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哭血の社(こくけつのやしろ)  作者: nonon


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10/38

朝廷

崩れた骨の谷には、しばらくの間、誰の口からも声が発せられることはなかった。

天を突くようにそびえていた骸の柱は落ちた。

無数の命を繋ぎ合わせ、すべてを飲み込もうとしていた骸喰は完全にほどけ、今はただの巨大な死の残骸として冷たい土へ還っている。

それなのに、死闘を生き抜いたという安堵も、勝ったという高揚感も、誰の胸にも湧いてはこなかった。

谷の底には、まだむせ返るような血の匂いと、黒く濁った泥、そして古びた骨の臭気が濃密に立ち込めている。


討滅隊の何人かは力尽きたように膝をつき、指揮を執っていた玄理でさえ、刀を下げたまま荒い息を肩でしていた。

湊は泥まみれになった鍬を杖代わりに深く突き立ててどうにか立っており、鈴は裂けた肩から血を流し、白布を汚したまま朔真の半歩前に立っている。


その満身創痍の全員を、斜面の上から哭代たちが見下ろしていた。

林の暗がりから滲み出るような濃紺の影が五つ、六つ。

その先頭に立つ令だけが、殺気を隠すこともなくわずかに前へ出ている。 朔真は痺れる手で山鉈を握り直した。

腕の感覚は麻痺し、足は鉛のように重い。それでも、刃を下げる気は毛頭なかった。

鈴もまた同じように、ただ訪れるであろう次の一手だけを静かに待っている。

張り詰めた沈黙の中、討滅隊の誰かが引き攣った喉を鳴らした。

「……哭代」

「囲まれてるぞ」

怯えを含んだ声に、玄理は答えない。

刀はまだ鞘に納めていないが、無闇に斬りかかる気配もなかった。

彼はただ、斜面の上から冷たい見下ろす令をじっと見返している。

令が、ゆっくりと長刀の柄へ手をかけた。その時だった。

彼らの間を吹き抜ける風が、先に変わった。

死臭と泥の臭いが充満する谷底に、あり得ないはずの香りが混じったのだ。薄く、乾いていて、どこか優雅ですらある、雅びな都の匂いだった。

その場違いな気配に、哭代たちの影が一斉にわずかに揺れた。


令の鋭い視線が朔真たちからふっと外れ、斜面のさらに上、林の奥へと流れる。

朔真もまた、その視線に釣られるように首を巡らせた。

谷へと下る細い道の入り口に、数人の武官が立っていた。

討滅隊ではない。装束の仕立てや汚れ方がまるで違う。

彼らは最前線で泥と血にまみれて走る者たちではない。

前線で流れる血を盤上から見下ろし、それを使う側の人間特有の、冷たく整った立ち方をしていた。


その中央に、一人の男がいた。

年の頃は五十前後に見える。身に纏う衣は上質で柔らかい色合いをしており、この凄惨な死の谷にあって、信じられないことに泥一つついていなかった。

まるで、春の宴席へ少し遅れて現れた貴人のような、不気味なほどの穏やかさを崩していない。

その男の姿を視界に収めた瞬間、令の氷のような目がわずかに細くなった。

ほんの僅かな変化だ。だが、いかなる死地にあっても表情を変えないあの令が、明確に警戒の色を見せたのは異様だった。

「……へえ」

男は、崩れ落ちた骨の柱の残骸を見下ろし、次いで骸喰が溶けた黒い泥を一瞥し、最後に朔真たちを値踏みするように順に眺めた。

「これはまた、ずいぶん派手にやったものだ」

その声音は、どこまでも穏やかだった。

だが、死闘を労う響きや感心している様子は微塵もない。

ただ、無惨に壊された『道具』の価値を頭の中で冷徹に計算し、測っているような響きだった。

朔真の眉が深く寄る。

「誰だ、お前」

敵意を込めた問いに、男は視線を朔真へ向け、薄く優雅に笑った。

「名乗るほどの者ではありませんよ。ただ、少々困っている者です」

「困ってる?」

「ええ」男は再び、崩れた柱の残骸へと目をやった。

「壊されては困るものというのは、世の中にいくらでもある」

その含みのある言い方に、玄理の顔から表情が抜け落ち、目に見えて硬直した。

