獣道で止めました
「迎児、敵が今度は獣道から来るみたい」
「では、そちらも塞ぐのでございますか?」
「全部塞いだら兵が足りないのよ」
「では、どうなさるので?」
「一つだけ、通れる道を残す」
「……巧雲様」
「何?」
「それは罠というものでは?」
「言い方!」
迎児が帳面を抱えたまま、少しだけ私から離れた。
「何で距離取るの?」
「念のためでございます」
「周通殿と同じことしないで!」
というわけで第41話。
荷車の次は、獣道です。
……迎児。
私、だんだん山賊らしくなってない?
「副官らしくなっておられます」
それ、褒めてる?
「次だ」
楊志様の一言で、広間の空気が変わった。
ついさっきまで、荷車の策が通ったことに安堵していたはずなのに、呼延灼はもう次の手を出している。
騎兵では山道を抜けない。
ならば歩兵を出し、荷車のない場所から登らせる。
考えてみれば当然だった。
「獣道は、どれくらいありますか?」
私は李忠殿へ尋ねた。
「山へ入る道そのものは幾つもある。だが、盾を持った兵がまとまって通れるとなると、多くはない」
李忠殿が地図の端へ指を置く。
「北寄りに木こりが使う道が一つ。南には猟師が通る細道がある。それ以外は、一人二人ならともかく、何十人も入れば途中で動けなくなる」
「荷車は通れませんよね?」
「無理だ」
やはり、同じことはできない。
私は地図を見る。
呼延灼は盾を持たせた歩兵を出した。荷車を燃やした時のように矢を浴びせても、盾を並べて押し上がってくれば止めきれないかもしれない。
しかも向こうは、こちらが道を塞ぐことをもう知っている。
同じ手を使えば、今度はこちらが読まれる。
「北と南、両方を守るのは難しいですか?」
「兵を割けばできなくはない」
李忠殿はそう答えたあと、首を振った。
「だが、その分だけ正面が薄くなる」
それは困る。
全部を守ろうとすれば、こちらの兵が散る。
兵が散れば、一か所ずつの厚みがなくなる。
だったら――
「……一つだけ、残しませんか?」
楊志様がこちらを見る。
「何をだ?」
「通れる道です」
周通殿が眉を寄せた。
「塞がねえのか?」
「はい」
「敵が登ってくるぞ?」
「登ってきてもらいます」
周通殿の顔が完全に止まった。
「何で?」
分かりやすい。
私は北側の木こり道を指した。
「こっちは、入口から分かるくらい塞いでください。倒木でも石でもいいです。斥候が見た時に、抜けるには時間がかかると思わせます」
次に南側へ指を移す。
「その代わり、こちらは何もしません。むしろ入口の枝を少し払って、盾を持ったままでも入れそうに見せてください」
李忠殿が目を細める。
「二つ見つけて、一つが塞がれていれば――」
「急いでいるなら、通れそうな方を選びます」
楊志様が続きを言った。
私は頷く。
「敵に好きな道を選ばせるんじゃなくて、こちらが選んだ道へ来てもらうんです」
周通殿が少しだけ身を引いた。
「……やっぱり怖えな、潘副官」
「まだ何もしてません!」
これからである。
武松様が地図へ目を落とした。
「南の道に、止めやすい場所はあるのか?」
李忠殿が少し考える。
「途中に狭い場所がある。両側を木に挟まれて、地面が少し窪んでいる。人一人なら問題ないが、盾を持って列を作れば詰まりやすい」
「そこを見たいです」
今度は即答した。
「罠を置くなら、地図の上だけで決めたくありません」
楊志様が頷いた。
「行くぞ」
南の獣道へ向かう途中、周通殿はなぜか私より少し前を歩いていた。
「周通殿」
「何だ?」
「さっきから妙に距離を取ってません?」
「念のためだ」
「何の?」
「聞くな」
聞かない方がいいこともある。
魯智深様、楊志様、武松様が近くにいるせいか、周通殿の学習速度は非常に高かった。
