↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編:婚約者と幸せな未来を歩むはずだった私が、彼を救う条件として異世界転移して魔王討伐を命じられました)  作者: 佐武ろく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/11

7

「……嫌だ」


 掠れた声と一緒に、泪が零れ落ちた。


「そんなの、嫌……」


 七海は湊の手を、両手で包み込んだ。温かい。まだ、ここにいる。腕を伸ばせば触れられる距離にいるのに、このままでは二度と話すことも、笑い声を聞くこともできなくなる。


「私……湊と、結婚するんです」


 誰に聞かせるともなく、そう呟いていた。


「約束したんです。これからもずっと一緒にいようって……」


 声が震える。泪で目の前が滲んだ。


「まだ、何も始まってないのに……」


 結婚式も。二人で暮らすはずの新しい家も。その先に続くはずだった、何十年もの日々も。何ひとつ、まだ手に入れていない。

 それなのに全部失ってしまう。そんなのは嫌だった。絶対に、嫌だった。


「……私、行きます」


 七海は顔を上げ、男を見据えた。恐怖は少しも消えていない。異世界も、魔王も、何ひとつ理解できていない。自分に何ができるのかも分からない。それでも。


「その世界に行きます。魔王を倒せば、湊を助けられるんですよね?」

「はい」

「……なら、行きます」


 男は、暫く黙っていた。


「本当によろしいのですね? 先ほども申し上げたとおり、向こうでの旅は危険を伴います。向こうで死ねば、あなたは死にます。向こうでの腕を失えば、魔王を倒したとしても元には戻りません。それでも、ですか?」


 七海は唇を噛んだ。怖くないはずがなかった。

 知らない世界へ行くことも、魔物と戦うことも、死ぬかもしれないことも。考えれば考えるほど、足がすくむ。

 できることなら今すぐ家に帰って、湊と一緒に、今日のことを笑い話にしてしまいたかった。けれど、そんな未来はもう、目の前にはない。


「……怖いです」


 七海は正直に答えた。


「何もわからないし、魔王なんて倒せる気もしません。どうすればいいのかも、全然わからない」


 それでも、握った手だけは離さなかった。


「でも何もしないで湊がいなくなるのは、もっと嫌です」


 泪を拭い、もう一度男を見る。


「私にできることがあるなら、やります。だから……湊を助ける方法を、ください」


 男は、ゆっくりと頷いた。


「承知しました」


 最初に聞いたときと変わらない、穏やかな声だった。


「では、水無瀬七海さん。あなたを、あちらの世界へお送りしましょう」


 名乗った覚えのないフルネームを、男は当たり前のように口にした。それを問いただす余裕は、もう七海には残っていなかった。

 男が杖を持ち上げる。先端に、小さな光が灯った。七海は思わず身構える。


「ま、待ってください。もう行くんですか?」

「えぇ」

「でも、私、何も……!」


 聞きたいことは山ほどあった。異世界とはどんな場所なのか。どうやって魔王を倒せばいいのか。向こうへ行った自分はどうなるのか。湊は、本当に助かるのか。

 けれど男は、僅かに首を傾けただけだった。


「ご安心ください。必要なことは、向こうで少しずつ知っていけばよろしいのです」

「そんな、いきなり……!」

「人生というものは、案外そういうものですよ」


 親しげな声だった。


「準備が整ってから始められることばかりではありませんからね」


 七海は何も言い返せなかった。納得したわけでも、安心したわけでもない。ただ、もう後戻りはできないのだと、どこかで悟っていた。

 男が杖の先を地面へ向ける。

 ――コツン。乾いた音が静寂に落ちて、足元から淡い光が広がり始めた。


「……湊」


 七海は、動かない恋人の横顔を見上げた。何も知らず、何も答えない顔。ついさっきまで笑っていたのに、こんな別れ方になるなんて想像もしなかった。


「待っててね」


 泪が頬を伝った。


「絶対に、助けるから」


 光が強さを増す。足元がふっと軽くなり、身体が浮き上がるような感覚に襲われた。


「……っ!」


 思わず目を閉じた七海の耳に、最後に届いたのは、あの紳士の穏やかな声だった。


「それでは、よい旅を。水無瀬七海さん」


 次の瞬間、意識が白い光に呑み込まれた。


 *****

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。