第二十九話 王国監査院
旧門試験と北西区画の結界急落は、隠しきれる種類の出来事ではなかった。
表向きには「結界保持率の局所低下と旧設備の安定化試験が偶然重なった」と処理された。
だが偶然で済ませるには、タイミングが悪すぎる。
神殿上層が情報を絞ろうとするほど、王都の別系統の組織が鼻を利かせるのもまた、どこの世界でも同じだった。
三日後、保守室へ王国監査院が入った。
監査院、と聞いたとき翔太が最初に思い浮かべたのは、現実の監査法人や内部統制部門だった。
現場を助けるためではなく、責任と手続きの整合性を確認しに来る人たち。
たいてい一番忙しいときに来る。
たいてい正しいことを言う。
そしてたいてい、正しさだけでは障害が直らない局面でも、その正しさを持ち込んでくる。
王国監査院の人間たちは三人だった。
黒に近い紺の外套。
金属留め具に王紋。
筆記役を連れた若い女、三十代半ばの痩せた男、それに隊長格らしい年配の男。
全員、保守室の散らかった机と壁一面の監視盤を見ても顔色ひとつ変えなかった。
つまり、こういう場所へ来慣れている。
「監査院査察官、セルヴァン」
年配の男が名乗る。
声は穏やかだが、視線には余計なものがない。
「神殿保守局における広域障害対応と旧設備試験について、事実確認に来た」
ミレイアが一歩前へ出る。
「保守局術官補佐ミレイアです。確認の範囲を」
「報告遅延、試験許可系統、設備管理責任、広域障害との関連認識」
その並びを聞いただけで、翔太は胃のあたりが重くなった。
障害そのものではなく、誰が何を知り、いつ何を許可したかを問う順番だ。
つまり、原因究明より先に責任線を引きに来ている。
グランツが机の陰で小さく舌打ちする。
だが声には出さない。
監査院は現場の敵とは限らない。
だが味方でもない。
査察は淡々と始まった。
障害報告書の提出要求。
旧門試験の起案者。
立ち会い者。
王都中枢結界の急落との時系列比較。
境界の雨以降の記録分類。
翔太は書面整理を手伝いながら、査察官セルヴァンの質問の仕方を観察していた。
この男は、単に上の意向をなぞるだけではない。
現場の言い淀み方、隠している項目、誰がどこで視線を逸らすかまで見ている。
木村と少し似ていた。
優しいわけではない。
だが、表面だけを読んでいる顔ではない。
昼過ぎ、セルヴァンは翔太のほうへ視線を向けた。
「異邦人がいると聞いた」
室内の空気がわずかに変わる。
翔太は金属札を指先で押さえ、前へ出た。
「佐藤翔太です。臨時保守要員として」
「どの権限で」
「神殿上層の暫定許可と、保守局責任者帯同下での限定接触です」
セルヴァンはうなずき、次の問いを投げた。
「旧門試験に立ち会ったか」
「はい」
「何を見た」
質問が直球すぎて、翔太は一瞬だけ言葉を失った。
何を見た。
帰路の歪み。
向こう側の光。
木村かもしれない影。
それをそのまま言えるはずがない。
「接続の揺れと、座標の一時安定です」
「以上か」
「……以上です」
嘘ではない。
だが全部でもない。
セルヴァンはしばらく翔太を見ていた。
見抜こうとしているのではなく、“ここでどこまで言う人間か”を測っている目だった。
「広域障害は存在すると思うか」
その問いは危険だった。
上層が名前を禁じている語。
査察官があえてそれを使った。
保守室のあちこちで、空気が止まる。
ミレイアもグランツも、口を挟まない。
答えるのは自分だと、翔太にはわかった。
「はい」
言ってから、もう少し言葉を足した。
「個別障害として現れている現象に、深層で共通する構造があります。名前をどう呼ぶかは別として、局所だけを見ても抑えきれない段階に入っていると思います」
セルヴァンは表情を変えなかった。
だが筆記役の若い女が、書き留める手をわずかに止めた。
「その認識は、神殿上層と共有されているか」
「……共有されていない部分があります」
それが限界だった。
言い切れば、ただの内部告発になる。
濁しすぎれば、現場で見ているものを裏切る。
その中間を探すのは、現実の会議でもいつも苦しかった。
査察は日暮れまで続いた。
監査院の三人が去ったあと、保守室には重い疲労だけが残った。
障害対応そのものとは別の疲れだ。
言葉を選び、制度の枠に事実を押し込み、責任と保身の線を見極める疲れ。
「嫌な連中だったな」
グランツが椅子へ崩れるように座る。
「でも、無能じゃなかった」
ミレイアが返す。
「だから余計に面倒」
サナが小さく呻く。
エルドは「制度とはそういうものじゃ」とだけ言って、古板の束を抱え直した。
翔太は机の上の空になった水杯を見つめていた。
監査院。
現場の敵ではない。
だが、現場の正しさだけでは通らない世界の代理人。
向こう側の会社にも、こういう人たちはいた。
そして木村は、そういう相手と話すときほど、言葉を削っていた。
「セルヴァンって人、どう思います」
ふと聞くと、ミレイアは書面を束ねる手を止めずに答えた。
「敵なら楽だった」
「味方でもない」
「そう」
彼女は短く言う。
「たぶん、事実の匂いを嗅ぎつけてる。問題は、その事実をどこへ持っていくか」
その言い方に、翔太は少しだけ救われた。
少なくとも、完全に塞がれたわけではない。
制度の側にも、現場の匂いを理解する人間はいるかもしれない。
その夜、翔太は監査院向けに出した報告の控えと、自分たちだけの内部版を並べて見比べた。
同じ出来事なのに、書かれ方がまるで違う。
制度へ通す言葉。
現場が生き残るための言葉。
その二重化が、自分の輪郭まで二重にしていく気がした。




