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ep.4 導かれる罪人

「……セオドール様」


 マリアベルの視線が、アメリアの涙目とセオドールの近過ぎる距離を静かに交互に見た。


「お二人は、随分と親しげなのですね」


 そう言われて、二人は慌てて距離を取る。

 マリアベルの静かな瞳は、じっと二人を見つめていた。


(こ、怖い……)


 アメリアはマリアベルの存在感に圧倒されていた。自分よりも二つ歳下の女性の筈なのに……アメリアは彼女にすっかり怖気付いていた。


 チラリと視線を上げてマリアベルを見つめると、すぐに視線がぶつかる。


(ひっ……‼︎)


 その魅惑的な薔薇色の瞳には、動揺も、悲しみも、怒りもなく、ただじっとこちらを見透かすような目をしていた。それが、逆に恐ろしく感じた。


 まるで、無感情な人形を相手にしているようで……マリアベルの並外れた美しさがまた、さらにそう思わせているのかもしれない……


「ま、マリアベル……」


 セオドールが震える口で何かを言う前に、マリアベルは踏み出して、ずいとアメリアの目の前に立った。


 アメリアよりも背の高いマリアベルは、感情の読めない瞳でじっと見下ろし続けている。


(き、きっとさっきの……先輩と私がキスしていたように見えたよね……どうしよう、違う、違うのに……)


 もうアメリアの心は限界だった。歳下の子に怖気付いて泣くなんて、情けないが……彼女の緑の瞳にじわりと再び涙が浮かんでくる。


 するとマリアベルは小さく息を吐いて、ずっと兵舎の中からこちらの様子を伺っていたアンリを呼び寄せた。


「お久しぶりでございます。レナード様」

「あ、は、はい……お久しぶりです、アイゼンハルト嬢」


 アンリは冷や汗をかきながら、マリアベルに挨拶を返す。もし、彼女がセオドールを問い詰め始めたら、アンリは上司を庇うつもりでいた。彼は無自覚に誤解を招く行動を取ったが、しかし婚約者を裏切るような行為は一切していない、と……


「彼女の目が赤く腫れているようですので、医務室へお連れしていただけませんか?」


 しかし、マリアベルはセオドールもアメリアも責める事なく、彼女を気遣った。

 アンリが思わず顔を上げてマリアベルを凝視する。すると彼女は、ニコリと優しそうな微笑みを浮かべた。


「頼まれていただけますか?」

「も、勿論です……では……サロペ嬢、参りましょう」


 アンリはぎこちなく笑顔を浮かべて返事を返すと、半ば強引にアメリアを連れ去るように兵舎の中へと戻っていった。


「……君がここに来るなんて珍しいな……」


 セオドールの心臓が嫌な高鳴り方をしていた。何か話さなくてはと思い、回らない頭のまま口先だけで言葉を紡ぐ。


「ま……前もって伝えてくれたら、迎えに行ったのに……」


 セオドールの言葉を遮るように、マリアベルは笑顔のまま彼に向かって手を差し出した。エスコートをしろ、という彼女の意思表示だ。


 彼は条件反射ですぐにマリアベルの手を取った。彼女の指先はとても冷え切っている……


「セオドール様、送ってくださいますか?」


 マリアベルの声色はこんなにも柔らかくて丁寧なのに、なぜ恐ろしく感じるのだろうか。


「もちろん……城の外まで送るよ」

「アイゼンハルト侯爵家まで、お願いしますね」


 有無を言わせぬマリアベルの雰囲気に圧倒されたセオドールは、青褪めた表情で頷く事しか出来なかった。




 二人きりの馬車の中は、セオドールにとって地獄だった。


 きっとマリアベルは、自分とアメリアの事で勘違いしている。どう見ても、彼女が来た瞬間だけを切り取れば、二人がキスをしていたように見えただろう。


 でも、マリアベルは怒りもせず、泣きもせずに、声を荒げる事もなく礼儀正しいいつも通りの『完璧令嬢』な彼女だ。


(少しでも怒ってくれたら、声を荒げてくれたら……俺だって誤解だと言えるのに……)


 責められる事より、責められない事の方がこんなに恐ろしくて苦しいなんてセオドールは知らなかった。


 セオドールはふと顔を上げて正面に座るマリアベルを見る。彼女は静かな面持ちで車窓の景色を見つめていた。——横顔すらも、美しい。


 セオドールはすぐに彼女から目を逸らし、再び俯いた。


 きっと、マリアベルが怒らないのは、自分に興味がないからだ。彼女にとってセオドールはただの『政略結婚相手』。それ以上でも、以下でもない。


(……息苦しい……)


 セオドールが小さく息を吐く中、マリアベルもまたじっと窓の外を見つめていた。

 その瞳の奥に、小さな痛みが滲んでいる事など……彼女から目を背けるセオドールに気付ける筈もなかった。




 馬車は何事もなく静かに侯爵家の屋敷へ到着した。


 セオドールは馬車を降りて、マリアベルに手を差し出すと、彼女は手を添えてゆっくりと馬車を降りた。


 マリアベルをアイゼンハルト侯爵邸まで送り届けたセオドールの役目はこれで終わりだ。しかし、このまま別れるのも気まずくて、彼は言葉を絞り出す。


「それじゃあ、マリアベル……また来月の定時茶会の時に伺うよ」


 二人の間には他に話題も無かったので、セオドールは当たり障りのない月一の義務を引き合いに挨拶した。


「あら」


 マリアベルはただ添えていた手に力を入れて彼の手を掴むと、笑顔を浮かべる。


「せっかくいらっしゃったのですから、お茶でも一杯ご馳走させてくださいな」


 セオドールはそんな彼女に底知れない恐怖を感じる……が、マリアベルが『婚約者としての義務』以外でセオドールを誘ったのは、これが初めてだった。


 彼は思わず驚いて、言葉を詰まらせる。


(今……彼女、俺を誘ったのか……?)


 この気持ちを何て現せばいいのだろう。マリアベルへの諦めと、息苦しさと、後悔……そしてアメリアとの誤解と罪悪感。


(……嬉しい……)


 自分でも、最低だと思う。


 それなのに、彼女のたった一言でセオドールの視界が一瞬で明るく鮮やかになった気がした。そんな筈ないのに、世界はいつだって一緒なのに……心が変わるだけで、こんなに違う世界に見えるなんて。


「……では、お言葉に甘えるよ」


 胸を高鳴らせながら、けれど必死に平常心を装ってセオドールは承諾した。マリアベルは笑っている。でも、その瞳は……


 ——マリアベルに案内されたのは、いつもの来賓室や庭園ではなく、地下だった。


「こちらですわ。さぁ、お入りになって。セオドール様」


 柔らかな声色でマリアベルが促している。セオドールには、この先が茶会に相応しい部屋だとは微塵も思えなかった。


「本当にこの部屋で合っているのか?」

「えぇ」


 一拍もせずにマリアベルから返事が返ってくる。ふと、セオドールは気付く。さっきから彼女の目が笑っていない事に。


 その瞬間、身震いがした。


「どうされましたか? セオドール様……」


 マリアベルの手が、彼の手を強く握り締めている。


「早くお入りになりませんと……貴方の罪を洗い出す時間が減ってしまうではありませんか」


 彼女の瞳は真っ直ぐにセオドールを見つめていた。


(……違う。マリアベルは無感情なんかじゃなかった)


 彼女はこれまで、平常心を装うのも大変だっただろう。


 なぜなら、今のマリアベルの瞳の奥には、ぐつぐつと煮えたぎる怒りがはっきりと見てとれるのだから。

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