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ep.7アイゼンハルト

「それでは早速……明日から一週間、アイゼンハルト領にて集中的に婚約者教育を開始します。出立は明日の昼ですので、セオドール様は午前中までに我が屋敷をお訪ねください。そして、今後の定時茶会についてですが……」

「ちょっと、待ってくれ!」


 マリアベルの話はまだ続いていたが、セオドールは自身の耳を疑うような言葉が聞こえてきた事で黙っていられず、途中で口を挟んだ。


「明日から一週間の教育はいい……ただ、アイゼンハルト領?」


 帝都から侯爵領までといえば、馬の扱いに慣れた者でも半日以上はかかる距離。令嬢を乗せた馬車で言えば、もっとかかる遠さだ。

 そんな所に連れて行かれたセオドールは、一体明日からどうやって王城に出勤すればいいと言うのか。


 焦った表情を見せるセオドールを静かに見つめたまま、マリアベルは表情を変える事なく途切れた先の言葉を続けた。


「……今後の定時茶会は、毎月ではなく毎週へと変更し、その際にセオドール様の面談報告会を実施しながら教育後の経過を見ていきます。その結果を元に、私達の関係にも自ずと正しい答えが出る事でしょう」


 伝え終えたマリアベルの瞳が、スッと細められる。


「そして、貴方のご質問についてですが、今のセオドール様は物理的にサロペ嬢と引き離す必要性を感じました。セオドール様、もし再びサロペ嬢がお訪ねになったら……お優しい貴方は断れずにまた流されるでしょう?」


 痛い所を突かれて、セオドールは小さく呻いた。


「私の記憶によれば、少なくとも明日からの一週間に、騎士隊長の貴方が必ず出席しなければならない公務はない筈……」


 婚約者の続く言葉に、セオドールは思わず顔色を悪くした。


(ぜ、全部把握されてる……)


 セオドールがチラリとマリアベルを見ると、彼女はずっと彼の様子を観察していたようで、すぐに目が合った。


「それとも……私がまだ存じ上げていない、婚約者教育よりも大事なご予定がございましたか?」

「い、いや……大丈夫です」


 マリアベルの圧にセオドールは素直に白旗を振る事にした。この後兵舎に戻ったら、これまで溜まっていた有給を使って休暇申請を上げるか……と考えていたセオドールは改めて思う。


(……毎月ではなく、毎週の面談報告会か……)


 言葉だけを見れば、定時茶会が面談報告会へと変わり色気など無くなったも同然だが……しかし、彼女は毎週セオドールと顔を合わせる意思があるという事。


(婚約者に叱られ、教育までもと……男としてこんなに情けない状況なのに、なぜこんなにも……)


 嬉しいのだろうか。ずっと自分に無関心だと思っていた婚約者が、関心を向けてくれているからだろうか。

 セオドールの心は浮き立つように弾んでいた。彼女の冷たい表情を見れば、笑ってはいけない事くらい分かっているが、つい口元が綻びそうになる。


「分かった。明日、必ず午前中にまた来るから」


 セオドールは真剣そうな口調で答えた。マリアベルは無表情のまま頷いて、取調室から出ようと彼に背中を向ける。


(……セオドール様、なぜ少し嬉しそうなのかしら)