問題の獣道は、李忠殿の言った通りだった。
入口こそ普通に歩けるが、少し進むと道幅が急に狭くなる。
木の根が地面から張り出し、その先には浅い窪地があった。
私はしゃがみ込み、土へ触れる。
乾いているように見えるのに、指を押し込むと少し沈んだ。
盾を持った兵がここへ何十人も入れば、足並みは確実に乱れる。
「ここですね」
周通殿が辺りを見回した。
「穴でも掘るのか?」
「掘りません」
「罠なのに?」
「今から大穴を掘ったら、間に合いませんし見つかります」
私は斜面を見上げた。
途中に、倒れかけた木が一本引っかかっている。
その近くには、枯れた太い枝も転がっていた。
「あの木、動かせますか?」
李忠殿が兵を呼び、確かめさせた。
何人かで押せば、斜面の上へ一度寄せられるらしい。
「では、先頭が窪地へ入った後で落としてください」
周通殿が首を傾げる。
「入ったらすぐか?」
「すぐじゃ駄目です」
私は獣道の入口へ振り返った。
「先頭だけ止めても、後ろがまだ外にいたら逃げられます。ある程度、中へ入ってもらわないと」
「どこまで待つ?」
そこで、入口から窪地までの間に立つ一本の木が目に入った。
「あの木を目印にしましょう」
「縄を張るのか?」
「敵を転ばせるためじゃありません」
木の幹へ縄を結び、斜面の上からでも位置が分かるようにする。
「先頭が窪地へ入って、後続があの木を越えたら、見張り役が笛を一度鳴らしてください」
私は前方の倒木を見る。
「笛が鳴ったら前を塞ぐ。同時に、入口側にも木材を落とします」
李忠殿が理解した。
「前と後ろを同時に止めるのか?」
「完全に閉じ込めなくていいです。盾を持ったままでは簡単に抜けられないくらいで十分です」
「その真ん中へ矢を射る?」
「はい、ただし追い詰めすぎないでください」
楊志様がこちらを見る。
「理由は?」
「逃げられないと思ったら、斜面へ散って無理に登るかもしれません。私たちは全滅させたいわけじゃない。進めないと思わせればいいんです」
戦うためではない。
時間を奪うためだ。
呼延灼を倒せなくてもいい。
梁山泊が来るまで、桃花山が落ちなければいい。
「別の道を探されたらどうする?」
武松様が尋ねた。
「探してもらいます」
「その間も時間が過ぎる、か」
「はい」
楊志様が地図へ目を落とし、それから李忠殿を見る。
「北の木こり道は、見れば避けたくなる程度に塞げ。南は逆に入りやすく見せる。兵は伏せすぎるな。斥候に気取られる」
「承知した」
そこからの準備は早かった。
北の道には、完全には抜けなくてもいい程度に倒木と石を置く。
南側は逆だった。
入口を隠していた枝を少し払い、足元に転がっていた邪魔な石も退ける。
罠を仕掛けるために、わざわざ道を通りやすくする。
「本当に敵を招いてるみたいだな」
周通殿が言った。
「招待状は出してません」
「でも来るだろ?」
「来てくれないと困ります」
「やっぱり怖えよ」
失礼である。
窪地の上では倒木を落とす準備をし、入口側にも木材を寄せる。
弓兵は一か所へ固めず、木々の陰へ散らした。
前回と同じ場所、同じやり方にはしない。
呼延灼は、一度見たものをそのまま受けてくれる相手ではない。
やがて斥候が駆けてきた。
「青州兵、獣道へ入りました!」
「どちらです?」
「南!」
来た――
私たちが残した方だ。
胸の奥が強く脈打つ。
策を考えている時と、実際に敵がその通り動いた時では、まるで違う。
「潘巧雲」
楊志様が私を見る。
「まだだ」
「はい」
敵兵の声が近づいてきた。
枝を踏む音。
盾が木へ擦れる音。
一人や二人ではない。
先頭が窪地へ下りる。
後続が続いた。
十人。
さらに入る。
