第十八話 粗大塵
前回
武装戦隊・狼ノ牙、梶ヶ谷群護と土生十司暁によって久住双葉を彼らのアジト、雲野研究所に攫われた岬守航と虻球磨新兒はいつ逃げ出すかわからない折野菱を虎駕憲進と三日月由奈に任せ、二人で研究所に乗り込んだ。
そこで航は双葉を攫ったものと同じ小型の為動機神体と、新兒は梶ヶ谷その人と戦闘になる。
一方、残された虎駕、三日月、折野の許へは土生が現れていた。
梶ヶ谷群護の術式神為はある一定以上の熱を持った生命体に触れられると自動的に発動し、相手の体をズタズタに切り裂いてしまう。
ここで『触れられる。』の範囲には、互いの体に加えて身に着けている衣服なども含む。
虻球磨新兒はこれに苦しめられていた。
既に利き腕の右がボロボロの血塗れになっている。
「うらァッ!」
残った左のストレートパンチが梶ヶ谷を捉えた。
梶ヶ谷の体は堪らず後ろに吹っ飛ぶが、ダメージで言えば新兒の方が深刻なものとなる。
『熱源を感知しました。』
新兒の左手は既に梶ヶ谷から離れていたが、それでも大量の傷が刻まれ出血した。
「チッ、一瞬でも触れたら後から来るのかよ……。」
「残念だったねぇ。」
梶ヶ谷はケロリとした表情で起き上がる。
見たところダメージはほとんど感じられない。
「君、術式神為は使えないようだね。知っているかい? 守護神為は耐久力と回復力を爆発的に高めるが、発氣神為と術式神為はそれを打ち破れる。そして、術式神為に至っては回復まで阻害するんだよ。」
梶ヶ谷の選んだ攻撃は、腕で頭を守って背中を丸めながらの体当たりである。
とにかく相手に接触するということだけに特化した、技術の何もない発想。
だが、彼にとってはそれが最適であった。
『熱源を感知しました。』
「ぐがあぁっ‼」
突撃を咄嗟に防御して胴部に食らうことは避け、更に衝突の瞬間に後ろへ飛んで密着を避けたのは一応功を奏した。
だが、それでも新兒は両腕と背中から激しく出血した。
「流石に勘が良いね。あのまま抱き着けていたら君は詰みだったのに……。」
「陰キャで発想が只管卑怯で気味悪い上に犯罪者とか、マジで終わってるぜお前……。」
揶揄しながらもどうにか起き上がった新兒だったが、状況は最悪だった。
「攻撃しても防御してもこっちがダメージ食らうんだもんなあ……。」
血を流しすぎて青ざめた新兒の額に冷や汗が滲む。
傷は中々癒えないが、これでも守護神為によってよく耐え、回復している方なのである。
ただ、それを超えて梶ヶ谷の術式によって与えられるダメージが深刻なのだ。
椿陽子の術式によって受けた折野菱の傷が癒えず、男達で彼の容態を看る必要に迫られた理由と同じである。
「一方、君は術式が使えないから僕にいくらダメージを与えてもすぐ回復してしまう。これはハッキリ言って勝負見えたよねぇ?」
「お前、喧嘩でこんな勝ち方して嬉しいのかよ? 気持ちよくねえ奴だなあ……。」
「黙れ。要するにこれは神為による戦いの熟練度の差さ。僕の方がより戦いが上手いから勝つ。喧嘩なんてそんなものだろう?」
それは確かに、と新兒は納得する他無かった。
単純に腕っぷしの強い者が必ず喧嘩に勝てるわけではないということは、経験上新兒の良く知っていることだった。
鈍器や刃物を持った者を相手にしたことだってある。
ただ、そんな相手よりも自分の方がずっと強かったから問題にならなかっただけだ。
彼はずっと危険な日々を送っていた。
妹、虻球磨千草に止められなければそんな日々の中で致命的な厄災に遭遇して命を落とすか、犯罪者として取り返しのつかないことをやらかしていただろう。
