ep.21 敗北者はどちらか
二人が庭園を通ってたどり着いた先は、ルシアンの住む王太子宮だった。
マリアベルと違い、王太子宮に初めて招待されたセオドールは少し緊張した様子を表情に浮かべていた。
「……君は、よくここでルシアン殿下と茶会をしているんだよな……」
「えぇ。と、いっても政治的な意味合いが強いですけれど」
セオドールが尋ねると、マリアベルは淡々とした表情で答える。
政治的に考えると、王太子派閥はマリアベルという最高のカードを、ルシアンではなく中立派閥のベルグラード公爵家に対して切った。ルシアンが王太子としての立場を得る為には、その方が確実であったからだ。
婚約後も彼女が王太子宮へ出入りする事は、アイゼンハルト侯爵家と王太子派閥の結び付きの強さを示す意味もあったのだ。
だからマリアベルは定期的に王太子宮へと足を運び、王太子派閥貴族としてアイゼンハルト侯爵家の立場を示し続けてきた。中立派閥との婚姻があったとしても、侯爵家の意志は揺るがない、と。
そうする事で、周りからは自然と、ベルグラード公爵家こそが王太子派閥に付いたように見えるのだ。もっとも、それは王太子派閥の貴族達が意図して流した認識でもあったが……言わば、政敵への威嚇である。
そう、二人の婚約はルシアン第一王子の為の政略結婚だった。だから、セオドールも理屈では、今更マリアベルとルシアンの間に何かがあるとは思っていない。しかし……
(ルシアン殿下と言えば……あの美しいお方か)
セオドールは公式の場で挨拶する時に見かけたルシアン王太子殿下の姿を思い出していた。
いくら政治的に一連托生の関係だからと言って……やはりセオドールとしては、婚約者が他の男と茶会をしているのは……気になる。
(まぁ、今回こうしてわざわざその茶会に俺を誘ってくださった王太子殿下は、きっと良い方なのだろうけど……)
セオドールは自分の中で膨らむ嫉妬にそう言い聞かせて、マリアベルと共にルシアンが待つ部屋の扉を開いたのだった。
部屋の中では、金髪碧眼の、まるで童話に描かれる理想の王子そのもののような青年の姿があった。
「二人とも、いらっしゃい」
ルシアンは柔らかく笑って、マリアベルとセオドールをそれぞれの席に着かせる。
「この度はお誘いいただきありがとうございます」
セオドールが畏まりながら深々と頭を下げる中、ルシアンは彼を見下ろすように一瞥した。そしてセオドールが頭を上げた時、彼は親しみの湧く笑みを浮かべていた。
「こうして個人的に話すのは、初めてだね」
ルシアンは使用人に紅茶を用意させる合図を送りながら続ける。
「しかし、僕としてはよくベルグラード小公爵の噂をよく耳にしているから、なんだか初めてという気がしないな」
ルシアンの言葉に、セオドールはふとマリアベルへと目を向ける。
(……もしかして、マリアベルが普段から俺の事を話しているのだろうか……)
そんな期待したような明るい表情を見せるセオドールを観察するように見つめながら、ルシアンは使用人が淹れたばかりの紅茶を啜る。
「城の者がよく、優秀な騎士隊長殿について噂しているんだ」
そしてティーカップを置くと同時に、柔らかく刺すように付け加えた。
「噂……ですか?」
「うん。まぁ、色んな内容についてだよ。王宮はいつも、噂ばかりだから」
その瞬間、セオドールは少しだけ顔色を悪くする。城で騒がれていたセオドールについての直近の噂と言えば、『ベルグラード小公爵には愛人がいるらしい』というもの……きっと、そうだ。
マリアベルの誤解は解けたとは言え、現在もセオドールは婚約者教育中の身であるが……過去の自身の行いを消せない事実に、彼は何度後悔を繰り返した事だろう。