「……有雅ありまさ

地を這うような低い声で呼んだのは、斜面上の令だった。

名を呼ばれた男――有雅は、そこで初めて、口元の笑みを少しだけ深くした。

「おや。覚えていてくれましたか」

距離が離れているにも関わらず、その返しはまるで耳元で囁かれたように妙に近い。朔真は令の横顔を見た。

令はもう、標的であるはずの朔真や鈴を見ていなかった。

斜面の上に立つその男だけを、射抜くように見据えている。

しかしそれは、純粋な敵に向ける顔ではない。かといって味方を見る顔でもない。

殺しても殺しきれない、ひどく扱いづらい汚泥を前にしたような顔だった。


有雅と呼ばれた男は、令へ向かって柔らかく、親しげにすら聞こえる声で言う。

「今日はずいぶん乱暴だ」

「あなた方らしくもない」

令は答えない。ただ、刃のように硬い視線を突き刺し続けている。

有雅はそれ以上令を追及せず、今度は面白そうに朔真へと向き直った。

「穂積朔真殿、ですね」

突然名指しされ、背後にいた湊が息を呑む。朔真は山鉈を握る手に力を込め、目を細めた。

「……なんで知ってる」

「こちらにも、こちらの耳があります」

有雅は風の音でも語るようにさらりと言い放ち、その視線を横に立つ鈴へと滑らせた。

その瞬間、有雅の顔からほんの一瞬だけ、作り物の笑みが薄くなった。

「それに、哭代の娘まで混ざっている。ますます放ってはおけない」

その物言いが、朔真の胸の奥に妙に引っかかった。彼らを危険視しているから捕らえようとしているのではない。

これは、自分にとって有用な道具を『逃がしたくない』と欲する人間の目だ。


その緊迫した空気を切り裂くように、令が口を開いた。

「今日はやめておく」

谷の空気が一変した。令の言葉を受け、林の影に潜んでいた哭代たちが、一斉に音もなくわずかに身を引く。

討滅隊の何人かが、信じられないものを見たようにざわついた。朔真も眉をひそめる。

無感情に人を殺すことができるあの令が、引くと言ったのだ。

それも、朔真たちの抵抗を恐れてではない。有雅という男が現れた、ただその一事だけで。

有雅は首を少しだけ傾げ、賛賞するように言った。

「賢明ですね」

その余裕めいた言い方に、朔真の背筋に冷たいものが走った。

有雅は令に命令しているわけではない。だが、対等な立場で居合わせているわけでもない。

見えない力関係が、明確にそこには存在していた。

令の声は、すべてを凍らせるように冷たく乾いていた。

「……次は斬る」

その視線は有雅ではなく、下でこちらを見上げる鈴へと向いている。

「そこに立つなら、もう一族じゃない」

鈴は、背後を振り返らなかった。

「分かってる」

感情の一切を削ぎ落としたような、短い返事だった。令の瞳がほんのわずかに伏せられ、だが瞬き一つする間に元の氷の刃へと戻る。

「なら、次はおまえから殺す」

絶対の宣告だけを谷底に残し、令は背後へわずかに顎を振った。

その合図とともに、濃紺の影たちが、まるで最初から幻であったかのように林の暗がりへと溶けていく。

去り際、令は一度だけ有雅を振り返った。

その一瞥に、感情的な怒りや露骨な敵意はない。だが、信用も敬意も微塵もなかった。

ただ、今はまだ斬れない存在を前にした時の、あのひどく嫌な静けさだけがそこにあった。

その射殺すような視線を真っ向から受けてなお、有雅は口元の微笑を一切崩さなかった。

「また会うでしょう」

令は答えない。哭代たちはそのまま、木々のざわめきに紛れて谷上の林へと消え去った。

残されたのは、有雅率いる朝廷側と、疲弊しきった討滅隊、そして朔真たちだけだった。



有雅は、音もなく一歩、前へ出た。

その足元には壊れた骨の欠片が散乱し、死人たちの痕跡がこびりついているというのに、彼はそれを少しも見ていなかった。まるで美しい庭園でも歩くような足取りだ。

「さて」

有雅は、場違いなほど穏やかな声で言う。

「これで厄介なのは、こちらだけになった」

玄理が、下げていた刀の切っ先をわずかに上げた。

「有雅。ここは封祀寮の現場だ。お前が口を出す場所じゃない」