目印にした木を越えた。
まだ後ろから来る。
「今です」
笛が一度、鋭く鳴った。
斜面の上で待機していた兵が倒木を押す。
太い木が土を削りながら落ち、窪地の先へ横たわった。
ほとんど同時に、入口側でも木材が転がり落ちる。
「止まれ!」
青州兵の声が響く。
けれど、止まれない。
前の兵が足を止めても、後ろから次々に押されてくる。
盾と盾がぶつかり、窪地へ人が溜まっていく。
「上だ!」
弓兵に気づいた者が叫んだ。
矢が飛ぶ。
盾を掲げれば、倒木をどかせない。
木を動かそうと盾を下ろせば、矢が来る。
前へ出ようにも木があり、戻ろうにも後続がいる。
狙った通りだった。
周通殿が隣で口を開けている。
「……本当に詰まった」
「その言い方、前回の私みたいだからやめてください」
「前回?」
「こちらの話です」
前世があると、こういう時に説明が面倒である。
青州兵が倒木を動かそうと人を集める。
けれど、狭い。
二人が木を押せば、その後ろは待つしかない。
盾まで持っているせいで、身動きはさらに悪くなる。
呼延灼が盾兵を出した判断は正しい。
だからこそ、この場所では盾が邪魔になる。
「射ち続けるな」
楊志様が弓兵を止めた。
「下がる余地を残せ」
完全に追い詰めれば、敵は死に物狂いになる。
今はただ、進めないと思わせればいい。
やがて青州兵の動きが鈍った。
前へ出られない。
後ろへも簡単には戻れない。
盾を持った兵たちが、窪地の中で立ち往生している。
「止まりましたね」
私が言うと、楊志様が頷いた。
「二度目だ」
少しだけ胸が熱くなる。
荷車で騎兵を止めた。
今度は獣道で歩兵を止めた。
二度も通った。
もしかしたら――
そう思いかけた時だった。
山の上から、見張り役の兵が駆け下りてきた。
「申し上げます!」
息が切れている。
「呼延灼本人が動きました!」
全員の顔が上がる。
「どこへ?」
魯智深様が問う。
兵は山の正面を指した。
「桃花山の正面です! 残していた兵をまとめ、呼延灼自ら先頭へ出ております!」
私は地図へ目を落とした。
そして、ようやく気づいた。
山道を守るために兵を使った。
獣道にも兵を回した。
策が通るたび、こちらは守る場所を増やしていた。
正面の兵がいなくなったわけではない。
けれど、何かあった時にすぐ動かせる兵が、ほとんど残っていない。
もし今、正面の柵を破られれば、穴を埋める兵が足りない。
さらに押し込まれれば、南の獣道に出した兵が戻る道まで危なくなる。
呼延灼は、荷車を突破する必要などなかった。
獣道の罠を破る必要もなかった。
こちらに兵を使わせればよかったのだ。
「……誘われた」
思わず声が漏れた。
楊志様が私を見る。
「そうだ」
呼延灼は二度、こちらの策で兵を止められた。
それでも、その間ずっと、こちらがどこへ兵を回すのかを見ていた。
楊志様が地図を私の方へ寄せる。
「潘巧雲」
「はい」
今度の声は、さっきまでと違った。
「三手目だ」
二度、止めた。
だから三度目は、向こうがこちらを動かしてきた。
巧雲様の罠は、きれいに決まったそうです。
「迎児、今度は獣道で止めたのよ」
「お見事でございます」
「でしょう?」
「ですが、呼延灼様も巧雲様たちを動かしていたとか」
「そこまで聞いてるの!?」
聞いております。
「二回止めたのに、結局こっちも誘導されてたのよ」
「では、お互い様でございますね」
「軽く言わないで!」
しかも次は、呼延灼本人が正面へ来るそうです。
「迎児」
「はい」
「私、もう副官やめたいかも」
「まだ二話目でございます」
「数えないで!」
というわけで第42話。
三手目は、呼延灼本人です。
巧雲様――
今度こそ、帳面だけでは済まなさそうでございますね。




