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顔が、分からない。
そこに顔があることは確かだった。頭の輪郭も、こちらを向いていることも認識できる。目も鼻も口も、本来ならそこにあるはずなのにどれほど目を凝らしても、その顔立ちを捉えることができない。黒く塗り潰されているわけではないし、仮面をつけているのでもない。見えているはずのものが、何ひとつ像を結ばない。視線を外して、もう一度見る。結果は同じだった。
「……あなた、顔……」
「はい?」
「顔が……」
そこまで言って、続きを失った。どう説明すればいいのか、自分でも分からない。男はしばし沈黙してから、穏やかに答えた。
「そうですね。今のあなたには、私の姿を正しく認識することは難しいのかもしれません」
天気の話でもするような口調だった。七海の背筋を、冷たいものが滑り落ちていく。
この男は、人間ではない。根拠など何もなかった。ただそうとしか思えなかった。
「……何が目的なんですか」
七海は、湊の手を握り直した。
「湊に何かするつもりなら、やめてください」
「ご安心を。彼に危害を加えるために来たわけではありません」
「じゃあ、何なの……?」
「あなたに、ひとつご相談がありまして」
男は杖を軽く持ち直した。
「ただその前に。少々、残念なお知らせをしなければなりません」
声の調子は、少しも変わらなかった。穏やかで、丁寧で、どこか親しみやすい。
だからこそその言葉が告げられても、七海はすぐには意味を受け取れなかった。
「あなたと、そちらの彼。お二人は、このままでは間もなく命を落とします」
「……え?」
七海は男を見つめた。何を言っているのだろう。命を落とす? 自分たちが?
「先ほどの事故によって、です。残念ながら、このまま時間を進めれば、お二人とも助かりません」
「……待って」
七海は首を振った。
「待ってください。何を言ってるんですか?」
「言葉どおりの意味ですよ」
「だって、時間を止めたんでしょう? だったら、止めたままにしておけばいいじゃないですか!」
無茶を言っているのは分かっていた。けれど、ほかに何を言えばいいというのだろう。
時間が止まっているなら、このまま止めておけばいい。そうすればトラックはぶつからない。湊も自分も死なずに済む。
「お願いです。このままにしておいてください。何でもしますから……!」
男は静かに七海の縋る様な言葉を聞いていた。
やがて、申し訳なさそうに首を横に振る。
「それはできません。時間を止めていられるのにも限りがありますし、そもそも、この事故そのものをなかったことにはできないのです」
「そんな……」
「ですが」
男は、そこで言葉を切った。
「方法が、一つだけあります」
七海は顔を上げた。




