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コードの向こう側 改  作者: たむ


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第四十二話 地図の消える国

神殿との決裂から二日後、世界障害はさらに悪い形で姿を変えた。


最初の報告は西部辺境の地図院からだった。

地方管理に使われる地図板の一部で、村の記録が数件消えているという。

よくある写し違いや記録遅延かと思われた。

だが続けて、別系統の行政板でも同じ村名が欠落し、物流路の経由記録からも存在が抜け始めた。


「記録だけじゃない」


レオンが地脈図を見ながら言う。


「街道の観測線も、その区域だけ妙に薄い」


サナが監視盤を確認し、顔色を変える。


「地図板の縮尺表示が合いません。距離だけ残って、経由地が抜けてる」


翔太は嫌な予感に喉が詰まるのを感じた。

これはルサの記録基準板のズレとも、フェインの境界崩れとも違う。

もっと悪い。

単なる記録の混線ではなく、“存在していたことの参照”そのものが削られている。


「現地確認が必要だ」


ミレイアが即断する。

深層接触の制限はついた。

だが地上の障害確認まで止められたわけではない。

まだ動ける線はある。


向かったのは、西部辺境の小村ベルナへ通じるはずの街道だった。

地図板では村名が薄く、街道線も一部欠けている。

現地へ向かう馬車の御者すら、途中から道に自信を失い始めた。


「ここを曲がるはずなんだが……」


「標識は?」


「昨日まではあった」


誰もそれを笑わなかった。

今は“昨日まであった”ものが、今日なくなることが本当に起きている。


夕方、街道脇の分岐へ着いた。

本来ならそこからベルナへ続く道があるはずだった。

だが道は途中で妙に浅くなり、踏み跡が曖昧になっている。

草が一晩で生えたわけではない。

最初から“ここへ道があったことの記憶”だけが抜け落ち始めているみたいだった。


「おかしい……」


御者が呟く。


「こんな見失い方はしない」


レオンが地脈観測板を取り出し、険しい顔をする。


「流れが切れてるんじゃない。ここだけ“薄い”」


翔太はその言葉を聞いた瞬間、ぞっとした。

薄い。

存在がなくなったのではなく、この世界の参照密度から少しずつ外れている。

地図から消える。

記録から抜ける。

いずれ人の記憶からも抜ける。

それは、死とも崩壊とも違う種類の喪失だった。


分岐の先を歩いていくと、やがて小さな柵が見えた。

その向こうに村はあった。

ベルナは、まだ存在していた。

家も、井戸も、人もいる。

ただ、村人たちの顔には妙な不安がある。

外から来た一行を見て、驚きより先に安堵が浮かんだ。


「来てくれた」


年配の女がそう言って、ほとんど泣きそうになる。


「まだ、道が分かったのね」


その言葉に、翔太は背筋が冷たくなる。

村の人たち自身が、“まだ”という言い方をしている。


「何が起きてるんですか」


ミレイアが聞くと、村人たちは口々に話し始めた。

行商が来なくなった。

隣村からの荷が途切れた。

街道の標識が何度立てても翌朝には方向を示さなくなる。

王都へ出た若者が、一度戻ってきたのに次からは道を思い出せない。

村の帳面に自分たちの名前を書いても、次の日には薄くなる。


「まるで、村そのものが忘れられていくみたいで」


若い女が震える声で言った。


翔太は村の記録帳を見せてもらった。

たしかに、昨日書いたばかりの文字の一部が薄い。

擦れたのではない。

最初から“そこに強く定着していない”感じがする。

井戸のそばの標識板も同じだ。

ベルナという村名の一部が、読む角度によって抜ける。


「村に結界は」


グランツが問う。


「補助式だけです」


村長が答える。


「大きな結界柱はありません。辺境だから……」


その言い方の先は皆まで聞かなくてもわかる。

ここは最初から保護優先の薄い場所だ。

中枢偏重の設計のなかで、“薄くても構わない”側として扱われてきた場所。


「地図から消え始めてる」


翔太が小さく言うと、ミレイアが振り向く。


「何が原因だと思う」


「境界の欠落じゃない。もっと参照の根本です。地図、記録、物流路、他人の記憶……全部が“この村を保持する優先度”を落としてる」


「優先度の喪失」


レオンが低く言う。


「世界がここを“あまり重要でない地点”として削り始めてるってことか」


その表現はあまりにも残酷で、あまりにも正確だった。


ベルナの夜は静かだった。

静かすぎて、かえって不気味だった。

世界が忘れかけている場所では、音まで薄くなる気がした。

保守室の一行は村役場に近い小屋を借りて、臨時の記録保持式を張る。

せめて一晩だけでも、村名と主要住民の識別を保持するためだ。


紙を並べ、名前を写し、地図を書き直す。

現地の子どもたちにも、自分の家の位置を言葉で書かせる。

どれも、世界の削除へ抵抗するための細い線だった。


その作業の最中、翔太はふと、自分が向こう側の記憶を書き残しているのと同じことをしているのだと気づいた。

忘れられる前に書く。

残る形にして、まだ参照できるうちに固定する。

それは世界が違っても同じだ。


夜半、村外れの小さな丘へ上った。

村を見下ろすと、家々の灯りは確かにそこにある。

だが地図板で見ると、その位置は少しずつ薄い。

存在しているのに、世界からの参照が細くなる。

そんな消え方があるのかと、改めてぞっとする。


「国って、こうやって消えるのかもしれないな」


気づけば口にしていた。

村ひとつから始まり、街路が抜け、記録が薄れ、物流が途絶え、人の記憶から消え、最後に地図から落ちる。

国とは、領土だけではなく、人々がそこを参照し続けることで維持されているのだと、今さら思い知る。


ミレイアが隣へ来た。


「大げさじゃないかもしれない」


彼女の声は低かった。


「ベルナだけで済まなければ、同じことが他の薄い場所でも起きる。そうなれば、辺境から順に“なかったこと”にされる」


翔太は村の小さな灯りを見ていた。

自分の世界でも、地図に載らない場所はある。

政治や経済の中心から遠い場所。

誰も気にかけない場所。

それでも、そこには人がいて、生きている。

今この世界で起きているのは、その“気にかけられなさ”が、物理法則の側まで降りてきたみたいな出来事だった。


「もう延命だけじゃ足りない」


翔太が言うと、ミレイアは少し間をおいて頷いた。


「ええ。ここまで来たら、深層に触れない限り、いずれ地図ごと削られる」


その言葉に、風が少し強く吹いた。

丘の草が揺れ、村の灯りが遠くで細く震える。

翔太はベルナの名を心の中で何度も繰り返した。

忘れないために。

自分の記憶の中だけでも、参照を細らせないために。


王都へ戻ったら、この村のことを何度も書こう。

地図に。

報告書に。

ノートに。

言葉のなかへ固定しよう。

そう思った。


その夜、村役場の机で翔太は一行だけ書いた。


ベルナ。

まだある。

だから、今のうちに書く。

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