三つ巴の混沌
鬱蒼とした森に、冷ややかな拍手の音が吸い込まれていく。
前方を塞ぐのは、黒い狩衣に身を包んだ十数人の朝廷の暗殺部隊。その中央で扇子を弄ぶのは、利用派の筆頭である斑目だった。
そして後方からは、地下の崩れかけた坑道から這い出してきた無数の『写し子』たちが、無機質な足音を立てて迫ってきている。
絶体絶命。その言葉すら生温い状況だった。
「さあ、始めましょうか。目障りなネズミ共を、その薄汚い泥人形ごと片付けなさい」
斑目が扇子を振り下ろした瞬間、暗殺部隊が一斉に地を蹴った。
無駄のない、洗練された殺気。彼らの刃は、朔真たちだけではなく、背後から迫る写し子たちへも容赦なく向けられた。
「神域の防衛機構だろうが知ったことか。木偶の坊が!」
先頭を走る暗殺者の一人が、最も近くにいた写し子の首へ向けて刀を薙ぎ払う。
写し子は防御の姿勢すら取らず、ただ虚ろな目で前を見つめたまま、その刃を受け入れようとしていた。
――ガキンッ!
火花が散った。
暗殺者の刀を弾き飛ばしたのは、横から強引に割って入った朔真の山鉈だった。
「……なっ!?」
弾かれた暗殺者が驚愕に目を見張る。
無理な体勢で飛び込んだ朔真の頬を、暗殺者の刃の切っ先が浅く裂き、一筋の血が流れた。だが、朔真はその痛みに顔をしかめることもなく、背後の写し子を庇うように立ち塞がったのだ。
「朔真! お前、正気か!」
数人を相手に短槍を振るっていた玄理が、信じられないものを見る目で叫んだ。
「そいつらは俺たちを殺そうとしてる敵だぞ! なんで庇う!」
「分かってる! 分かってるけど……ッ!」
朔真は、山鉈の柄を握る手にギリッと力を込めた。
「こいつらは人間だ! 朝廷の連中に、勝手に道具にされただけの人間なんだよ! それを……こいつらの都合で、ゴミみたいに切り捨てられるのを黙って見てられるか!」
朔真の悲痛な叫びに、斑目が鼻で笑った。
「ククッ……アハハハハ! 傑作だ! 自分たちを殺そうとする人形を庇って、自ら肉の盾になるとは! 無教養な山猿のヒューマニズムには反吐が出ますねえ!」
斑目の嘲笑と共に、暗殺者たちの攻撃がさらに激化する。
写し子たちは、自分を庇う朔真のことなど気にも留めない。彼女たちはただ「神域にいる異物」を排除するという命令に従い、朔真の背中から刃を突き立てようとする。
前からは暗殺者の洗練された剣技。後ろからは写し子の無感情な刺突。
朔真は、その両方の刃を弾き、いなし、誰一人として殺さないように立ち回っていた。
「馬鹿ね……。いくら身体能力が高くても、そんな偽善で生き残れるほど現実は甘くないわよ」
巨木の陰に身を隠した詠が、手帳を握りしめながら毒づく。
だが、その冷ややかな言葉とは裏腹に、彼女の視線は朔真の背中から離せなかった。
百年前に民を見捨て、人間をただの「呪力の燃料」として扱うのが朝廷の歴史だ。その狂った常識のど真ん中で、どれだけ泥に塗れても「命を消費すること」を拒む少年。その姿は、歴史書には決して残らない、愚かで、だからこそひどく眩しいものだった。
「ぐっ……!」
ついに、限界が来た。
写し子の短刀を躱した隙を突かれ、暗殺者の刃が朔真の太腿を深く切り裂いた。
鮮血が飛び散り、朔真が片膝を突く。
そこに、三人の暗殺者が同時に凶刃を振り下ろそうと跳躍した。
「朔真ッ!」
玄理が叫ぶが、彼もまた多数の敵に足止めされており、間に合わない。
万事休す。
誰もがそう思った瞬間。
「――やめて」
凜とした、だがどこか震えるような少女の声が、森に響いた。
朔真の前に、白い影が滑り込んできた。鈴だ。
彼女は両手を広げ、振り下ろされる三振りの刀を真っ向から受け止めようとしていた。
「鈴! 逃げろ!」
朔真が絶叫する。
その時、鈴の胸の奥で、かつて感じたことのない熱い塊が破裂した。
(……痛い)
斬られたわけではない。だが、胸の奥が張り裂けそうに痛いのだ。
朔真が血を流すこと。彼が苦しむこと。玄理が傷つくこと。そして、あの口の悪い詠が死んでしまうかもしれないこと。
ただの『刃』として生きてきた彼女には、不要な機能のはずだった。
誰かが消えてしまうことを、「寂しい」「失いたくない」と恐れる感情。
「……私の、大事な人たちに……触らないでッ!」
鈴の薄墨色の瞳が、かつてないほどの激しい光を放った。
彼女の全身から、爆発的な呪力が白いオーラとなって噴き出す。それは、神を『送る』ための攻撃的な力ではない。対象を理不尽な死から遠ざけ、守り抜くための力――『絶対拒絶の結界』だった。
ドゴォォォォンッ!!
