた。
「父上も母上も、アルブレヒト兄上も、領地のことでずっと苦労してるだろ?」
「……はい」
「俺は帳簿を読むのも、商人と値段の交渉をするのも、あまり得意じゃない。魔導機械のことだって、お前ほど興味はないしな」
兄上は苦笑した。
「だから、俺にできることで家族を支えたいんだ。騎士になって腕を磨けば、いざというときに守れるものが増えるかもしれない」
俺は黙って兄上を見つめた。
いつも明るくて、冗談ばかり言っている兄上。
でも、その胸の内には、俺と同じような思いがあったのだ。
「……俺も、家族を守りたいです」
「知ってるよ」
兄上は即座に答えた。
「お前、最近ずっとそのために頑張ってるもんな」
「でも、まだ全然足りません」
「そりゃそうだ。八歳で何でもできたら、俺たち兄貴の立場がないだろ」
兄上は俺の頭を軽く小突いた。
「レオン。強くなるのはいいことだ。でも、何でも一人で背負おうとするなよ」
「……はい」
「困ったら頼れ。俺にも、アルブレヒト兄上にも、父上にもな」
俺は胸の奥が温かくなるのを感じた。
前世の俺は、仕事で失敗しても、つい一人で何とかしようとしていた。
誰かに助けを求めることが、どこか苦手だった。
でも、今は違う。
俺には家族がいる。
頼れる兄たちがいる。
「……ありがとうございます、兄上」
「何だよ、改まって」
兄上は少し照れたように笑った。
「ほら、休憩が終わったらもう少しやるぞ。次は剣を振ったあとに足を動かす練習だ」
「ええっ、まだやるんですか!?」
「さっきまでやる気満々だったじゃないか!」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
◇
剣術の訓練を始めてから、俺は魔法の使い方についても考えるようになった。
きっかけは、兄上に何度も注意された重心の問題だった。
剣を振るとき、力を入れすぎれば姿勢が崩れる。
逆に、力を抑えて正しい方向へ動かせば、少ない力でも剣先を安定させられる。
……これって、魔法にも同じことが言えるんじゃないか?
俺は訓練場の端に置かれた水桶を見つめた。
以前の俺は、できるだけ多くの水を出すことばかり考えていた。
領地の畑へ水を送るためには、当然それも必要だった。
だが、量だけでは足りない。
水をどこへ、どのくらいの速さで、どれだけ無駄なく届けるか。
それが重要だった。
「アリア」
俺は手首の腕輪に声をかけた。
今日は父上から許可された研究時間だった。マルタも近くで見守っている。
『はい、レオンハルト様』
「水魔法と風魔法を同時に使ったら、水の流れる方向をもっと細かく調整できると思う?」
『理論上は可能です。ただし、二系統の魔力制御を同時に維持する必要があります』
「やっぱり難しいかな」
『現在の魔力制御能力では、短時間かつ低出力の試験を推奨します』
「分かった。まずは小さくやってみる」
俺は水桶から少し離れた場所に立った。
足を肩幅に開き、膝を軽く曲げる。
セドリック兄上に教わった姿勢だ。
まず、掌の上に少量の水を生み出す。
透明な水が小さな球になり、指先の少し上で揺れた。
「……よし」
次に、反対の手で弱い風を起こす。
水球の表面が揺れた。
だが、風が強すぎたらしい。
水は形を崩し、俺の袖に飛び散った。
「うわっ、冷たっ!」
『風魔法の出力が過剰です』
「……見れば分かるよ」
『改善案を提示しますか?』
「お願いします」
アリアは少し間を置いた。
『水の形状維持に使用する魔力を一定に保ち、風魔法のみを段階的に調整してください』
「なるほど……」
俺は濡れた袖を軽く振り、もう一度挑戦した。
今度は、水の量をさらに減らす。
掌の上に浮かぶのは、ビー玉ほどの小さな水球だった。
風も、最初はほとんど感じられない程度に抑える。
すると、水球がゆっくりと横へ動いた。
「……おっ?」
俺は息を止めた。