「さあて、じゃあもう一発食らっとく?」
再び、梶ヶ谷の突進が新兒へと向かって来た。
新兒は食らうまいと身を躱すものの、敵はしつこく追ってくる。
「気味悪ッ! ダサッ! 酷え戦い方!」
「それに成す術が無いなら負け犬の遠吠えだよねぇ!」
逃げ回った果てに、新兒は机の上に跳び乗った。
折り畳み式個人用計算機や資料が土足で踏まれる。
「コラ、貴様! 僕の計算機から足をどけろ! 資料も! ふざけるなよ‼」
梶ヶ谷の手が新兒の足首に伸びる。
「おわっ!」
これを咄嗟に躱した新兒だったが、片足立ちになったところを抜け目なく梶ヶ谷の手が狙う。
新兒は足首を掴まれてしまった。
「ヤベッ!」
『熱源を感知しました。』
脚から激しく出血した新兒は立っていられなくなり、机から転げ落ちた。
「ちっくしょぉ……。」
「さあて、これでもうちょこまかと逃げ回れないねえ……。」
梶ヶ谷は下卑た笑みを浮かべて新兒を見下ろす。
「じゃあそろそろ止めを刺してやろうか。」
絶体絶命のピンチを迎え、新兒はこれまでの人生を走馬灯のように思い出す。
幼い頃は警察官の父に憧れていたこと。
いつも自分に甘えてくる妹が可愛くて仕方が無かったこと。
中学生の頃、上級生が妹にちょっかいをかけたことにキレてボコボコにしてしまったこと。
それをきっかけにズルズルと不良の道へ堕落していったこと。
三度目の留置所から戻った時、妹に泣きながら平手打ちされ、我に返ったこと。
高校に行き直し、真っ当に生きようと決意した自分を家族皆が応援してくれて有難かったこと。
ああ、出来れば千草がどんな大人になるのか、まともな兄貴としてもう少し見守っていたかったな。――新兒は自分の末路を自嘲し、苦笑した。
「畜生……。出来ればもう一度、千草に会いたかったぜ……。」
その時である。
新兒のこの呟きを聞いた梶ヶ谷は、世にも恐ろしく侮蔑に満ちた声で高笑いを上げた。
「ははははは! 君、面白いなあ!」
「あ? 何がおかしいんだよ?」
壁際に座り込んだ新兒は梶ヶ谷の不可解な様子に一抹の不安を覚えていた。
そんな彼の心の機微を知ってか知らずか、梶ヶ谷は笑いながら言葉を続ける。
「君は故郷に帰れば家族に会えると思っているんだねえ!」
「は? どういう意味だ? おい、どういう意味だ?」
新兒は困惑を極めていた。
そして梶ヶ谷はそんな彼に、容赦なく最悪の真実を告げる。
「頭悪いなぁ。君の家族は全員僕がきっちりあの世に送ったから、故郷に帰っても会えないよって言ってるの。」
新兒の頭から血の気が引いたのは出血によるばかりではないだろう。
言葉を失った彼に対し、梶ヶ谷はさらなる追い打ちをかける。
「僕は他の奴らみたいに甘くないから、その場に居た奴はちゃんと全員消しているんだよ。でもま、これが例えば土生じゃなくて良かったと思うよ? 君の妹、あんな可愛い女子高生、間違いなく土生は殺すだけじゃ足りなかっただろうしね。」
意識を失ったわけでもないのに、新兒は目の前が真っ暗になるような思いがした。
これまでに感じたことのない、どす黒い怒りと憎しみが心の奥底から湧き上がってくるのを感じていた。
「ま、感謝するといい。お望み通り、あの世で家族と再会させてやろうじゃないか。」
「黙れ。」
瞬間、新兒は完全にキレた。
偶々傍らにあった机の脚を持ち、梶ヶ谷に向けて勢い良く投げ付けた。
「ぐえぇっ⁉」
