幕間⑬ 破邪顕正の華傑刀(火の巻)
神聖大日本皇國は様々な時空を行き来しながら各々の時空に於ける非独立の地域となった日本を吸収してきたが、その間にも臣民の間では多くの文化的な営みが行われてきた。
その内の一つが、嘗ての武士道精神に思いを馳せる意味で毎年行われている全皇國学生剣術大会である。
共産主義勢力による八月革命で成立したヤシマ人民民主主義共和国時代に目の敵にされ、徹底的に破壊された宗教、貴族文化と比べると、まだ武道武術は容赦され形式が遺された。
その為、皇國成立から早い段階でこの大会は設立された。
故にそこそこの歴史がある大会なのだが、皇紀二六七五年(西暦二〇一五年)、高校生の部で大会始まって以来の女性優勝者が輩出された。
学修院高等部二年、新華族、水徒端早芙子である。
女子としては非常に背が高い181糎の凛とした佇まいは男女問わず皇國中の人気を集め、彼女は齢十七にして一躍時代の寵児となった。
これから数奇な運命を辿る彼女の物語はこの年の秋、一学年上の巨しき先輩に出会ったところから始まる。
⦿⦿⦿
二学期、始業式。
この日、水徒端早芙子は夏に行われた学生剣術大会の優勝を全校生徒の前で称えられる事になっていた。
彼女は横目で並ぶ生徒の方を一瞥した。
中等部の列で妹の早辺子が目を輝かせて自分を見ていることがすぐにわかった。
早辺子の奴はしょうがないな……。――早芙子は妹の視線に苦笑した。
彼女は中学生になってなお姉離れ出来ない妹の将来のことは心配になるが、それでも慕われるのは満更でもない、と思っていた。
だが同時に、盲目的に憧憬を向けてくる彼女の規範となるのは荷が重いとも感じていた。
いつだったか、父賽造の再婚話が持ち上がった時、相手が急死しなければ三つ年上の兄が出来ていたと聞いた。
もしそれが実現されていれば、新華族として旧華族からのやっかみや軽視に晒されながら強く立ち続けなければならない水徒端家の名を背負うものとしての負担も軽減されたのだろうか。
強過ぎるが故に、身を預けられるような相手が居ない。
男と並んでも高い部類に入る上背も良くない。
無駄に整った顔立ちも孤高の人と言う印象を強めてしまっている。
強くなれば、勝ち続ければ褒められると気を良くしていつの間にか降りられない高みまで上り詰めてしまった。
そんな憂鬱に浸っていた早芙子は、後ろから声を掛けられて初めて自らの名が呼ばれていることに気が付いた。
「おい、呼ばれているぞ……。」
「あ……。ど、どうも……。」
早芙子は小声で礼を言うと返事をし、やや急ぎ足で舞台上へ昇った。
表彰状を受け取る間に失態を犯したことに恥じらいを覚えた彼女だったが、それよりも彼女に掛けられた声が遥か頭上から聞こえた事が気がかりだった。
181糎の自分に上から声を掛けられる男。
壇上から降りる際にその正体に気が付いた早芙子は息を呑んだ。
第一皇子・獅乃神叡智。
孰れ世界の頂点に立つ最高貴種にして空前絶後の傑物、絶対強者と名高い巨躯の美丈夫。
私はこの御方の前で粗相をし、御声掛け頂いたにも拘らずそっけない返事しか出来なかったのか……!――早芙子の頭から血の気が引いていく。
しかし、そんな彼女の懸念とは裏腹に獅乃神は屈託の無い笑みを浮かべている。
そして腕を拡げると良く通る声で館内に祝福を響かせた。
「諸君、彼女は皇國の歴史に新たな足跡を残した! 俺にはそれが自分のことのように嬉しい! この偉大なる才媛に惜しみ無き喝采を! そして皆には同じ皇國臣民として彼女の業績を誇り、励みとし、各々の人生に栄光を呼び込むことを願って已まない! どうか彼女と皇國の未来に絶え間なく末永き祝福があらんことを!」
獅乃神の言葉に促され、今一度早芙子に壇上よりもさらに大きな拍手が浴びせられた。
それは、彼女が皇族のお墨付きを貰ったことを意味する。
水徒端家などの新華族は皇室復権の立役者として神皇に新たに取り立てられた家々で、その歴史は百年にも満たない。
故に由緒ある旧華族の中には自分達だけが真の貴族であり新華族など所詮紛い物であると考える者もいる。
この一件で、少なくともそんな旧華族の良家の子息も表立っては彼女に嫌がらせを働くことは出来なくなっただろう。
そしてそれ以上に、この男の業績の前では下級貴族が多少身の丈に合わない成果を上げたとしても全く霞んでしまう。
