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送り出す側でございます

潘巧雲でございます。


梁山泊から返書が届きました。

魯智深様と武松様は、高唐州へ向かわれます。

私は行けません。

けれど、柴進様の名を見るだけで、胸の奥が熱くなります。

もう一度、あの方の声を聞きたい。

できるなら、その手に触れたい。

……仕事前に考えることではありませんね。


戻る場所を整える。

それが、送り出す側の役目です。

梁山泊からの返書は、昼前に届いた。

使いの男は、馬から降りるなり文を差し出した。

疲れてはいたが、顔に迷いはない。

急ぎの文を預かった者の顔だった。

私はすぐに封を確かめた。

閻婆惜殿より。

二龍山、潘巧雲殿へ。

その文字を見ただけで、少し呼吸が整った。

この人の文なら、必要なことは入っている。

そう思える相手がいるのは、ありがたい。

文を開く。

梁山泊は、高唐州へ兵を向ける。

柴進様の救出を急ぐ。

高廉は術を使うとの報があり、公孫勝という道士の力を求める動きもある。

二龍山から魯智深様と武松様が向かうなら、途中で梁山泊の者と合流する。

合流場所、持参すべき食糧、薬、金、馬の数。

必要なことが、無駄なく並んでいた。

本当に、仕事が早い。

私は文を読み終え、帳面に写した。

高唐州行き。

梁山泊合流。

魯智深様、武松様。

兵糧一月分。

薬、金、替えの履物。

柴進様救出……

最後の文字で、筆が少し止まった。

柴進様――

その名を書くたびに、胸の奥が熱くなる。

ただの恩ではない。

もう、それは分かっていた。

最初に匿ってくださった方。

私と迎児を、余計な言葉なく置いてくださった方。

あの屋敷で見た穏やかな目。

こちらを値踏みしない声。

伸ばされた手の、節の美しさ。

思い出すだけで、身体の内側が少し甘く疼く。

抱かれたわけでもない。

口説かれたわけでもない。

ただ助けられただけだ。

それなのに、あの方が牢にいると思うと、胸の柔らかいところを爪で掻かれるようだった。

重症である。

自覚はある。

「巧雲様」

迎児の声で、私は顔を上げた。

「お顔が、少し……」

「少し?」

「苦しそうでございます」

苦しい――

それは、たぶん当たっていた。

「大丈夫です。続けます」

「はい」

迎児はそれ以上聞かなかった。

ありがたい。

今、柴進様のことを聞かれたら、余計なことまで口にしてしまいそうだった。

広間では、魯智深様と武松様が出立の支度をしていた。

魯智深様は大きな荷を嫌がった。

武松様は必要なものだけを選ぶ。

楊志様はその二人を見て、眉間に皺を寄せている。

「酒は持って行かぬのか」

魯智深様が言った。

楊志様が即座に返す。

「邪魔だ」

「少しは要る」

「いらぬ」

「道中、気が塞ぐ」

「柴進殿を助けに行くのだ。酒を飲みに行くのではない」

魯智深様が不満げに鼻を鳴らした。

私は帳面から顔を上げた。

「少量なら、薬酒として別に包みます。ですが、酒樽は駄目です」

「巧雲まで言うか」

「言います。運ぶ者が疲れます」

魯智深様は、しばらく私を見てから豪快に笑った。

「ならば少量でよい」

楊志様が、少しだけ勝った顔をした。

武松様は何も言わず、荷紐を締めている。

私はその手を見た。

柴進様に世話になったことがある手。

今度は、その恩を返しに行く手。

武松様がふとこちらを見た。

「まだ、来る気か?」

私は少しだけ息を飲んだ。

「……行きたい気持ちは、あります」

嘘はつけなかった。

「でも、行きません」

「なぜだ?」

「私が行けば、守る人数が増えます。高唐州で役に立つより、足を引っ張る可能性の方が高いです」

言葉にすると、痛かった。

自分で分かっていても、痛いものは痛い。

「それに、ここに残れば文を受け取れます。物を送れます。戻る場所を整えられます」

武松様は短く頷いた。

「それでいい」

それでいい――

その一言が、胸の中に沈み込む。

慰めではない。

だから、余計に効いた。

「待つのも、楽ではない」

武松様が低く言った。

「だが、待つ者がいなければ、帰る場所がなくなる」

私は唇を結んだ。

待つ――

その言葉が怖かった。

柴進様を待つ。

魯智深様と武松様を待つ。

梁山泊からの文を待つ。

高唐州からの報を待つ。

待つというのは、思っていたよりずっと苦しい。

何もしていないようで、心だけが先に走る。

けれど、何もしていないわけではない。

そう思うために、私は帳面を開いている。

孫二娘が薬包みを持ってきた。

「切り傷用、打ち身用、腹の薬。それから眠れない時の薬だよォ」

「蒙汗薬ではありませんね」

「しつこいねェ。違うよ」

張青が横から言う。

「お嬢、そこまで疑われてんですぜ」

「張青」

「へい」

曹正は干し肉と餅を包んでいた。

迎児は控えを読み上げる。

「兵糧一月分、薬、金、替えの履物、布、針、糸、水袋……」

「針と糸も持っていくのか」