しかし、ルシアンがセオドールの噂が一体どの内容なのかはっきりと明言していない為、彼は否定も肯定も出来ない。
ルシアンに何かを言われた訳でもないのに、セオドールは静かに『お前の過ちを忘れるな』と言われている気分になっていた。
(……ルシアン殿下は……感情がよく読めない、掴みどころのないお方だな……)
この感覚には覚えがある。そう……かつて『完璧令嬢マリアベル』に抱いていたような感覚だ。
セオドールの表情が僅かに曇る。ルシアンはそれを見逃さなかった。
セオドールは心を落ち着けようと湯気の立つ紅茶に手を伸ばした。そして口を付けると、驚いた様子で目を開いた。
「もしかしてこの茶葉は……アイゼンハルト領の茶葉……?」
独特な香ばしい香り、そしてすっきりとしたまろやかな味わい。セオドールがティーカップの中で揺らめく琥珀色の水面を眺めながら呟くと、それを聞いていたマリアベルが目を細めて彼を見つめた。
「あら、セオドール様……よくお分かりになりましたね」
彼女の薔薇色の瞳には、セオドールが照れながら答える様子が映っていた。
「前に君が茶葉を包んでくれた時があっただろ……本当に気に入った味だったし、あれからもたまに飲んでいたんだ」
何だかマリアベルとの繋がりを見つけたみたいで、セオドールは嬉しく思った。
「……まさか、ベルグラード小公爵もこの味を知っていたとは」
ルシアンが微笑む。セオドールは顔を上げて彼の青い瞳を見た。
「故郷の味を気に入ってもらえるなんて、僕としてもとても喜ばしいよ」
「故郷の味、ですか……?」
セオドールは思わず問い掛けながら、そういえばルシアンが幼少期に王宮内でとても苦しい立場に立たされた時、アイゼンハルト侯爵に保護されていた事を思い出す。
「そう……僕にとってアイゼンハルト領は故郷も同然だから。僕の幸福であり、僕の幼い青春でもある」
そして、ルシアンがふとマリアベルに目を向ける。その様子を、セオドールは黙って見つめていた。
「ふふっ……そういえば」
ルシアンが何かを思い出したように切り出す。
「マリアベル。貴女、子供の頃にマナー教師に習ったばかりの紅茶の淹れ方を、僕で試した事があったよね」
軽口を叩くように笑っているルシアンは、青い瞳をセオドールに向けながら続けた。彼もまた、セオドールの様子を観察するように見つめているのだ。
「あれは本当に、濃くて苦くて飲むのが大変だったなぁ」
「ルシアン殿下。まだそんな昔の事を覚えていらっしゃるのですか?」
クスクスと笑いながらルシアンが揶揄うように言うと、マリアベルもムッとした表情で眉を寄せながら彼に言い返していた。
セオドールは、これまで公式の場でしかルシアンを見かけた事がなかったので、当たり前かもしれないが……彼の、年相応の無邪気な笑顔を見たのは初めてだ。マリアベルもマリアベルで、彼に対しての気安さが窺える。
それは、セオドールの知らない婚約者の話だった。
セオドールには計り知れない思い出と絆が、二人の間にはある。それは今のセオドールがどう足掻いた所で超えられるものではない。
(……何だか、俺……)
急に自分が場違いな気分になり、セオドールは目を伏せる。
そんな彼の様子を視界の端に捉えながら、ルシアンは目を細めた。
(そう……婚約者殿はそうやって、勝手に自滅していけばいい)
ルシアンが直接手を下す必要なんてない。マリアベルの一番の理解者はルシアンであり、彼女の周りの男の中に彼に敵う者などいないのだから。
王宮を追われるようにアイゼンハルト領へ行ったルシアンは敗北を知る王子だ。だからこそ、彼は敗北をしない立ち回りを心得ている。
ルシアンの愛する『完璧令嬢』には、『婚約者』ではなく『理解者』が必要だと、彼は重々……理解しているのだ。




