百年の呪鍵と、四人の歯車
古き祭祀の旧街道は、どこまでも冷たく、静かだった。
ランタンの灯りを頼りに歩く四人の足音だけが、石畳に規則正しく反響している。
一晩の野営を経て、一行の空気は前日よりもずっと柔らかくなっていた。
特に変化があったのは鈴だ。彼女は相変わらず無表情で口数も少ないが、歩く位置が以前よりも半歩だけ朔真に近くなり、時折、先頭を歩く詠の背中を「観察」するような視線を向けるようになっていた。
自分にない知識を持つ、不思議な大人。嫉妬の対象から、少しだけ興味の対象へと変わったのだろう。
「……そろそろね」
詠が立ち止まり、ランタンを高く掲げた。
通路が不自然に広がり、巨大な半円形の空間に出た。
その最奥を塞いでいたのは、見上げるほど巨大な青銅の両開き扉だった。表面にはびっしりと呪符が彫り込まれ、大蛇のような太い鉄の鎖が何重にも巻き付けられている。
そして、鎖の隙間からは、どす黒い『泥』のような呪力が絶えず滲み出し、空気を重く淀ませていた。
「なんだ、こりゃ。また写し子のお出ましってわけじゃねえよな」
玄理が短槍を構え、警戒を露わにする。
「いいえ。これは怪物を生み出すためのものじゃないわ」
詠は手帳を開き、青銅の扉に刻まれた意匠と照らし合わせた。
「百年前の陰陽寮が仕掛けた、純粋な『防衛』よ。この先は、かつて哭の柱が鎮座していた本殿へと続く道。だからこそ、絶対に部外者を入れないための強固な鍵が掛けられている」
朔真は山鉈を抜き、扉へと一歩近づいた。
「鍵なら、ぶっ壊せばいいんだろ」
「待ちなさい、山猿。脳味噌まで筋肉でできているの?」
詠がため息をつき、朔真の襟首を掴んで引き戻した。
「よく見なさい。扉の上の天井……岩盤の質がそこだけ違うでしょう」
詠がランタンで天井を照らすと、無数の巨大な岩の棘が、今にも落ちてきそうなほど不安定にぶら下がっていた。
「この扉の鎖は、物理的な衝撃や、無作法な呪力の干渉に反応する起爆装置になっているの。力任せに斬りつければ、呪力が暴走して天井の岩盤が崩落するわ。私たちはペシャンコになって、百年前の歴史と仲良く添い寝することになる」
「……マジかよ。じゃあ、どうやって開けるんだ」
朔真が冷や汗を流して山鉈を下ろすと、詠は手帳のページを指で弾いた。
「仕掛け自体は古典的よ。扉の左右と上部、合わせて三箇所に、呪力を制御する『要石』が埋め込まれている。それを完全に同時に押し込めば、鎖の呪力は解けて扉は開く」
詠は扉を指差した。
「ただし、問題が一つ。鎖から溢れているこの泥のような呪力……百年前の怨念が、要石に触れること自体を拒絶している。今のままじゃ、石を押し込む前に呪いの泥に腕を腐り落とされるわ」
玄理が渋い顔で頭を掻いた。
「俺の槍で遠当てをしても、三箇所同時には無理だ。朔真と二人でやったとしても、呪力の反発でタイミングがズレれば一巻の終わりだぞ」
武力だけでは突破できない。知識だけでも開かない。
八方塞がりかと思われたその時、詠がスッと視線を横に向けた。
「だから、お嬢さんの出番というわけよ」
視線の先にいた鈴は、自分の出番を予感していたのか、すでに白布の袖を捲り上げ、扉の前に立っていた。
「鈴……」
「この泥のような呪力を、私が『送る』」
鈴は扉の鎖を見つめ、静かな声で言った。
「完全に浄化するのは無理。でも、怨念の形を解きほぐして、鎖の呪力を一時的に『眠らせる』ことならできる。そうすれば、要石に触れるはず」
「どれくらい持つ?」
玄理が尋ねる。
「……五秒。怨念の底が深すぎるから、五秒以上押さえ込むと、私の腕が持たない」
五秒。
その極限の猶予の中で、三箇所の要石を同時に作動させなければならない。
「上等だ。朔真、お前は上の要石をやれ。俺は右だ。……詠、お前は左を押し込めるか?」
「腕力はないけど、体重をかければ五秒以内には押し込めるわ。それに、石の仕掛けを正確に見極められるのは私だけよ」
詠は手帳を懐にしまい、扉の左側へと歩み寄った。
四人が、それぞれの配置につく。
巨大な青銅の扉の前に立つ鈴。左の詠。右の玄理。そして、中央で身を屈め、跳躍の準備をする朔真。
「行くよ」
鈴が深く息を吸い込み、両手を前に翳した。
――【送詞】