魯智深様が不思議そうに聞いた。

「服が裂けた時に要ります」

「裂けたら脱げばよい」

「駄目です」

思わず強く言った。

魯智深様が目を丸くする。

孫二娘が笑いをこらえている。

「怪我をした時、布を留めるにも使います。持っていってください」

「そうか。なら持つ」

素直だった。

私は少しだけ力が抜けた。

こういうやり取りができるうちは、まだ大丈夫だ。

そう思いたかった。

やがて、荷が整った。

魯智深様は禅杖を持つ。

武松様は静かに腰の物を確かめる。

二人が並ぶと、空気が変わる。

この二人なら、牢の扉も破れるかもしれない。

高廉の兵も退けるかもしれない。

柴進様を連れて戻ってくれるかもしれない。

そう思う一方で、胸の底では別の声がした。

もし間に合わなかったら……

もし柴進様が傷ついていたら……

もし、あの穏やかな目が二度と私を見なかったら……

駄目だ――

考えるな。

考えた瞬間、膝が崩れそうになった。

「巧雲様」

迎児が、そっと私の袖に触れた。

「大丈夫です」

私は言った……

自分に言い聞かせるように……

門の前まで見送りに出ると、空は高く、風は乾いている。

高唐州まで続く道はここからは見えない。

見えないから余計に遠い。

魯智深様が振り返った。

「巧雲、心配するな。柴進殿を連れて帰る」

「はい」

声が少し揺れた。

「牢が邪魔なら壊す」

楊志様がすぐに言った。

「壊す前に道を見ろ。帰りが悪くなる」

私は思わず言った。

「壊す前提で話を進めないでください」

魯智深様が笑った。

武松様も、ほんの少しだけ口元を動かした。

その小さな変化を、私は見逃さなかった。

武松様が私に向き直る。

「柴進殿は連れ戻す」

短い言葉だった。

「二龍山を頼む」

私は深く頭を下げた。

「お任せください」

言った後で、胸がまた痛んだ。

本当は、任せてほしいのは私ではない。

私がお願いしたい。

柴進様を助けてください。

どうか、無事に連れて帰ってください。

あの方の声を、もう一度聞かせてください。

できるなら、その手にもう一度触れたい。

けれど、そんな言葉は出せない。

だから私は、頭を下げるだけにした。

魯智深様と武松様が歩き出す。

背中が遠くなる。

一歩ごとに、私の身体のどこかが持っていかれるようだった。

恋というものは、もっと軽いものだと思っていた。

綺麗な衣を見て、ときめくような……

優しい言葉をもらって、嬉しくなるような……

違う――

今のこれは、もっと生々しい。

心臓を掴まれているようで、息が浅くなる。

柴進様の名を聞くだけで、肌の奥に火が灯る。

無事でいてほしい。

会いたい。

触れたい。

それを願う自分が、恥ずかしくて、怖かった。

私は夫の家から逃げた女だ。

男というものに、ずっと怯えていた。

なのに今、柴進様のことを考えると、怖さとは違う熱が生まれる。

本当に、面倒な身体である。

「巧雲様」

迎児が呼んだ。

二人の背は、もう小さくなっていた。

「戻りましょう。梁山泊から、また文が来るかもしれません」

迎児の声は静かだった。

けれど、しっかりしていた。

私は頷いた。

「ええ。戻りましょう」

門の前に立っていても、柴進様は戻らない。

泣いても、道は縮まらない。

胸を焦がしても、牢は開かない。

ならば、戻って書くしかない。

私は踵を返した。

広間へ戻ると、さっきまで人のいた場所が少し広く見えた。

魯智深様と武松様がいないだけで、山寨の音が違う。

楊志様はすでに地図を広げていた。

孫二娘は薬の残りを数えている。

張青は水袋を見直し、曹正は食糧の包みを片づけていた。

皆、止まっていない。

私も止まってはいられない。

私は帳面を開いた。

魯智深様、武松様、出立。

梁山泊合流予定。

二龍山、留守および物資管理。

潘巧雲、文書連絡。

迎児、控え。

そこまで書いて、少しだけ筆を止める。

柴進様、必ずご無事で……

その一文は、帳面には書かなかった。

書けば、仕事の文ではなくなる。

けれど、胸の中にははっきり刻んだ。

「巧雲様、次は何をいたしますか」

迎児が聞いた。

「梁山泊からの返書を待ちます。その間に、追加の食糧と薬を確認します。あと、戻った時の寝床も」

「戻った時、でございますね」

「はい」

私は頷いた。

「戻る前提で整えます」

その言葉だけは、はっきり言えた。

魯智深様と武松様は出た。

柴進様はまだ牢にいる。

高唐州は遠い。

けれど、ここに戻る場所を作る。

それが、送り出す側の仕事だった。

迎児でございます。


魯智深様と武松様が出立されました。

巧雲様は帳面を開いておられましたが、柴進様のお名前のところで、何度か筆が止まりました。

お顔も、少し赤くなっておりました。

見てはいけないものを見た気がして、私は控えに目を戻しました。


どうか皆様、ご無事でお戻りくださいませ。

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