水球は形を保ったまま、数センチほど移動した。
しかし、そこで集中が乱れた。
ぱしゃっ。
水が地面へ落ちる。
「……ああ、惜しい!」
『水魔法の維持が途切れました』
「うん。でも、今のは少し動いたよね?」
『肯定します。短時間ですが、二系統の魔力制御が成立しました』
俺は思わず笑った。
成功した。
ほんの少しだけど、水と風を同時に扱えたのだ。
それから何度か試したが、毎回うまくいくわけではなかった。
風が強すぎれば水が散り、水の制御に集中しすぎれば風が止まる。
しかも、二つの魔法を同時に維持すると、予想以上に魔力を消費した。
しばらくすると、額に汗が浮かび始めた。
『レオンハルト様。魔力消費量が増加しています』
「……もう少しだけ」
『休息を推奨します』
その声と同時に、背後から別の声がした。
「レオンハルト様?」
振り向くと、マルタが腕を組んで立っていた。
紺色のメイド服に白いエプロン。いつもは優しい顔をしている彼女だが、今は少し眉を吊り上げている。
「……はい」
「お休みするお約束でしたよね?」
「……はい」
「では?」
「……休みます」
俺が素直に答えると、マルタは満足そうに微笑んだ。
「よろしいです」
アリアが静かに言った。
『適切な判断です』
「アリアまで……」
俺は苦笑しながら、水桶の横に腰を下ろした。
まだ余力はあった。
だが、以前のように限界まで魔力を使えば、翌日の訓練にも影響が出る。
少しずつ成長している魔力量も、無理をすればいいというものではない。
今は、継続することが大事だ。
◇
数日後、俺はセドリック兄上に一つのお願いをした。
「兄上。剣術の訓練で、魔法も使ってみたいんです」
兄上は木剣を持ったまま、眉を上げた。
「魔法?」
「はい。ほんの少しだけです」
「何をするつもりだ?」
「風魔法を使って、体の動きを助けられないかなって」
兄上は少し考えた。
「……面白そうだが、いきなりやるのは危ないぞ」
「分かってます。だから、兄上に見てもらいたいんです」
俺がそう言うと、兄上は苦笑した。
「まったく。そういうところは本当に父上に似てるな」
「父上に?」
「ああ。昔から新しい仕組みを思いつくと、試したくて仕方なくなるんだ」
俺は少し嬉しくなった。
父上も機械が好きだ。
祖父上の残したターボナイトを見つけたときも、壊れた部品についていろいろ教えてくれた。
俺たちは、少し似ているのかもしれない。
「いいか。まずは剣を持たずにやるぞ。俺が横で支えるから、無理に動くな」
「はい!」
俺は訓練場の中央に立った。
兄上が隣に立ち、いつでも支えられるように腕を伸ばす。
足を開き、膝を軽く曲げる。
そして、背中側から弱い風を起こした。
「《ウィンド》……!」
ふわり、と背中を押される感覚があった。
俺は一歩踏み出す。
だが。
「わっ!」
思ったより前へ進み、足がもつれた。
兄上がすぐに肩を掴んだ。
「おっと!」
「……すみません」
「だから言っただろ。力を加えればいいってもんじゃないんだ」
兄上は俺を立たせ、足元を指差した。
「今のは、風に押されて体だけ前へ行った。足が追いついてない」
「……なるほど」
「魔法を使うなら、なおさら自分の体の動きを考えろ」
俺は頷いた。
もう一度、今度は風をさらに弱める。
踏み出す足に合わせて、ほんの少しだけ背中を押す。
一歩。
二歩。
三歩。
今度は転ばなかった。
「……できた!」
「おお、今のは悪くない!」
兄上が笑った。
俺も嬉しくなった。
風魔法の力は、ほんのわずかだ。
速く走れるようになったわけでもない。
でも、体の動きと魔法を合わせる感覚が、少しだけ分かった気がした。
「よし。じゃあ、今度は木剣を持ってみるか」
「はい!」
俺は短い木剣を握った。
訓練場の端には、藁を束ねた小さな標的が立っている。
兄上はその前に立ち、俺に向かって頷いた。
