ep.22 恋人と理解者
セオドールは居心地の悪さから、自身のティーカップの中身を飲み干した。すると控えていたメイドが近付いてきて、彼のカップに紅茶を注ごうとする。
「——待て」
急に、セオドールの青い目が鋭くなり、そのメイドに目を向けた。
彼に鋭い眼光を向けられたメイドは驚いたのか、手元が狂い、熱い湯がセオドールの手元にかかってしまった。
「っ……」
セオドールが熱さから顔を歪める。
「セオ……!」
ガタリと音を立ててマリアベルが立ち上がる。いつも落ち着いた彼女には珍しい反応だった。
(……『セオ』?)
マリアベルが今、彼をそう呼んだ気がして、ルシアンの意識が一瞬引っ張られる。
「ちょっと……! 何してるの?」
しかし、すぐに眉を顰めて立ち上がると、その青褪めて震えるメイドに厳しい目を向けた。
「ベルグラード小公爵、大丈夫かい?」
そしてセオドールの元へ向かい、彼の赤くなった手を苦しそうに見つめる。
「……大丈夫です。騎士には普段から怪我がつきものですから……それより」
セオドールは怯えるメイドに目を向けて、ルシアンに言う。
「殿下、あの者をすぐに捕らえるべきです。彼女は、初めに紅茶を淹れた者とは別人です」
あの異様な震えよう、焦点の合っていない目……セオドールの手に湯を掛けてしまう前から、彼女はどこか様子がおかしかった。それに気付いていたからセオドールは、メイドを警戒し声を掛けたのだ。
セオドールの騎士隊長としての経験上、考えられるのは……彼は紅茶を見た。
「二杯目の紅茶には、口を付けない方が良いでしょう」
ルシアンは険しい表情で頷き、周りの騎士に命じてそのメイドを捕えさせた。
「もしかして、ルシアン殿下を狙ったのでしょうか?」
マリアベルもまた眉を顰めながら、ルシアンの意見を尋ねる。ルシアンはその青い瞳に暗闇を滲ませながら、「いや……」と相槌を打った。
ルシアンは捕らえられたメイドへ目を向ける。
(もし僕を狙うなら、一杯目に仕込めば良かったんだ。それにこの場でもし僕が毒を盛られたとすれば、一番に疑われるのはベルグラード小公爵……彼を陥れるメリットなんて、こちらもあちらも無い)
彼はメイドから視線を外しながら言った。
「その可能性もあるけれど……多分、今回はベルグラード小公爵を狙ったのだと思う」
ルシアンの考えに、マリアベルもセオドールも驚いていた。
「なぜ……セオドール様が狙われるのですか?」
マリアベルの表情は、明らかに険しくなった。
「きっと……僕達王太子派閥とベルグラード公爵家を仲違いにさせたかったんだよ」
ルシアンは嫌気がさした様子で笑みを浮かべながら続けた。
「仕込まれた毒は、命を奪う程のものではなかったのかもしれない。けれど、王太子宮で事件が……それも被害者がベルグラード公爵家の者となれば、王太子派閥にとっては大打撃でしょう? 敵は……第二王子派閥はそれを狙ったんだろうね」
今回、ルシアンがセオドールを初めて茶会に誘った事で政敵の警戒を刺激してしまったのだろう。
(全く……嫌になる……)
ルシアンは心底恨めしそうな目で、最大の政敵である弟シリルと第二王妃の事を思い浮かべていた。
「じっとしてくださいな!」
「マリアベル。俺は本当に大丈夫だから……」
思案に更けていたルシアンの意識を戻したのは、マリアベルとセオドールの会話だった。
「早く治療室に向かいますよ!」
「君ってそんなに心配症だっけ?」
心配されて満更でもない様子のセオドールが、少し嬉しそうな表情で言うと、マリアベルの冷たい瞳が無言で睨み付けてきた。
「……分かったから。そう睨まないでくれ」
観念したようにセオドールが折れる。するとマリアベルの冷たく険しかった表情が、ふっと和らいだ瞬間をルシアンは見た。
その瞬間、ルシアンは固まり目を開く。
「そう言う事ですので、ルシアン殿下。私達はここで失礼いたしますわ」
マリアベルはすっと背筋を伸ばしセオドールの隣に立つと、ルシアンのよく知る『完璧令嬢』の姿でそう言った。
「……あ、あぁ……分かったよ。ベルグラード小公爵、今日は本当に迷惑をかけたね」
ルシアンは悟られないよう、すぐに表情を取り繕うと申し訳なさそうな表情で笑顔を浮かべる。
けれど、彼の青い瞳は微かに揺れていて、その瞳は無意識にマリアベルを追っていた。
「いえ…………殿下、また誘ってください」
セオドールは少し言葉を切ると、社交辞令とも取れる言葉を残して、マリアベルと共に去って行ったのだった。
「……もちろん……またお誘いするよ……」
彼の言葉が二人に聞こえたのかは分からないけれど、ルシアンの取り繕っていた表情が、すっと消えていく……
ルシアンは、マリアベルの理解者としてセオドールなんて眼中にないし決して負ける事はない。それは事実だ。なのにどうして、こんなに胸が騒つくのか。
彼はハッとした表情で、すでに去った後で見えなくなった二人の後ろ姿を振り返る。
……セオドールではなかったとしたら?
