追放エースは、死者の謝罪を許さない
隔壁の前には、天井から垂れた太いケーブルが一本あった。ケーブルの先は、弁当箱ほどの黒い装置につながっている。
正規設備の型番表示はない。
代わりに、側面へ白い塗料で一文字だけ記されていた。
S。
「触らないでください」
「触ってない」
「触りたい顔をしています」
「顔で証拠を取るな」
私は絶縁シートを敷き、装置へ非接触スキャナを向けた。
走査結果が端末へ流れ込む。
正規搬送は五段階だ。
利用者認証。生体保護。出発座標固定。到着座標照合。そして、転移先に人体が収まる空間があるかを確かめる空間容積検査。
最後の検査を設計したのは、父だった。
画面上では、その五番目だけが灰色になっている。
`VOLUME_CHECK: BYPASS`
`SHORT_RELAY: ACTIVE`
`AUTH: SG-0`
喉の奥が、ひどく乾いた。
「真壁?」
「空間容積検査が切られています。到着先の壁や設備と利用者が重なっても、搬送を実行できる状態です」
「天城は、壁の中へ送られたのか」
「完全には重なっていません。座標がずれて、隔壁へ叩きつけられた。おそらく、〇・八秒の欠落はこの短絡中継を通った時間です」
私は認証欄を拡大した。
「SG-0。個人名ではなく、管理権限の共通コードです」
「誰が使える」
「中央安全管理室。それと、迷宮運営会社の安全統括責任者」
迅さんは返事をしなかった。
その肩がわずかに固くなる。
「榊原征司」
「まだ権限の範囲が分かっただけです」
「分かってる」
分かっている人の顔には見えなかった。
私は持参した耐衝撃ケースを開けた。
中には、天城さんの白い探索服から回収した黒箱の記憶核が入っている。最初の解析では中央台帳と同じ搬送履歴しか出なかった。
だが、短絡中継には、正規設備とは別の照合鍵がある。
「現場の経路鍵と接続します。黒瀬さん、周辺監視を」
「了解、調査官」
記憶核と短絡中継を、読み取り専用ケーブルでつなぐ。
復号には時間がかかった。
進捗表示が十二パーセントから動かない。
「待っている間に、聞いてもいいですか」
「内容による」
「天城さんが、あなたに不利な証言をした件です」
「内容が悪い」
「では、答えなくても構いません」
「そう言われると余計に腹が立つな」
迅さんは転移台の縁に背を預けた。
黒い手袋の指で、古い傷のある金属面を一度なぞる。
「二年前、湾岸第三迷宮で崩落が起きた。撤退命令が出たが、区画の奥に民間人が十二人残ってた」
「記録では、あなたが単独で命令違反をして、二次崩落を誘発したと」
「前半は正しい。後半は違う」
迅さんは短く息を吐いた。
「俺が入る前から、支柱は限界だった。天城はそれを知ってた。だが審問では、俺が先に動いたとだけ証言した」
「十二人は」
「生きて出た。一人だけ、帰れなかった」
救助隊員だった、と迅さんは付け加えた。
名前は言わなかった。
「天城さんを恨んでいましたか」
「殴りたいとは思った」
「実行は」
「してない。向こうが避けた」
「それは実行しています」
「当たってない」
「刑法上、そこはあまり慰めになりません」
迅さんが私を見る。
「お前、本当に戦えないのか」
「口論を戦闘に含めるなら、適性検査の再受験を検討します」
復号進捗が九十八パーセントへ跳ね上がった。
会話を打ち切るように、完了音が鳴る。
中央台帳では消されていた、搬送前経路ハッシュが表示された。
出発地点、B-42。
正規到着地点、地上帰還門。
実到着地点、M-17。
書換命令、SG-0。
そして黒箱の末尾に、未送信の音声記録が一件残っていた。
迅さんの顔から、わずかな感情も消える。
「再生しますか」
「証拠なら再生しろ」
私は記録開始を確認して、音声を開いた。
雑音の奥から、男の声が流れる。
『あの日、お前は正しかった。今度は俺が記録に残す』
それだけだった。
謝罪というには短く、告発というには主語がない。
けれど、迅さんには十分だったらしい。
「遅いんだよ」
声に怒りはなかった。
怒りより、もっと長く残るものがあった。




