番外編② 神代蓮——あの日の約束
全部、あの人にもらった。
何もなかった。
居場所も。
金も。
名前すら、意味を持たなかった。
ただ、生きているだけだった。
■
倒れていた。
道の端。
冷たい地面。
雨が降っていた。
体は動かない。
(ここで終わるのか)
不思議と、何も感じなかった。
その時。
足音が止まる。
■
「立ちなさい」
声がした。
振り返る。
一人の女。
細いのに、揺れない。
強い目をしていた。
■
「ここで終わるつもり?」
答えない。
答える意味がない。
でも。
視線だけは逸らせなかった。
■
「生きなさい」
それだけ言って。
手を差し出す。
■
綺麗な手だった。
迷いのない手。
(どうして)
理由がわからない。
でも。
その手を取らなければ。
本当に終わる気がした。
■
震える手で、掴む。
引き上げられる。
その瞬間。
何かが変わった。
■
それが、すべての始まりだった。
■
黒崎玲子。
名前を知ったのは、後だ。
■
何も与えなかった。
甘さも。
同情も。
ただ。
教えた。
■
「考えなさい」
「選びなさい」
「結果で示しなさい」
その繰り返し。
■
厳しかった。
何度も、投げ出したくなった。
でも。
あの時の手を思い出す。
(終わらなかった)
それだけで、十分だった。
■
上がった。
下から。
這い上がるように。
一つずつ。
確実に。
■
気づけば。
“神代蓮”という名前に、意味ができていた。
■
それでも。
足りなかった。
■
認められたかった。
あの人に。
■
だから、進んだ。
どこまでも。
■
——間に合わなかった。
訃報。
紙一枚で終わる。
(遅かった)
初めて、後悔した。
■
違和感があった。
あの人が、あんな終わり方をするはずがない。
■
調べた。
掘った。
追った。
■
見えてきたもの。
歪み。
嘘。
そして。
残された存在。
■
黒崎綾音。
あの人の娘。
■
辿り着いた。
橋の上。
一人で立っている。
今にも、落ちそうな背中。
■
あの人と、同じ目をしていた。
諦めていない目。
でも。
折れかけている目。
■
「もったいないな」
自然に言葉が出た。
■
振り返る。
涙も、怒りも、全部抱えた顔。
■
「全部、奪われた」
その一言で、理解した。
■
(同じだ)
状況は違う。
でも。
“何もない場所に立っている”という意味で。
■
「なら、取り返せばいい」
迷いはなかった。
■
あの人なら、そう言う。
■
「できると思う?」
試すような目。
■
「できる」
即答する。
■
「お前は、あの人の娘だ」
その言葉で。
彼女の目が揺れた。
■
まだ、終わっていない。
そう伝わったはずだ。
■
手を差し出す。
あの日と同じように。
■
「全部、奪い返す気はあるか?」
問いかける。
選ばせる。
■
少しの沈黙。
震える指。
でも。
その手は——
確かに、伸びた。
■
(いい)
それでいい。
■
あの人が繋いだものは。
消えていない。
■
今、ここにある。
■
気づけば。
目で追うようになっていた。
成長。
判断。
覚悟。
全部。
あの人と、同じだった。
■
違うのは、一つだけ。
守りたいと思った。
初めて。
■
それが、答えだった。
■
指輪は、約束だ。
過去に対して。
未来に対して。
そして。
彼女に対して。
■
もう二度と。
奪わせない。
■
あの日、差し出された手の意味を。
今度は、自分が繋ぐ。
■
——終わり。




