ep.17 意外な才能
「……セオドール様」
マリアベルは何かに気付いた仕草を見せてハンカチを取り出すと、目の前のセオドールにそっと手を伸ばす。
「血が付いていますわ。どこかお怪我でも?」
眉を顰めながらそう言って、彼女はセオドールの頬をハンカチで優しく拭ったのだった。その瞬間、セオドールの頬は赤くなっていく。
(何だか……本当に新婚みたいだ)
胸がドキドキと高鳴る。自分の世話を焼いてくれるマリアベルに、セオドールは嬉しく思いながらも照れてしまった。
「きっと犯人の血でしょう。実は、隊長は先ほど犯罪組織を壊滅させて事件解決に導き、被害者達を救ったのですよ!」
何も答えないセオドールの代わりに、アンリが誇らしそうに胸を張って答えた。
「そうですか……」
マリアベルは特に反応を見せる事なく、アンリから目の前のセオドールへと視線を戻す。
(この方は、本当に昔から人助けばかりしているのね……)
そして、彼の青い瞳を見つめた。
「……貴方は昔からお変わりありませんね」
「うん? 何がだ……?」
今の言葉の意味が分からないまま、セオドールは尋ね返すけれど、マリアベルが目を逸らした事でこの話題は終了となる。
「では、アンリ。午後は任せたよ」
気を取り直したセオドールが言った。アンリはハッと我に返って頷いた。そして、どうしても気になるので、慌てて尋ねるのだった。
「隊長! 『夫婦模擬演習』って、何ですか……?」
するとセオドールがアンリに近付いて、耳元に顔を寄せると小声で答える。
「デートだ」
アンリはセオドールを見た。
「でも、デートだとマリアベルの前では言わないでくれ。彼女は本気でこれが婚約者教育だと思っているんだ」
そんな婚約者を可愛らしく思っているかのような表情でセオドールは言うと、「じゃあ、よろしく」と軽く挨拶をしてマリアベルと共に去って行ってしまった。
「……なんか、セオドール隊長って……」
アンリが呆けた表情で呟くと、実はマリアベルを案内したままこの場に残っていた騎士が引き継ぐように言う。
「あれは完全に浮かれまくってますね」
アンリは神妙な表情で、強く頷いた。
「さっきまで、犯罪組織を壊滅させていた男とは思えない……」
「えぇ、まったく……仕事では負けなしなのに、婚約者相手だとああも人が変わるものなんですね」
アンリと騎士は顔を見合わせたのだった。
◆
婚約者の為にセオドールがマリアベルを連れて来た場所は、何と王都にある競馬場だった。
競馬場は基本的に、紳士達が社交を広げる為に嗜むカードゲーム等と同じ分類の遊戯だ。そう、普通なら男女のデートで訪れるような場所では決してない。
しかし、セオドールのこの特殊な婚約者は通常の令嬢達とは感覚が違う……アイゼンハルト領で行われた婚約者教育期間時に訪れた馬産場で、マリアベルが軍馬のうんちくを語り始めた時から、セオドールはそう確信していた。つまり……
(馬好きのマリアベルはきっと競馬場を気に入るに違いない)
セオドールは今日のデー……夫婦模擬演習には自信があった。
「ふむ、ここが競馬場ですか……」
まるで品定めするような目付きで、競馬場の建物を見つめながらマリアベルが呟いている。
「速さを競う走行馬が、軍馬の魅力を超えるとは到底思いませんけれど……」
初めての競馬場に足を踏み入れたマリアベルは、婚約者を置いて行く勢いで中へと進んでいきながら言った。セオドールはそんな彼女を横目で見ながら、思わず口元が緩みそうになってしまう。
男臭い競馬場に場違いな華やかで美しい令嬢が一人降り立つと、周りの目は全てマリアベルへと集中した。
その視線は好奇心であったり、驚きであったり、感嘆であったり……セオドールは始め、少しでも馬を近くで見せてやろうと下の階に広がる一般席チケットを買うつもりだったが、反射的に個室席のチケットを購入する。
(個室席は上の階だから少し馬が遠くなるが……仕方ない)
セオドールは自分の嫉妬心を優先してしまった事に、少し気まずさを感じたがそのまま黙って彼女を席まで案内した。
到着した個室席は、目の前が大きく繰り抜かれた窓があり、上から場内を見下ろす事が出来る。少し騒がしい一般席と比べると、静かで落ち着ける場所だった。
マリアベルはすぐに着席すると、ポーチの中からオペラグラスを取り出している。彼女の、馬鑑賞の準備は万端のようだ。
オペラグラスを見た瞬間、セオドールは吹き出しそうになるが、懸命に耐えた。
個室席にはひと部屋に必ず一人の個室専用給仕人がいて、その者が競馬場の賭け屋の元へ走り、馬券の代行購入等を行ってくれるシステムだ。
セオドールはボックス・アテンダントを近くに呼び、何番の馬券を買おうかと思案する。
「……マリアベルも賭けてみないか?」
「私は興味ありませんわ」
マリアベルに連れない返事で即座に断られた為、セオドールは一番人気の三番馬券を購入した。
間も無く、第一レースが始まった。セオドールが買った三番馬は惜しくも二位到着だった。
いつのまにかマリアベルは前屈み気味にオペラグラスを覗き込んでいて、「あの足の筋肉……」「想像以上に艶やかな毛並み……」などと呟いていた。賭けには負けてしまったが、彼女がとても楽しんでいるようでセオドールは安心した。
セオドールが第二レースの馬券を買った後、マリアベルはボックス・アテンダントが部屋を出て行く姿を見つめながら尋ねてきた。
「なぜ七番の馬券を購入されたのですか?」
「えっ……」
突然の質問にセオドールは戸惑ったが、すぐに素直に答える。
「七番はここ最近の成績を見ると、あの中でも一番いいし、何より身体も大きくて体力もある」
マリアベルは再び馬へ目を向けながら静かに言った。
「そうですか……」
それ以外彼女は言葉を続けなかったが、セオドールはふと興味が湧いてマリアベルに尋ねてみた。
「マリアベルだったら、何番の馬を選ぶ?」
「……私だったら、十二番ですね」
セオドールは十二番の馬を見た。その馬は、騎手の不調で久しくレースで見ていなかった馬で、身体も小さい。セオドールはあのような馬がマリアベルの好みなのかと、軽く考えていた。
第二レースが始まる。セオドールが買った七番の馬は、なんと五位だった。そして……
「じゅ、十二番が一位だと……」
セオドールは驚いた表情でマリアベルを見る。
「あら、やはり彼らが一位でしたね」
マリアベルは特に驚いた様子もなく、試験の答えが正解だった事を確認するかのような反応だった。
「どうして分かったんだ?」
「過去の成績よりも、現在の馬の調子を見るべきでしょう?」
マリアベルは、なぜ彼がこんな当たり前の質問をするのか分からないといった様子で小首を傾げながら答える。
「筋肉の動き、歩様感、そして何より馬と騎手の関係性が良いのか馬がとてもリラックスしています」
「そ、そんな事も分かるのか……?」
「えぇ……少し見れば、分かる事だと思いますけれど」
淡々と答える婚約者を驚愕の瞳で見つめながら、セオドールは思った。
(いや、普通は分からない……)
その時、部屋の扉がノックされる。セオドールが返事を返すとボックス・アテンダントが扉を開き、そこから二人の男性が室内に入ってきた。