「……『セオ』、だって……?」
ルシアンが注視すべきものは、彼ではなく……
(……マリアベル?)
◆
王城からの帰りの馬車の中、マリアベルは包帯が巻かれたセオドールの手をじっと見続けていた。
「……そんなに見つめられると、穴が空いてしまうよ」
「見るだけで穴なんて空く筈がないでしょう」
セオドールが軽口を叩くと、マリアベルは眉を顰めながら真面目に返してくる。冗談の通じない婚約者に、彼は小さな声を上げて笑った。
「君がそんなに心配してくれるとは思わなかったよ」
セオドールは目の前に座る、薔薇色の瞳の美しい令嬢を見つめた。
「心配するに決まってます。私は……貴方の婚約者、ですから」
マリアベルは僅かに目を伏せて答える。無愛想な澄まし顔で淡々と言う彼女だが、なぜかセオドールはクスクスと笑っていた。
『セオ……!』
自分が火傷した時、彼女の冷たい無表情が驚きに満ちた顔に変わった瞬間の事を思い出す。
(まぁいいか、今は『婚約者』でも……)
いつか『セオドールだから』と言わせたい。
「……しかし、ルシアン殿下が王太子となったというのに、ここまであからさまに仕掛けてくるとはな」
セオドールは気持ちを切り替えて、真面目な話をした。主語はなかったが、マリアベルにはすぐに分かった。
「そうですね……」
眉を顰めて黙り込むマリアベルに、セオドールは気遣って言った。
「そう心配しなくていい。ルシアン殿下はとても賢いお方だ……と、言っても、俺よりマリアベルの方が殿下に詳しいだろうが」
嫉妬心を自嘲で隠しながら、セオドールは励ますようにマリアベルに言った。しかし、彼女は黙ったまま……そんなマリアベルに、セオドールもまた目を伏せた。
(初めから分かっていた事だけど……)
セオドールがマリアベルと初めて出会った日から、彼女はルシアンにだけは心を開いていた。
「……マリアベルにとって、ルシアン殿下はよほど大切なお方なんだな」
セオドールは乾いた笑みを浮かべながら思わずそう言葉をこぼし、すぐにハッとする。今の言い方は、彼女に男の醜い嫉妬だと思われないだろうか……
「……ルシアン殿下は……」
やっと、マリアベルが小さな声で口を開いた。
「私にとって、友であり、兄であり、そして……絶対に救って差し上げたいお方です」
薔薇色の瞳には、はっきりとした揺るぎのない意思が宿っていて……セオドールは息を呑む。
「……どうして、彼のことをそこまで……」
息を吐きながら漠然とした疑問を口にすると、マリアベルは『完璧令嬢』に相応しい優雅な笑顔を浮かべた。
(……あ、今……)
セオドールは、今マリアベルに一線を引かれたと分かった。
「ルシアン殿下は、誰にも理解してもらえなかった幼い私の『理解者』であり、そして今もなお、その信頼が続いているからですわ」
その感情は恋ではない。だが、セオドールは彼女の瞳にそれを超える感情が滲んでいる事に、気付いてしまったのだった。




