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義兄弟なんて、要りません

潘巧雲でございます。


父の家から戻り、しばらく経つと、夫が客を連れて戻りました。

名は石秀。

どうやら今日から、義弟だそうです。

夫の弟。

家の者。

頼りになる男。

どれも立派な言葉です。

けれど、私に聞かれた覚えはございません。


義兄弟とは、ずいぶん便利なもののようです。

父の家から戻る道で、迎児はほとんど口を開かなかった。

私も、何も聞かなかった。

聞いたところで、答えは分かっている。

潘公様は昔からああいう方です、とか。

奥様のことを案じておいでです、とか。

楊雄様は悪いお方ではございません、とか。

そういう言葉なら、たぶん出てくる。

けれど、それは迎児の本心というより、この家で覚えた返事だ。

下の者が、上の者を悪く言わずに済ませるための、薄い布切れのようなもの。

破れば、困るのは迎児の方だ。

だから黙って歩いた。

道は、朝より少しだけ見えるようになっていた。

どこで曲がるか。

どの家の前に井戸があるか。

どの塀の角で荷車が詰まりやすいか。

それでも、一人なら迷う。

私はまだ、この町の人間ではない。

この身体は道を知っているのかもしれないが、私の頭は知らない。

足だけが勝手に動いてくれるほど、都合よくはできていなかった。

迎児の背中が、今日も地図だった。

家に戻ると、門の内側は静かだった。

静かすぎる。

人がいないのではない。

人の気配はある。

台所の方で水を使う音がして、奥から誰かが布を畳む音もした。

けれど、私が帰ってきたことを喜ぶ空気はない。

この家は、私の帰りを待っていない。

ただ、私が戻る場所として、そこにあるだけだ。

「奥様、お疲れではございませんか」

迎児が小さく言った。

「少しだけ」

本当は、少しではなかった。

身体より、頭が疲れていた。

夫の家は駄目。

寺も駄目。

父の家も駄目。

逃げ場を一つ確認するたびに、道が広がるのではなく、狭くなっていく。

おかしな話だ。

知れば知るほど、私は動きにくくなる。

部屋へ戻り、上衣を解いたところで、外が少し騒がしくなった。

男の声がした。

楊雄の声だ。

迎児の手が止まる。

私も、動きを止めた。

声が一つではない。

もう一つ、聞き覚えのある声が混じっていた。

低すぎず、よく通る。

相手を不快にさせないよう、少し笑みを含ませたような声。

父の家で聞いた声だ。

「奥様?」

迎児がこちらを見た。

私は小さく頷いた。

逃げるわけにはいかない。

ここは、私の部屋で、私の家だということになっている。

その家へ夫が戻ってきただけなら、妻は出迎えなければならない。

嫌な決まりだ。

廊下へ出ると、楊雄が機嫌よく立っていた。

普段より顔が明るい。

酒が入っているのか、頬に赤みがある。

その隣に、石秀がいた。

やはり、と思った。

石秀は私を見ると、すぐに姿勢を正した。

「義姉さん、お騒がせいたします」

義姉さん――

その呼び方が、耳の奥に引っかかった。

私は、この男の姉になった覚えはない。

もちろん、兄嫁になった覚えもない。

昨日まで他人だった男が、たった一つ男同士の約束を交わしただけで、私を家族の呼び名で呼ぶ。

随分、便利な仕組みだと思った。

「……お越しとは存じませんでした」

声は乱さなかった。

乱せば、私の負けになる。

この家では、女の声の揺れは、そのまま女の落ち度にされる。

楊雄が笑った。

「今日から石秀は、俺の弟も同然だ」

そう言って、石秀の肩を叩いた。

「外で少し揉め事があってな。こいつの腕と肝の据わり方を見た。なかなかの男だ。話してみれば筋も通っている。互いに気が合ったので、義兄弟の契りを結んだ」

私は、石秀ではなく楊雄を見た。

勝手に決めて、勝手に連れて帰って、勝手に告げる。

そこに私の意思が入る場所はない。

「左様でございますか」

それだけ言った。

