ep.5 査問会
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「——さて、はじめましょうか」
彼女のその一言で、セオドールの裁きが始まった。
「ただ今より、セオドール様の不貞疑惑についての査問会をはじめます」
続くマリアベルの言葉に、セオドールは顔を上げる。
「……俺に婚約破棄を突き付けないのか?」
セオドールは思わず本心を口にする。意外だった。こんな陽の光も入らないような地下室に連れて来た時点で、マリアベルは誰にも知られないうちに自分との関係を清算するつもりだと思っていたからだ。
「それについては、ひとまず保留です。まずは事実確認から。責任所在を明確にし……必要であれば懲罰や処分の判断を行います」
淡々と答えるマリアベルは、一切笑う事なくセオドールに言う。
彼はこれまで、マリアベルの優雅で上品な笑顔しか見た事がなかったから、彼女の無表情に気後れしてしまう。
(何だか……俺の知ってる彼女じゃない……)
セオドールは戸惑いを隠せない様子で、静かに用紙を広げ、インク壺と羽根ペンを用意するマリアベルを見つめていた。
「……それで、まずは結論からお伺いしますが……貴方はアメリア・サロペ嬢と一線を越えたのですか?」
「越えていない!」
セオドールは必死な表情で弁解した。
「アメリアは……彼女は元から俺の後輩で知っている仲なんだ。ずっと友人で、卒業以来再会してアメリアと話すのも懐かしくて……ただ、それだけの関係だ。俺とアメリアは、マリアベルを裏切るような事は決してしていない!」
彼がそこまで言い切ると、マリアベルは何も言わずにセオドールの発言を用紙に書き留め始めた。
「な、何か言ってくれよ……マリアベル……」
不安になってくるセオドールが懇願するように弱々しく言うと、筆の止まったマリアベルが再び彼を見る。
「……では、ひとつ言わせていただきますけれど」
マリアベルの瞳には軽蔑が満ち溢れていた。
「先程から、『アメリア、アメリア』と煩いですね」
彼女の威圧感に、セオドールは思わず背をのけ反った。
「親族でも婚約者でもない女性を、敬称もなく呼ぶのはマナー違反ですわ。まだ婚約していない身ならまだしも……いつまで学生気分でいらっしゃるの?」
セオドールは何も言えず、怯えた瞳で彼女を見ていた。すると、マリアベルが眉を顰め、ふっと小さく笑う。
「……本当に、お二人は仲がよろしいことですね」
その瞬間、セオドールは自分がいかに地雷を踏み抜いてしまったのかを悟った。
一見、マリアベルにマナーを指摘されたようにみえるが、彼女の嫉妬にもみえる反応をセオドールは見たからだ。
(そうか……俺のこういうところが、周りの誤解を招いていたのか……)
アンリが言っていた『適切な距離感』とは、きっとこういうところなのだろう。
セオドールはショックを隠せず、暗い表情で俯いた。
だったら自分はこれまで、本当にマリアベルの婚約者として『失格』だったのでは——?
「——では、次の質問に移ります」
マリアベルの声に、セオドールはハッと我に返った。
「セオドール様。先程、アメリア嬢と……」
そこで言葉を途切らせたマリアベルは、上体を乗り出してセオドールの鼻先まで顔を近付けてきた。
「キス」
「……え?」
あまりにも近い距離に、彼女の整った顔立ちが……形の良い唇が、嫌でも目に入る。
「……したのですか?」
冷え渡る薔薇色の瞳に見つめられながら、セオドールは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「してない!」
セオドールはこれ以上マリアベルの雰囲気に呑まれないように、声を張って答えた。
「俺はアメ……サロペ嬢とキスなんてしてない! あれは目に土が入って……彼女が痛がっていたから、心配しただけだ!」
すると、マリアベルは机に乗り出していた姿勢から、きちんと座り直し、羽根ペンを再び手に持つと静かに言った。
「……存じ上げております。私、実は少し前から貴方達を見ていましたもの」
「見ていたって……どこから……」
戸惑うセオドールを見据えて、マリアベルは淡々とした表情で答えた。
「初めからです」
「は……?」
理解が出来そうにないセオドールを見つめながら、マリアベルは羽根ペンの先をインク壺に浸しながら続ける。
「レナード様が、サロペ嬢の来訪を告げにいらっしゃったでしょう?」
マリアベルは口元に笑みを浮かべた。
「実は私、あの時彼女の来訪を告げに行く彼と出くわしたのですよ」
その瞬間、セオドールの頭は真っ白になり、同時に心臓がギュッと縮み上がった。
「レナード様にお願いして、私が訪ねて来た事は伏せていただきました」
あの時、自分はアメリアとどんな会話をした?
(俺、変な事、してないよな……? 何かまずい事言ってないよな⁉︎)
何もやましい事などしていないのに、なぜこんなにも犯罪を犯したような気分になるんだ。
「レナード様は必死に貴方を救おうと助言していらっしゃったのに……」
マリアベルはじっと見つめながら、セオドールの罪を告げる。
「それなのに貴方は、適切な距離感を保つ事なく部屋で彼女と二人で過ごし、誤解を招く振る舞いまでなさった」
誤解を招く振る舞いとは、どの部分の事なのだろうか?
セオドールは緊張からゴクリと喉を鳴らした。
ハンカチ? クッキー? 慰め?
それとも、キスと誤解を受ける距離で顔を近付けた事?
固まる婚約者の姿に、マリアベルは呆れた様子で微笑んだ。
「貴方は、変わる努力をしませんでしたね」
セオドールの心の中は、不安でいっぱいだった。なぜなら、今マリアベルの失望をはっきり感じたから。
(きっと……マリアベルは俺を捨てる)
マリアベルは全てを見て知っていた。その上で、セオドールを揺さぶるようにあえて質問を投げかけてくる……
そう、彼女は査問会という名の『裁判』を行っているのだ。
セオドールの無自覚な罪を暴き、逃げ道を塞ぎ、そして判決を下す為……
「セオドール様」
裁判長が再び口を開く。セオドールは現実逃避をするように、目を固く瞑った。
「単刀直入にお尋ねしますけれど、一体彼女は貴方の何ですか?」
彼女の査問会がまだ終わっていなかった事に、セオドールはゆっくりと目を開く。てっきり、判決を下されると思っていたから……彼は恐るおそる顔を上げて、彼女を見つめた。
「……本当にただの友人だと答えたら、信じてくれるか……?」
「いいえ。状況的に到底信じられませんね」
マリアベルのはっきりとした否定に、彼は言葉を詰まらせた。
「でも、本当に俺はっ……!」
「例え一線を越えていなかったとしても」
この時、初めてマリアベルが声を大きくした。セオドールの青い瞳が、必死に彼女を見つめている。
「……貴方は彼女を自分の懐に入れた。貴方達の関係性の肩書きではなく、私は貴方のその時の『本音』を伺っているのです」
そう言ったマリアベルの表情は、冷たく無感情なのに、でも傷付いた顔をしていて……セオドールはやっと、自分の婚約者が傷付いている事に気付いたのだった。