「目標は、あの藁束に木剣を軽く当てることだ。速く振る必要はない。姿勢を崩さずにやってみろ」
「分かりました」
俺は深呼吸した。
足を開く。
木剣を構える。
そして、一歩踏み出した。
背中から、ごく弱い風を送る。
体が前へ進む。
その動きに合わせて、木剣を振り下ろす。
ぱしっ。
木剣の先が、藁束に軽く触れた。
俺はそのまま足を止めた。
……倒れていない。
姿勢も崩れていない。
「……やった」
小さく呟いた。
次の瞬間、嬉しさが込み上げてきた。
「兄上! できました!」
「見てたよ!」
兄上は笑いながら近づいてきた。
「今のは良かったぞ。魔法に振り回されず、自分で動けてた」
「本当ですか?」
「ああ。ただし、まだまだ練習は必要だな」
「もちろんです!」
俺は木剣を握り直した。
魔法を使えば、何でも簡単になるわけじゃない。
むしろ、使い方を間違えれば自分の動きを邪魔してしまう。
大事なのは、力を増やすことではなく、力を制御すること。
……そうか。
俺はふと、あることに気づいた。
それって、オメガにも同じことが言えるんじゃないか?
◇
その夜、俺は机の上にオメガの設計図を広げていた。
青と銀の装甲。
四基の背部推進器。
魔導剣と盾。
そして、魔導砲。
何度も描き直してきた図面だったが、今夜はいつもと違う部分が気になっていた。
「……アリア」
『はい、レオンハルト様』
「オメガの推進器について、ちょっと考えたいことがあるんだ」
『内容をお聞かせください』
俺は四基の推進器を指差した。
「今までは、どうやって強い推進力を出すかばかり考えてた。でも、それだけじゃ駄目だと思うんだ」
『理由をお聞かせください』
「今日、風魔法で体を動かそうとしたら、足が追いつかなくて転びそうになったんだ」
『姿勢制御の問題ですね』
「そう。オメガも同じだと思う」
俺はペンを取り、背部推進器の横に線を引いた。
「例えば、四つの推進器が全部同じ力で動いても、体の向きや重心によってはバランスを崩すかもしれない」
『肯定します。推進力の作用方向と機体重心の関係により、姿勢が変化する可能性があります』
「だったら、それぞれの出力を調整できる仕組みが必要だよね」
『理論上、有効と考えられます』
俺は頷いた。
以前、壊れた魔導ランプを修理したとき、魔力を流すだけでは安定して光らないことを知った。
そして、採掘場では魔晶石らしき鉱石も見つけた。
まだ鑑定結果は出ていないし、材料として使えるかどうかも分からない。
それでも、研究するべき方向は少しずつ見えてきていた。
「まずは、魔力を二つに分ける仕組みから考えよう」
『魔力分配機構の基礎研究ですね』
「うん。二つの出力を別々に調整できるようになったら、次は四つに増やしてみたい」
『段階的な検証を推奨します』
俺はノートに新しい見出しを書いた。
『オメガ計画――魔力分配・姿勢制御機構』
その下に、小さな回路図を描いていく。
もちろん、すぐに完成するようなものではない。
魔力を分けるだけでも難しいし、それぞれの出力を安定させるには、まだ知らないことが多すぎる。
でも、今日の訓練で一つだけ確信した。
オメガを完成させるためには、強い魔力だけでは足りない。
操縦者の体の動きと、機体の動きを合わせる仕組みが必要なのだ。
「……兄上のおかげだな」
『セドリック様の訓練が、設計に影響したということでしょうか?』
「そうだよ」
俺は笑った。
「兄上に剣を教わらなかったら、たぶん気づかなかった」
『記録しました』
「何を?」
『オメガ計画の設計思想に、操縦者の身体動作を反映すること』
俺は少し驚いたあと、笑みを浮かべた。
「……うん。それでいいと思う」
アリアは便利な知識を持っている。
でも、実際に体を動かし、失敗して、そこから学ぶのは俺自身だ。
そして、その経験を与えてくれたのは兄上だった。