この日も学校から顕彰される真の主役は彼であった。
また一本、画期的な数学論文が査読を通ったのだ。
更に、皇國の誇る兵器、為動機神体の新型機も彼の考案した大胆な設計変更により飛躍的に性能が向上する見込みだという。
これ程の大人物ならば、流石の私も身を預けられる……。――早芙子は壇上の獅乃神に心を奪われていた。
だが、同時に彼女は弁えている。
自分程度の家柄では、到底彼の傍らに収まることは出来ないだろう。
屹度彼が后に迎えるのは、もっと良家の相応しい令嬢に違いない。
早芙子は獅乃神叡智に対し、確かに淡い憧憬の念を抱いたが、同時にそれは心に秘めて然るべき時が来れば忘れようとも決意した。
彼女の高校生時代にあるのはそんな甘酸っぱい青春の記憶と、そしてもう一つ、とてもとても苦い記憶……。
⦿⦿⦿
水徒端早芙子には幼い頃から親しくしていた親友がいた。
名は鸙屋敷栞。
彼女と同じ新華族、鸙屋敷家の令嬢である。
尤も、鸙屋敷家は血筋が旧華族に近く、新華族の中では別格の良家の一つとされていた。
「早芙子さん、良いなあ……。第一皇子殿下とあんなに近くでお話しできて……。」
「まあ、私のような者には縁の無い世界の御方だよ、彼は……。」
早芙子と栞は隣同士の席で待ち時間に取り留めのない話をしていた。
ほっと一息吐いた早芙子の様子から、親友の何かを悟った栞は揶揄うように目を細め、早芙子を小突く。
「案外そうでもないかもしれませんよー? 風の噂ですけど、皇族方の御結婚相手、どうもご本人達でお決めになる方針みたい。」
「何?」
いつも済ました顔で色恋に関する話題は聞き流す早芙子が珍しく反応したのを見て、栞は確信したようにさらに厭らしくにやついた。
「やっぱり、期待しちゃいますよねー。」
「い、いやそういう訳じゃ……。ただ、意外だと思っただけだ!」
「もう、早芙子さんったら素直じゃありませんねえ。第一皇子殿下は国中の女子の憧れで競争相手は多いのですから!」
彼女らは知らないことだが、皇族が自由恋愛を認められている理由はまさに神皇に子が長らく生まれなかったことが関係している。
余りにも人間離れした超常的な力、神為を身に付けてしまった神皇は存在そのものが人の領域を外れてしまったようで、人との間に子を儲けられなくなっていた。
そこで神皇はどんな不可能な生命の誕生をも可能にする特殊な力、術式神為を持った女性、臥龍飛鳥の卵子提供を受け、人工母体と呼ばれる生体装置を使って強引に六人の子を儲けたのだ。
彼等もまた人の領域を外れているが故、人との間に子は生まれない。
三種の神器を再び手に入れない限りは……。
要するに、折角良家から配偶者を得てもどうせ子を儲けられないので、逆にその家の令嬢を要らぬ不名誉に曝すことになる。
それならば一層好きな相手と結婚させ、子が必要になればまた臥龍や似た術式を持つ者の卵子で無理矢理作れば良いということである。
皇族の人間としての生命の尊厳を侮辱するような話だが、世継ぎを得る為ならば仕方がないという歪な割り切りが皇國にはあった。
とにかく、栞の情報が事実ならば早芙子にとっては諦める理由が一つ消えたことを意味する。
しかし、彼女はそれでも踏ん切りが付かない。
「いやでも、やっぱり私は相応しい相手を御父様が決めてくださるはずだし……。」
「えー、でも賽造おじ様、平民の未亡人と再婚なさるおつもりでしたじゃない? 多分、どうしてもお相手が居ない時はお見合い相手を探してくれますけど、基本的には自由恋愛に理解がある方だと思いますよ?」
栞はまたしても早芙子から退路を奪う。
「栞は何故そこまで私と殿下を結びたがるんだ……。」
「それは、好きな人と一緒になれる余地があるならそれに賭けてみるべきだと思うもの……。」
ああ、と早芙子は栞の態度に納得が行った。
鸙屋敷栞には親が決めた婚約者がいる。
つい最近、良縁が決まったそうだ。
「栞、誰にも言わないから正直に言って欲しい。相手はどうなんだ?」
「ん? いやですわ、別に嫌いとかではありませんよ。屹度素敵な方。」
「そうか……。」
早芙子は親友が何処かほんの少し遠い存在になってしまったような、そんな気がした。
貴族としての大人の階段を昇った、と言うべきか。
そういえば誰かの伴侶になる事を明確に想像したことがあっただろうか。
