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哭血の社(こくけつのやしろ)  作者: nonon


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22/38

封じられた森の迷宮

木漏れ日すら届かない、鬱蒼とした原生林 。


綴詠つづり・よみを先頭にした四人の歩みは、半日ほど進んだところでピタリと止まっていた 。


「……おい、書記官殿。さっきから同じ形の巨木を三回は見てるんだが。お前の手帳の地図とやらは、どうなってんだ」


玄理げんりが、忌々しそうに短槍の石突で地面を叩いた 。

周囲には、乳白色の濃霧が立ち込め始めている 。方向感覚を奪うようなねっとりとした霧だ 。足元の土は過剰な湿り気を帯びており、一歩踏み出すたびにズブズブと嫌な音を立てて靴底を泥が飲み込もうとする 。


詠は立ち止まり、手帳から目を離すことなく、ふっと鼻で笑った 。


「討滅隊の元エースともあろう者が、情けない音を上げないでちょうだい。この森が狂っているのは私の地図のせいじゃないわ。朝廷の『隠蔽』よ」

「隠蔽?」


朔真さくまが眉をひそめて聞き返す 。

その手は、いつでも背の山鉈を抜けるよう柄に添えられていた。


「ええ。この山域そのものが、巨大な『封縛の陣』に覆われているの。物理的な迷路じゃないわ。空間の認識を歪め、侵入者を永遠に森の中で歩き回らせて、餓死か発狂へと追いやる呪術の類ね。百年前の陰陽寮が敷いた、古典的で陰湿な結界よ」


詠は手帳のページをパラパラと捲り、ある一文を指でなぞった 。


「古い文献には『こくの地に至る道は、現世の理を外れる』とあるわ。朝廷は、第三の柱である『哭の柱』の存在を、よほど知られたくなかったようね。……まあ、隠されれば隠されるほど、暴きたくなるのが歴史家のさがというものだけど」


事もなげに言う詠の隣で、すずがスッと目を細め、白布の袖から指先を覗かせた 。

彼女の虚ろだった瞳には、今や微かな意志の光が宿っている。


「……呪力の淀みを感じる。土の下から、何かが這い上がってくる」


鈴が警告を発した直後だった 。


ズズッ……ズゴゴゴォッ!


足元の腐葉土が爆ぜ、異形の塊が姿を現した 。

それは獣でも人間でもない 。泥と枯れ枝、そして無数の『古い人骨』がどす黒い呪力によって寄り集まり、巨大な狼のような形を成した化け物だった 。空洞の眼窩には、青白い鬼火が宿っている 。


