噛み続ける
そのガムは、駅前の小さなコンビニで売っていた。
銀色の包み紙に、ただ「MINT」とだけ印刷されている。
メーカー名も、派手なロゴもない。
私は夜勤明けで、ぼんやりした頭のままレジに並んでいた。
仕事は警備員だ。
夜のビルを巡回して、朝方に帰る。
眠気覚ましにガムを噛む習慣があった。
「それ、新商品ですよ」
レジの店員が言った。
「へえ」
「よく売れてます」
私は特に気にせず買った。
値段は百円だった。
外に出て、包み紙を開ける。
白いガムだ。
匂いは普通のミント。
口に入れて噛む。
味も普通だった。
少し強いミントだが、それだけだ。
私は歩きながらガムを噛んだ。
家まで十五分。
いつもなら途中で味がなくなる。
だが、このガムは違った。
ずっとミントの味が残っている。
「長持ちだな」
家に着くころでも、まだ味がする。
私は少し感心した。
そのまま噛み続けた。
部屋に入る。
シャワーを浴びる。
布団に入る。
そして気づいた。
まだ味がある。
「……すごいな」
私はガムを紙に包み、机に置いた。
味が残っているので捨てるのはもったいない気がして、昼に起きたとき、もう一度噛もうと思った。
だが起きたとき、机にガムはなかった。
「?」
部屋を見回す。
どこにもない。
ゴミ箱を見てもない。
そのとき気づいた。
口の中だ。
私は舌でそれに触れた。
ガムがある。
まだ柔らかい
「……あれ?」
私は寝る前にこのガムを吐き出したはずだ。
でも確かに、口の中にある。
しかもまだ味が残っている。
私は少し気味が悪くなった。
洗面所でガムを吐き出した。
白い塊。
水で流す。
それで終わりのはずだった。
その夜。
私はまたコンビニに寄った。
なぜか、あのガムをもう一度買いたくなった。
レジの店員が笑う。
「また買ってくれるんですね」
「まぁ」
「売り切れてなくてよかったです」
「これ、人気なんですか」
「常連が多いですね」
「へえ」
店員の言葉を聞いて私は二つガムを買った。
外に出る。
包み紙を開ける。
噛む。
ミントの味が広がる。
そして、気づいた。
口の中に、もう一つガムがある。
舌に触れる。
柔らかい塊。
さっき噛み始めたガムとは別の感触。
「……」
私は立ち止まった。
つまり。
昨日流したはずのガムが、戻ってきている。
私は吐き出した。
二つ落ちる。
どちらも白い。
どちらがどちらかわからない。
私はそのまま帰った。
次の日、仕事中にまた気づいた。
口の中にガムがある。
私は何も噛んでいない。
でも確かにある。
柔らかくて、ミントの味がする。
私は警備室で鏡を見た。
口を開ける。
白い塊。
歯にくっついている。
無理やり指で取る。
ティッシュに包む。
捨てる。
だが数分後。
また舌に触れる。
ガムがある。
「……なんだこれ」
その夜、私はコンビニの店員に聞いた。
「このガム」
「はい」
「変なことありません?」
「変?」
「ずっと味が残るとか」
店員は笑った。
「そういう売りですから」
「いや、それだけじゃなくて」
店員は少し考えた。
「でも」
「でも?」
「やめられないって人はいますね」
「やめられない?」
「噛み続けちゃうらしいです」
私は棚を見た。
ガムの箱はほとんど空だった。
そのとき、後ろの客が言った。
「それいいよな」
振り向く。
スーツの男だった。
「味が消えない」
男は笑った。
「一回噛んだら、ずっと噛める」
「……そうなんですか」
「便利だろ」
男は口を動かしていた。
ガムを噛んでいる。
でも、妙だった。
顎が止まらない。
ずっと、同じリズムで噛んでいる。
カチ、カチ、カチ。
機械みたいだった。
私は店を出た。
帰り道。
口の中にガムがある。
もう吐き出さなかった。
どうせまた口の中に戻ってくる。
私は歩きながら噛んだ。
味がする。
ミント。
冷たい。
家に着くころ、気づいた。
顎が疲れていない。
普通なら痛くなる。
でも平気だ。
ずっと噛める。
私は鏡を見た。
口が動いている。
止めようとする。
止まらない。
顎が勝手に動く。
「……おい」
自分に言う。
でも止まらない。
カチ。
カチ。
カチ。
その音が部屋に響く。
夜。
眠れなかった。
噛む音がするからだ。
カチ。
カチ。
カチ。
口を閉じても止まらない。
朝になった。
コンビニに行く。
店員に言う。
「このガム」
「はい」
「止まらないんです」
店員は首をかしげた。
「何が?」
「噛むのが」
そのとき気づいた。
店員も噛んでいる。
顎が同じリズムで動いている。
店の奥を見る。
別の客も噛んでいる。
みんな同じ。
カチ。
カチ。
カチ。
街の外に出る。
通行人を見る。
何人かが噛んでいる。
顎が動く。
同じ速度。
同じ音。
私は突然わかった。
この街の人は。
もう誰も、ガムを吐き出していない。
ずっと噛み続けている。
そして、ふと思った。
最初に噛んだ人はいつから噛んでいるんだろう。
このガムは。
私はいつから噛み続けているんだろう。




