十分で、四人を救え
人命は申請書の承認を待ってくれない。
だから申請書には、緊急欄がある。
「湾岸第六迷宮、全転移設備の二十四時間停止を申請します」
月曜二十一時四分。
旧救助導線を走りながら、私は端末へ向かって言った。右膝が一歩ごとに痛む。業務災害の申請書が、順調に厚みを増していた。
画面の向こうで、小野寺主任は一度だけ眼鏡を押し上げた。
『根拠は』
「二十一時三十分、地下六層R-12から第三新人班四名の帰還搬送が予定されています。経路ハッシュは天城さんをM-17へ送ったものと同一です」
『中継機本体は』
「遠隔消去で焼損しました」
『現在も迂回が実行される証拠は』
「ありません」
言いたくない事実ほど、先に言う。
迅さんが私の横で舌打ちした。
『なら、全設備の停止承認は出せない。事故調査院が止められるのは、現実に危険が継続していると立証できた設備だけだ』
「立証している間に、四人が転移します」
『それは事実か、仮説か』
いつもの質問だった。
腹が立つほど、必要な質問でもある。
「危険な経路が予約されているのは事実。実行されるかは仮説です」
『よろしい。第三新人班の搬送記録を証拠指定しろ。調査官権限で十分間だけ保全凍結できる』
「十分では」
『十分で証拠を作れ。私は迷宮犯罪班を現地へ向かわせる』
通信が切れた。
迅さんが分岐路で足を止める。
「R-12は左だ。俺が行く」
「待ってください」
「四人いる」
「分かっています」
「お前は管制室へ行け。俺が連れ出す」
「免許停止中のあなたが単独で立ち入れば、救助中の観察記録は証拠能力を争われます。新人班まで無断侵入の共犯扱いです」
「生きてれば争える」
迅さんは左の暗い通路へ体を向けた。
二年前と同じだ。
誰かが危険にさらされると、命令を待たず、自分一人の責任で飛び込む。
それで十二人を救った。
一人を失い、自分の人生も失った。
「黒瀬さん!」
私が声を張ると、迅さんの足が止まった。
止まってくれた。
「一人で行かせないとは言っていません。正式に、あなたを行かせます」
端末を開き、現場保全補助の臨時指示書を作る。
対象は第三新人班四名と、使用予定の帰還転移台。
目的は人命保護と証言者保全。
現場補助員は黒瀬迅。
進入経路、旧救助導線。戦闘禁止。避難先、R-12西側の耐魔階段。管制室の指示なく転移設備へ触れないこと。
「説明が長い」
「命令は短くします」
私は電子署名を押した。
「第三新人班を、徒歩で耐魔階段へ退避させてください。戦わない。扉を壊さない。私との通信を切らない」
「了解、真壁調査官」
迅さんは左へ走り出した。
三歩先で振り返る。
「お前は転ぶなよ」
「努力目標として受理します」
私は右へ走った。
地上管制室へ着いたのは、二十一時十三分だった。
保守昇降機の扉が開くと、冷房の効きすぎた空気が汗を冷やした。
壁一面の監視画面。忙しく動く運行職員。中央卓の前に、銀縁眼鏡の男が立っている。
榊原征司は、私の泥だらけの調査服と、かばっている右足を見た。
「ご無事で何よりです」
「M-17の遠隔消去について、確認したいことがあります」
「旧設備の保護機能でしょう。閉鎖区画は、侵入を検知すると自動処分されることがある」
「便利な自動機能ですね。動く時だけ、あなたの権限を使う」
「推測で責任者を拘束することはできませんよ」
「同感です。ですから、これから測ります」
私は主任から届いた承認通知を、運行主任の端末へ転送した。
`証拠保全指定:第三新人班・搬送記録`
`凍結期限:21:24`
あと十一分。
「R-12にいる保守検証機を起動してください」
運行主任が目を見開いた。
「六号機ですか? あれは床の座標ずれを測るだけの旧型ですよ」
「歩けますか」
「車輪でなら」
「生きていますか」
「機械です」
「理想的です」
人命の代わりに壁へぶつけるには、これ以上ない人選だった。
榊原が穏やかに口を挟む。
「調査官。いまは四人の救助が優先でしょう」
「もちろんです」
私は迅さんとの通信を片耳へ入れたまま、検証計画を組み上げる。
R-12に常駐している無人保守検証機六号へ、天城さんの黒箱から複製した搬送前照合値を読み込ませる。
第三新人班の搬送予約は証拠として残す。ただし搬送対象だけを、四人から検証機へ差し替える。
中央台帳とは別に、事故調査院の外部保全庫へ位置情報と映像を同時送信。
そして二十一時三十分の予定を六分繰り上げ、凍結解除と同時に緊急再現を行う。経路は正規の地上帰還門へ再指定する。
「そんなことをすれば、経路最適化の検証にならない」
榊原が言った。
「何もなければ、検証機は正規の帰還門へ来ます。何かが迂回させれば、その認証記録が残ります」
「第三新人班はどうするつもりです」
「安全な場所で待機してもらいます」
嘘ではない。
どこで待機するかを言わなかっただけだ。
『真壁調査官』
迅さんの声が耳へ届く。
『R-12に着いた。四人とも無事だ。だが西側扉が中央ロックされてる』
「破壊は」
『してない』
少し不満そうだった。
進歩には、たいてい不満が伴う。
「新人班の状態は」
『一人が魔素切れ。歩ける。残り三人は元気すぎて質問が多い』
通信の奥から、若い男の声がした。
『あの、黒瀬迅って本物ですか!?』
『今はただの補助員だ。静かにしろ』
元S級の現場人気は、免許証ほど簡単には失効しないらしい。