梶ヶ谷は突然のことに何の反応も出来ず、新兒が破壊した扉の瓦礫の上で砕けた机の下敷きとなり、血を吐いた。
「ゴッフ……! 何てことをしてくれるんだ、僕の机を、計算機を、資料をぉっ……!」
「そんなもん買い替えればいいし、作り直せばいい。だが命は戻らねえ。」
新兒は凄まじい形相で梶ヶ谷を見下ろしている。
鬼と表現するのも生温い凶悪極まる表情は、かつて暴虐の限りを尽くした彼に完全に逆戻りしていた。
かつて、関東三大粗大塵と呼ばれた三人のどうしようもない不良がいた。
一人は有力暴力団幹部の父親を持つ背景から、一人は関東最大の暴走族を束ねる数の力から手を出してはいけないと言われていたが、そんな中でただ一人、誰とも群れずに純粋な腕っぷしの強さだけで他二人と並び称された男がいた。
キレると何をしでかすかわからないので、他の二人すら迂闊に触れまいとした彼にとって、妹の事だけは最大のタブーだと言われていた。
「てめえだけは絶対許さねえ‼ ぶち殺してやる‼」
その男に対し、あろうことか妹を殺害した上でそれを嬉々として語った男がいるとあっては、彼を知る者は皆そのあまりの愚かさに唖然として震え上がるだろう。
彼が次に手に持ったのは椅子であった。
どうにか傷を修復した梶ヶ谷の側頭部に向けて、座り心地の良さそうな大型の椅子がフルスイングされる。
何度も、何度も後頭部に向けて両手で叩き付けられる。
鍛え抜かれた腕からは血飛沫が舞っていた。
ごめんな……ごめんな……。
喧嘩ばかりに明け暮れて散々心配と迷惑ばかり掛けたくせに、肝心な時に守ってやれなかった。
何処までも駄目な兄貴でごめんな……。
せめてこいつだけは、ぶっ殺す!――怒りと悲しみだけが新兒を肉体の限界すら超えて突き動かしていた。
「この……調子に乗るな!」
梶ヶ谷は新兒の腰にしがみ付く。
『熱源を感知しました。』
全身から大量の血を流し、新兒の体がふらつく。
「ははは、もう放さない! このまま死ぬまで血を流すがいい!」
「気味悪いんだよ、塵屑野郎があぁッ!」
新兒はすぐさま体勢を立て直し、傷付くことを全く厭わずに梶ヶ谷の両腕を引き剥がし、投げ飛ばした。
「はぁ……はぁ……。」
しかし流石に血を流し過ぎたため、次の攻撃に移ることは出来なかった。
肩で息をして地に伏す梶ヶ谷を睨め付けるばかりである。
「フフ、ククク……。」
そんな新兒の様子に、梶ヶ谷はゆっくりと笑いながら起き上がった。
「いや、流石にダメージは受けたよ。だが、無駄なんだよねえ! 所詮単なる凶器攻撃だから、そんなもの守護神為ですぐに回復しちゃう。いやあ、家族を喪った怒りの攻撃が不毛で気の毒だよ。やっぱり術式神為が無くちゃあ!」
新兒が机を振り回したとき、巻き添えを食って破壊された照明が茫々と点滅を繰り返している。
梶ヶ谷はそんな部屋の様子を見渡し、大きく溜息を吐いた。
「本当に、どうしてくれるんだ……。僕の研究は皇國を打倒し、世界を守るための大事な研究なんだぞ? 高々何人か犠牲になったからって何だっていうんだ。そんなの、無知蒙昧なばかりで革命に協力しないのが悪いだけじゃないか。」
部屋の明かりは切れ、二人は薄闇に包まれる。
それはまるで、それぞれ別の意味で暗い感情に沈む二人の心を暗示しているかのようだった。
梶ヶ谷はその表情に常に湛えていた薄ら笑いも殺し、熱の全く無い冷め切った目で怒りに満ちた新兒を見据える。
