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哭血の社(こくけつのやしろ)  作者: nonon


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6/8

埋められない村

 北へ向かう道は、静かだった。

 静かすぎて、朔真は何度も足を止めたくなった。

 風はある。枝も鳴る。鳥の声も、まったくしないわけじゃない。けれど、その全部がどこか遠い。山の奥に入るほど、音が土へ吸われていくようだった。

 昨夜のことを思い出す。

 石の上に並んだ写し子。

 白布をかける鈴の手。

 そして、言いかけて止まったあの声。

 ――あなた……。

「……知るか」

 吐き捨てても、耳から離れない。

 だが、鈴のことを考えたところで仕方がない。あれを斬るかどうかは、次に会った時に決める。今は先に根を断つ。神を殺す。そのために北へ行く。

 第一支柱、骸の柱。

 鈴や朝廷の言葉を信じる気はなかったが、道筋としてはそれしかなかった。


 昼を過ぎた頃、山道の空気が変わった。

 煙の匂いがする。

 それも、炊事の穏やかな煙じゃない。濡れた木と、土と、焼けきらなかった藁の匂いだ。

 朔真は斜面を下り、林の切れ目から谷あいの小村を見た。

 畑は狭い。柵は低く、裏山にしがみつくように建っている。どこにでもある貧しい村だった。

 ただ、家々は焼け落ち、煤けた柱だけが墓標のように点在している。

 倒れた桶。畑に投げ出された鍬。井戸端に落ちた草鞋。逃げた形跡だけが残っていて、人の声がない。

 朔真は山鉈の柄に手をかけたまま、村へ入った。

 