いつかオメガが完成したら、真っ先に兄上へ見せたい。
そんなことを考えていたときだった。
廊下の向こうから、慌ただしい足音が聞こえた。
◇
「……何だろう?」
俺はペンを置いた。
足音は一つではない。
複数の人間が、急いで階段を上がっているようだった。
しばらくすると、扉が控えめに叩かれた。
「レオンハルト様。まだ起きていらっしゃいますか?」
マルタの声だった。
「起きてるよ。どうしたの?」
扉を開けると、マルタが少し心配そうな顔で立っていた。
「旦那様のもとへ、領地の警備隊から急ぎの報告が届いたようです」
「急ぎの報告?」
「はい。詳しいことはまだ分かりませんが……西の街道で、何かあったそうです」
俺は眉を寄せた。
西の街道。
商人たちが領地へ出入りするときに使う道だ。
魔導ポンプの修理に必要な部品や工具も、あの道を通って運ばれてくることがある。
「……大丈夫なのかな」
「旦那様が対応なさっています。レオンハルト様は、どうかお部屋でお待ちください」
「……分かった」
俺は頷いた。
だが、胸の奥に嫌な予感が残った。
しばらくして、父上から家族を食堂へ集めるよう伝言があった。
俺がマルタと一緒に食堂へ向かうと、すでにアルブレヒト兄上とセドリック兄上が席についていた。
母上も心配そうな表情をしている。
父上は食卓の端に立ち、一枚の報告書を手にしていた。
「皆、聞いてくれ」
その声は、いつもより低かった。
「西の街道で、商人の馬車が襲われた」
食堂の空気が変わった。
「……魔物ですか?」
俺が尋ねると、父上は首を振った。
「いや。人間だ」
「……人間?」
「盗賊の一団らしい」
俺は息を呑んだ。
盗賊。
この世界にも、当然そういう連中はいる。
ゲームでも街道を襲う敵として登場することがあった。
だが、実際に自分たちの領地の近くで活動していると聞くと、まったく違う重みがあった。
「被害は?」
アルブレヒト兄上が尋ねた。
「積み荷の一部を奪われた。御者は負傷したが、命に別状はないそうだ」
母上が胸に手を当てた。
「……それは不幸中の幸いですね」
「だが、問題はそれだけではない」
父上は報告書を机に置いた。
「ここ数日、近隣の街道でも不審な男たちが目撃されている。武器を持った集団が、森の中を移動しているという話もある」
セドリック兄上が眉を寄せた。
「同じ連中でしょうか?」
「まだ分からん。ただ、警備隊は警戒を強めている」
アルブレヒト兄上は難しい顔になった。
「……困りましたね」
「何か問題があるんですか?」
俺が尋ねると、兄上は静かに答えた。
「商人たちが危険を恐れて街道を避けるようになれば、物資が届きにくくなる。輸送費も上がるだろうね」
「……あっ」
俺はすぐに理解した。
魔導ポンプの修理には、外部から技術者や部品を呼ぶ必要があるかもしれない。
そのための街道が危険になれば、修理はさらに遅れる。
領地の農民たちも、収穫物を売りに行くのが難しくなる。
ただでさえ借金があるのに、これ以上の負担が増えれば……。
「父上」
セドリック兄上が立ち上がった。
「俺も警備隊に加わります。街道の巡回くらいなら――」
「駄目だ」
父上は即座に答えた。
「ですが!」
「お前の剣の腕は認めている。だが、相手の人数も居場所も分からない。むやみに動けば、こちらが不利になるだけだ」
兄上は悔しそうに唇を噛んだ。
「……分かりました」
父上は少し声を和らげた。
「今は情報を集めることが先だ。警備隊には巡回を増やすよう指示した。商人たちにも注意を呼びかける」
俺は黙って話を聞いていた。
魔物だけじゃない。
人間だって、領地を脅かす存在になり得る。
そして、俺たちの生活は、思っていた以上に多くの人や場所とつながっている。
魔導ポンプが壊れれば畑が困る。
畑が困れば収入が減る。
街道が危険になれば、物資も届かなくなる。