ふと早芙子は、獅乃神叡智のことを想う。
もし仮に栞の言う通り、獅乃神の傍らを得られたとして、そこに収まることなどできるだろうか。
自分が将来、皇國の皇后として全臣民の範となることなどできるだろうか。
ああ、とても無理だな。
屹度、重荷に耐えられない。――早芙子は気が遠くなった。
確かに、獅乃神叡智ならば強過ぎる自分のことも何ら問題なく抱擁してくれるだろう。
この世の誰よりも安心して身を預けることが出来るだろう。
だが、その代償として背負うことになる重責は、屹度その恩恵を軽く吹き飛ばしてしまう。
度が過ぎた高貴な身分に嫁ぐこともおそらく楽ではない。
そう思うと、早芙子は親友がいつもより大きく輝いて見えるようだった。
栞は既にそれを呑み込み、高みへと飛躍しようとしているのだ。
「好い人、なのか?」
「ふふーん……。」
栞はにやりと、得意気な笑みを浮かべた。
「六摂家当主、鷹番夜朗様。」
「え⁉」
これには流石の早芙子も魂消た。
皇國最高峰の名門の、それも当主に嫁ぐとは如何に彼女の鸙屋敷家が新華族では破格の名家でも考えられないことだ。
「鷹番様……! どういうことだ? てっきり旧華族から嫁を貰うものだとばかり……!」
「ま、超上流階級の皆様の事はわからないことも多いですからねー。因みにもうすぐ籍を入れまーす。」
「凄いな、栞。おめでとう!」
早芙子は手放しに親友の結婚を祝福した。
しかし二人は知らなかった。
鷹番夜朗が新華族から妻を娶るのは、彼に旧華族からは誰も令嬢を嫁に出さなくなったからだということを。
彼は余りにも性にだらしが無く、毎日毎晩相手を取替引替しては男女問わずに食い散らかしているのだ。
一年後、栞は夫の浮気三昧に嫌気が差して彼に抗議した。
そしてその僅か三日後に不自然な自殺によってその短い生涯を終わらせてしまう。
以後、鷹番は新華族からも縁を敬遠されるようになり、長続きしない妻を平民から手当たり次第に弄ることになる。
⦿⦿⦿
水徒端早芙子の進学は、親友の喪失という深い傷、闇を払拭できないまま迎えられた。
貴族社会について考えるのが億劫になっていた早芙子は学修院を離れ、一般の私立大学に入学した。
後から考えるとこれが良くなかったのかもしれない。
早芙子はここで、一人の先輩男子学生と親しくなった。
もう何年も在学しているという彼の名は、黄柳野文也。
小柄で細身でやや幼い顔立ちをした、しかしながら強い意志を秘めた眼をした聡明な美青年だった。
そんな文也は早芙子にとって、獅乃神の様な頼り甲斐こそ無いが彼とは違った安心感のある男だった。
文也になら、早芙子が抱いている悩みを、心の闇を打ち明ける事が出来た。
ある日、文也は早芙子にこう告げた。
「君に会わせたい人が居るんだ。」
突然の申し出に、早芙子は首を傾げた。
この頃、既に早芙子と文也はそれなりに深い仲となっており、出掛けることも多くなっていた。
彼がこう言い出したのはまさにそんな道中でのことだった。
「彼と出会い、僕は自分のすべきことが見つかった。屹度君の悩みの答えも見つかると思うんだ。」
高校最後の年、親友の死以来、早芙子の心には黒い靄のようなものがかかっていた。
文也との日々の中で忘れようとはしていたが、やはり時折そこへ意識が向いてしまう。
彼も見抜いていたのだろう。
そして彼がそんな自分に向き合い、助けになろうとしているという事実が早芙子には嬉しかった。
清い付き合いではあっても既に心を許していた彼女にとって、断る理由は無かった。
「ありがとう。文也がそこまで言うなら是非私も会ってみたい。」
「本当かい? じゃあ善は急げだ。待っていてくれ、連絡してみる。」
文也は何処かに電話を掛け始めた。
この時、早芙子は得体の知れない胸騒ぎを感じていた。
しかし、彼女は文也の事を疑っていなかったので、この後すぐに当該の人物と会うことになっても特に何も言わずにそれを受け容れた。
喫茶店で先に席に着いて待っていると、文也の案内で一人の長身の中年男性がやってきた。
「初めまして、安珍清と申します。以後お見知り置きを……。」
「初めまして、水徒端早芙子です。」
男は髭を蓄えた顔に愛想の良い笑顔を湛えて自己紹介した。
早芙子は男の顔に見覚えがあったが、はっきりとは思い出せずにいた。
