19話 プラ......効果
「朝日川、どうした?」
慌てふためいている俺の心情とは裏腹に、落ち着き払った声が出た。
すると、スマホの向こうで大きく息を吐く音がする。溜息すら、爽やかな音色だ。
「よかった、出てくれた」
「なんだそれ」
不思議だ。
頭が痛くなるくらい悩んでいたのに、朝日川の声を聞いた途端にスッと体から力が抜ける。
朝日川は移動中なんだろうか。スマホの向こうで、空気が動く音がずっとしている気がする。
「珍しく教室からいなくなってたからさー、どうしたのかと思って」
「腹痛くてトイレ篭ってる」
「えっ! ごめん!」
口から出まかせを言ったら信じたらしい声が聞こえて、俺は思わず噴き出した。
「嘘だよ。それなら通話できねぇし......お前、俺のこと探してたのか?」
「うん。昨日の夜も今朝も眠そうだったからほとんど喋ってないし......俺、朔弥不足だ」
「変なやつ」
喋りながら、気持ちが高揚してくるのがわかる。目の前の紅葉が、初めて綺麗に見えてきた。
朝日川にとっては大したことない言葉なんだろうけど、俺はどうしても口元が緩む。
「朔弥、見つけた」
この声が聞こえたのは、スマホからじゃない。
体育館の入り口がある方から、ひょっこり朝日川が顔を出したんだ。
満面の笑顔のイケメンを見て、俺はあっけにとられた。
「......わざわざ、こんなとこまで何しにきたんだよ」
昼休みに過ごす友だちなんて、朝日川にはいっぱいいるはずだ。
それなのに朝日川は、俺のところに来てくれた。珍獣相手の気まぐれにしては、やりすぎじゃねぇか?
朝日川は小走りで近寄ってくると、当たり前みたいに俺の隣に座った。
寒い寒いと呟き、ピッタリと腕をくっつけてくる。
「朔弥に癒されにきた」
「俺のどこに癒し成分があるんだよ」
「んー......どこって......どこだろ」
目を瞑った朝日川は、俺の肩に頭を乗せてきた。頬に髪が当たってくすぐったい。お互いのブレザー越しに伝わる体温が、じんわりと腕全体に広がっていった。
「わかんねぇのかよ」
「なんだろ......空気? 声、かな......寝る前に毎日聞いてるからかも。落ち着く......」
ゆったりとした声を聞きながら、俺は納得した。
今は落ち着くどころか妙にドキドキしているけれど、さっきスマホでこいつの声を聞いたときに、肩の力が抜けたからだ。
「プライベート効果ってやつか」
「プラシーボ効果じゃないか?」
「それだそれ」
「プラ」しか合ってねぇじゃねぇか。俺の馬鹿。
自分の間違いに、俺は半笑いになる。
俺にもたれかかっている朝日川は、喉を震わせて笑っている。
「ゆりかご朔弥、ほんと優秀だー......リラックスできる上に笑わせてくれるー」
「馬鹿にしてんだろ」
肩に乗せてきている額を、人差し指でぐりぐりと押してやる。
痛いと訴える朝日川を見ていると、本当に力が抜けてるのがわかった。
声も、表情も、姿勢も、笑い方も。
教室にいる時のきらきらの太陽みたいな輝きや、誰でもウェルカムな感じがなりを潜めている。
穏やかで、和やかで......羽を休めてる鳥みたいな、そっとしておいてやらないとって感じの雰囲気だ。
(みんなといる時に無理してるって感じでもねぇけど......疲れるんだなやっぱり)
俺は髪にすり、と頬擦りした。
「人気者は大変だな」
「え? 何が?」
労ったつもりだったのに、朝日川は頭を上げてキョトンとしている。
温かい体温が肩から消えた。寒くなった肩をさすり、俺は眉間に皺を寄せた。
「無自覚で疲れてんの、ほんと良くねぇと思う」
「疲れてないよ。朔弥といるとホッとするってだけだから。お前が俺に全く気を遣わないからかな」
「褒めてねぇな」
俺だってちょっとはお前に気ぃ遣ってるっての。
緊張したり、謎のドキドキを感じたりするしさ。
腑に落ちないこともあったけど、俺たちはしばらく二人で過ごした。
ゆりかごコールの時のような、取り留めのない話で時間がすぎていく。
心地よくて、楽しい時間だったと満足して、俺たちは立ち上がった。
朝日川は、グッと腕を上に伸ばして伸びをした。
「次、体育かー。早く戻んないとなー」
「あ、やべ。体操服のジャージ忘れてたんだった」
「うわ、流石に寒いぞ」
顔を引き攣らせた朝日川と、俺も全く同じ気持ちだ。もう少し早く思い出せよな、俺。
「誰かに借りねぇと……別のクラスに友だちいねぇけど……」
「じゃあ俺の貸すよ」
「それじゃ朝日川が寒いだろ。......あー、実行委員長なら持ってるかな」
メガネの奥で光る真面目そうな目つきを思い出す。きっちりしてそうなあの先輩なら、きっとすぐに体操服がでてくるだろう。
「借りてくる。実行委員長って二年何組だっけ」
「......」
もう時間がないから走って借りにいかないといけないのに、朝日川は黙っていた。
木から落ちていく紅葉をじっと見つめていて、意味不明だ。
「朝日川? 大丈夫か?」
動かない顔の前で手を上下に動かすと、ふらりと目が合った。
「やっぱり俺の体操服、貸す」
「だから、朝日川が寒いだろ」
「一組の友だちに借りる」
決然とした表情で、朝日川は言い切った。
待て待て、何言ってんだこいつ。
「俺がお前に借りて、お前は別のやつに借りんのか?」
「そう! ほら、チャイム鳴る前に急ぐぞ!」
足音を立てて走り出した朝日川の背中を、俺は一旦見守ってしまう。
俺が体操服を忘れたんだから、俺が借りるべきなのに意味がわからない。
首を傾げながらも、チャイムが鳴ったらやばいってのはそうだから朝日川を追いかける。
翻るブレザーを後ろから眺めながら、俺は気がついた。
朝日川が恋人が欲しいと言っていたもやもやが、いつの間にか晴れていたことに。
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