深夜の掲示板 3
3 影の足音
翌日、タカシは眠れぬまま、大学へ向かっていた。
前夜、鏡の中で見た顔の感触が、まだ手のひらに残っているかのように脳裏に焼きついていた。
誰かが見ていた。
そんな単純な事実では済まされない気がする。
キャンパスに着くと、いつもの通り人々が行き交っている。
しかし、タカシにはすべての影が妙に長く、ねじれて見えた。
歩くたびに、足元の影がほんの少し遅れて伸び、曲がり角で消えるような気がした。
心臓がぎゅっと締め付けられる。
昼休み、タカシは一人、スマートフォンで掲示板を確認した。
新しい書き込みが増えていた。
『影は、ただの映り込みじゃない。鏡も、画面も、光る物すべてを通る。』
『呼ばれたら終わり。逃げることはできない。』
タカシはスクロールを止め、画面をじっと見つめた。
文字が、まるで空気の中から浮かび上がるように黒く濃く見える。
画面の向こうから、じっと誰かに見られているような感覚が走った。
『もう遅い』
文字の変化に気づく。最初は「逃げることはできない」だった文が、「もう遅い」と変わっていた。
タカシの手は震えた。
放課後、タカシは決心して、前夜影を見た自室の鏡へ向かった。
窓の外では、夕陽が沈み、街灯がひとつずつ灯り始めている。
部屋に入ると、影はまだそこにあるような気配がした。
「……来い」
つい口に出していた。
その瞬間、鏡の向こうに、影がゆっくり動いた。
前夜と違う。手だけではなく、肩、首、体全体が微かに揺れる。
タカシは息を止め、目を凝らす。
影の輪郭が、はっきりと人間の形になりつつあった。
しかし、顔はやはりぼんやりとして、詳細はわからない。
すると、鏡の中の影が、口を開いた。
声は聞こえない。だが、文字が浮かぶ。
『見つけてくれ』
タカシは震えながら鏡に手をかざした。
影は同じタイミングで手を伸ばし、指先が鏡越しに重なったように見えた。
心臓が跳ねる。鼓動が耳を打つ。
その夜、タカシは自室でノートを開いた。
影の正体を探るため、今までの出来事を整理する。
・影は満月の夜に出現する
・鏡や画面を通して人間に接触してくる
・呼ばれると逃げられない
・「見つけてくれ」と文字で意思を伝える
ノートに書き出すほどに、タカシは恐怖よりも好奇心が勝っていった。
これは、都市伝説として語られる「深夜の掲示板」の影そのものではないか。
翌日、タカシは大学の図書館で、都市伝説に関する文献を漁った。
古い新聞記事、インターネットの書き込み、過去の掲示板のログ。
すると、一つの共通点に気づく。
『影が現れた場所には、かつて誰かが事故や不可解な死を遂げている』
最初は偶然かと思った。
しかし、複数の事例を比較すると、偶然では説明がつかない。
影は、人間の目に見えない何かと、事故や死を結びつけているらしい。
帰り道、タカシはふと足を止めた。
大学近くのコンビニの窓に、自分の影が映る。
しかし、そこには、前夜見たような微かな揺れがあった。
「助けて」
微かに聞こえた声。
それは、鏡越しの文字ではなく、確かに耳に届いた。
心臓が凍る。
次の満月の夜、タカシは準備を整えた。
懐中電灯、スマートフォン、録画機材。
影を記録し、できれば正体を確かめる。
夜が更け、街が静まり返る。
タカシは部屋の鏡の前に立つ。
心臓の鼓動が耳元で鳴る。
やがて、影が現れた。
手が伸び、体全体が鏡に映る。
ぼんやりとした顔、しかし、どこか人間らしい輪郭。
タカシはスマートフォンを構えた。
録画ボタンを押す。
影はゆっくりと口を開く。
声は出ない。だが、文字が浮かぶ。
『逃がさない』
タカシの体が硬直する。
その瞬間、影は鏡の中から、じわりと現実世界に溶け出したかのように見えた。
床に映る影は、鏡の中の輪郭と重なる。
恐怖と好奇心が入り混じり、タカシは一歩、後退した。
しかし、次の瞬間、スマートフォンの画面に、知らない顔が映った。
それは自分の顔の後ろに、もう一人いるかのような奇妙な映像だった。
タカシは思わず叫び、スマートフォンを落とす。
影はゆっくりと消え、部屋は静かになる。
しかし、録画された映像には、影の動きと、後ろに微かに立つ顔が記録されていた。
タカシは気づく。
影は、単なる存在ではない。
誰かの“死”と“記憶”を媒介にして、人間と接触してくる。
そして、次に呼ばれるのは、もしかしたら自分かもしれない。
恐怖は増した。
しかし、謎を解きたいという衝動は、恐怖を凌駕する。
タカシは決意する。
次の満月の夜、自分から影に近づき、正体を暴く。
そうしなければ、影に呼ばれる運命から逃れられないと直感した。