「大体、君の父親は身分証から察するに警察官だったらしいじゃないか。僕、嫌いなんだよねあいつら、頭悪い癖にさあ。法と秩序の番人ぶって世の中の進歩に全く寄与しない連中。民衆に対する権力の抑圧と弾圧の象徴。この世で最も殺されてもしょうがない、全く価値のない塵みたいな存在だね。」
梶ヶ谷の狼ノ牙での担当は主に武器、兵器開発である。
彼はその出来を確かめるため、積極的に警察官の身柄を攫っていた。
梶ヶ谷群護は元々大学の優秀な研究者だったが、論文で使用したデータの大部分に捏造が発覚し、職を追われた。
そんな憂さ晴らしに道端で酔い潰れ、偶々その場に居た無法なパレードに同調していたところを警察に咎められたことから、彼は大の警察嫌いなのだ。
その二十歳になって間もない若い警察官はこの時、彼を中心とする酒や大麻に酔った暴漢に集団でリンチされ、体に火まで着けられて殺された。
そうして指名手配され、転落人生の終着を迎えようとしていたところを首領Д、道成寺太に拾われて今に至る。
「どうせ君みたいな見るからに不良といった野蛮人の父親だ。警察権力を笠に着て君の非行を揉み消したりとか、汚いことをやってたんだろう? むしろ世直しになったと思うよ僕は。」
「勝手な思い込みで他人の父親の事よくもまあそこまで侮辱してくれるなあ。てめえなんざただの人殺し、よっぽど価値のねえ塵じゃねえか。」
新兒の父親は単なる巡差であり、そんな権力などあろうはずもなかった。
が、梶ヶ谷の侮辱に対して新兒は最早取り乱すことも無くなっていた。
ただ冷静に、目の前の相手をどう叩きのめすかだけを考えていた。
彼が荒れていた頃、虻球磨新兒が醒めたらその時こそ地獄を見ると知る者は口を揃えていた。
知る者が限定されるのは、大抵その前に決着がついてしまったからである。
ふと、彼は妙な感覚に気が付いた。
全身から噴き出た筈の血が流れていない。
何より奇妙なのは、既に彼は動脈すら傷付けられているにも拘らず、出血が止まっていることだ。
これには梶ヶ谷も気が付き、彼の顔から血の気が引いていく。
まずい……。こいつも術式の半覚醒状態になったか? だとしたら早く勝負を決めないと!――梶ヶ谷は三度突進する。
しかし新兒は咄嗟に椅子を投げつけ、彼の出鼻を挫く。
「ひゃんっ!」
梶ヶ谷は情けない声を出し、椅子に怯んで後退った。
そんな彼に、新兒は落ち着いた、しかしどすの利いた低い声を発した。
「おい、てめえ……。」
新兒の全身に纏わり一日は完全に凝固していた。
ただそれは、血液の凝固作用によるものではない。
血液の持つ水分が新兒に熱を奪われ、氷点を下回って凍り付いたものだった。
「覚悟しろよ、この塵屑野郎。もう俺は、完全に解っちまったからな……。」
新兒は自らの術式を完全に理解した。
それは彼が半覚醒ではなく、完全に覚醒したことを意味する。
虻球磨新兒の術式は体に付着した水分の熱を奪い、氷結させるというものだ。
しかもその硬さは単なる氷のそれではなく、ダイヤモンドにも匹敵する。
その途轍もない凶器を纏った拳を握り締め、新兒は梶ヶ谷に向かって行った。
「ひいぃっ!」
「往生しろやぁっ‼」
新兒の氷を纏った強烈な拳が梶ヶ谷の顔面を捉えた。
「あじゃぱーッ‼」
梶ヶ谷は成す術も無く殴り飛ばされ、壁に激突した。
しかし、その時であった。
『熱源を感知しました。』
氷を纏い、冷え切っていたはずの新兒の腕が再び血を流した。
「ふひ、ふひひ! 莫迦め‼ 氷越しに殴れば僕の術式から逃れられるとでも思ったか! 熱ってのは絶対量だ! 氷にだってちゃんと熱はあるんだよ‼」
高温、と言われてイメージする温度は何度くらいだろうか。