明らかな拒絶を示す玄理に対し、有雅の笑みは薄いままだ。

「怖い顔をなさらないでください、葛城殿」

「私はただ、これ以上の無秩序を防ぎたいだけです。危険な者は管理する。至極まっとうな話でしょう」

その“危険な者”という言葉に、自分たち三人が明確に含まれていることを、朔真は皮膚の粟立ちとともに理解した。

有雅の蛇のような視線が、朔真、鈴、そして湊の順にゆっくりと流れる。

「穂積朔真」

「哭代の離反者」

「現場の証人」

並べ立てられた言葉に、湊が顔をしかめた。

「証人?」

「そうですよ、少年」有雅は、親が子に言い聞かせるような優しい声音で言った。

「見てしまったでしょう。言ってしまえるでしょう。なら、野に放つ理由はありません」

「ふざけんな」

湊が、感情を爆発させて一歩前へ出た。泥だらけの鍬を握る手が、白くなるほど震えていた。

それは肉体的な疲労からではない。内側から沸き上がる、どうしようもない怒りによるものだった。

「村が死んで、妹が掘り返されて、やっと終わらせたばっかだぞ。何で俺たちが縛られるんだよ」

血を吐くような少年の怒声を、有雅は面倒そうに見下すことすらしなかった。ただ、よく訓練された感情のない役人そのものの顔で、淡々と受け止める。

「少年。君の悲しみは理解します。ですが、大事のための小事です」

その無慈悲な一言で、湊の顔が怒りで真っ赤に染まった。理性を飛ばし、有雅へ向かって飛び出しかけたその肩を、朔真が力強く掴む。

「行くな」

「でも――」

「今突っ込んでも、こいつの思う通りだ」

止めた朔真の声は、自分でも驚くほど冷え切っていた。頭の芯が凍るほど冷静に、目の前の男の異常性を理解し始めていた。

有雅は朔真の様子を見て、わずかに笑みを深める。

「話が分かる」

「やはり、生かして連れて帰る価値はありますね」

その言葉の直後、玄理の刀が、半寸だけ鋭く上がった。

「……有雅」

玄理の声は、地の底から響くように低かった。

「こいつらは今、柱を落とした。討滅隊の死者も出た。なのに荷物みたいに回収する気か」

現場の惨状と血を無視した物言いに、玄理の怒りが滲む。しかし、有雅は少しも揺れない。

「箱に入れるべきものは、箱に入れねばなりません。葛城殿。あなたは現場に情が移りすぎる。それでは国は回りません」

「国のためなら何でも喰わせるのか」

玄理の詰問に、有雅はあっさりと、息を吐くように返した。

「必要なら。誰かが汚れを引き受けねば、秩序は保てません」

その淀みない物言いに、玄理の目がわずかに細くなる。それは、激昂している時の顔ではない。底知れぬ相手の腐敗に、もっと深く呆れ、絶望した時の顔だった。

朔真は有雅を睨みつけた。

分かったことがある。この男は、骸の柱が本来何のためのシステムだったのかも、朔真たちがここで何を壊したのかも、詳細に知っている。何一つ知らずに、ただ状況を収拾しに来た者の口ぶりではない。

なのに、まるで壊れた古道具の処理でも語るような態度なのだ。

「……お前、最初から知ってたな」

朔真が射抜くように言うと、有雅は芝居がかって肩を竦めてみせた。

「何をでしょう」

「ここに何があって、何が繋がってて、何を壊したら困るのかだ」

「さあ」

有雅の笑みは、仮面のように崩れない。

「私はただ、後始末が増えるのを嫌っているだけですよ」

嘘だ、と朔真は直感した。だが、その傲慢な嘘を今ここで物理的に暴き、覆せるだけの札は、彼らの手にはもう残されていなかった。

有雅が、背後に控える武官たちへ冷ややかに目を向ける。

「捕えなさい」

「穂積朔真は生け捕り。娘も同じく。あの少年も連行を」

「抵抗するなら、脚から落とせばいい」

事務的な処刑宣告。武官たちが一斉に抜刀し、動いた。

次の瞬間、澄んだ金属音が響き、玄理の刀が完全に抜かれていた。

音は極めて短かった。だがその神速の一閃だけで、先頭を歩いていた武官二人がぴたりと足を止める。彼らの喉元へ、銀の刃が薄皮一枚の距離でピタリと止まっていた。あと半歩踏み込めば、間違いなく首が落ちる絶望的な位置だ。