「ちぃッ! 結界の防衛機構かよ!」 玄理が野太い声で舌打ちし、短槍を構えて前へ出る 。


「朔真、詠を下がらせろ! こいつらは生きた肉じゃねえ、核を潰さない限り無限に再生するぞ!」 「分かってる!」


朔真は背の山鉈を引き抜き、詠を庇うように立ち塞がった 。


「おい、あんたは後ろに……」

「私の心配より、歴史的遺物を壊さないように立ち回りなさい。その化け物の骨組みに使われている大腿骨は、第一時代の貴重なサンプルの可能性があるわ」

「こんな時に何言ってんだ、この女!」


朔真の至極真っ当なツッコミを置き去りにし、骨と泥の狼が耳障りな咆哮を上げて飛びかかってきた 。

鋭い泥の爪が朔真の顔面を掠める 。朔真は上体を反らしてそれを紙一重で躱し、踏み込みと同時に山鉈を横薙ぎに一閃した 。


ガキンッ! という硬質な音が響き、狼の前足が吹き飛ぶ 。

だが、玄理の言った通り、地面の泥が蠢き、瞬く間に失われた前足が再構築されていく 。


「きりがねえぞ!」 玄理の短槍が別の個体の頭部を貫くが、それもすぐに泥で修復されてしまう 。迷いの森の結界が、無限の呪力を供給しているのだ 。


「……私が、やる」


鈴が、静かな声と共に前へ出た 。

彼女の右手には、薄刃の短刀が握られている 。


「待て、鈴! お前の力は消耗が激しい。こんな雑兵に……」 朔真が制止しようとするが、詠がそれを手で制した 。


「見なさい、朔真。あの子はただ力任せに壊そうとしているわけじゃないわ」


詠の言う通り、鈴は今までのように「神の力を引き出して対象を滅する」ような、乱暴な呪力の使い方はしていなかった 。

彼女は目を閉じ、深く息を吸い込む 。

周囲の乳白色の霧が、鈴の身体を中心にゆっくりと渦を巻き始めた 。


『哭代』の一族は、本来「死者を送り、神域と現世を繋ぐ」ための祭祀の巫女だったはずだ 。神の刃として洗脳される前の、本来の役割 。

鈴は、泥の狼に向けてそっと手を翳した 。


「……還りなさい。あなたたちは、もう使われるための道具じゃない」


鈴の唇から紡がれたのは、呪いではなく、鎮魂の祈りに似た何かだった 。

彼女の手から放たれた淡い光が、泥の狼を優しく包み込む 。

すると、青白い鬼火を宿していた狼の動きがピタリと止まった 。怒りと殺意に満ちていた骨たちが、まるで糸を切られた操り人形のようにバラバラと崩れ落ち、ただの土塊へと還っていく 。


「結界の呪力供給ごと、骨に染み付いた怨念を『送った』……」


詠が感嘆の声を漏らした 。


「素晴らしいわ。力でねじ伏せるのではなく、呪いの根源を解きほぐしたのね。これが、失われた祭祀一族の真の力……」


鈴は小さく息を吐き、朔真を振り返った 。

その額にはうっすらと汗が浮かんでいたが、以前のような虚ろな疲労感はない 。彼女の瞳には、自分の意志で力を使ったという静かな自負が宿っていた 。


「……すごいな、鈴」


朔真が素直に称賛すると、鈴はわずかに目を伏せ、「うん」とだけ短く答えた 。


「感心している場合じゃないわよ。あの子が結界の呪力を乱したおかげで、道の『目隠し』が剥がれかけているわ」


詠が手帳で前方を指し示した 。

先ほどまで同じ木々が連なっていたはずの景色が、蜃気楼のように揺らいでいる 。

霧が晴れたその先には、巨大な岩肌が露出した断崖と、その基部にぽっかりと口を開けた真っ暗な大洞穴が存在していた 。


「……ここが、哭の地」


玄理が油断なく周囲を警戒しながら歩を進める 。

洞穴の入り口には、朽ち果てた巨大な注連縄しめなわと、御札の残骸が散乱していた 。それらは神を祀るためのものではなく、明らかに「中のものを外に出さないため」の封印の意匠だった 。


詠は注連縄の残骸に駆け寄り、狂喜に満ちた目でそれを観察し始めた 。


「ビンゴね。結界の様式、呪符の筆跡。すべて百年前の朝廷、封祀寮の初期の仕事だわ。彼らは、この奥にある何かを必死に隠した」

「隠したって……第三の柱があるんだろ?」

「柱『だけ』じゃないわ」


詠は振り返り、小さなランタンに火を灯した 。


「骸の柱は、地下の神域にあった。飢の柱は、意図的に飢えさせられた宿場町の地下にあった。では、この『哭の柱』は、誰の、どんな犠牲の上に建てられたものか。……行きましょう。歴史の答え合わせの時間よ」


四人は、ランタンの心許ない灯りだけを頼りに、大洞穴の奥へと足を踏み入れた 。

中は異様なほど乾燥しており、土の匂いよりも、どこか鉄錆のような……古い血の匂いが微かに漂っていた 。

しばらく進むと、通路が急に開け、巨大な地下空間に出た 。

ランタンの光が届かないほどの広さ 。だが、朔真の目が暗闇に慣れてくるにつれ、そこに広がっている異様な光景が輪郭を現し始めた 。


「なんだ、ここは……」


朔真は息を呑んだ 。

広大な地下空間の底に広がっていたのは、無数の『檻』だった 。

木と鉄で組まれた頑丈な檻が、何百となく規則正しく並んでいる 。その檻の中には、風化して真っ白になった無数の人骨が、折り重なるようにして転がっていた 。


「牢獄……いや、収容所か」 玄理が忌々しそうに吐き捨てた 。

「罪人を押し込めてた場所か?」


「違うわ」

詠が、一つの檻に近づき、その格子をそっと撫でた 。

「檻の作りを見て。大人が暴れて壊せない強度じゃない。これは……『子ども』を閉じ込めるためのサイズよ」


その言葉に、朔真の背筋に冷たいものが走った 。

檻の中の骨は、どれも小さい 。燕たちと同じくらいの、あるいはもっと幼い子どもたちの骨だ 。


「朝廷の極秘記録に、一行だけ残されていた記述があるわ」


詠は、暗闇の中で静かに語り始めた 。


「『神の呪力を安定させるためには、穢れを知らぬ純粋な魂の慟哭が最も適している』……。ここは、第三の柱に呪力を供給し続けるために作られた、子どもたちの強制収容施設。百年前に孤児や間引きされた子を国中から集め、ここで生きたまま柱の贄としたのよ。だから『こく』の柱」


