第八十二話 穢詛禁呪
前回
魅継家令嬢、東風美との再度のトラブルと和解によって、岬守航と麗真魅琴は彼らと皇國の因縁の元凶の一人、閏間三入が今も生きていること、それと神瀛帯熾天王を名乗る彼の同志三人の存在を明かされた。
そして東風美の復活により屋渡倫駆郎と沙華珠枝の遺体の足跡から武装戦隊・狼ノ牙のアジトを割り出そうとした特殊防衛課だったが、目星をつけたアパートには狼ノ牙の参謀、朽縄将兵の死体が転がっているばかりだった。
朽縄将兵――朽縄穂純は長年道成寺太――道成寺八郎の参謀役、右腕として常に彼を陰から支えてきた。
その切欠は彼らが大学生だった時代まで遡る。
時は西暦一九〇八年、大学に入ったばかりだった朽縄穂純は学食で同じく新入生の道成寺八郎と出会った。
当時の道成寺は長身に洗練された顔立ちといった容貌の良さに加え同年代の誰よりも世の趨勢を見通し、ある種のカリスマ的存在として早くも学内で有名な存在だった。
一方で道成寺は朽縄の才知を大いに買っており、そして二人は共通の理想を抱く同志として意気投合することになった。
それまでのように資本家が富を独占するのではなく、労働者達の合意に基づき必要に応じて分け与えられる経済体制。
それまでのように特権階級が政治を独占するのではなく、貧富に寄らず万民によって国を動かす政治体制。
それまでのように誰もが好き勝手に資源を漁り開発するのではなく、国家によって統制された計画に基づき国を発展させる開発体制。
彼らはそんな理想の下で多くの同志を集め、彼の時空に於けるコミンテルンの指導の下政党を結成。
そして戦争の混乱に乗じて理想を実現すべく、それまでの帝によって治められる日本にとって代わるヤシマ人民民主主義共和国を建国するにまで至った。
あの頃が彼らの絶頂期であった。
彼らはロシア、アメリカという二つの巨大国家に戦争を仕掛けるという愚、否、戦争そのものを二度と繰り返さぬよう、国民意識の改革と国家規模の縮小を試みた。
大和民族が身の丈を自覚し素朴な富で足るを知れば自ずと国民の幸福と国家の安穏に繋がり、引いては世界も二度とこの民族の狂気に曝される事無く平和な時代が訪れると本気で信じた。
だが、理想の国家運営、政治を極めようとした彼らに待っていたのは何処までも残酷で容赦の無い現実だった。
その曇り無き眼に映った未来は箱庭の中の楽園。
だが偽り無き倭を襲った時代は牢獄の中の奈落。
彼らの統治はまず結果に、それから権威に、民衆に、武力に、趨勢に、挙句は歴史に学問に否定された。
当時を生きた人民はあの時代を地獄だったと云う。
当時を教わった臣民はあの時代を過ちだったと言う。
そして客観的な視点から当時を学んだ化外の民もまた、あの時代は失敗だったと評する。
そうして全てを失い、二人と共に戦おうという兵力も僅かばかりとなってしまった道成寺八郎と朽縄穂純の前に現れたのが、十代の少年の様な出で立ちでありながら何百年も生きたような風格を持つ男、八社女征一千だった。
「道成寺八郎、君は生まれついて特別な力を持っているらしいじゃないか。天神の血筋の奇跡と謳われたあの鳳乃神大智よりも先に……。」
北の大地に追い詰められ、急ごしらえで作った隠れ家で閉じこもっていた道成寺は八社女の話に聴き入っていた。
「君は自分の能力をまだ使い熟せていないのさ。君には途轍もない可能性がある。僕は君が不世出の指導者の器であると信じて疑わない。勿論、朽縄穂純、その道成寺くんの眼鏡にかなった君もまた歴史に名を残すべき傑物だ。何より、その胸に抱いた誰もを救う高邁な理想が素晴らしい。それをこんな境遇に置くとは……つくづく救い難い民族だと思わないか……?」
