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柴進様が捕らわれました

潘巧雲でございます。


柴進様が捕らわれたとの知らせが届きました。

私と迎児を、最初に匿ってくださった方です。

逃げるために書いていた帳面が、今度は恩人を助けるための帳面になりました。


正直、書類仕事の範囲が広すぎます。

でも、書かなければ始まりません。

梁山泊から戻って、二龍山の帳面は少し厚くなった。

覚書の写し。

梁山泊との往来。

道中の安全。

物資の扱い。

それから、潘巧雲および迎児について、本人の意思なく引き渡しを求めないこと。

何度見ても、不思議な文だった。

私と迎児の名が、山と山の取り決めの中にある。

逃げてきた女と、その下女だった娘の名が、正式な文に残っている。

人生、何が書類になるか分からない。

「巧雲様、こちらは箱に入れますか」

迎児が、乾いた紙を両手で持っていた。

覚書の控えである。

「ええ。湿気の少ない方へ。誰にでも見せるものではありません」

「はい」

迎児は頷き、慎重に紙を運んだ。

前なら、言われた通りに動くだけだった。

今は、どの文が大事で、どれを隠し、どれを写しておくべきか、少しずつ分かるようになっている。

私だけではない。

迎児も、ここで変わっている。

そう思った時、外が騒がしくなった。

二龍山で足音が荒いのは珍しくない。

魯智深が酒樽を見つけた時も、張青が孫二娘に余計なことを言った時も、人は走る。

けれど、今の足音は違った。

急ぎの知らせを運ぶ音だった。

「巧雲」

孫二娘が戸口に顔を出した。

いつもの笑みはない。

「梁山泊から使いだよォ」

私は立ち上がった。

「梁山泊から?」

「ただの挨拶じゃないねェ。顔色が悪い」

顔色が悪い。

それだけで、十分伝わった。

私は帳面を閉じた。

「迎児、筆と紙を」

「はい」

迎児の返事は早かった。

広間には、すでに魯智深、楊志、武松がいた。

梁山泊の使いは、旅塵を払う間も惜しんだ様子で膝をついている。

楊志が文を受け取り、封を確かめた。

魯智深が頷く。

文が開かれる。

楊志の眉が寄った。

それだけで、良い知らせではないと分かった。

「何事だ」

武松が低く言った。

楊志は、短く息を吐いた。

「柴進殿が捕らわれた」

一瞬、広間の音が消えた。

柴進――

その名だけで、胸の奥が冷えた。

私が最初に逃げ込んだ先。

誰の妻か、誰のものかと責めず、まず匿ってくださった方。

迎児まで一緒に置いてくれた方。

あの屋敷で、私はようやく息をした。

その柴進様が、捕らわれた。

「……どこで、ですか」

声が少し遅れて出た。

「高唐州だ。柴皇城殿の件に絡み、高廉の手で牢に入れられたとある」

高唐州、高廉、柴皇城。

知らない名が並ぶ。

だが、土地の名と権力者の名が一緒に出てくる時は、大抵ろくでもない。

「柴進様は、ご無事なのですか」

迎児が聞いた。

楊志はすぐに答えなかった。

その沈黙が答えだった。

「命はあるらしい。だが、重く扱われている。梁山泊では救出を考えている」

迎児が唇を押さえた。

孫二娘が小さく舌打ちする。

「柴大官人を牢に入れるたァ、いい度胸だねェ」

魯智深の顔から、酒の気配が消えていた。

「柴進殿は、巧雲と迎児を匿った者か」

「はい」

私は頷いた。

「私たちを、最初に助けてくださいました」

魯智深は膝を打った。

「ならば捨て置けぬ」

その一言が、胸に入った。

捨て置けぬ――

そう言ってくれる人がいる。

だが、私が言葉を探している間、武松は黙っていた。

いつもの沈黙とは違う。

雰囲気が重い。

底に、何か沈んでいる。

しばらくして、武松が口を開いた。

「柴進殿には、俺も世話になった」

