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ep.2 無自覚な罪


 セオドールが定時訓練の指導を終えると、副隊長のアンリ・レナードが困った表情を浮かべて彼の元へやって来た。


「セオドール隊長……」

「どうしたんだ?」


 セオドールが汗を拭きながら尋ねると、彼は暗い表情の理由でもある要件を伝える。


「隊長宛に客人がいらっしゃっています……サロペ伯爵令嬢です」


 その名を聞いた時、アンリとは違いセオドールは少し顔色を明るくさせた。すぐに隠すように表情を引き締めるが……アンリはそれを見逃さなかった。


 彼は小さく息を吐いて銀縁眼鏡を掛け直すと、少し言いにくそうに……しかし、はっきりとした口調でセオドールに忠告する。


「隊長、貴方は婚約されている身です。気を付けた方が良いですよ」


 セオドールの心臓がドキリとした。


「……変に勘繰るな。彼女はただの友人だ」


 すぐにアンリへ言い返すのだが、彼の瞳は相変わらず懐疑的だ。


「友人であっても『男女』なのですから、適切な距離感は保つべきです」

「俺とアメリアはそんな仲じゃない!」


 セオドールは思わず、感情的に叫んでしまった。周りの部下達がどうしたという目でこちらを注目する。


「……俺は婚約者を裏切るような事は、一切していない」


 今度は声を抑えて、しかし必死さを滲ませながらアンリに言った。


 アンリは諦めに近い表情を浮かべていた。それが分かったセオドールは、どうして自分を信じてくれないのかと苛立ちを覚える。


「……分かっています。隊長がそんな不誠実ではない人だって事くらい……」


 彼が俯くと、眼鏡が反射して彼の表情が分からなくなった。


「でも、周りはそうじゃないんですよ」


 アンリもまた、苛立たしそうに続ける。


「セオドール隊長。貴方、城の者達に何と噂されているかご存知ですか? 『セオドール・ベルグラードが愛人を作った』と言われているんですよ!」


 セオドールは目を開く。しかし、言葉が詰まり、何も言えないでいた。


「どんなに潔白であったとしても、誤解を招くような行動は控えるべきです! 今はまだ城の中での噂に過ぎません……しかし、どうするんです? もし、アイゼンハルト令嬢の耳にこの噂が入ったら……」


 アンリの言葉に、セオドールはやっと危機感を持ち始めた。だって、こんな事になるなんて、思ってもみなかったから。


(俺はただ……友人としてアメリアと親しくしていただけで……)


 アメリア・サロペ伯爵令嬢は、セオドールの学生時代の後輩であり、当時もたまに会話を交わす程度の仲だった。


 彼女は話し易く、親しみ易く、何より一緒にいて気楽だ。セオドールの『完璧な婚約者様』を前にした時のような緊張感など抱かない。

 完璧な彼女の前だと、どうしても肩に力が入ってしまう。彼女と比べると自分の至らなさばかりに目がいって、自己嫌悪に陥ってしまうのだ。


 確かに最近、アメリアがよく差し入れに来てくれるとは思っていたけれど……でも、それはただの友人としての善意で……


(いや……俺……)


 本当に、彼女の善意だと思ってる? アメリアの瞳の奥に、はっきりと映る自分への好意に一度も気付いていなかったのか?


「セオドール隊長」


 アンリに呼ばれて、セオドールはハッとする。


「……アメリア・サロペ令嬢が隊長を訪ねていらっしゃっています。どうか、懸命なご判断にてご対応をお願いします」


 セオドールは顔色を悪くさせて、小さく頷いたのだった。


 セオドールが兵舎の執務室へ入ると、そこには革張りの大きなソファーの上にちょこんと座る、小柄な赤髪の女性がいた。


 彼の入室に気付いた彼女が振り返る。


「セオドール先輩!」


 アメリアの緑色の瞳が嬉しそうに輝いた。


「アメリア……」


 アンリの忠告に、彼女の来訪を素直に喜べないセオドールは、暗い表情で彼女を見つめていた。


「……あ、もしかして、お忙しい時間でした?」


 セオドールの暗い表情を疲れからだと勘違いしたアメリアは、すぐに謝った。


「いや……違うんだ」


 セオドールはアメリアの対面のソファーに腰を下ろすと、どう切り出そうかと悩んだ。


 アメリアに告白された訳ではない。だから、もう会えないと言うのは違う気がする。


(……適切な距離って、どこまで良くて、どこからが駄目なんだ?)


 セオドールは幼少期の頃から剣に夢中で、これまでまともに女性と会話を楽しんだ経験なんて殆どない。あっても学生時代に、友人を介して女生徒と数言、言葉を交わすだけだ。アメリアもその内の一人だった。


 アメリアとよく話すようになったのも、ここ最近の事だった。


「あー……えっと、アメリア。今日はどうしたんだ?」


 セオドールは回答の出ない自問に頭が痛くなり、まずは彼女の用事を済ませて早く帰ってもらおうと考えた。

 彼の質問に、アメリアはぱっと明るい笑顔を浮かべて、実はさっきから両手で大事そうに抱えていたバスケットをセオドールに差し出す。


「じ、実は、クッキーを焼き過ぎて余ったので……先輩に差し入れです!」


 真っ赤な顔をしてアメリアが早口気味に自分の用件を伝えると、セオドールは彼女の様子に全く気付く事はなく、頷いてそのバスケットを受け取った。


(余った物なのか……後で部下達と食べよう)


 セオドールに手作りクッキーを受け取って貰えた事で、アメリアは嬉しくて思わず涙目になってしまった。


「……どうした?」


 アメリアの涙に、ぎょっとした顔をするセオドールは、その後慌てた様子で立ち上がり彼女の元へ行くとハンカチを手渡した。


 さすがに涙を拭ってやる事はしないが、女性が目の前で涙を流しているのに、貴族である前に騎士として何もしない訳にはいかない。


 けれど、アメリアにとっては学生時代からずっと憧れていた先輩に優しくされて、感無量に更に涙が溢れてしまった。


 セオドールは弱った表情で、アメリアに気安く触れる訳にもいかず、黙って彼女が落ち着くのを待った。


(……アメリアは、マリアベルとは全く違うな……)


 涙を流しながら震えるアメリアを見つめながら、無意識に婚約者と彼女を比べてしまっていた。


(アメリアはマリアベルと違って、感情豊かで、明るく、よく無邪気に笑う……)


 そう、マリアベルはいつも綺麗に笑い、涙も弱さも見せず完璧で、決して心の内をセオドールには見せない。彼女に明確に引かれた一線が、二人の間にはある。


(俺は……アメリアのような相手の方が、自然でいられるのかもしれない……)


 セオドールはぼんやりとそんな事を思った。


 きっと、セオドールのアメリアに対する気持ちは恋ではない。しかし、一般的な好意はある。

 それだけは、セオドールもちゃんと分かっていた。


 なぜなら……


(でも、アメリアに対して……俺が初めてマリアベルと顔合わせをした時のような感動を抱いた事はない)


 セオドールはいまだに覚えている。あの日、あの時、自分よりも三つ歳下の筈なのに、落ち着いていて綺麗で、大人びた少女の姿を。


 その美しい彼女の薔薇色の瞳に見つめられた瞬間、セオドールの心臓は高鳴ったのだ。


 後にも先にも、きっと彼にあの衝撃を与えられるのは、マリアベル以外にいないのだろう。

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