八社女の言葉には不思議な魅力があった。
心が求めている最も美しい和音を奏でる琴線を的確に触れるような、そんな気がした。
朽縄も心を動かされていたが、道成寺は目に涙を浮かべてすらいた。
「だが、我々は敗けてしまった……。もうここから盛り返すことは……。」
「諦めるのはまだ早い。」
八社女は弱気になっていた二人に優しく微笑みかけた。
「言っただろう。君には、いや君達には凄まじい可能性があると。僕がその扉を開いてあげよう。そして三人で再びこの国を盗り、愚かなる民族を浄化するのだ。」
――穢詛禁呪・言瘤忌名――
道成寺と朽縄の身体が紫色の毒々しい闇に包まれた。
すると不思議なことに、二人は新たな力が体の奥底から溢れて来るのを感じた。
「これからは自らの能力に名前を付けるといい。僕と並々ならぬ因縁を持った或る女も、名前には霊力があると考え時として権力を振りかざして他者のそれを意のままに改名したものだ。たった今君達に与えた力の名は僕から与えよう。」
「いや……。」
道成寺は歪んだ笑みを浮かべ、掌を突き出して八社女の言葉を止めた。
「それならばお誂え向きの名がある。今、我輩は君に引き出された力の全貌を理解した。これは神の計らいに等しい力だ。どのように運命が流れても、何代でも時を重ねて国を治める地位に返り咲く力だ。ならば我輩はこう名付けよう。丁度この地に嘗て生きた、そして野蛮なる民族に滅ぼされた民の無念を我輩が継ぐ意味も込めて……! 我が新たなる力を、『神威』と‼」
道成寺の言葉を聞き、今度は八社女が口元を歪めて笑った。
「素晴らしい。君達はヤシマ臨時政府としては瀬戸際まで追い詰められてしまったが、ある意味では始まりの日を迎えたとも言える。ならば僕たち三人から始めようではないか。道成寺、今までヤシマの国家元首として民を導いてきた君が引き続き首領の座に就き給え。朽縄君は同じく引き続き参謀役を。そして僕は君達の夢の続きを首領補佐として助けようではないか。」
道成寺は歓喜に震えており、朽縄もまた概ね同じ心境だった。
だが、朽縄は少し恐ろしくもあった。
そんな同志の僅かな不安も露知らず、道成寺は高らかに宣言する。
「只今より、我々は狼の牙となる‼ 天神の子孫を名乗る旧い権威に何時までも尻尾を振り続け、疑いもせずに強きを助けて肥え太らせ、弱きを挫き隅へ追いやる狗の民族に滅ぼされた狼達の恨みの牙だ! そう、最早ヤシマ人民民主主義共和国臨時政府ではない! 我々は『武装戦隊・狼ノ牙』‼」
その後、彼らは徐々に勢力を拡大し、武装戦隊・狼ノ牙は皇國最大の反政府組織となる。
道成寺と朽縄は術式神為・神威によって孫の太と将兵として転生を果たし、その地位を引き継いだ。
そして今に至るまで朽縄は道成寺が日本人絶滅の恐ろしい思想にのめり込んでいく様を横目に見ながら、それでも彼を支え続けた。
⦿⦿⦿
九月十一日、アパートの一室で二人の男が遅い報せに苛立っていた。
その脇では一人の青年が感情の無い人形のような表情で立っている。
「屋渡君はともかくとして、同志沙華はまだかね? 双子の居場所の情報は例の筋から確かに入ったのだろう?」
「確かに……。あまりにも遅いですね、首領。それに、陽子嬢も……。」
「陽子は心配いらんよ。陰斗を此方が握っている限り、我々から離れることは無い。」
道成寺太と朽縄将兵は二人の女の帰りを待っているようだ。
「首領、一つ御提案があるのですが……。」
朽縄は一息入れてから何かを決意したように話題を変える。