「……それ以上来るな」

玄理は有雅ではなく、動揺する武官たちへ向かって言った。それが逆に、彼の殺気が本物であることを重く伝えていた。

「ここは現場だ。現場を知らない連中が土足で踏み荒らしていい場所じゃない」

張り詰めた剣幕にも、有雅の声音は変わらない。

「それは命令違反ですか、葛城殿」

だが、その目の奥だけが、爬虫類のように少しだけ冷えた。

「私は命令を伝えているだけです」

「だったら、その命令ごと持って帰れ」

玄理が一歩、踏み込む。その踏み込みには微塵の迷いもブレもなかった。

「こいつらは俺の前で人を土へ返した」

「少なくとも今ここで、手柄と都合だけで縛らせる気はねえ」

玄理の覚悟に応えるように、満身創痍の討滅隊の空気が一気に張り詰めた。彼らもまた、朝廷の武官たちへ向けて刀の柄へ手をかける。

骸を鎮めたばかりの谷の底に、今度は人同士の新たな殺気が立ち込めた。 その血みどろの衝突が避けられないと思われた、その時だった。

「剣を収めろ、玄理」

低く、しかし場のすべてを圧するような声が、谷の上から落ちてきた。

その声の主が現れた瞬間、全員の動きが呪縛されたように止まった。

有雅でさえ、貼り付けたような笑みをそのままに、視線だけをスッと上へ向けた。

谷へ続く道口に立っていたのは、ーー橘宗景たちばな・むねかげだった。

彼自身の背後に大軍を率いているわけではない。だが、その男が一人そこに現れただけで、場の重心が完全にひっくり返るのが分かった。

痩せた長身。一糸乱れぬ黒い衣。くぼんだ目の下には、薄く死相のような隈が張り付いている。

病人じみた静かで青白い顔をしているというのに、彼がゆっくりと一歩踏み出すごとに、谷の空気が削り取られ、息苦しさが充満していく。

宗景は、感情の読めない目で崩れた柱を見た。散乱する骨を見た。微笑を浮かべる有雅を見た。

最後に、血に塗れた朔真たち三人を、ただの物体でも見るかのように見下ろした。

「中務卿」

宗景が、氷のような声で言う。

「越権だ」

咎められても、有雅は少しも怯まなかった。

「封祀寮の仕事が遅いので、手を貸しに来ただけですよ」

「余計な手出しだ」

宗景の声は、起伏がなく平坦だった。だが、それが抗いようのない決定事項であることを誰もが理解した。

「ここは禁祭案件として封祀寮が預かる。関係者の拘束、移送、聴取、すべて討滅隊の管理下で行う」

有雅の笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。

「その中に、あの娘も含めるのですか」

「含める」

宗景は、一瞬の瞬きすらためらわなかった。

「表向きは、禁祭祀に関与した危険人物だ。現場で発見された以上、封祀寮が引き取る」

建前だ、と朔真は強く歯を食い縛った。

彼らが倒した神の存在も、暗躍する哭代の正体も、朝廷が公にできるはずがない。ましてや、反逆者やただの村の少年と共闘したなどと外へ出せるわけもない。

なら朝廷が取る手段は一つだ。全部まとめて、真実を知りすぎた“禁祭の関係者”という曖昧な箱に呑み込むしかない。

世界の真実を隠すために。彼らというイレギュラーを管理するために。 有雅が、袖の中で優雅に指を組んだ。

「なるほど。囲う、と」

「管理する」

「言葉を替えるのはお好きだ」

「お前もだろう」

その一言で、有雅はようやく口を閉ざした。完全に退き、諦めたわけではない。

だが、この場で宗景という男と全面から噛み合うのは得策ではないと、瞬時に計算を終えた顔だった。 有雅を退けた宗景は、次に抜刀したままの玄理へ視線を向ける。

「葛城」

「……ああ」

「三名を確保しろ」

「手当てはする。だが拘束も忘れるな」

その無機質な命令に、湊が顔を上げた。

「何だよ、それ」

声が震えていた。

「助けたのに、捕まえるのかよ」

「助けたからだ」

宗景の返答には、一滴の血も通っていないように冷たかった。

「放せば次の柱へ向かう」

「止めれば逃げる」

「そして今のお前たちは、国にとって知りすぎている」

朔真は、腹の底から笑い出しそうになった。ちっとも笑える状況ではないのに、彼らの論理があまりにも無慈悲で、完璧に歪んでいるからだ。

「結局、そういうことか」

「そうだ」

宗景は、その歪みを否定すらしない。