カラン、と。 鈴が足元の何かを蹴った 。


それは、泥にまみれた小さな土手毬だった 。彼女はそれを拾い上げ、両手で包み込むように胸に抱いた 。

鈴の横顔は、言葉では表現できないほどの深い悲しみと、静かな怒りに染まっていた 。

この手毬の持ち主は、冷たく暗い檻の中で、どんな思いで親の迎えを待ち、そして泣き絶えていったのだろうか。


「……狂ってやがる」


朔真は、ギリッと奥歯を噛み締めた 。

山鉈を握る手が、白くなるほどに力が入っている 。


飢の柱で大人たちを飢えさせ、哭の柱で子どもたちを泣き叫ばせた 。それが、朝廷がこの国を維持するために選んだ「正義」の正体だった 。


「同情している暇はないわよ」


詠が、空間の最奥、最も深い闇がとぐろを巻いている場所をランタンで照らし出した 。


「歴史の案内はここまで。あそこに鎮座しているのが、この場所の主……第三の支柱よ」


光の先に浮かび上がったのは、巨大な肉塊のような『柱』 。

――広大な地下空間。無数の小さな骨が転がる檻の奥で、異様な肉塊である『哭の柱』が不気味な脈動を打ち始めていた 。


「行くぞ」

朔真は、山鉈を真っ直ぐに構えた 。

「こんなふざけた歴史、俺たちがここで全部終わらせる」


一歩、泥の地面を踏み込んだその時だった 。


――キィン……。


鼓膜を直接引っ掻くような、耳障りな耳鳴りが地下空間に響き渡った 。

同時に、脈動していた柱の表面から、どす黒い泥が滝のように溢れ出し始めた 。泥は意思を持つように這い回り、朔真たちの行く手を阻むように壁を作る 。

そして、その泥の壁の中から、ゆらりと「白い影」が無数に立ち上がった 。


「なっ……!」


朔真は息を呑み、踏み込んだ足を慌てて止めた 。

影の正体。それは、純白の装束に身を包んだ少女たちだった 。

手には薄刃の短刀 。感情を完全に削ぎ落とされた、ガラス玉のような虚ろな瞳 。


鈴と全く同じ顔をした、神の手足たる『写し子』たち 。それが十、二十と、次々に泥から生み出されるように姿を現したのだ 。


「……神の防衛本能ね」


後方に立つ詠が、顔をしかめて呟いた 。


「柱の危機を察知して、神域から強制的に写し子たちを呼び寄せたのよ。自分の核を守るための、文字通りの『肉の盾』として」


カチャッ、と。 二十人以上の写し子たちが、一糸乱れぬ無機質な動きで同時に短刀を構えた 。

その矛先は、真っ直ぐに朔真たちへ向けられている 。


「チッ、数が多いぞ! 朔真、囲まれる前に蹴散らすぞ!」


玄理が短槍を構え、一番手前にいた写し子へ向けて容赦のない突きを放とうとする 。

だが、朔真は咄嗟に玄理の槍の柄を掴んで止めた 。


「待て! 駄目だ!」

「馬鹿野郎、何を迷ってやがる! 殺られるぞ!」


玄理の怒声と同時に、三人の写し子が朔真へ向けて跳躍した 。

無音の刺突 。朔真は山鉈の広い刃でそれを弾き返すが、決して反撃の刃を振り下ろそうとはしなかった 。


(斬れねえ……!)


朔真は奥歯を噛み締める 。

この顔を知っている。この空虚な目を知っている 。

彼女たちは怪物ではない。朝廷の都合で集められ、洗脳され、使い捨ての道具にされたただの人間だ 。以前、朔真は自らの意志で「彼女たちをただの道具として壊すような真似はしない」と決めたのだ 。