「ヤシマ人民民主主義共和国の再建は皇國では無く此方側、明治日本で行うというのは如何でしょう?」
「ほう……。」
道成寺は顎髭を触り、考え込んでいる。
朽縄は構わず続ける。
「第一次八月革命の成功も、先の第二次八月革命が後一歩の所まで行ったのも、戦争によって国の政情が混乱していてそれに乗じたことが大きいと考えます。皇國は今、次期神皇の下で安定を取り戻しつつあります。」
「対して明治日本は長年与党に君臨してきた保守政党が下野しながらも政権に居座り時間稼ぎを続けている不安定な状態。おまけに国力そのものも皇國の十分の一以下と……。こちらの方が遥かに勢力の立て直しと革命に都合の良い条件が揃っているということかね?」
「はい。政権交代は遅くとも月末には行わなければならないようですが、久々の政権交代ゆえにそれ以降もおそらく混乱は続くでしょう。勿論、行く行くは皇國も視野に入れるとして、一先ず明治日本から革命を成就させて足場を固めるのが宜しいかと……。」
朽縄はまるで顔色を窺うように道成寺の伏目を見上げた。
彼の提案は現実を見据えているようにも思えるが、それでも受け入れられるかまるで不安がっているようだ。
対して、道成寺は答える。
「だが、君の提案には問題がある。」
「一体何が……?」
「明治日本で革命を成就させたとして、まずは国をそれなりに維持しなければならないことだ。でなければ、皇國に革命を飛び火させることは出来ん。」
「そんなことは当然ではないですか、首領!」
隣の部屋に聞こえることも憚らず、朽縄は声を大きくした。
「革命して建国した国家を維持する、当然ではないですか! そうして民の幸福な暮らし振りを見せ、皇國内にも再び我々のシンパを育てていくのです! 我々の理想は、方向性として決して間違ってなどいないのだから! 資本主義、保守主義、身内主義が政治の腐敗を齎しているのは明治日本とて同じ! なればこそ、我々の理想により民にとって真に幸福な国を…」
「民とは、この狗の民族の事かね、同志朽縄⁉」
今度は道成寺が声を荒げた。
どうやら双方の考えには食い違いがあるようだ。
「同志朽縄、抑も何故我々が先に皇國から革命しようとしたのか。水は低きから高きには流れぬ。狗の民族の国が二つあるならば、圧倒的に強大な皇國臣民から先に絶滅の淀に沈めてから明治の民に濁流を流さねばならぬ。逆は有り得ぬのだ。」
道成寺の答えを聞いた朽縄の眉間に深い深いしわが刻まれた。
血走った目はやや潤んですらいた。
彼は最早眼を逸らすことが出来なくなってしまったのだろう。
「もう一度っ……。もう一度理想を目指すことは出来ないのですかっ……? 確かに皇國では駄目だった……! でもこっちでは、明治日本では違うかもしれないじゃないですか! そうですよ首領、いや同志道成寺! もう一度、今度はこっちの日本でやってみましょうよ‼ 理想国家の建設を! 前回の経験もあるんです! しくじったところを改善すれば、今度は屹度上手く行きますよ‼」
縋るようにすら見える眼差しを朽縄に向けられた道成寺が返したのは驚愕と困惑と、そして怒りが入り混じった顰め面だった。
二人はそうやってしばらく無言で、半ば睨み合っていた。
この沈黙はただ只管に、二人の夢が完全なる終焉に向かっていることを暗に示していた。
いや、既にはるか以前から擦れ違っており、その時点で終わっていたのかもしれない。
そんな二人をもう一人の男、道成寺太の息子陰斗は奇妙な程無表情で、無関心に、唯々視界に入れるように見ていた。
いや、彼の焦点は二人よりももっと奥、アパートの部屋でいうと入り口付近に合わさっていた。