鈴の唇から、かすかな祝詞が紡がれる。
瞬間、彼女の手のひらから淡い光が放たれ、鎖から溢れるどす黒い泥へと波紋のように広がっていった。
ギチギチギチッ! と、百年の怨念が抵抗する不快な音が響く。泥が鈴の腕に絡みつこうと荒れ狂うが、鈴は一歩も引かず、その光で泥を強引に押さえ込んだ。
「今ッ!」
鈴の叫びと同時に、泥の呪力が嘘のようにスッと霧散した。
鎖がただの錆びた鉄へと戻る。
「一ッ!」
玄理が右の要石に短槍の石突を叩き込む。
「二ッ!」
詠が左の要石に両手をかけ、全体重を乗せて押し込む。
「三ッ!」
朔真が爆発的な脚力で石畳を蹴り、壁を駆け上がって、はるか上部にある最後の要石へと山鉈の柄を全力で叩きつけた。
ガキンッ! という三つの硬質な音が、完全に重なり合って地下空間に響き渡った。
直後、扉に巻き付いていた太い鎖が、パラパラと砂のように崩れ落ちていく。
ズゴゴゴゴ……という重低音と共に、百年間閉ざされていた青銅の両開き扉が、ゆっくりと内側へと開いていった。
「……っ、はぁっ、はぁっ……」
鈴がその場に膝をつき、荒い息を吐いた。
彼女の白い両腕には、呪力に抵抗したことによる火傷のような赤黒い痣が浮かび上がっていた。
「鈴!」
着地した朔真がすぐに駆け寄り、鈴の肩を抱き止める。
「大丈夫か!? 腕が……」
「平気……。少し、熱いだけ」
鈴は朔真の顔を見て、安心したようにわずかに口角を上げた。
「私……役に、立った?」
「ああ、もちろん大活躍だ! お前がいなきゃ、俺たち全員潰されてたよ」
朔真が力強く頷くと、鈴は小さく「うん」と呟き、嬉しそうに目を細めた。
「見事な連携だったわ。褒めてあげる」
詠が狩衣の土を払いながら近づいてきて、鈴の腕の痣に小さな清めの札を貼り付けた。
「ひんやりして、少しは痛みが引くはずよ。……呪いを力でねじ伏せるんじゃなく、解きほぐす。あなたの一族の本当の力は、殺すためじゃなく、こうやって道を開くためにあったのかもしれないわね」
その言葉に、鈴はまじまじと詠の顔を見つめた後、小さく頭を下げた。
「さて、扉は開いたけど……」
玄理が、開け放たれた青銅の扉の奥を見つめて眉をひそめた。
扉の先は、さらに広大な、すり鉢状の空間になっていた。
だが、そこにあるはずの『哭の柱』の姿はなかった。
代わりにあったのは、すり鉢の底にぽっかりと空いた巨大な大穴と、周囲の岩壁を破壊しながら地中を掘り進んだような、生々しい無数の亀裂だけだった。
「……もぬけの殻か」
朔真が山鉈を肩に担ぎ直す。
「どうやら、本当に移動したようね」
詠が穴の縁にしゃがみ込み、崩れた土の匂いを嗅いだ。
「昨日の斑目たちとの戦闘……あの圧倒的な『悪意』と、鈴ちゃんの強大な『拒絶』の呪力がぶつかり合ったことで、柱の防衛本能が完全に作動したんだわ。この神域ごと、地脈を伝ってどこかへ逃げたのよ」
「逃げたって……そんなデカいもんが、どこに?」
「第三の柱は『哭』。子どもたちの哀しみを喰らって育った柱よ。地脈を漂い、最も『悲鳴』や『哀しみ』が満ちている場所へと引き寄せられて、そこに新たな根を下ろすはずだわ」
詠は手帳を開き、広域の地図のページにペンを走らせた。
「朝廷が絡むような、大きな飢餓や争いがある場所……目星をつけるしかないわね」
朔真は、大きく息を吸い込み、地下空間に吹き込む微かな風を感じ取った。
風は、大穴の奥深くからではなく、さらに前方に続く上り坂の坑道から吹き込んできている。
外の空気。地上の風だ。
「よし、行こうぜ。ここに立ち止まってても始まらねえ」
朔真が言うと、玄理がニヤリと笑った。
「そうだな。歴史のお勉強回はここらで終わりだ。追跡戦の始まりだぜ」
四人は、開かれた青銅の扉を抜け、地表へと続く坑道を登り始めた。
鬱屈とした復讐の旅は、いつの間にか、互いの背中を預け合う確かな歩みへと変わっていた。
地上へ出れば、また斑目たち朝廷の追手との死闘が待っているだろう。移動した柱がもたらす、新たな悲劇もあるかもしれない。
だが、今の彼らには、不思議と焦りはなかった。
坑道の出口から、眩い朝の光が差し込んでくる。
百年前に閉ざされた歴史の闇を抜け、四人は並んで、光の差す方へと歩みを進めていった。




