第十五話 褒賞の代わりの不信
北区外郭の件は、現場レベルでは明らかな成果だった。
夜だけ減衰していた結界が安定し、巡回報告の緊張も少し緩んだ。
保守局の机の上では、ミレイアがまとめた報告書にグランツが追記し、エルドが古い補修記録を引っ張り出して原因の時期を洗っていた。
ここまでは、翔太が知っている“仕事が少し前進したときの空気”そのものだった。
だが、その先は現実の会社とも少し違った。
あるいは、違わないのかもしれなかった。
二日後、翔太はミレイアに呼ばれて神殿上層の会議室へ連れて行かれた。
保守局の地下とは違う、静かで磨かれた廊下。
壁の石も明るく、燭台の装飾も細かい。
空気に漂う香の匂いが強く、足音がやけに響く。
ここでは“仕事”より“威厳”のほうが先に設計されているのだと、翔太にはすぐわかった。
会議室には三人いた。
年配の神官。中年の文官風の男。若い女官。
全員が翔太を見る目を隠さなかった。
好意でも敵意でもなく、評価と警戒の混ざった目だ。
「これが件の異邦人か」
年配の神官が言った。
その声は低いが、柔らかさはなかった。
ミレイアが答える。
「北区外郭の減衰原因を見つけた者です」
「見つけたのは保守局だろう」
文官風の男がすぐに差し挟む。
「異邦人の功として広める必要はない」
翔太は口を開かなかった。
ここで何を言っても、自分の言葉は材料以上の意味を持たない。
それは現実の会議でも似たようなものだった。
発言権は、内容だけでなく立場からも生まれる。
年配の神官は指先で机を軽く叩いた。
「お前は、どうやって原因を見た」
翔太は慎重に答える。
「構造の継ぎ足しが、夜間条件で競合しているように見えました」
「見えた?」
神官の眉がわずかに上がる。
「術官でも即断できぬものを、見慣れぬ者が見たと?」
「見慣れないから見えた可能性もあります」
答えたのはミレイアだった。
淡々としているが、一歩も引かない声だ。
「既存運用に慣れた者ほど、前提を疑いにくい」
文官風の男が薄く笑う。
「便利な擁護だ。ならば今後は誰でも保守局に入れればよいな」
ミレイアの目つきが一段硬くなる。
だがそれ以上言い返す前に、年配の神官が手を上げた。
「成果は認める」
その一言に、室内の空気がわずかに変わる。
だが続く言葉は褒賞ではなかった。
「ゆえにこそ、監視が必要だ」
翔太は相手の目を見返した。
「監視、ですか」
「記録にない経路から現れた転移者が、神殿の深い術式構造へ接近し、短期間で複数の異常に関与している。能力があるなら危険もある」
年配の神官の声は平板だった。
感情ではなく、制度の言葉だ。
そういう言葉は、たいてい最も強い。
文官風の男が書面を差し出す。
「異邦人佐藤翔太を、当面、保守局預かりの監視対象とする。単独行動は禁止。深層術式への接触は許可制。記録への署名義務を負う」
褒められるどころか、縛りが増えた。
そして翔太は、その理屈が理解できてしまった。
理解できることと、納得できることは別だったが。
「危険だというなら、使わなければいいのでは」
思わず出た言葉に、若い女官が初めて反応した。
彼女は翔太をまっすぐ見て言う。
「役に立つものほど管理されます」
その冷たさに、翔太は一瞬だけ言葉を失った。
役に立つ。
またその言葉だ。
しかも今度は、保護ではなく拘束の理由として使われる。
ミレイアが低く言う。
「彼は道具ではありません」
年配の神官が視線だけで制する。
「ならば何だ。客か。神託か。災厄か」
誰もすぐには答えなかった。
その沈黙が、翔太自身の位置の曖昧さをむしろ明確にした。
会議が終わり、廊下へ出たあとも、しばらくミレイアは何も言わなかった。
香の匂いが遠ざかり、地下へ降りる階段の冷気が近づく。
ようやく口を開いたのは、保守局の扉が見えてきたところだった。
「ごめん」
翔太は首を振った。
「謝ることじゃないです」
「ある。成果に対して出るべき反応じゃない」
「でも、わかるから厄介なんです」
ミレイアが足を止める。
「何が」
「向こうの理屈です。俺が何者か、俺自身も説明できない。急に現れて、普通の術官が見落としたところを見つける。だったら怖いと思う」
言いながら、自分でもそれがあまりに冷静な理解だと思った。
本当は腹が立っている。
役に立ったのに、褒められる代わりに縛られることへ。
だが腹を立てながらも、仕組みとしては理解できてしまう。
会社でも似たようなことはある。
便利な人材は、信用されるより先に依存と管理の対象になる。
保守局へ戻ると、グランツが遠くから顔を上げた。
「どうだった」
ミレイアが渋い顔をすると、グランツはすぐ察したらしかった。
「は。成果が出るほど面倒になるってやつか」
エルドは棚の前から振り向きもせず言う。
「上は壊れた後でしか保守を見ぬ。だが、直せる者が増えること自体は恐れる」
それは愚痴ではなく、歴史の記述みたいな口調だった。
たぶん何度も繰り返されてきたことなのだ。
その晩、翔太は保守局の隅に用意された自分用の小机に座り、北区外郭の対応メモを清書していた。
欄外に、監視条件や接触制限の注意事項も追記する。
自分の名前の横に、許可制や監視という文字が並ぶのを見るのは気分のいいものではなかった。
だがペンを置く前に、翔太はふと気づいた。
会議室での言葉のどれも、自分を“追い出す”方向ではなかった。
怖がり、縛り、管理したい。
つまりそれでも使う気がある。
この世界の現場は、自分を必要としている。
その事実に救われるべきか、もっと警戒すべきか、まだわからなかった。
ミレイアが隣に来て、机の端に小さな金属札を置いた。
「暫定通行章。地下と資料室は通れる」
翔太が見上げると、ミレイアは少しだけ疲れた顔で言う。
「褒賞の代わりと思って」
翔太は苦笑した。
「ずいぶん実務的ですね」
「現場の好意なんて、だいたい実務でしか渡せない」
その言い方に、翔太は少し救われた。
木村も、似た種類のことをしていた気がする。
大げさな励ましの代わりに、席を用意し、ログを見せ、少しだけ任せる。
現場の人間の信頼は、たいていその程度の形でしか渡されない。
金属札を握る。
冷たかった。
だが、その冷たさは会議室でもらった書面よりずっと現実的だった。