首領Дと朽縄は陰斗の視点の異様さが目に入っておらず、声がして初めてその男がこの部屋にいた事に気が付いた。
「まあまあ、二人とも落ち着きなよ……。」
睨み合っていた二人の男は突如入口の方から聞こえた八社女の声に驚いて振り向いた。
この男はいつでも突然現れる。
「や、八社女首領補佐……。」
朽縄は思い詰めたように男の名を口にした。
思えば、今かつての同志を狂わせている思想はこの男の影響を受けている気がしてならない。
そして、何よりも気に入らないことがあった。
「八社女首領補佐、今まで何処で何を……?」
そう、この男は革命の機が訪れると告げ、その裏で何やら準備をしていたようだが、肝腎要の時には一切顔を出さず、敗走した後の今頃になって何食わぬ顔で現れたのだ。
一体何のつもりなのか。――朽縄は声には出さずともそう目で訴えていた。
「言っただろ? 僕は僕で色々動いているのさ。」
そんな彼の不満を一顧だにせず、八社女はおどけた調子で答えにならない答えを返した。
朽縄は苦虫を噛み締めるように奥歯に力を込める。
そして八社女のこの態度に不満を募らせていたのは首領Дも同じであった。
「ならば、今回もあの時の様に『動いた結果』があるということかね? それで滅多に姿を見せない君が態々我々の隠れ家を調べてまでやってきてくれたのかね?」
首領Дの口調は先程朽縄と言い争っていた時とはまた違った冷ややかな非難の色を帯びていた。
二人の視線が少年の様な八社女に突き刺さる。
唯一首領Дこと道成寺太の息子である陰斗だけが相変わらず無感情な目で八社女を見詰めていた。
そんな中で八社女は、にやりと厭らしく口角を上げた。
「ううん、今回は違うかな。最早後が無くなったから、起死回生の一手を今すぐ与える為に来たと言うべきだろうね。」
「後が無い? 起死回生?」
朽縄は首を捻る。
いや、後が無いという意味は分かる。
現状、彼らはかなり追い詰められてはいる。
だが、それ以上に起死回生という言葉が気になった。
思い出されるのは彼らが初めて出会ったあの時だ。
八社女も同じことを思ったのか、朽縄に構わず話を続ける。
「あの時もそうだったね。君達はかなり滅びの瀬戸際まで来ていた。今回はもっと拙い状況かも知れない。何せ我々結成時の三人を除く残存戦力が正式な構成員ではない陽子陰斗姉弟しかいないのだからね。」
「何⁉」
今度は首領Дが口を挟んだ。
彼らはまだ把握していなかった。
「八社女首領補佐、君は屋渡君と沙華君は落ちたと言っているのかね?」
「おやおや知らなかったのか。二人は死んだよ。例の双子は回収に失敗し、敵の手元でより厳重に守られることになってしまった。」
「何ということだ‼」
朽縄が珍しく感情的になり足を踏み鳴らした。
客観的に見て、元々極めて薄いとはいえ最後の望みが潰えたのだから無理もない。
首領Дも頭を抱えている。
だが、八社女は相変わらず不敵に不気味に笑っていた。
「だから、僕が来たのさ。そう、この状況はあの時と同じなんだ。あの時と同じように、君達に力を与えにやって来たという訳さ。」
二人の壮年男は八社女の言葉に目の色を変えた。
八社女に対する不信感はさておき、現状が崖っぷちなことに間違いは無いのだ。
そして、二人にはかつて八社女に力を与えられたという記憶もある。
八社女はそんな二人に向けて手を翳し、語り始めた。
「神為。君達がいつも悩み、欲する力とは正に神為だ。では神為とは何か。それは人も動物も草花も、生き物ですら無い岩や鋼も、森羅万象全てに内在する神を起源とする力なのだ。」
