あそびの国の終わり方 5
五話 終わらないあそび
気づいたとき、私はまた押し入れの中にいた。
膝を抱え、顎を埋め、息を殺している。
湿った布団の匂い、古い木の軋む気配、狭い空間にこもる温度――すべてが、最初と同じだった。
だが、違う。
決定的に、違う。
私はこれを知っている。
ここから何が始まるのか、その流れを、身体の奥で覚えている。
思い出せるわけではない。
言葉にはならない。
だが、確実に「知っている」という感覚だけが、強く残っている。
忘れているのに、覚えている。
矛盾した状態が、意識の中で静かに軋んでいる。
暗闇に目が慣れる。
襖の隙間から差し込む細い光が、埃を浮かび上がらせる。
その粒子が、ゆっくりと漂っている。
時間が、やはりどこか歪んでいる。
止まっているようで、進んでいる。
進んでいるようで、戻っている。
――もういいかい。
声がする。
あの声だ。
何度も聞いた。
何度も、繰り返された。
遊びの始まりを告げる声。
私は息を止める。
分かっている。
ここで返事をする。
「まあだだよ」と言う。
そうすれば、遊びは進む。
言わなければ、どうなる。
分からない。
だが、言わなければならない気がする。
言わなければ、この状態がずっと続くような、不気味な確信がある。
――もういいかい。
声が近づく。
押し入れのすぐ外。
襖一枚隔てた向こう側に、「それ」がいる。
私は、抵抗しようとする。
喉を閉ざす。
口を開かないように、意識を集中させる。
だが。
「まあだだよ」
言葉が、滑り出る。
止められない。
何度目か分からない、このやり取り。
私の意思とは関係なく、決められた通りに進む。
外で笑い声がする。
重なり合う、無数の声。
楽しそうに。
嬉しそうに。
足音が響く。
とん、とん、とん。
軽やかで、弾むリズム。
鬼ごっこのときに聞いた足音。
あのときは逃げていた。
そして捕まり、鬼になった。
その記憶が、ぼんやりと蘇る。
だるまさんがころんだ。
止まれなかった。
どこにも逃げ場がなかった。
おにぎりころりん。
転がり続け、穴に落ちた。
すべてが、断片的に浮かび上がる。
だが繋がらない。
ひとつの流れとして認識できない。
ただ、恐怖だけが積み重なっている。
――もういいかい。
三度目の問い。
すぐそこ。
襖の向こう側。
私は、理解する。
これは繰り返しだ。
同じことを、何度も、何度も。
終わることなく。
少しずつ形を変えながら。
遊びの種類を変えながら。
続いている。
ならば。
どこかに、終わりがあるのではないか。
そう考える。
ルールがある以上、例外もあるはずだ。
抜け道が。
終わらせる方法が。
だが、同時に別の考えが浮かぶ。
――終わらないように、作られているのではないか。
その方が、自然だ。
この空間。
この声。
この遊び。
すべてが、誰かの意図で構築されている。
ならば、その目的は何か。
終わらせることではない。
続けること。
繰り返すこと。
遊び続けること。
そのための仕組み。
その中に、終わりは必要ない。
必要なのは、参加者だけだ。
私のような。
――もういいよ。
誰かが答える。
私ではない。
だが、どこかで聞いた声。
自分の声にも似ている。
過去の自分かもしれない。
あるいは、別の誰か。
襖が、震える。
ぎし、と音を立てて、ゆっくりと開く。
闇が覗く。
あの黒。
見つける側の視線。
見つけられる側の恐怖。
そのすべてが、同時に押し寄せる。
だが、今回は少し違う。
私は、知っている。
前にも、後ろにも「いる」ことを。
押し入れの中にも、「いる」ことを。
逃げ場がないことを。
ならば。
どうすればいい。
答えは出ない。
だが、ひとつだけ分かることがある。
この遊びは、「選ばせていない」。
最初から。
私は隠れる側に置かれ、追われ、捕まり、役割を変えられ、また戻される。
すべてが一方的だ。
ならば。
選ぶ。
自分で。
初めて。
襖が、完全に開く。
外には、誰もいない。
だが、いる。
見えない「それ」が、確実に存在している。
私は、息を吸う。
肺いっぱいに。
そして。
「もういいよ」
自分で、言った。
その瞬間。
空気が、止まる。
足音が止まる。
笑い声が止まる。
すべてが、ぴたりと静止する。
初めてのことだった。
決められた流れから外れた言葉。
それに対して、世界が反応を失っている。
沈黙。
重たい静寂。
やがて。
ゆっくりと。
何かが、動き出す。
それは外からではない。
内側から。
押し入れの中。
私のすぐ後ろ。
冷たい気配が、膨らむ。
「だめだよ」
声がした。
すぐ耳元で。
あの声。
だが今度は、はっきりと否定の響きを持っている。
遊びを楽しむ声ではない。
ルールを守らせる声。
管理する声。
「それは、ちがう」
指先が、肩に触れる。
冷たい。
凍るような感触。
逃げようとする。
だが身体が動かない。
再び、拘束される。
「じゅんばんがあるでしょう」
声が重なる。
ひとつではない。
無数の声が、同時に囁く。
近い。
遠い。
内側。
外側。
区別が消える。
「ちゃんと、あそばなきゃ」
その言葉と同時に、視界が歪む。
押し入れの中が、溶けるように崩れる。
空間がねじれ、引き裂かれる。
私は引きずり出される。
どこかへ。
次の場所へ。
次の遊びへ。
理解する。
終わらせることはできない。
ここには、「終わり」という概念がない。
あるのは、循環だけ。
役割の変化と、繰り返し。
そして。
それを見ている「何か」。
「つぎは、なにする?」
声が、優しく問いかける。
私は、答えない。
答えたくない。
だが。
口が、開く。
「……鬼ごっこ」
言ってしまう。
選ばされている。
選んでいるようで、選ばされている。
その感覚が、最後に残る。
足音が、また鳴り始める。
とん、とん、とん。
軽やかに。
楽しげに。
誰かが、走り出す。
誰かが、追いかける。
遊びが、再開する。
私は、その中にいる。
これからも、ずっと。
終わらないまま。
あそびは、続く。




