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ep.8 静かな朝食

 ◆



 朝、アメリアは王国騎士団の兵舎を訪れていた。向かう先は、もちろん……


「あ、レナード様!」


 たまたま自分の前を歩いていくアンリ・レナードの姿を見つけたアメリアは、彼の後ろ姿を呼び止めた。


「おや、サロペ嬢。お早いですね……」


 アンリは振り返り、アメリアの姿を見て驚いた様子で小さく目を開く。


「あの、昨日はありがとうございました」


 アメリアは可愛らしくペコリと頭を下げるが、アンリは彼女がただ礼を言うために朝から兵舎を訪れた訳ではない事くらい見抜いていた。


「それで……セオドール先輩は……?」


 まるで男の庇護欲を掻き立てるような小動物に似た仕草を見せるアメリアに、アンリはうんざりとした気持ちになる。


「……隊長は、しばらく出勤なさいませんよ」

「え⁉︎ どうしてですか? も、もしかして昨日の事が……」


 アメリアはショックを受けた様子で目にジワリと涙を浮かべながら、アンリを見つめた。もしかして、昨日の事のせいでマリアベルとセオドールの仲に何かが起こってしまったのだろうか?


(もしそうなら私、先輩に申し訳ない事を……)


 罪悪感と後悔がアメリアの心を埋め尽くす。そんな彼女の姿を見つめていたアンリが、静かに言った。


「……喜んでいらっしゃるところ申し訳ないですが、隊長は今朝からご婚約者様とアイゼンハルト領へ向かわれました」


 アンリの冷たい目がアメリアを射抜く。「え?」と声を漏らす彼女は、彼に指摘されるまで口元が笑っていたなんて気付きもしなかった。


(嘘……! 今、私……笑ってたの?)


 無意識でも、一瞬でも人の不幸を想像し喜んでしまった自分自身を浅ましく思う。アメリアは自己嫌悪に陥った。


「……先輩は、アイゼンハルト領へ向かわれたんですか? じゃあ、いつ頃お帰りに……?」


 再び顔を上げて問いかけてくるアメリアを見つめながら、アンリは昨夜の事を思い返していた。


 書類仕事をしているアンリの元に、他の女性とのあんな場面を見られて婚約者に即座に連行された筈のセオドールが、なぜか機嫌の良さそうな顔で戻ってきたので彼はとても驚いた。


 そして、有給を使い一週間婚約者と共にアイゼンハルト領へ行くというではないか。


(一体、何があってそんな事になったのか想像も出来ないが……私のするべき事は、全力で隊長を正しい道へ戻す事だ)


 アンリは銀縁眼鏡を指先で整えると、アメリアに厳しい目を向けて言った。


「いつお戻りかは分かりません。ただ……サロペ嬢はもうここへは来ない方が良いと思います」

「え……?」


 アメリアが傷付いた表情を浮かべるが、アンリは心を鬼にして言葉を続けた。


「隊長は婚約されている身です。今のあなた達の関係を続けたとして……お互い、不幸になるだけだとは思いませんか?」


 アンリにはアメリアの本心がお見通しのようだ。それを彼女も悟ったから、恥をかき赤くなった顔で下を向いた。


「……レナード様には私の気持ちなんて、分かりませんよ」


 アメリアの返しに、アンリは分かりたくもないと思った。しかし、言葉にはしなかった。


 アンリが黙っていると、アメリアは諦めたように肩を丸めてトボトボと帰路に着く。そんな彼女の後ろ姿を見つめながら、アンリは居心地悪そうな表情で重苦しい息を吐くのであった。




 午前中までにと言われていたセオドールだったが、つい気持ちが早って騎士団に出勤する時刻と変わらないような朝の早い時間に侯爵邸へ到着してしまった。さすがに早すぎたかもしれないと、彼は申し訳なさそうに屋敷のベルを押した。


(騎士である俺からすれば普通だが、令嬢のマリアベルは最悪まだ寝ているかもしれないな……)


 呼び出しベルを押しながら、押した事すらも後悔し始めていると玄関の扉が開く。


「セオドール様。お早いご到着で」


 使用人が対応すると思っていたが、扉が開いた先にマリアベルの姿がありセオドールはとても驚いてしまった。

 しかも彼女を見れば、すでに身支度も完璧に整っている。


「マリアベル? 起きてたのか?」


 セオドールの第一声に、マリアベルは首を傾げた。


「私がまだ起きていないと思いながら、こんな早くに訪ねていらっしゃったの?」


 マリアベルの鋭い指摘に、セオドールは「うっ」と小さく唸る。今の彼の行動は紳士的に礼を欠いた行動だから、そこを突かれるととても痛い。


「……中にいらして。朝食はもう済んでいますか?」

「軽く食べてはきたが……」


 肩を落としながら、マリアベルに言われた通りに屋敷の中へ入ったセオドールが元気ない声で答える。


「では、ご一緒にどうですか? 私はこれからちょうど朝食を取ろうとしていたところでしたの」


 先ほどまで肩を落としていたセオドールの表情が、目に見えて明るくなっていった。


「あぁ、ぜひ君と一緒させてくれ!」


 その声には元気さが宿っていて、マリアベルは、朝から元気ですこと……と呆れ半分に思いながら彼を食堂へ案内するのだった。


 食堂にはすでにジークフリドの姿はなく、彼は日の出と共に王城へ向かったのだとマリアベルから聞いた。


(侯爵は不在か……)


 セオドールは思わず心の中で安堵する。未来の義理の父であるジークフリドだが、彼とセオドールは決して仲の良い間柄ではないし、彼の前だと少し緊張してしまう。


(アイゼンハルト家の方々は礼儀正しいが、どこか堅苦しく威圧的なところがあるよな……前にするとつい緊張してしまう)


 そう思いながらマリアベルの対面席に着席するセオドールは、ふと気付く。


 セオドールが言う、その『アイゼンハルト家』には、確かにマリアベルも含まれていたのに……


 彼が目の前のマリアベルを見つめていると、彼女の薔薇色の瞳と目が合った。


「なにか?」


 冷たい一瞥と共に短い一言を投げかけられるセオドールだが、彼はニコリと笑みを浮かべる。

 昨日までなら、きっとマリアベルのこういった反応にセオドールは傷付いていたのだろう。


 しかし、マリアベルの本性を知った今、特に気にならなくなっていた。


(マリアベルは確かにアイゼンハルト家らしく規律的で厳しい雰囲気の女性だが、『完璧令嬢』だった彼女を前にする時よりも緊張しないな)


 ずっと婚約者に心を開かれなかったセオドールにとって、マリアベルの本当の一面を見れる事は、とても喜ばしい事だった。


 静かに進んでいく食事。定時茶会の時のようにセオドールが話題を探していないので、二人の間には特に会話もなかった。

 でも、セオドールはこれまでマリアベルと過ごした時間の中で、一番充実した時間を過ごせたと感じていた。

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