アパートの一室が暗黒に包まれ、その場にいる八社女、首領Д、朽縄、それから陰斗だけが認識できる状態になった。
八社女の話は続く。
「神話によると天地開闢、万物の生まれし時顕れたのは造化の神々、即ち天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三柱。稀に此処に津速産巣日神が加わる伝承もあり、また書によって表記も異なるが、ともかく造化の神々から三千世界の全ては創められたとされる。中でも天御中主神は最初の神とされるが、一方で無為の神ともされ、天地開闢に於いて何をしたのか明確になっていない。」
首領Дと朽縄は圧倒されていた。
それだけの迫力を放っているのは八社女自身なのか、それとも話の内容なのか。
「だが、実はこの神は特別なのだ。特別過ぎて、何を為したのか人間はおろか他の神々ですら理解できないのだ。何故ならば天御中主神こそは原初にして根源の神、神の神。真に真なる天地神明、森羅万象、三千世界の創造者なのだ。余談だが西洋の異教にて異端とされたグノーシス主義にはこの神の本質を最もよく表した存在が謳われ、『プロパトール=エンノイア』と呼ばれていたりする。」
「おいおい、君は一体何の話をしているのだね?」
首領Дはかろうじて八社女に口を挟んだ。
八社女がそんな彼に鋭い視線を返すと、道成寺の長身は弾き飛ばされたように尻餅を突いた。
「ふふふ、前置きが長くなって申し訳ないね。ま、要するに万物は全て一つの起源に通じるということだよ。神為とは、突き詰めて言えば万物が持つその繋がりの力なのだ。我々は元々神によって生み出された。なればこそ、我々の中には神に繋がる何かがあるのだ。故に、超常の力を使うことが出来る。或いは超能力……、或いは魔法……、或いは仙術……、神通力という呼び方はとても本質的かも知れない……。そういったものを総称して、神為。即ち神の為し事、或いは神に為る事。」
ゆっくりと、八社女は首領Д、道成寺太に近づき、その頭上に手を翳した。
「だが、一方で我々は神ではない。それも確かな事実だ。つまり、本来神から生まれた我々はその繋がりの外側からも何らかの干渉を受けているということ。それに身を委ね、神に対する叛逆者となることによってのみ得られる力……。数ある超常の中でもこれだけは神為ではない。我々が『穢詛禁呪』と呼ぶこの力を、望むなら君達に授けようじゃないか……。」
首領Дは八社女の手を瞠目して仰いでいる。
彼らには選択肢は無い。
縋れる力には縋る他無いのだ。
だが、同時に恐れもある。
未知の力であるだけでなく、この提案は取り返しが付かないという奇妙な確信があった。
八社女はそんな彼らの不安を見透かすように、優しい声で語りかける。
「怖がらなくてもいい。何も恐れることは無いんだよ。何を隠そう、今は亡き神皇の皇子皇女は全てこの穢詛禁呪によって生み出された物なのだから。」
「何だと⁉」
首領Дと朽縄は驚愕した。
確か神皇の皇子皇女はどんな存在も生まれさせることが出来る術式神為によって生まれた筈ではなかったか。
皇國ではそう伝えられているし、彼らもそう聞いていた。
「神皇に卵子を提供した女、臥龍飛鳥は知らなかったのさ。自らの能力が穢詛禁呪と呼ばれる邪法であるとはね。本来、神皇はどうやっても子を作れなかったのだ。それが大き過ぎる神為を持ってしまった彼に同時に架された摂理だった。人と猿の子が生まれないように、神同然となってしまった神皇もまた人と子を作れない。ま、神代の頃はそうでもなかったようで、その時代と現代を結ぶ天孫による統治の象徴たる天日嗣があれば話は別だがね。」