100℃、200℃以上だろうか。
それは要するに、我々の生活環境と比べた時に温度が高いという意味である。
熱の有る無し、というのはその基準によってがらりと変わる。
何故先程のような質問をしたかというと、物理現象によっては-70℃、-80℃という温度ですら高温と呼ぶ場合がある。
特定の金属を冷却した時、ある温度以下になると電気抵抗が急激にゼロに近付く『超伝導』と呼ばれる現象がそれだ。
高温超伝導と呼ばれる現象が発見されるまでは理論的にも絶対零度近くで起こるものだと思われていたからだ。
梶ヶ谷群護の術式は一定以上の温度を熱源として感知する。
この温度は高温超伝導ほど極端ではないものの、-40℃を基準点としている。
これは多くの工業規格が使用環境の下限として想定している雰囲気温度である。
新兒の身に纏う氷は、十分熱源足り得るのだ。
「ぶフ、ブふふふふ。残念だっだなあ! 折角いい感じの術式に覚醒したのに、結局ダメージを受けることに変わりはないんだ!」
「クッソどうでもいいわ、そんなこと。」
「ふぁへ?」
梶ヶ谷は自身に迫る新兒の鍛え抜かれた肉体を目の当たりにし、青褪める。
「俺にとって重要なのは俺が傷付くことじゃねえ。術式によるダメージは回復しにくいんだろ?」
「はひっ⁉」
新兒の強烈な拳が梶ヶ谷に打ち付けられる。
「これならてめえをぶちのめせる‼ それだけで十分だろうがよ‼」
「ぶべらあぁッ! ばびいいぃっ‼」
何度も、殴る。
何度も、何度も。
たとえ自身の血がどれだけ流れようが、その凶行は止まらない。
幸いなことに、新兒の術式は出血を直ちに凝固させ止めてしまう。
故に怒りに身を任せた彼は血を流しすぎて失血死しない状態になっていた。
この怒りは、憎しみは、悲しみは、きっと目の前の男を殴り殺すまで、否、殴り殺して尚止まることは無い。
「あばああああっっ‼」
既に顔面崩壊した梶ヶ谷は這う這うの体で新兒から離れようとする。
しかし、そんなことで逃げられる筈が無かった。
「助けフェ! 許ひフェ! 殺ふぁないべ‼」
梶ヶ谷の髪を鷲掴みにする新兒にもう彼の術式は発動しない。
即ち彼は神為を使い果たし、最早一般人同然の状態になっている。
つまりこれ以上は、死ぬ。
「殺さないで? てめえは殺したんだよな?」
「ごめんなふぁい! ごめんなふぁいぃぃ‼」
必死で謝る梶ヶ谷に対し、新兒は殺意で固めた拳を振り上げる。
「ごめんで済んだら警察は要らねえんだよ‼」
その紅き傷みと痛みと悼みを纏った拳が命を破壊する暴を振るわんとする正にその刹那、一陣の風が新兒の体を吹き抜けた、ように彼は感じた。
まるで一線を越えようとする彼をか弱い力で必死に押し留めようとするような、そんな風だった。
また一陣、今度は頬を叩くような突風だった。
新兒は戸惑いながら、その拳を振るえずにいた。
何かが自分に、攻撃を、人殺しを止めさせようとしている。
そして、彼はここへ来てようやくそれを認識した。
それは幻覚なのか、それとも確かにこの場所に現れたのかは定かではない。
「そうか……そうだよな。喧嘩でボロボロになった俺を抱きしめてくれたのは、お袋だったよな……。」
自身を抱きとめる母親に相対し、新兒は拳を解いて肩に手を置く。
「うん、警察の仕事に誇りを持ってた親父が、よりにもよって息子を黙って人殺しになんかできないよな。叱られて当然だわ。」
自身の頬を叩いた父親に相対し、新兒は俯いて叱咤に甘んじる。