 すると血が地面に飛散していた。

 哭代の斬り跡とは違う、もっと荒い。食いちぎられ、引き裂かれ、引きずられているような跡だった。哭代の刃なら、ここまで汚くならない。

 獣か。

 それとも、獣のようになった何かか。

 村の奥まで進んだところで、朔真は足を止めた。

 墓地が、掘り返されていた。

 盛ったはずの土が裂け、板石が倒れ、浅い穴がいくつも口を開けている。慌てて埋め直した跡もあったが、その上からまた崩れていた。

「……なんだ、これ」

 呟いた瞬間、ひとつの土饅頭が、ぼこりと脈打った。

 朔真が身を引く。

 次の瞬間、土の中から細い手が突き出た。

 小さい。女か、子どもか。泥まみれの指先が空を掻くように震える。

 朔真が山鉈を抜くより先に、横から鍬が叩きつけられた。

 骨の砕ける鈍い音。

 手首が潰れ、土が崩れる。

「触るな!」

 怒鳴り声と一緒に、もう一撃。鍬の柄で押し戻し、土を蹴り込む。必死だった。乱暴で、半端で、それでも必死だった。

 朔真が振り返る。


 そこにいたのは、十五、六ほどの少年だった。

 痩せている。日に焼けた顔には泥と煤がこびりつき、目の下には濃い隈が落ちている。袖は裂け、手のひらは赤く潰れていた。何日も寝ていない目だった。

「お前、どこから来た」

 鍬を構えたまま、少年が言う。

「盗人なら帰れ。うちの死人に触るなら先にぶっ殺す」

「盗りに来たんじゃねえ」

「じゃあ何だ」

「北へ行く途中だ」

 少年の目がわずかに揺れた。

「……北?何をしにいく?」

「何でもねぇし、何かあっても言わねぇ」

 少年は舌打ちした。

 それから共同墓地の前へ立ち、朔真を睨んだまま言う。

「見ての通りだ。村は襲われた。逃げたやつもいる。死んだやつもいる。埋めた。なのに戻ってくる」

 朔真は裂けた土を見た。

「毎晩か」

「昨日から急にだ」

「何があった」

「北の谷から音がした」

「音?」

「骨を擦るみたいな音だよ」

 胸の奥が冷えた。

 北。骨。嫌でも繋がる。

 少年は鍬を下ろさないまま、吐き捨てるように言う。

「俺は湊、、、お前の名前は?」

 訊いてもいないのに名乗ったのは、これ以上“何者か分からない相手”のままで話したくなかったからだろう。

 朔真は短く答える。

「朔真だ」

 その目の先に、小さな木札があった。

 粗末な札に震えた字で、たった二文字。

 小夜。

 朔真がそちらを見ると、湊の喉がひくりと動いた。

「妹だ」

 先に言った。

「昨日まで熱出して寝てた。逃げる時、走れなかった」

 平坦に言おうとして、最後の一言だけが少し割れた。

 朔真は何も返さなかった。

 返せなかった、と言った方が近い。

 湊は鍬の柄を握り直し、吐く。

「村のやつらは南へ逃げろって言った。俺だけでも来いって。けど……」

 言葉が止まる。

 墓の前で、湊は初めて視線を落とした。

「小夜を、ここに置いて行けなかった」

 朔真は「そうか」と一言つぶやき、初めて湊の顔をしっかりと見た。

 ただの“生き残り”ではない。

 この少年は、逃げるよりも妹を優先したのだ。自分だけ助かるより先に、妹を弔おうとした。だから今もここにいる。

 朔真は少し、湊が自分と重ねて見えた。


     ◇


 日が沈み始めると、墓地の土がまた動いた。

 最初はひとつ。

 次にふたつ、みっつ。

 盛り土の下で何かが寝返りを打つように、ぼこ、ぼこと脈打つ。板石が浮き、ひびから白いものが覗く。

 湊の顔から、血の気が引いた。

「来る」

「毎晩こうか」

「今日はひどい」

 湊は鍬を構えながら、奥歯を噛みしめている。構えは素人だ。けれど逃げるつもりはない。その立ち方だけで分かる。

 いちばん奥、小夜の墓の前に立ったまま、湊は動かない。

「そこじゃ全部見えねえ」

 朔真が言うと、湊は首を振った。

「ここだけは俺が見る」

「一人で足りるか」

「足りなくても見る」

 返しが速かった。

 強がりじゃない。決めている人間の声だった。

 その時、ひとつの墓が大きく裂けた。

 半身だけ土まみれの女が這い出る。頬の肉は削げ、片目は塞がっていた。だが足取りは遅くない。人が歩くというより、どこかへ引かれているものが進んでいる動きだった。

 北へ。

 顔も上げずに、そちらへ向かう。

「……母さん」

 湊の声が、子どものものに戻った。

 一歩、出る。

「下がれ!」

 朔真が腕を掴む。

「でも――」

「見えてねえ」

 言い切る前に、女の首がぎこりと鳴った。

 北を向いていた顔が、不自然な角度でこちらへ回る。

 その目に、人の焦点は残っていない。

 次の瞬間、女が飛んだ。

 地を蹴るというより、見えない糸で急に吊り上げられたみたいな動きだった。速い。朔真は前へ出る。山鉈を抜く。首を狙う。

 だが刃が触れる寸前、月明かりの中でその顔が見えた。

 母親なのだと、ひと目で分かる顔だった。

 それだけで腕が鈍る。

 浅い。

 肩口を裂いただけで止まらない。女の爪が朔真の胸元を掠める。その横から、湊が飛び込んだ。

「触んな!」

 女の横顔へ鍬を叩きつける。骨が鳴る。体勢が崩れる。だが湊は止まらない。もう一撃。もう一撃。顔を歪めながら、何度も振る。

「返せよ……!返せよ、母さんを!」

 その叫びで、女の動きが一瞬だけ鈍った。

 朔真は見逃さなかった。踏み込み、喉元へ山鉈を当てる。

 だが振り下ろす寸前、また腕が止まる。

 相手が怪物に見えない。

 土を噛んで、なお子を守ろうとしたかもしれない人間に見えてしまう。

 その曖昧さの中で、喉の奥から言葉が浮いた。

 考えて出した言葉ではなかった。

 昨夜、写し子の前で自分の中に生まれたものの、続きを身体が勝手に拾う。

「……ほどけ」

 低い声が落ちる。

 女の肩が、わずかに揺れた。

「誰かに使われるために起きるな、人として、土へ還れ。人として終われ!」

 最後の一言で、女の指先から力が抜けた。

 がくりと崩れる。

 完全に止まったわけじゃない。けれど、さっきまでの無理な引かれ方が消えていた。

 湊が息を呑む。

「……今の、なんだ」

「俺も、、、よくは知らねえ。でも、ただ斬るだけじゃ駄目らしい」