八社女の声のトーンが大きくなる。
「だが、穢詛禁呪にはそれが出来た! 何故なら穢詛禁呪は神によって造られた世界の、節理の、神との繋がりの外側の力だからだ! つまり、神為から外れた力だ! 神皇は図らずもそれに手を出してしまっていた! ならば君達もやってはならぬわけがない! 穢詛禁呪の力を得てこそ、君達は神皇と五分! 穢詛禁呪なら、神皇が遺した皇國にも勝てる‼」
首領Дの八社女の掌を仰ぎ見る目は明らかに変わっていた。
それはまるで餌を目の前にぶら下げられたかのように物欲しげなものだった。
「冀うならば君達に授けよう。僕の穢詛禁呪で嘗て君達に『神威』なる術式神為を理外の力によって与えたように、今度は理外の力そのものである穢詛禁呪自体を。必要なものは、神の創造物たる世界への強い強い憎悪だ。怨嗟だ。さあ、憎め世界を! 呪え大地を! 怨め人々を! 殺せ神々を! そして僕から差し伸べられた手を取るがいい‼」
首領Дは迷わず八社女の手を取った。
「首領⁉」
「考えるまでも無いだろう同志朽縄。さあ、君も……!」
首領に促され、朽縄は迷いながら首領に手を重ねた。
すると八社女から紫色の闇が放たれ、二人を包み込んだ。
「さあ、今この時より、君達も神への叛逆者となる! ようこそ、穢れと呪詛に満ちた魔の世界へ‼」
闇が晴れ、部屋が元通りのアパートの景色へと戻っていく。
どうやら力は受け渡されたようだ。
しかしその時、突然朽縄将兵だけが血を吐いて倒れた。
驚く首領Дを余所に、八社女は溜息を吐いた。
「あーあ、やはり君は駄目だったか。君はこの期に及んで人を救おうなどと思い上がっていたんだ。」
「ぐはッ! ぐはぁッ‼」
「全く笑わせる。君達がいったいどれだけ人を殺したと思っているんだ。君達がしたことは国を地獄に落とし、そして奪い返されてなお殺戮を繰り返しただけじゃないか。道成寺君はその点素晴らしい。ちゃんと、狗の民族たる日本人の絶滅を目指すと言って筋が通っているのだからね。」
朽縄は体の穴という穴から血を噴き出して悶える。
そしてその苦しみの中で、一つの結論を突き付けられてしまった。
彼は道成寺を見上げ、血に塗れてしまった魂を絞り出すように問い掛ける。
「どうっ……! 道成寺君‼ 君は本当にもう理想は要らないのか⁉ 日本人への、狗の民族への憎しみだけになってしまったのかッ⁉ もう二度とあの日々に‼ 理想の社会を語り合った学生の頃には戻れないのか⁉ 私はずっと信じて……! 今は憎しみに囚われていても、革命を為し再び国を手に入れさえすれば君は本分を取り戻してくれるとずっと……! 私が感銘を受け、憧れた君はもういないのかッッ‼」
最期の声を振り絞り、その悲痛な胸の内を吐露する朽縄だが、道成寺はそんな彼に最早眼もくれていなかった。
「ふっ……ふはははは‼ 素晴らしい‼ 素晴らしいぞこの力は‼ これが穢詛禁呪、神の理の外側の力という奴なのか‼ これならば勝てる‼ 今度こそ皇國を落とし、日本人をこの地球から消し去ってやれるぞォッ‼」
自らの新しい力に酔い痴れる道成寺太を挟み、二人の男が事切れた朽縄に代わり彼を見ていた。
息子の陰斗は相変わらず無表情で父の姿に何を思っているか掴めない。
また八社女も捉えどころのない含み笑いを浮かべていた。
今、嘗て一国を統治したヤシマ臨時政府だった組織は完全に闇に堕ちた。
その猛威はまずこの日本国で振るわれることになるだろう。
そしてその傍らには打ち捨てられたように嘗ての理想の残骸である朽縄の死体が血の気を失っていた。
次回更新は、10月17日㈰