「そしてお前を俺の為に泣かせちまう事なんて、二度としないと決めた筈なのにな……。」
泣きながら自身の前に立ち塞がる妹に相対し、新兒は溢れる涙を抑えられなかった。
「ごめんみんな、ごめん……!」
新兒は梶ヶ谷の髪を掴んだその手で彼を放り投げ、壁にぶつけた。
「うげ!」
梶ヶ谷は頭を壁に打ち付けたが、最早新兒に殺意は無くさほど強い力は込められていなかったため、気を失うに留まってビクビクと痙攣していた。
「俺の家族は俺が道を踏み外しそうになったら身を呈して止めてくれて、どんなに俺が駄目な奴でも見放さずに付き合ってくれて、そんなみんなに応えたくてどうにか真人間になろうとしたのに……。」
立っていられずに座り込んでしまったのは血を流しすぎたからなのか、戦いが終わって気が抜けたのか、或いはそのどちらでもないのか。
「もう一度みんなに会いたかったのに、もう誰もこの世にはいないのかよ!」
巨大な真珠の様な涙が流れ、血と混ざり合い、雲野研究所そのものを鳴らすほどの慟哭がこだまする。
「酷すぎる‼ こんなのあんまりだああああ‼」
それはあまりにも悲痛な叫喚だった。
戦いで流した血よりも大量の涙が彼の心には流れていた。
彼は不良と呼ばれる存在だったが、決して弱い者を理不尽な目に遭わせることは無かった。
ただ強い者や他人に危害を加える者に対する暴れ方が凄まじかったが故に、そう呼ばれた男だった。
そしてそれをも改めた彼に、これほどの仕打ちを受ける謂れなどあるはずもなく、況して犠牲になった彼の家族にはそれこそ何の罪もない。
虻球磨新兒はこの日、自分が既に全てを失っていたことを知ってしまった。
その残酷な現実は、ここへ来た目的も何もかも忘れて明るい彼を嘆きのどん底へ叩き落すほど、彼を完膚なきまでに打ちのめしてしまっていた。
⦿⦿
「はあ……はあ……どうにか片付いたか。」
岬守航は傷だらけになりながらもどうにか全ての弐式為動機神体を破壊することが出来た。
逃げ回りながら何度も日本刀を持ち直し、何度もへし折って、彼はもうクタクタになっていた。
そして刀は航の手から捨てられると同時に忽然と姿を消してしまう。
「何なんだ、これは?」
航にはよくわからない。
それはつまり、彼がまだ術式に覚醒しきれていないことを示している。
彼は疲れ果てていたが、休んでいる場合ではないとどうにか歩を進める。
こちらには久住双葉は居なさそうなので、反対側の棟に向かわなければ。
「虻球磨は……? あいつにも何か罠が待っているかも……。無事だと良いが……。」
航は与り知らないことだが、新兒は一人直接この研究所の主、梶ヶ谷群護の許へ直接突撃し、彼を打倒していた。
そしてそのお陰で最早二人を阻む罠を動かす人間はいない。
「ん?」
ふと、航は棟の入口のすぐ隣にもう一つの扉があることに気が付いた。
「そういえばこのもう一つの扉、中で繋がっていると思ったけどそんなことは無かったな。別の場所の入口なのか?」
その可能性が浮上したからには、ここを捜索しないわけにはいかない。
航が扉を開けると、その先には地下へと降りる階段だけが伸びていた。
その突き当りで右に扉があり、何やら人の声がする。
「行くしかないか。虻球磨、もう少しだけ待っていてくれ。」
航は疲労困憊となった体を引き摺り、階段を下りて行った。
・梶ヶ谷 群護
皇紀2655年(西暦1995年) 1月2日生
身長 170糎
体重 55瓩
血液型 A
作者イベント参加の為、通常より更新に間が空きます。
次回更新は、10月31日㈯