鈴を中心に、半球状の巨大な光の障壁が展開された。
触れた暗殺者たちの刀が、飴細工のようにへし折れ、彼らの身体が枯れ葉のように吹き飛ばされる。
斑目すらもその余波を受け、顔を歪めて数歩後ずさった。
「なんだ、この力は……! ただの哭代に、これほどの防衛呪術が使えるはずが……!」
驚愕する斑目。
だが、鈴の力の爆発は、思わぬ二次災害を引き起こした。
ズズ……ズゴゴゴゴォォッ!
鈴の放った極度に純度の高い呪力が、地下で脈動していた『哭の柱』の邪悪な呪力と真っ向から衝突し、反発し合ったのだ。
結果、百年間不安定だったこの森の地盤そのものが、悲鳴を上げて崩壊を始めた。
「なっ……地面が!」
玄理が足元を見て顔を青ざめさせる。
暗殺者たちも、写し子たちも、立っていることができずに次々と転倒する。
「朔真! 玄理!」
詠が叫んだ。彼女の足元の土も、大きくひび割れ、深い闇が口を開けていた。
「くそッ!」
朔真は痛む足に鞭打って立ち上がり、崩れゆく地面を蹴った。
間一髪で鈴の腕を強く引き寄せ、そのまま胸に抱きとめる。玄理もまた、落ちそうになっていた詠の狩衣の襟首を乱暴に掴み上げた。
次の瞬間、四人の足元が完全に崩落した。
底なしの暗闇へと、彼らの身体が吸い込まれていく。
「チッ……! 追えませんね、これは」
崩れていく大穴の縁に立ち、斑目が忌々しそうに舌打ちをする。
土煙が舞う中、朔真たちの姿は深い深い地下の闇へと消えていった。
* * *
「……おい。生きてるか、朔真」
どれほどの時間が経っただろうか。
耳鳴りと、全身を打った鈍い痛みの中で、朔真は玄理のくぐもった声を聞いて目を覚ました。
「痛ぇ……」
朔真が呻きながら身を起こすと、腕の中にいた鈴が、ビクッと身をすくませて顔を上げた。
「朔真……怪我、血が……」
「平気だ。大したことねえよ。」
朔真が無理に笑って見せると、鈴は少しだけホッとしたように目を伏せ、朔真の狩衣の裾をぎゅっと握りしめた。
チッ、と。
暗闇の中で、マッチを擦る小さな音が響いた。
詠がランタンに火を灯すと、オレンジ色の暖かな光が、周囲の光景をぼんやりと浮かび上がらせた。
「……ここは」
朔真は目を見張った。
そこは、ただの土の洞窟ではなかった。
足元には、綺麗に切り出された石畳が奥へと続いている。両脇には、等間隔に配置された苔むした石灯籠。天井は高く、先ほどまでいた森の湿気とは違う、冷たく澄んだ空気が流れていた。
「落ちた先がここで助かったわ」
詠がランタンを掲げながら、手帳の埃を払って言った。
「ここは『古き祭祀の旧街道』。百年前の朝廷が、哭の柱を隠蔽するために埋め立て、歴史から消し去った本当の地下道よ」
「じゃあ、上の連中は……」
「地盤があれだけ崩落したのよ。斑目の暗殺部隊も、写し子たちも、すぐには追ってこられない。完全に撒いたわ」
その言葉を聞いて、朔真と玄理は同時に長い溜息を吐き、冷たい石畳の上に座り込んだ。
張り詰めていた糸が切れ、ドッと疲労が押し寄せてくる。
「……たく、寿命が縮んだぜ。お前ら二人の無茶苦茶な行動のせいだな」
玄理が苦笑しながら、短槍を横に置いた。
詠は少しだけ離れた場所の石畳に座り、ランタンの灯りの下で手帳を開いた。
静寂が、四人を包み込む。
つい先ほどまでの血みどろの乱戦が嘘のような、底の抜けたような静かな空間だった。
「少し休もう。怪我の手当てもしなきゃなんねえしな」
朔真が背負っていた荷物から、包帯と野営のための道具を取り出す。
鈴は、その作業を手伝おうと朔真のそばに寄り添った。彼女の横顔には、もう「無感情な人形」の面影はない。戸惑いながらも、確かに自分の意志で誰かを案じる、一人の少女の顔だった。
朽ちた歴史の跡を歩く、新たな旅の始まり。
旧街道の冷たい闇の中で、小さなランタンの火が、まるで焚き火のように優しく四人の顔を照らしていた。