楊雄は不満そうではなかった。

むしろ、私が余計なことを言わなかったので満足したようだった。

「家の者と思って扱え」

出た――

家の者。

その言葉一つで、他人が内側に入ってくる。

門をくぐり、廊下を歩き、部屋の近くまで来ることが許される。

女が嫌がれば、狭量だと言われる。

義を疑うのかと言われる。

夫の顔を潰すのかと言われる。

私は、腹の底が冷えるのを感じた。

「承知いたしました」

承知などしていない。

けれど、ここで承知しないと言えば、どうなるかは分かる。

なぜ嫌がる。

石秀の何が気に入らない。

やましいことでもあるのか。

良い男を良いと言えぬのは、お前の心が曲がっているからではないか。

そこまで、簡単に想像できる。

石秀は丁寧に頭を下げた。

「未熟者ではございますが、兄貴には大きな恩を受けました。今後、何かございましたら、どうぞお申し付けください」

言葉だけなら、非の打ちどころがない。

礼儀正しく、控えめ。

恩を知っている。

押しつけがましくもない。

だから厄介だった。

乱暴な男なら、嫌がれる。

無礼な男なら、退けられる。

だが、礼儀正しい男を嫌がるには、理由がいる。

理由を求められた時、女の嫌悪は弱い。

嫌だから。

近づいてほしくないから。

家に入ってほしくないから。

それだけでは通らない。

「お気遣い、痛み入ります」

私はそう返した。

石秀は、少しだけ目を細めた。

笑ったのではない。

こちらの言葉を受け取って、置き場所を決めたような目だった。

この人は、人を見る。

そう思った。

父の家でもそうだった。

荷の質、肉の脂、人の顔色。

見るべきところを見て、覚える。

悪いことではない。

むしろ、商いでも戦いでも必要な才だろう。

けれど、見られる側にとっては、気持ちのよいものではない。

私はこの男に、覚えられたくない。

楊雄は上機嫌のまま、奥へ入るよう石秀を促した。

「今日は飲み直す。迎児、支度をしろ」

迎児がびくりとした。

「はい」

その返事が、少し早すぎた。

私は迎児を見た。

迎児はすぐに目を伏せた。

この子は知っている。

男が増えるということは、仕事が増えるということだ。

酒を出し、器を出し、つまみを整え、呼ばれれば走る。

そして失敗すれば叱られる。

義兄弟が増えた喜びなど、迎児には一つもない。

それなのに、笑わなければならない。

「私も手伝います」

言うと、楊雄が眉を上げた。

「お前がか」

その言い方だけで、台所に入ることすら私の役ではないと分かる。

「迎児一人では、急な支度は大変でしょう」

楊雄は少し考えた後、鼻で笑った。

「好きにしろ」

好きにしろ――

許可された。

私の家の中で、私が下女を手伝うことまで、夫の許可がいる。

台所へ向かう途中、迎児が小声で言った。

「奥様、お手を煩わせるわけには」

「いいの。急ぎましょう」

それ以上、迎児は何も言わなかった。

台所は狭く、熱がこもっていた。

酒を温め、皿を出し、残っていた煮物を整える。

私は手順を知らない。

だから、迎児の動きを見て、できることだけをした。

器を拭く。

箸をそろえる。

こぼれた水を拭う。

役員秘書だった頃の自分が見たら、何をしているのかと笑うかもしれない。

会議室の水差しを整えるのも、酒器をそろえるのも、結局は似たようなものだ。

違うのは、断れない理由が、仕事ではなく家になったことだけ。

奥から男たちの声が聞こえた。

楊雄はよく笑っていた。

石秀は控えめに相槌を打ち、時々、短く答える。

話し方がうまい。

出過ぎない。

相手を立てる。

それでいて、卑屈ではない。

楊雄が気に入るのも分かる。

分かるから、嫌だった。

「石秀様は」

迎児がぽつりと言った。

私は手を止めなかった。

「よい方のようでございますね」

そう言わなければならないのだろう。

この家では――

「そうね」

私は皿を拭きながら答えた。

「悪い方には見えないわ」

迎児が少し安心したような顔をした。

