届くように荷札をつけます
潘巧雲でございます。
梁山泊へ送る荷に、荷札をつけました。
兵糧、薬、金、水袋。
そして、傷病者用の薄布です。
ただの支援物資です。
仕事です。
そのはずなのに、柴進様にも届くかもしれないと思うだけで、どうにも手元が危うくなります。
……荷札に私情を書くのは、さすがに事故ですね。
届くように、支度をいたします。
翌朝、梁山泊へ送る荷を広間に並べた。
兵糧、薬、金、水袋。
傷病者用の薄布。
それから、閻婆惜殿宛ての文。
実際に並べてみると、胸の中の騒ぎも少しだけ形になる。
足りない物は足せばいい。
余る物は控えればいい。
数えられるものは、まだ扱いやすい。
問題は、数えられないものだった。
柴進様の名を思い出すたびに熱くなる胸。
あの方が梁山泊へ入ると知った時の沈み方。
会えないと分かっていても、触れたいと思ってしまう手。
そこに帳面の欄はない。
あるなら欲しい。
感情管理表。
非常に切実である。
「巧雲様、控えを読み上げます」
迎児が紙を持った。
「お願いします」
「兵糧、麓の曹正様の店より上げる分、三包。二龍山内の備えより二包。薬箱、二つ。金子、一包。水袋、五つ。薄布、一包」
「薄布は、傷病者用上等布でお願いします」
「はい。傷病者用上等布、一包」
傷病者用。
上等布。
それなら安全だった。
誰の肌に触れるかを考えなくて済む。
誰の傷へ当てられるかを思わなくて済む。
済む、はずだった。
白く畳まれた薄布が、朝の光を受けている。
私は指先で、ほんの少しだけ端を確かめた。
柔らかい――
これが、柴進様に届くかもしれない。
牢から出されたあの方の腕に、肩に、胸元に、そっと当てられるかもしれない……
私の手ではない……
けれど、私が選んだ布だ。
そう思っただけで、息が細くなった。
「巧雲」
孫二娘の声が、妙に楽しそうに聞こえた。
「その薄布、ずいぶん優しく扱うねェ」
私はすぐに手を引いた。
「品質確認です」
「薄布を撫でる品質確認なんて、初めて見たよォ」
「撫でていません」
「撫でてたねェ」
孫二娘は笑っている。
その横で張青は、荷運びの者たちに縄を配らせたまま、顔に片手を当てていた。
見ないようにしているのかと思えば、指の間からこちらを見ている。
「張青さん、何をしているのですか」
「いや、その……見ちゃいけねえ気がするんですが、見ねえと余計に気になるというか」
「余計に失礼です」
「分かってます。だから困ってんです」
孫二娘が吹き出した。
「張青、あんたが一番正直だねェ」
楊志が咳払いをした。
昨日から、その咳払いが増えている。
喉を痛めないか心配になるほどだ。
「潘巧雲。荷札をつけろ。中身と受け取り先が分からねば、梁山泊で混じる」
「はい」
私は筆を取った。
木札を並べる。
兵糧、薬、金、水袋。
傷病者用上等布。
そこまで書いて、筆が止まった。
柴進様用――
そう書きたくなった。
誰に届いてほしいか、一目で分かる。
間違えようもない。
だが、それは荷札ではない。
恋文である……
いや、恋文としてもおかしい。
荷に恋慕を貼ってどうする。
配送事故より悪い。
個人情報漏洩である。
私は息を整え、木札に書き直した。
傷病者用上等布。
梁山泊側にて管理。
必要時、速やかに使用。
これならよい。
誰が見ても物資の札だ。
誰も、私の胸の奥までは読めない。
読めないはずだった。
「アンタ、良い女過ぎるよォ」
孫二娘がぽつりと言った。
私は顔を上げた。
「何の話ですか?」
「薄布ひとつに、そんな顔をする女の話さ」
「していません」
「してるねェ」
孫二娘は薬包みの数を確かめる女に目配せしながら、にやりとした。
「だから、噂に尾ひれがつき過ぎるんだねェ」
