第十四話 最初の障害切り分け
翔太が保守局で正式に「手伝い」として扱われるようになったのは、東門系転移施設のメモを書いた翌々日のことだった。
正式、といっても称号や権限が与えられたわけではない。
神殿の上層部は相変わらず、翔太を「記録にない転移者」として保留扱いにしているらしかった。
それでも現場は人手が足りず、現場で人手が足りないとき、身元の曖昧さは往々にして後回しにされる。
それは現実の会社でも変わらなかった。
その朝、ミレイアは保守局の中央机に羊皮紙の束を叩きつけるように置いた。
「外郭北区、結界の減衰が夜だけ早い」
グランツが顔をしかめる。
「また夜だけか」
「また夜だけ」
ミレイアは即答した。
「三晩連続。神殿上は魔物の干渉だって言ってる」
グランツが鼻で笑う。
「困ったら魔物、祟り、神意。便利だな上は」
翔太は資料の一枚を受け取り、目を走らせた。
減衰率、時刻、見回り報告、補助式の再投入履歴。
完全には読みこなせない。
だが、現象の並び方には見覚えがあった。
「夜だけ、ってどのくらい厳密なんですか」
ミレイアが翔太を見る。
「日没後二刻から明け方前まで。昼は正常値に戻る」
「入力条件が時間依存……?」
口にした瞬間、自分でも少し驚いた。
異世界の結界を見ているのに、脳の働き方は完全にシステム障害の切り分けだった。
「現地で見よう」
ミレイアの判断は速かった。
北区の外郭は、王都の中心から歩いて一時間ほど離れた場所にあった。
外壁のさらに外、街の終わりと荒れ地の始まりのあいだ。
結界柱が等間隔に立ち、そのあいだを淡い光膜がつないでいる。
昼間の光の下では、薄いガラスを何枚も重ねたようにしか見えない。
だが近づくと、空気の密度がわずかに違う。皮膚の表面が、かすかな静電気に撫でられる感じがあった。
現地には、結界管理を担当する神官が二人待っていた。
どちらも保守局の人間に対してあからさまに友好的ではない。
特に年嵩の神官は、翔太を見て眉をひそめた。
「なぜ異邦人まで連れてきた」
ミレイアは顔色ひとつ変えない。
「保守要員です」
「いつ神殿が認めた」
「現場が必要と判断しました」
その応酬に、神官の口元がわずかに歪む。
だが反論を重ねるより先に、ミレイアは結界柱の点検へ向かった。
翔太はその後ろをついていきながら、現場での“肩書き”とは別に、“必要かどうか”が優先される瞬間を思い出していた。
木村も似た顔をするときがあった。会議では説明しないが、現場では必要なものを使う顔だ。
北区の結界柱は、石柱の中央に金属帯が巻かれ、その周囲に複雑な刻線が入っていた。
一本目、二本目、三本目。
外見上の大きな損傷はない。
補助式の痕跡はあるが、焼けも歪みも軽微。
神官の報告通りなら、夜間だけ維持率が落ちる理由が見えない。
「魔物の干渉なら痕跡が残るはずです」
若いほうの神官が言う。
「昨夜も外周警戒を増やした。だが異常はなかった」
「補助式の投入位置は」
「規定通り」
ミレイアは頷いたが、納得はしていない顔だった。
翔太は結界柱の根元にしゃがみ込み、刻線の流れを目で追った。
円。枝分かれ。補助線。
ひとつひとつはわからなくても、全体の重心みたいなものは感じられる。
そのとき、ひとつだけ、違和感があった。
「これ、夜の光量で切り替わる設計じゃないですか」
ミレイアが即座に振り向く。
「どこを見て言ってる」
翔太は柱の西面下部を指した。
目立たない場所に、ごく浅く、二重の刻線が入っている。
昼の光ではほとんど見えない。
だが角度を変えると、表層の線と内側の線が微妙にずれているのがわかった。
「ここ、外側の線が受光条件になってる気がします。内側の補助式と噛み合う前提が、昼夜で違う」
神官のひとりが不快そうに言う。
「見ただけでわかるはずがない」
「見ただけじゃないです」
翔太は自分でも驚くほど落ち着いていた。
「構造がそう見える。たぶん昔の設計は、月光か星光か、夜の何かを基準に補正してた。でも補助式を後から足したせいで、基準が二重になってる」
ミレイアは柱へ手を触れ、術具のような薄板を当てた。
数秒。
やがて彼女の目つきが変わる。
「……補助式の投入位置が西面に偏ってる」
グランツも別の柱を確認し、低く唸る。
「全部だ。北区だけ、後年の補修で西面集中になってる」
「誰がこんな継ぎ方を」
若い神官が言う。
年嵩の神官は黙ったまま、明らかに面白くなさそうだった。
自分たちの“魔物干渉説”が崩れつつあるからではない。
異邦人が最初に違和感を見つけたこと自体が面白くないのだ。
翔太はさらに柱間の配置を見た。
昼の太陽位置。夜の影。
結界は“光っているから神秘的”なのではなく、むしろ異様なほど物理条件に縛られていた。
「夜だけ落ちるなら、夜にしか有効にならない補正が壊れてるんだと思います」
ミレイアが短く言う。
「切り分ける。今夜ここで張る」
神官たちは渋い顔をしたが、反論の理屈を失っていた。
その夜、北区外郭で監視を行った。
日が落ちると、結界の光は昼とは違う表情を見せた。
薄い膜だったものが、暗闇の中でわずかに脈動し、柱と柱のあいだを流体のように揺れる。
美しい、と最初は思った。
だが数分も見ていると、美しさより先に“負荷のかかり方”が見えてくる。
「西面から痩せていく」
翔太が言うと、ミレイアがうなずく。
「月光補正の解釈が競合してる」
補助式を一時的に止め、古い受光条件へ寄せる。
ミレイアとグランツが調整し、翔太は変化の出る順序を見ていた。
十分後、減衰率の落ち方が明らかに変わった。
落ちなくなったわけではない。
だが“夜だけ急落する”現象は止まった。
若い神官が息を呑む。
年嵩の神官は何も言わない。
「原因は魔物じゃない」
ミレイアが淡々と言う。
「後補修の競合。仮対応の重なり。夜間条件だけで表面化してた」
その報告を聞いた神官たちの顔には、安堵より先に複雑さがあった。
魔物のせいなら話は簡単だ。
敵が外にいる。祓えばいい。
だが原因が内部の継ぎ足しにあるなら、責任はずっと曖昧で重い。
帰路、夜の外郭を歩きながら、ミレイアがぽつりと言った。
「初仕事にしては上出来」
翔太は返事に迷った。
「たまたまです」
「現場で“たまたま”が拾える人は貴重」
その言い方は木村に少し似ていた。
褒めているのに、甘くない。
偶然拾えた違和感を、次も拾えるようにしろという意味が含まれている。
王都へ戻る門の手前で、翔太は結界の光を振り返った。
直した、という実感はまだ薄い。
補助式を外しただけで、根本の継ぎ足しは残っている。
それでも夜の減衰が止まったことに、小さな手応えはあった。
問題は魔物ではなかった。
世界の敵は外にだけいるわけではない。
そういう当たり前が、異世界でも同じ形で現れるのだと知った最初の夜だった。