一つの問題が、別の問題を呼んでしまう。
俺は膝の上で拳を握った。
……もっと、できることを増やしたい。
でも、今の俺が盗賊を倒しに行くなんて、絶対に無理だ。
そんなことをすれば、家族を余計に心配させるだけだろう。
だからこそ、今は学ぶしかない。
剣術も、魔法も、魔導工学も。
いつか本当に誰かを守れるようになるために。
◇
話し合いが終わり、俺は自分の部屋へ戻った。
机の上には、描きかけのオメガの設計図が広がっている。
俺は椅子に座り、しばらくその図を見つめていた。
「……アリア」
『はい、レオンハルト様』
「もし、いつかオメガが完成したら……家族だけじゃなくて、領地のみんなも守れるかな?」
少しの沈黙。
『機体性能のみで、すべての危険を防ぐことはできません』
「……そうだよね」
『操縦者の判断、周辺状況の把握、適切な運用が必要です』
俺は頷いた。
どれだけ強い機械を作っても、それを扱う人間が未熟なら意味がない。
今日、兄上に教わったことと同じだ。
俺は設計図の端に、新しい言葉を書き加えた。
『強さとは、力を制御し、守るために使うこと』
少し格好つけすぎたかもしれない。
でも、今の俺には大切な言葉だった。
「……よし」
俺はペンを置き、窓の外を見た。
夜空には、薄い雲が流れている。
明日も剣術の訓練がある。
魔法の研究も続けたい。
魔導ポンプの修理も、鉱山の調査も、まだ終わっていない。
やることは山ほどある。
それでも、少しずつ進んでいこう。
焦っても、強くなれるわけじゃない。
そのときだった。
廊下の向こうから、再び足音が聞こえた。
今度は父上の声も混じっている。
「……北の旧採掘場だと?」
俺は顔を上げた。
北の旧採掘場。
……まさか。
耳を澄ませると、警備隊の男らしい声が聞こえてきた。
「はい。森の中で不審な男たちを見かけたという報告があります。数は不明ですが、武器を持っていたそうです」
「盗賊と同じ連中か?」
「まだ確認できておりません。ただ、採掘場へ続く古い道の近くで目撃されています」
俺の胸が、どくんと鳴った。
あの採掘場には、魔晶石やミスリルらしき鉱石があった。
そして、さらに奥には、アリアが検出した謎の魔導構造物が眠っている可能性もある。
……偶然なのか?
それとも、あの場所に何か用があるのか?
『レオンハルト様』
アリアの声が静かに響いた。
『心拍数の上昇を確認しました』
「……うん」
俺は小さく答えた。
「ちょっと、嫌な予感がするんだ」
『現時点では、盗賊と旧採掘場の関連性を示す情報はありません』
「分かってる」
俺は窓の外へ目を向けた。
暗い森の向こうに、北の山々がある。
そこには、俺たちがまだ知らない秘密が眠っている。
けれど、もし盗賊たちがあの近くをうろついているのなら、調査はますます難しくなるだろう。
俺は手首の腕輪を見つめた。
「……アリア」
『はい』
「明日も、ちゃんと訓練しよう」
『了解しました。訓練記録の管理を継続します』
俺は頷いた。
今の俺にできることは少ない。
それでも、何もしない理由にはならない。
兄上から剣を学ぶ。
魔法の制御を磨く。
そして、オメガを完成させるための知識を積み重ねる。
いつか本当に大切な人たちを守れるように。
俺は机の上の設計図を静かに閉じた。
窓の外では、夜風が木々を揺らしていた。
その向こうで何が起きているのか、今の俺にはまだ分からない。
ただ一つ確かなのは――ヴァイス領に、新たな不穏な影が近づき始めているということだった。
この章を読んでいただき、本当にありがとうございます!
楽しんでいただけたなら幸いです。もしお時間があれば、コメント欄でご感想をお聞かせいただけると嬉しいです。また、もしこの物語が気に入っていただけたら、星評価をいただけると大変励みになります。
お時間とご支援、本当にありがとうございました!