一瞬、楊雄の名が頭をよぎった。
嫌な影だった。
孫二娘も察したのか、笑みを少し薄くする。
「アンタが悪いって話じゃないよォ。勘違いする男の目が腐ってるって話さ」
その言い方に、少し救われた。
「……ありがとうございます」
「礼を言うところかねェ」
「たぶん、言うところです」
孫二娘は肩をすくめた。
張青はまだ顔を覆っている。
楊志は地図を見ているふりをしている。
迎児は、今にも泣きそうな顔で私の手元を見ていた。
「巧雲様」
「はい……」
「少し、お休みになりませんか」
「なりません。荷が先です」
「ですが……」
「倒れる予定はありません」
迎児の眉がきゅっと寄った。
「予定で倒れる方はいません」
昨日も聞いた。
今日も正しい。
迎児の正論は、日に日に強くなっている。
「迎児……」
「はい」
「泣かないでください。私まで困ります」
そう言った瞬間、迎児の目からぽろりと涙が落ちた。
「泣いておりません」
「泣いています」
「巧雲様が、あまりにも苦しそうで……」
声まで震えていた。
それを見た途端、胸の奥が別の意味で痛んだ。
「大丈夫です」
「大丈夫な方は、薄布を見てそのようなお顔をなさいません」
孫二娘が口元を押さえた。
張青が指の間をさらに広げた。
楊志が今度は本気で咳き込んだ。
「……そのような顔、とは?」
「分かりません。ですが、見てはいけない気がいたします」
迎児まで張青と同じことを言い出した。
私は頭を抱えたくなった。
「これは仕事です」
「はい」
「支援物資です」
「はい」
「柴進様の肌に――」
言いかけて、止まった。
遅かった――
広間が固まった。
孫二娘は目を丸くし、次の瞬間に腹を抱えて笑いそうな顔になった。
張青はとうとう両手で顔を覆った。
楊志は地図を反対向きに見ている。
迎児は泣いたまま固まっていた。
私は筆を置いた。
「今のは、忘れてください」
「忘れられるなら苦労しねえです」
張青が手の奥から言った。
孫二娘が張青を睨む。
「張青……」
「へい。黙ります」
孫二娘が笑いをこらえながら、薬包みを指した。
「巧雲、薬の名目も決めちまいな。これ以上、薄布を見てると全員仕事にならないよォ」
「分かっています」
分かっている。
分かっているのに、身体の奥に残る熱がしつこい。
柴進様はここへ来ない。
私は触れられない。
それなのに、あの方に触れるかもしれない物を前にすると、理性が勝手にほどける。
非常にまずい。
完全に業務妨害である。
主犯は私だ。
楊志が地図を叩いた。
「荷は麓で曹正の店から出す兵糧と合わせる。護衛は六人。文は先に走らせる。荷は半刻遅れで出す」
「受け取り場所は、西の渡しですね」
「そうだ。そこから先は梁山泊の者が受ける」
「荷札にも書きます」
私は木札に記す。
西の渡しにて引き渡し。
受領者、梁山泊側。
確認文、閻婆惜殿宛て。
確認、確認、また確認。
だが、確認は命綱だ。
誰が受け取ったのか。
どこで渡したのか。
何が届いたのか。
それが分からなければ、せっかくの荷も霧の中へ消える。
柴進様に少しでも近づくものを、霧の中へ消すわけにはいかない。
薬は孫二娘の指示で分けられた。
傷薬、打ち身、熱、腹の薬。
眠れない時の薬も入れるが、眠りすぎるものは除く。
孫二娘は薬を包む女たちに手早く指示を出し、必要なものだけを別に寄せた。
張青は荷運びの者たちを呼び集め、縄と担ぎ棒を用意させている。
ただし、こちらはまだまともに見ない。
指の間から見る。
器用な男である。
楊志は道順と護衛を決める。
迎児は泣きながら控えを取っている。
私は荷札を書き、文を整えた。
二龍山より梁山泊へ。
兵糧、薬、金、水袋、傷病者用上等布を送付いたします。
西の渡しにて引き渡し予定。