男は早芙子の向かいに腰かけ、暑そうに扇子を仰いでいる。
「いや、暑いですな。こんな中かの水徒端家の御令嬢に突然御足労頂き誠に恐縮で御座います。」
「いえ、お構いなく。」
早芙子は男に胡散臭さを感じていた。
今思えばそれは彼女の無意識が発していた最終警告だったのかもしれない。
男は構わず早芙子に語り始めた。
「さて、我輩は心理相談援助の仕事をしておりまして、お嬢さんの様な御若い方や人生に迷いを感じている御年配の方々まで様々なお悩みをお聞きし、時に何か助言をしたり、時に苦悩を和らげたり、時に共に解決の道を探ったりしている者でして、以前そちらの黄柳野君のお話を窺ったところ大変ご好評を頂き、是非お嬢さんにも何か力になって貰えないかと追加依頼を頂いた次第で御座います。」
男はあからさまな作り笑いを浮かべた。
早芙子にとってそれは最早胡散臭いどころではなく不気味にすら感じられた。
しかし、その動揺を突くように男は早芙子に言い放った。
「さて、水徒端のお嬢さん、貴女は御家の、貴族制度の事で何かお悩みですかな?」
いきなり確信を突いた男の言葉に早芙子は驚いた。
「なっ、どうして……⁉」
「おやおや当たりですか。ま、貴族の御令嬢が態々一般の学校に通われる理由などわかりやすいものです。つまりそれだけ普遍的であり、そして根が深い。その分、一人で答えを出すのは難しく、されど社会には経験が蓄積されている。さ、宜しければ話してごらんなさい。屹度御力になれるでしょう。」
男の目には異様な迫力があった。
この男に対して白を切るのは無理だと早芙子は悟った。
そして、彼女は話してしまったのだ。
「ふむ、旧華族との御婚姻で御友人が……。それはお辛いですな。お悔やみ申し上げます。」
男は話の間に注文したコーヒーに口を付けた。
そして、再びその双眸が鋭く光る。
「しかし、薄々感じておいででしょうがそう言った薄汚さは何も旧華族に限ったことでは御座いませんぞ。」
「そうですか……。でしょうね……。」
早芙子は溜息を吐いた。
しかし、そんな彼女に対して男は一気に畳みかけてきた。
「お嬢さん、知った風な口をきいている場合じゃありませんな。我輩は似たような事例を新華族から受けた平民を知っているのです。しかもその女性は配偶者である新華族、支度無寿梨男から浮気ではなく暴行を受けており、より性質が悪い! そして、貴女も決して無関係ではないのですよ!」
「なっ……⁉」
男の狂気に満ちた眼に見入られ、早芙子は立ち眩みを覚えるほど狼狽していた。
思わず彼女は隣の文也を横目に見て無言の内に助けを求めた。
しかし、文也は彼女の期待に応えない。
「早芙子さん、悪いが耐えてくれ。これは君の為なんだ。どうか、生まれ変わりの痛みを受け切り新しい自分へと飛翔してくれ。」
「ふ、文也っ……!」
彼女に逃げ道は無い。
「支度無寿梨男はね、お嬢さん、最初貴女とお見合いする手筈だったのだよ! だが、悪評を知った父、水徒端賽造が断ったのだ! そしてお鉢が平民に回った! わかるかね? 君が難を逃れる為、一人のか弱き乙女が犠牲になったのだよ!」
「そ、そんな……!」
嘘だ、と早芙子は否定したかったし、実際、しかかった。
だがそんなことは男もお見通しだった。
「ふふふ、丁度来たようだ。紹介しよう。件の犠牲者の姉、沙華珠枝君だ!」
いつの間にか、机の脇に若い女が立っていた。
彼女は恨めしそうに早芙子を凝視していた。
「さあ、今から君に流れる血の罪深さをたっぷりと教えてあげようじゃないかね! 安心し給え、この喫茶店は我々の巣だ! 何があっても絶対に外には漏れんし、逃げることは出来ん! 君が生きて帰るには、狼へと覚醒するしかないのだよ!」
「狼……⁉」
早芙子の顔が見る見る青褪めていく。
彼女は漸く全てを悟った。
しかし、何もかも手遅れである。
こうして水徒端早芙子は安珍清という偽名を名乗った道成寺太により自己批判を迫られ、革命戦士へと目覚めることになる。
神皇への忠誠を誉れとする新華族の令嬢が叛逆者に堕ちたという悲報は皇國上流階級に衝撃を与え、以後武装戦隊・狼ノ牙など叛逆組織の勧誘は極めて厳しく締め付けを食らうことになる。
それによって皇國内に増員の当てを失くした狼ノ牙は別時空の日本にその相手を求め、軈て八卦衆による拉致へと奔るのだ。