だから、私は続けなかった。

悪い方に見えないことと、家に入ってよいことは別だ。

その言葉を出せば、迎児を困らせる。

迎児はきっと、どう答えれば安全かを考えてしまう。

私はこの子にまで、答えを探させたくなかった。

支度を終えて座敷へ運ぶと、石秀はすぐに立ち上がった。

「義姉さん自ら、恐れ入ります」

また、その呼び方。

私は笑みだけを作った。

「急なことでしたので」

楊雄が杯を置いた。

「気を利かせたのだろう。こういうところは悪くない」

こういうところは――

では、他は悪いのか。

そう聞けるはずもない。

石秀は何も言わず、少し頭を下げた。

その沈黙も、うまかった。

男同士の場で、妻を褒めすぎない。

夫より前に出ない。

けれど、無視もしない。

よくできた人だ。

だからこそ、入ってこないでほしかった。

酒宴は長くは続かなかった。

石秀は頃合いを見て辞した。

泊まることはしない。

初日から踏み込みすぎない。

それもまた、礼儀として正しい。

楊雄は門まで送った。

私は部屋の奥から、その背を見ていた。

二人は並んで歩いた。

肩の高さが近い。

声の調子も近い。

もう、ずっと前から知っていたように見える。

男同士は、どうしてあんなに早く身内になれるのだろう。

盃を交わせば兄弟。

肩を叩けば仲間。

家へ連れてくれば、家の者。

そのたびに、女の居場所は少しずつ狭くなる。

石秀が帰った後、楊雄は機嫌よく部屋へ戻った。

「よい男だろう」

答えを求める声ではなかった。

同意だけを求める声だった。

「礼儀正しい方でございますね」

私はそう言った。

楊雄は満足げに頷いた。

「腕も立つ。ああいう男が近くにいれば、何かと頼りになる」

頼りになる……

誰にとって?

少なくとも、私にとってではない。

「今後は出入りも増える。お前も余計な気を回すな」

「はい」

返事は一つで済ませた。

余計な気……

女が嫌がることは、余計な気になる。

女が警戒することは、気にしすぎになる。

女が距離を置けば、礼を欠いたことになる。

便利なものだ。

楊雄が奥へ行った後、迎児が片づけに来た。

私も黙って手伝った。

器の底に残った酒の匂いが、鼻に重い。

さっきまで男たちの声が満ちていた部屋は、急に広くなったように見えた。

けれど、空いたわけではない。

むしろ、何かが置かれた。

見えない椅子が一つ増えたようだった。

石秀という男の席。

楊雄が許し、家が受け入れ、迎児が支度をし、私が笑って迎えたことにされた席。

私は、その椅子を片づける方法を知らない。

「奥様」

迎児が呼んだ。

「疲れたでしょう。もう休みなさい」

「ですが」

「いいの」

迎児は少し迷ってから、頭を下げた。

「では、失礼いたします」

その背中が廊下へ消える。

今日も、あの子だけが私の言葉を待ってくれた。

父は、私を夫の家へ戻した。

夫は、義弟を家に入れた。

石秀は、礼儀正しくその場所に立った。

誰も、私に聞かなかった。

私は灯りの前に座り、自分の手を見た。

この身体の手は、昨日より少しだけ私のものに見えた。

けれど、この家の中では、まだ何も掴めていない。

義兄弟――

立派な言葉だ。

男たちは好きなのだろう。

筋だの、恩だの、契りだの。

でも、私には要らない。

夫の弟など要らない。

家の者同然の他人など要らない。

父の家にも夫の家にも顔を出す、よくできた男など、もっと要らない。

口には出さなかった。

出せば、また私の言葉ではなくなる。

狭量。

疑い深い。

女の癇。

そんな名前をつけられる。

だから、心の中だけで言った。


義兄弟なんて、要りません。

迎児でございます。


石秀様は、礼儀正しい方でした。

よい方なのだと思います。

けれど、奥様に何も聞かず、家の者になってしまわれました。


――椅子が一つ増えただけでも、家は狭くなるようです。

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