受領後、閻婆惜殿より確認の文をいただきたく存じます。
柴進殿救出に関し、二龍山は引き続き支援いたします。
柴進様の具合を知らせてください。
そう書きたかった。
怪我は、熱は、寒さは、食事は……
眠れておられるのか……
あの穏やかな目は、まだ曇っていないのか……
書けない。
仕事の文に、私の熱を入れてはいけない。
閻婆惜殿なら、余計なことを書かなくても察するかもしれない。
いや、察しないでほしい。
でも、少しだけ察してほしい。
どっちだ――
面倒くさい女である。
自覚はある。
私は文を結んだ。
「これを先行の使いへ」
迎児が涙を拭きながら受け取った。
「はい」
楊志が使いを呼び、道を言い含めた。
「急げ。ただし、道で潰れるな。文が届かねば意味がない」
使いは深く頷いた。
文が先に出た。
続いて荷が動く。
荷運びの者たちが兵糧に縄をかけ、薬箱には布を巻き、金は別の小袋へ移された。
薄布は、迎児が丁寧に包み直す。
その手つきが優しくて、また胸が熱くなった。
私ではなく、薄布が行く。
私の手ではなく、その布が届く。
それでも、何も届かないよりはいい。
「それ、上に置くんじゃないよ」
張青が荷運びの者へ言った。
「薄布の包みは横から押されねえようにしろ」
「張青さん」
私が呼ぶと、張青は顔を背けた。
「いや、まあ……潰れたら困るだろ」
「ありがとうございます」
「……見てねえですから」
「何をですか?」
「聞かないでくだせえ」
孫二娘がまた笑った。
荷が門を出る時、私は立って見送った。
昨日は魯智深と武松の背を見送った。
今日は兵糧と薬と薄布を見送る。
見送るものばかり増えていく。
けれど、昨日とは少し違う。
荷には目的地がある。
荷札がある。
受け取り場所も書いた。
誰に確認を取るかも決めた。
私の手は、柴進様へ届かない。
けれど、荷札は梁山泊へ届くかもしれない。
薄布は、あの方の近くへ行くかもしれない。
「行ってください」
小さく言った声は、誰にも届かなかったと思う。
荷は門を出て、道の向こうへ消えていった。
梁山泊は近くない。
今日出した文が、今日返ることはない。
荷が無事に渡ったかどうかも、すぐには分からない。
それでも、荷札はつけた。
受け取り場所も書いた。
控えも残した。
届くようにした。
それが今の私にできる、精いっぱいだった。
広間へ戻ると、迎児がまだ目元を赤くしていた。
孫二娘は静かに薬箱を片づけさせ、楊志は次の道筋を確認している。
張青は、もう顔から手を下ろしていたが、私と目が合うとまた少し逸らした。
「……張青さん」
「はい」
「もう大丈夫です」
「こっちが大丈夫じゃねえんです」
孫二娘が肩を震わせた。
「巧雲、アンタ本当に罪な女だねェ」
「仕事をしているだけです」
「だから噂に尾ひれがつき過ぎるんだよォ」
返す言葉がなかった……
私は帳面の次の欄を開いた。
柴進様救出、続報待ち。
支援物資、梁山泊へ発送済み。
荷到着確認、未了。
まだ終わりではない。
柴進様はまだ救い出されていない。
高廉の術も、公孫勝という道士も、分からないことだらけだ。
けれど、届くように整えた。
触れられない手の代わりに、荷札を結ぶ。
届けられない声の代わりに、文を書く。
会えない人のために、次の支度をする。
それが今の私の仕事だった。
迎児でございます。
梁山泊へ送る荷が出ました。
荷札も控えも整い、あとは無事に届くことを祈るばかりです。
巧雲様は、薄布を見るたびに少し危ういお顔をなさいました。
張青様はまともに見られず、楊志様は何度も咳払いをなさっていました。
私は、少し泣いてしまいました。
けれど、泣いていても控えは取ります。
柴進様も、皆様も、どうかご無事でいてくださいませ。