ここで彼女たちを斬り捨てれば、自分たちを追い詰めた朝廷の連中と同じになってしまう 。

血も涙もない歴史の一部に、自分も成り下がってしまう。


「くっ……!」


防戦一方の朔真の肩を、写し子の刃が浅く切り裂く 。生々しい血が飛んだ 。


「朔真!」


鈴が叫び、朔真を庇うように前へ出た 。彼女は両手を広げ、かつての自分と同じ虚無を抱える写し子たちに向けて必死に呼びかける 。


「やめて……! 私たちは、もう戦わなくていい! 神の道具になんて、ならなくていいの!」


しかし、鈴の言葉は写し子たちには全く届いていなかった 。

彼女たちは神の意志に完全に縛られている 。鈴の言葉に反応するどころか、邪魔な「裏切り者の個体」として、一斉に鈴へと刃を向けた 。


「駄目よ、鈴ちゃん! ここはこの柱の呪力が濃すぎる。あなたの『送る力』も、この数と柱の圧の前じゃ飲み込まれるわ!」


詠の冷静な声が響く 。


「このままじゃジリ貧だ! 朔真が本気で斬れねえなら、全滅するぞ!」


写し子の攻撃をいなしながら、玄理が叫んだ 。

朔真の優しさが、今この瞬間においては最大の枷となっていた 。彼が一人でも写し子を殺す覚悟を決めない限り、前には進めない 。


「……ッ、俺は……!」


朔真が葛藤に顔を歪めた時、詠がランタンを高く掲げた 。


「撤退よ! 今の状況で柱を落とすのは不可能! こっちへ来なさい!」


詠は、地下空間の壁面、崩れかけた岩盤の隙間を指差した 。


「百年前の換気口の跡よ! あそこなら狭くて、多人数では追ってこれない!」


「くそっ……!」

朔真は血の滲む唇を噛み、柱を背にして走り出した 。


「玄理、鈴! 走れ!」


朔真が最後尾で写し子たちの刃を弾きながら、四人は岩盤の隙間へと飛び込んだ 。

背後からは、感情のない写し子たちが無機質な足音を立てて迫ってくる 。だが、詠の読み通り、狭い坑道では彼女たちの数の暴力は活かせなかった 。


土と埃に塗れながら、暗く細い坑道を這うようにして登る 。

やがて、頭上に微かな外の光が見えた 。


「出られるわ!」


詠が先頭で土を蹴り破り、四人は転がり出るようにして地上へと這い出した 。

そこは、洞穴の入り口の真上にあたる、鬱蒼とした森の中だった 。冷たい外気が、火照った肺を満たす 。


「はぁッ、はぁっ……」


朔真は膝に手をつき、荒い息を吐いた 。

悔しさが全身を焦がしていた 。目の前に柱があったのに。終わらせることができたはずなのに、自分の甘さのせいで背を向けてしまった 。


「……ごめん。俺が、斬れなかったから……」


うつむく朔真に、鈴が静かに首を振った 。

泥だらけになった手で、そっと朔真の背中を撫でる。


「謝らないで。朔真が……あの子たちを人間として見てくれたこと、私は、嬉しかったから」


その言葉に、朔真は顔を上げる 。

玄理も息を整えながら、やれやれと頭を掻いた 。


「まあ、お前がそこで非情になれるような奴だったら、俺もわざわざ付き合ってねえよ。出直せばいい。だが、まずはここからどうやって逃げ切るか……」


玄理が言いかけた、その時だった 。


「――いやはや、美しいですねえ。道具に情けをかけて尻尾を巻いて逃げ出すとは。涙ぐましいほどのヒューマニズムだ」


パチ、パチ、パチ、と 。

静まり返った森に、薄ら寒くなるような拍手の音が響いた 。

四人が弾かれたように声の方向へ振り向く 。


木々の陰から、黒い狩衣に身を包んだ男たちが次々と姿を現した 。その数は十人以上 。全員が手練れの暗殺者特有の、冷たく研ぎ澄まされた殺気を放っている 。

そして、その中心で嫌悪感に満ちた笑みを浮かべていたのは―― 。


斑目まだらめ……!」


朔真が、憎悪と共にその名を呼んだ 。

泥這の宿で飢の柱を利用し、逃亡した利用派の筆頭 。


「おや、生き残りの小僧。それに葛城玄理に……おや? そちらの小賢しい女は、封祀寮の落ちこぼれ書記官ではありませんか。我が国が隠した『恥部』までご丁寧にご案内いただいたようで、ご苦労なことです」


斑目は扇子で口元を覆い、見下すような目を向けた 。


「都の上層部も、あなた方の無軌道な暴れっぷりには頭を抱えておりましてね。神域の結界が乱れたのを機に、私自らが『掃除』を命じられたのですよ」


チャキッ、と 。

暗殺部隊が一斉に刀を抜き、朔真たちを半円状に包囲した 。

下からは無数の写し子たちが追ってきている 。そして地上では、朝廷の精鋭部隊に完全に退路を塞がれた 。


「……最悪のタイミングね。私の手帳には、こんな事態を切り抜ける歴史の記録なんて載ってないわよ」


詠が冷や汗を流しながら呟く 。

圧倒的な数の不利 。


歴史の深淵を覗き込んだ代償は、あまりにも重く、逃げ場のない絶望となって四人に重くのしかかっていた 。

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