私は顔を上げた。

「武松殿も、ですか?」

「ああ。一時、あの屋敷に身を寄せた」

短い声だった。

「匿われた恩は、軽くない」

その言葉で、胸の中の何かが形を変えた。

私だけではなかった。

迎児だけでもなかった。

柴進様は、本当に逃げ場のない者を受け入れる人だったのだ。

だから、武松の目があんなに静かで、重い。

「助けるなら、迷うな」

武松はそれだけ言った。

私は、文を見た。

高唐州、高廉、牢。

柴進様――

怖い言葉ばかりだ。

私は戦える女ではない。

棒を持つことには慣れてきた。

短い刃の扱いも、少しは教わった。

けれど、高唐州へ乗り込み、人を斬って牢を破ることなどできない。

では、何ができる。

できることを考えろ。

それしかない。

「文を、見せてください」

楊志がこちらを見た。

「読めるか」

「読みます。情報を整理します」

そう言うと、少しだけ呼吸が戻った。

泣くのは後でいい。

怒るのも後でいい。

今は、何が起きて、誰が動き、何が足りないかを見なければならない。

最低な仕事である。

恩人が捕らわれた時まで事務処理をしている。

我ながら嫌になる。

けれど、私にはこれしかない。

私は文を受け取り、机に広げた。

梁山泊からの急報。

筆は荒いが、必要なことは入っている。

端に添えられた字だけは、やはり整っていた。

閻婆惜――

また、この人だ。

柴進様は高唐州へ向かった。

柴皇城という親族の件で争いが起きた。

高廉の縁者が関わり、柴進様は捕らわれた。

梁山泊は救出に動く。

二龍山には、道中情報と協力の可否を知らせてほしい。

私は紙の端に書き出した。

柴進様。

高唐州。

高廉。

柴皇城。

梁山泊、救出。

二龍山、協力照会。

文字にすると、現実になる。

嫌なものほど、書くと逃げられなくなる。

けれど、書かなければもっと逃げる。

「高唐州は、すぐ行ける場所ですか」

私が聞くと、楊志が答えた。

「近くはない。だが、動けぬ距離でもない」

「高廉とは」

「高俅の一族に連なる者と聞く」

高俅――

その名は、私でも聞いたことがある。

林冲殿を苦しめた側の名。

権力の臭いがする。

腐った方の臭いだ。

「面倒ですね」

本音が出た。

楊志がわずかに口元を動かした。

「面倒だ」

魯智深が身を乗り出した。

「梁山泊はどう動く」

「高唐州へ兵を向けるつもりだろう。ただ、相手が高廉なら術を使うとも聞く。力押しだけでは済まぬ」

楊志の声は硬い。

術――

また面倒な言葉が増えた。

ファンタジー案件は担当外です、と言いたい。

言って済むなら今すぐ言う。

済まないので、黙った。

孫二娘が腕を組む。

「二龍山が全部空になるわけにはいかないねェ。誰が行くか、誰が残るかだ」

「梁山泊が主に動くなら、こちらは道と物資、人の出入りを見ることになる」

楊志が言った。

「だが、柴進殿は巧雲たちにも、武松にも恩ある者だ。形だけの返事では済まぬ」

形だけの返事。

それは嫌だった。

柴進様は、形だけで私を助けたのではない。

危ない女を、危ないまま置いてくれた。

迎児も一緒に……

ならば、こちらも形だけでは返せない。

「私も、動きます」

言った瞬間、迎児が息を飲んだ。

「巧雲様」

「高唐州へ一人で走るという意味ではありません」

私は迎児に言った。

「まず梁山泊へ返書を出します。二龍山で用意できるものをまとめます。誰がどこまで動くかは、その後です」

楊志が頷いた。

「それならよい」

武松がこちらを見た。

「文で済ませる気か」

「済みません」

私は答えた。

「ですが、文がなければ始まりません」

武松は少しだけ黙り、頷いた。

「なら、書け」

その一言は、命令というより、背中を押す声だった。

魯智深が笑った。

