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短編:婚約者と幸せな未来を歩むはずだった私が、彼を救う条件として異世界転移して魔王討伐を命じられました)  作者: 佐武ろく


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 顔が、分からない。

 そこに顔があることは確かだった。頭の輪郭も、こちらを向いていることも認識できる。目も鼻も口も、本来ならそこにあるはずなのにどれほど目を凝らしても、その顔立ちを捉えることができない。黒く塗り潰されているわけではないし、仮面をつけているのでもない。見えているはずのものが、何ひとつ像を結ばない。視線を外して、もう一度見る。結果は同じだった。


「……あなた、顔……」

「はい?」

「顔が……」


 そこまで言って、続きを失った。どう説明すればいいのか、自分でも分からない。男はしばし沈黙してから、穏やかに答えた。


「そうですね。今のあなたには、私の姿を正しく認識することは難しいのかもしれません」


 天気の話でもするような口調だった。七海の背筋を、冷たいものが滑り落ちていく。

 この男は、人間ではない。根拠など何もなかった。ただそうとしか思えなかった。


「……何が目的なんですか」


 七海は、湊の手を握り直した。


「湊に何かするつもりなら、やめてください」

「ご安心を。彼に危害を加えるために来たわけではありません」

「じゃあ、何なの……?」

「あなたに、ひとつご相談がありまして」


 男は杖を軽く持ち直した。


「ただその前に。少々、残念なお知らせをしなければなりません」


 声の調子は、少しも変わらなかった。穏やかで、丁寧で、どこか親しみやすい。

 だからこそその言葉が告げられても、七海はすぐには意味を受け取れなかった。


「あなたと、そちらの彼。お二人は、このままでは間もなく命を落とします」

「……え?」


 七海は男を見つめた。何を言っているのだろう。命を落とす? 自分たちが?


「先ほどの事故によって、です。残念ながら、このまま時間を進めれば、お二人とも助かりません」

「……待って」


 七海は首を振った。


「待ってください。何を言ってるんですか?」

「言葉どおりの意味ですよ」

「だって、時間を止めたんでしょう? だったら、止めたままにしておけばいいじゃないですか!」


 無茶を言っているのは分かっていた。けれど、ほかに何を言えばいいというのだろう。

 時間が止まっているなら、このまま止めておけばいい。そうすればトラックはぶつからない。湊も自分も死なずに済む。


「お願いです。このままにしておいてください。何でもしますから……!」


 男は静かに七海の縋る様な言葉を聞いていた。

 やがて、申し訳なさそうに首を横に振る。


「それはできません。時間を止めていられるのにも限りがありますし、そもそも、この事故そのものをなかったことにはできないのです」

「そんな……」

「ですが」


 男は、そこで言葉を切った。


「方法が、一つだけあります」


 七海は顔を上げた。

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