第四十一話 神殿との決裂
神殿上層との決裂は、いつか来ると誰もが薄々わかっていた。
世界法則の偏り。
魔法戦争のログ。
深層権限。
それらの断片が保守室に集まっている限り、上層はいつまでも“局所的な障害の連鎖”として処理し続けることはできない。
問題は、彼らがいつ、どんな形で線を引くかだった。
それは意外なほど制度的な形で来た。
王都北東部の記録保管庫で、小規模な“巻き戻り”が発生したのだ。
記録板の一部が三日前の状態へずれ、保管文書の索引も複数不整合を起こした。
人的被害は出ていない。
だが場所が悪かった。
保管庫は神殿上層の管理文書や契約記録の一部も収める、彼らにとって都合の悪い障害が絶対に起きてほしくない場所だった。
保守室は当然のように呼ばれた。
ミレイア、グランツ、翔太、サナ。
現場へ入ると、記録係や文官たちの顔は、普段の障害対応時とは違う緊張をしていた。
恐れているのは世界障害そのものではない。
自分たちの持つ情報が揺らぐことだ。
翔太は保管庫の記録層を見て、すぐに嫌な違和感を覚えた。
表面上の巻き戻りだけではない。
保管庫全体の優先保護が、ほかの区画より明らかに厚い。
王都中枢優先の設計が、ここではさらに露骨に出ている。
だからこそ、巻き戻りが起きたときの反動も大きい。
「原因は深層側です」
翔太がそう言ったとき、部屋の空気が凍った。
相手は神殿上層の文官たちだ。
その前で、保管庫の障害が局所ではなく深層設計と繋がっていると断言する。
それは技術的な報告であると同時に、制度に対する挑戦でもある。
年配の管理官が眉をひそめる。
「深層側、とは」
ミレイアが一歩前へ出る。
「保護優先の偏りが、この区画で逆に強く跳ね返っています。通常の記録補正ではなく、基盤優先順位の再解釈が必要です」
「再解釈?」
別の文官が声を上げる。
「それは、保管庫の保護優先を落とせと言っているのか」
ミレイアは平然と答える。
「一時的にでも、周辺記録区画と保護順を分散しないと、今後は中枢側の障害が連鎖します」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、文官たちの顔つきが変わった。
現場の説明を聞く顔ではない。
自分たちの権限に触れられたときの顔だ。
「認められない」
即座に返ってきた。
「保管庫は神殿中枢文書を保持する。地方の記録や街区索引と同列に扱えるものではない」
「同列に扱えとは言っていません」
ミレイアの声は低い。
「でも今の優先順位では、ほかを削った反動がこの区画にも返ってきてる」
「だからといって、神殿の中枢保護を落とすことはあり得ない」
その応酬を聞きながら、翔太の中で何かが音を立てて切れた。
フェインの死。
北方の村。
境界の雨。
魔法戦争のログ。
全部知ったうえで、なお“中枢保護を落とすことはあり得ない”と言う。
この人たちは世界障害を止めたいのではない。
今ある偏りを守ったまま延命したいのだ。
「じゃあ壊れますよ」
気づくと、口にしていた。
全員の視線が一斉にこちらへ向く。
言ってしまった、と頭のどこかで思う。
だが止められなかった。
「このまま中枢だけ守る順を固定したら、外側から先に崩れる。外側が崩れたら、次は中に返ってくる。いま起きてるのは、その最初の返りです」
管理官の目が細くなる。
「異邦人が、神殿の設計を語るのか」
「設計だからです」
翔太は自分でも驚くほど冷静だった。
「信仰や威厳の話じゃなくて、壊れ方の話をしてる」
その一言で、もう後戻りはできなくなった。
文官たちの顔は完全に閉じる。
ミレイアもグランツも、止めに入らない。
たぶん、同じことを思っているからだ。
管理官は静かに言った。
「保守局は現場の補修に専念せよ。設計や優先順位の是非を論じる権限はない」
「じゃあ誰が論じるんですか」
翔太は聞き返した。
「設計した者は死んでる。優先順位を守ってきた人たちは、壊れ始めてもまだ“論じる権限がない”って言うだけだ」
ミレイアが小さく「翔太」と呼んだ。
止める声ではなかった。
ただ、いま何が起きているかを互いに確認するための呼びかけみたいだった。
管理官はゆっくり立ち上がった。
「異邦人佐藤翔太、および保守局術官補佐ミレイアの深層系資料への接触を、本日付で一時停止する」
その言葉に、サナが息を呑み、グランツが一歩出かかった。
だがミレイアが手で制した。
「理由は」
「権限逸脱と、神殿中枢管理に対する不適切な干渉」
予想していた線ではある。
だが実際に言葉として下りてくると、やはり重い。
深層系資料への接触停止。
つまり、世界障害の本丸へ触れる手を、制度の側から切りにきたのだ。
「現場を切り離して、何が残るんですか」
翔太が言うと、管理官は表情ひとつ変えなかった。
「秩序だ」
その一言に、もう何も言う気が失せた。
秩序。
壊れ方の上に敷かれた、あの古い優先順位と同じ語だ。
保守室へ戻ったあとも、空気はしばらく揺れたままだった。
書面が回り、監視権限の一部停止が正式に通知される。
翔太とミレイアは深層資料室へ単独で入れなくなり、旧門周辺の接触権も限定される。
表向きの理由は“安全のため”。
だが本音が何かは、もう誰にも明らかだった。
「決裂だな」
グランツが低く言う。
誰も否定しなかった。
神殿上層と保守室は、ついに同じ問題を違う方向から見ているだけではなく、違うものを守ろうとしていると露わになった。
その夜、翔太はノートへ短く記した。
神殿は世界を守りたいのではなく、優先順位の既得権を守りたい。
こちらはもう、その秩序の延命に従えない。
書きながら、奇妙な静けさがあった。
怖くないわけではない。
でも、曖昧な段階は終わったのだとわかった。
決裂したものは、もう元の距離へは戻らない。