「よし。梁山泊へ伝えよ。二龍山は柴進殿を見捨てぬとな」

「はい」

迎児が筆を差し出してくれた。

手は少し震えている。

けれど、筆先はまっすぐこちらを向いていた。

私は受け取った。

梁山泊への返書。

宛先は閻婆惜殿。

内容は、柴進様捕縛への返答。

書き出しで手が止まった。

いつもなら、まず事実から入る。

感情を先に出すと文は乱れる。

それは分かっている。

だが、今回は少し難しい。

柴進様は、恩人である。

その一文を入れるべきか迷った。

入れれば私情になる。

入れなければ、嘘になる。

私は少し考え、筆を下ろした。

柴進殿は、かつて潘巧雲および迎児を保護された恩ある方にございます。

二龍山として、本件を軽く扱うことはございません。

書いてから、息を吐いた。

これでいい。

私情ではない。

事実である。

続けて、協力できることを書く。

道中の情報。

物資の準備。

人の手配。

高唐州へ向かう者の宿と食。

梁山泊との連絡窓口。

最後に、一文を足した。

本件につき、潘巧雲が二龍山側の文書および連絡を担います。

書き終えて、筆を置いた。

担当、潘巧雲――

また、その文字に戻ってきた。

逃げるために書き始めた。

守るために書いた。

今度は、助けるために書いている。

書類仕事の範囲が広すぎる。

「読んでください」

私は楊志へ文を渡した。

楊志は読み、魯智深へ渡した。

魯智深は細かな文言を楊志に任せる顔で、それでも最後まで目を通した。

武松も見た。

孫二娘も横から覗いた。

「いいんじゃないかい」

孫二娘が言った。

「恩があるってのを、ちゃんと書いてある」

「書かないと、嘘になりますから」

「そうだねェ」

武松が文を見たまま言った。

「柴進殿は、そういう男だ」

短い言葉だった。

だが、その中に、私の知らない時間があった。

柴進様の屋敷にいた武松。

その頃のことを、私は知らない。

けれど、今の一言だけで十分だった。

魯智深が文を使いへ渡した。

「急ぎ持て。梁山泊へ伝えよ。二龍山は柴進殿を見捨てぬ」

使いは深く頭を下げた。

「承知いたしました」

使いが出ていくと、広間に静けさが残った。

私は机の上の墨を見た。

黒い。

深い。

文を書いただけで、人が助かるわけではない。

そんなことは分かっている。

けれど、書かなければ始まらない。

迎児がそっと近づいた。

「巧雲様」

「はい」

「私も、できることをいたします」

私は迎児を見た。

怖い顔ではなかった。

泣きそうでもない。

まだ怖いのだろう。

でも、逃げる顔ではなかった。

「お願いします」

そう答えると、迎児は小さく頷いた。

柴進様が捕らわれた。

その報は、私の足元をまた動かした。

逃げて、隠れて、守られて、ようやく少し息ができるようになったところだった。

だが、恩人が牢にいる。

それも、私だけの恩人ではなかった。

武松もまた、あの屋敷に身を寄せたことがある。

柴進様は、逃げ場のない者に場所を与える人だった。

ならば、今度は私たちが動く番だ。

私は新しい紙を出した。

柴進様、高唐州、高廉、梁山泊、二龍山。

項目を並べる。

必要なものを書き出す。

怖い時ほど、書く。

分からない時ほど、分ける。

動けない時ほど、まず整理する。

それが、今の私にできる戦い方だった。

迎児でございます。


柴進様が捕らわれたと聞きました。

私と巧雲様を、最初に助けてくださった方です。

巧雲様は、すぐに文を書かれました。

泣くより先に、怒るより先に、できることを探しておられました。

私も、できることをいたします。


怖くても、今度は後ろに隠れているだけではいたくありません。

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