 湊は震える手で、母の頬についた土を拭った。

 指がうまく動いていない。泣くのを堪えすぎて、顔の筋肉が変なふうに固まっていた。

「昨日、埋めた時……まだ温かかったんだ」

 ぽつりと落ちる。

「手ぇ、冷たくなる前に埋めたら、母さんもちゃんと眠れると思った。村の爺さんが言ってた。土に戻れば、もう痛くねえって」

 そこで声が詰まる。

「なのに戻ってくる。戻ってきて、北へ北へ歩いてく。小夜までそうなったら、どうしようもねえだろ」

 湊の痛みは“妹を失った”だけじゃない。妹が土の中で安眠して終われないことが、何より怖いのだ。

 だから埋める。何度掘り返されても埋める。


     ◇


 夜のあいだ、二人で墓を守った。

 土が脈打つたび、湊が先に動いた。鍬で押し戻し、石を運び、板を渡し、縄で縛る。戦い方は下手だ。だが埋める手つきだけは迷いがない。

 朔真はその横で、這い出た死者を止めた。届くかどうかも分からない弔詞を落とす。

「戻れ」 「終われ」 「骸のまま歩くな」

 何度も通るわけじゃない。失敗する時もある。

 完全には止まらず、朔真の腕へ噛みつこうとした男もいた。湊が背後から鍬の柄を差し込み、二人がかりで地面へ押さえつけた。

 汗と土にまみれながら、湊が怒鳴る。

「さっきの『弔詞』っつたか?なんで、毎回成功しねぇんだ!」

「俺が知るか!こっちが聞きてえよ!」

 怒鳴り合っているのに、どこか噛み合い始めていた。

 朔真もなぜ弔詞を唱えると死者が動かなくなるのか、なぜ自分だけが使えるのかよくわかっていなかったが、使い方は少しずつ慣れていった。


 その夜の半ば、小夜の墓の土が最初に浮いた。

 湊の顔が真っ白になる。

「駄目だ」

 駆け寄る。

「小夜、駄目だ、起きるな」

 その声は、優しい兄の声だった。

 鍬も捨て、膝をついて、両手で盛り土を押さえる。子どもの頃に熱を出した妹の身体をさするみたいに、何度も何度も土を撫でる。

「もういいから」 「もう、怖い思いしなくていいから」 「起きるな」

 土の下から、小さな指が覗いた。

 それを見た瞬間、湊の喉が引き裂けた。

「起きるなって言ってんだろ!!」

 悲鳴みたいな怒声だった。

 その声で、朔真の中の何かがはっきりした。

 これは怪物退治じゃない。

 兄が妹を妹のまま終わらせようとしている夜だ。


 朔真は小夜の墓の前へ踏み込み、山鉈を地に突き立てた。

 目を閉じる。

 小春の顔が浮かんだ。

 小さな手。笑う時の頬。あの夜、自分が届かなかった背中。

 喉の奥が焼ける。

 それでも、吐き出した。

「……ほどけ、誰かに使われるために起きるな。兄の声が届くうちに、終われ!」

 風が止んだ。

 土の脈が、一拍だけ止まる。

 少女の身体を縛り付けていた見えない糸みたいなものが、バチンと切れたように動かなくなった。

 湊が、呆然と土を見つめた。

「……止まった」

 掠れた声で言う。

 土から出ていた顔を見たとき、苦痛に歪んでいた口元が、ほんの少しだけ和らぎ、ただの『眠っているような幼子』の顔に戻っていた。

 湊は、動かなくなった妹の身体に取りすがり、ついに声を上げて泣き崩れた。

 朔真は見ないふりをして、ただ、無言のまま立ち上がり、湊が掘りかけていた穴の続きを、黙々と掘り広げた。

 今度は、土が崩れて戻ってくることはなかった。


     ◇


 夜明け前には、墓地はようやく静かになった。

 本当に呪いが終わったのか、それとも次の夜まで眠っているだけなのかは分からない。だが少なくとも、今は土が小夜の身体を静かに受け入れていた。

 湊は小夜の札の前に座り込み、赤く腫れた目で空を見ていた。

「南へ行け。生き残りがいるなら合流しろ。ここに残るな」

 朔真が言う。

 湊は少し黙ってから、首を横に振った。

「お前は北へ行くんだろ」

「行く」

「じゃあ俺も行く」

「やめとけ」

「嫌だ」

 返答が速い。昨夜よりも、ずっとはっきりしていた。

「ここで待ってても、また別の化け物が来るかもしれねえ。だったら、根っこを見に行く。小夜を何度も埋め直すのは、もう嫌だ」

 湊は立ち上がり、折れた鍬を杖代わりに強く握りしめた。

「あんたが北で、この狂った土の『根っこ』をぶっ壊すつもりなら。俺はその道案内くらいはできる。この辺りの山は、俺たちの庭だったからな」

 朔真は小さく息を吐いた。

 連れて行く義理はない。足手まといになる可能性の方が高い。

 だが、この少年はもう、“守られる側”の顔つきではなくなっていた。

「……勝手にしろ。ただし、死んでもお前の骨は拾ってやれねえぞ」

 朔真が言うと、湊は鼻をすすってから答えた。

「お互い様だよ」

 二人はすこし顔を見合わせて、ふと笑った。


 出発の前に朝焼けに照らされた村を振り返えると、共同墓地の小さな木札が朝の風に揺れている。昨晩までの荒れ地が嘘のように落ち着いている。

 すると、フラッシュバックのように目の前が明るくなったかと思うと、村の人が急に現れ、こちらにお辞儀をしたり、手を振っているような光景が映った。

 慌てて目をこすると、元の廃村に戻ってしまった。

 「まさかな」と朔真は驚いたが、湊の方を見ると静かに泣いていた。

 「小夜が、いま『ありがとう』って言ってくれた気がしたんだよ」

 朔真は湊の背中を叩き「気のせいじゃないかもな」と言って、北へ歩みを進めた。

 

     ◇


 二人の背が見えなくなってから、村の外れの木陰が静かに揺れた。

 濃紺の影が、音もなく現れる。

 鈴だった。

 共同墓地の前に立ち、新しく積まれた石を見る。粗い。歪んでいる。祈りとしてはまだ浅い。

 それでも、弔いができている。

 鈴は小夜と記された木札の前にしゃがみ、そっと土へ触れた。

「……通った」

 誰に向けたのでもない、小さな声。

 昨夜より少しだけ、朔真の言葉が死者へ届いている。

 それを確かめると、鈴は立ち上がった。

 白布を結び直す。

 そして北へ伸びる二人分の足跡を見つめ、表情を変えないまま、その後を追った。

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