「穂積の血は使える。哭代の娘は捨て置けない。少年は現場の証人だ。三人とも、もう民では済まない」

その淡々とした一言は、彼らから人間としての尊厳を剥奪する、絶対の判決だった。 玄理が、重い足取りでゆっくりと近づいてくる。

いつの間にか刀はもう納められていた。代わりに、その手には忌まわしい捕縛用の縄が握られている。

「悪く思うな、とは言わん」

苦渋に満ちた玄理の声にも、朔真は動かなかった。

今ここで暴れても、武官たちに囲まれて終わるだけだ。湊は立っているのが限界なほど消耗している。鈴も、肩から絶え間なく血を落としている。第一支柱という巨大な絶望を落とした直後の身体で、討滅隊も武官もまとめて相手取れるような魔法など、この世界にはない。

誰よりも自分がそれを分かっているからこそ、余計に腹の底が煮えくり返る。 玄理が、まず湊の方へ行く。

「暴れるな」

「暴れるに決まってんだろ!」

「なら脚から縛る」

「っ……!」

泣き叫ぶように言い返しながらも、湊は差し出された玄理の手を、本気で振りほどく力は残っていなかった。泥だらけの手首へ、冷たい縄が幾重にも回される。悔しさと無力感で、湊の目だけが赤く腫れ上がっていた。 次に、朔真の番だった。

玄理が無言で縄を見せる。

「自分で出せ」

「断る」

「じゃあ押さえるぞ」

互いに一歩も引かず、しばし睨み合う。

結局、朔真の方が先にフッと全身の力を抜いた。血脂で柄が滑る山鉈を乾いた音を立てて地へ落とし、両手を前に差し出す。

きつく縛られる感触が、ひどく不快だった。

三か月前、何も知らずに朝廷に拾われた時よりも、今のこの拘束はずっと屈辱的で、絶望に近かった。

最後に、鈴の番だ。

血まみれの少女を前に、玄理が一瞬だけためらいを見せる。

だが鈴は何も言わず、片手で器用に白布をほどいた。その下に隠されていた肩の傷は深く裂け、ようやく血が固まりかけている痛々しい状態だった。

彼女は表情を変えることなく、細い両腕を前へ出す。縄をかけられ、縛られる手つきすら、彼女は恐ろしいほど静かだった。

朔真は、縛られたままその横顔を見た。

怒っているようには見えなかった。すべてを諦めているようにも見えない。

ただ自分が帰るべき場所など、この世界のどこにももうないのだと、悟っている顔だった。

「……鈴」

思わず呼ぶと、鈴は少しだけ顔を向け、こちらを見た。

「戻れないな」

朔真の自嘲めいた言葉に、鈴は数拍ぶんの沈黙を挟み、小さく返す。

「最初から、戻るつもりはなかった」

それが、一族を捨てた彼女なりの強がりなのか、それとも深く傷ついた本音なのか、今の朔真にはまだ分からなかった。

すべてを見届けた宗景が、音もなく背を向ける。

斜面の上の有雅は、まだ面白そうに薄く笑っている。

谷の底では、壊された骸喰の骨がもう二度と繋がらないまま、静かに明けていく朝の白さの中に無惨に沈んでいく。

第一支柱は落ちた。

だが、彼らに自由は来なかった。

朔真は、背手に縛られた手首に食い込む縄の痛みを強く噛み締めながら、崩れた柱の残骸を一度だけ振り返った。

神へ届く道を、一つ壊した。

その代わり、人の国の冷たい檻が一つ、彼らの背後で重い音を立てて閉じたのだ。 その檻の中には、倒すべき仇の娘と、無惨に妹を埋めた少年と、何も守れなかった自分が並んでいる。

最悪だ、と朔真は胸の内で吐き捨てる。

そして、ここから先の戦いは、もはや理不尽な神だけが相手ではないのだと、明確に悟った。

彼らが生きる「国」そのものが、巨大な牙を剥いて彼らを喰らいにきている。

いつも読んでいただきありがとうございます!

nononです!


皆様へのご挨拶は初めましてですね。

楽しんでいただけてますでしょうか。

小説も、なろうも初めての投稿ですので、

今度とも暖かく見てくれると嬉しいです!


もしよろしければ

ブックマーク・★★★★★を何卒っ。

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を入れていただけると、

私の励みにもなりますので、どうぞよろしくお願いいたします。


引き続き、物語をお楽しみください。

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