 明日から厳しい軍隊式教育が始まるというのに。マリアベルは僅かに首を傾げるが、彼は騎士だから彼女の教育を甘く見ているのかもしれないと少し不快そうに眉を顰めていた。

 この二人はどうやら、とことんすれ違う相性らしい。


 結局セオドールは、口元の緩みを隠しきれていなかったのである。




 マリアベルが屋敷の外でセオドールを乗せた馬車を見送っていると、入れ違いに彼女の父ジークフリド・アイゼンハルト侯爵が馬に乗って帰還した。


「お父様、お帰りなさい」

「マリアベルか……」


 ジークフリドはマリアベルを一瞥する。鋭く吊り上がった眉の下にある赤い双眸は、感情を読ませない無機質な眼差しだ。


 マリアベルと共にセオドールを見送っていた周りの使用人達は、ジークフリドに視線を向けられた訳でもないのに、自然と背筋が緊張した様子で伸びた。


 幾度もの戦場を駆け抜け、これまで何度も王国を勝利に導いた戦神に相応しい戦果を掲げてきた彼は、そこに居るだけで周りを圧倒させる冷厳さを漂わせていた。


 ジークフリドは、すでに屋敷の門の外へ出て見えなくなった馬車を振り返る。そして彼は、頬から顎にかけて整えられた精悍な髭をひと撫でして思案する様子を見せた。


「彼が来ていたのか。今日は定時茶会でもないのに、珍しいじゃないか」


 ジークフリドは馬から降り、側にいた執事に馬の手綱を渡しながら言った。その馬は軍馬で、普通の馬よりも一回り以上大きな体躯だ。手綱を渡された執事は少し顔色を悪くしていた。


「……えぇ。セオドール様の不貞疑惑について査問しておりました」


 マリアベルは何でもない様子で父に答えると、そのまま振り返り屋敷の玄関へと向かい始める。


「……不貞疑惑だと……?」


 ジークフリドの赤い目が瞬時に鋭くなった。


「はい。取り敢えずは不貞疑惑も誤解という形で、一旦は話が付きましたけれど」


 マリアベルはそう言って、屋敷の中へと姿を消す。ジークフリドはそんな娘の後ろ姿を見つめながら、思わず小さな息を吐いた。


 娘の政略結婚先として、ベルグラード公爵家を選んだのはジークフリド自身だ。第二王子ではなく、第一王子であるルシアン王太子殿下を支持する派閥貴族として、中立派である公爵家との縁結びは政治的にも都合が良い。しかし、それだけで婚約を決めた訳ではない。


 セオドールの人柄と誠実さ、そして剣術の才能などを含めて吟味し、彼ならマリアベルを不幸にする事はないだろうという判断が、ジークフリドに最終的な決断をさせたのだ。それなのに……


(娘が不幸になるのなら……)


 ジークフリドははっきり言って、誤解だったとはいえ、不誠実な真似をしたセオドールに失望していた。彼は娘の後を追うように屋敷に入ると「マリアベル」と、階段を登り始めていた彼女を呼び止めた。


「三年前、お前達の婚約を決めた理由には、当時第一王子だったルシアン殿下の地盤固めの意味合いが確かに含まれていた」


 父の言葉を無表情で聞きながら、マリアベルはジークフリドに目を向ける。


(現在、すでにルシアン殿下は王太子としての有能さと周りからの信頼を得ている。状況は変わり、どうしてもベルグラード公爵家の影響力が必要という訳でもない)


 ジークフリドは政略結婚であっても、夫婦としての相性は大事だと考えている。だから、マリアベルが望めば、いつでも婚約破棄に同意するつもりだった。


「だが、今、昔ほどそこに重点はない。お前が望むのであれば、この婚約は考え直してもいい」


 マリアベルは、珍しく自分の心に寄り添おうとする父の姿を意外そうに見つめながら答えた。


「結構です。今はまだ……婚約を破棄する気はありませんわ。それよりも、私は明日から一週間、セオドール様とアイゼンハルト領に向かいます」

「小公爵と? ……なぜ?」


 ジークフリドが目を開いて尋ねると、マリアベルは冷たい笑顔を浮かべるのだった。


「あの方は私の婚約者としての自覚が薄いようですので、教育をして差し上げるのです」


 彼女の冷酷そうな笑顔を見て、周りの使用人達は顔を青褪めさせるのだが、ジークフリドだけは逆の印象を受けていた。


(……娘の取り繕わない笑顔は久しぶりに見たな……)


 そう、娘はいつも『完璧令嬢』に相応しい優雅さと上品さを身に纏い、丁寧に笑っていた。しかし、本来のマリアベルは理知的で規律的で自他共に厳しく、とても人付き合いの上手い子ではなかったのだ。


 ジークフリドは意外そうに娘の素顔を見つめながら、マリアベルが楽しそうにしていると感じていた。

 だから、彼はそれ以上何も言わなかった。マリアベルもそのまま、階段を上り二階の奥へと姿を消す。


 父としては複雑な心境ではあるが、ジークフリドはマリアベルの意思を尊重し見守る心積もりをしたのだった。

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