↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編:婚約者と幸せな未来を歩むはずだった私が、彼を救う条件として異世界転移して魔王討伐を命じられました)  作者: 佐武ろく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/11

4

「湊……?」


 湊は七海の方へ手を伸ばしかけた姿勢のまま動かなかった。開きかけた唇。見開かれた目。


「ねえ、湊。ちょっと……」


 肩に触れようとして、指先が触れる寸前で止まった。怖かった。どうして動かないのか。どうして音がしないのか。どうして、自分だけが動けるのか。疑問ばかりが頭の中で渦を巻き、答えはひとつも浮かんでこない。

 夢であってほしい。そう願いながら頬を抓ると、はっきりと痛んだ。もう一度周囲を見回しても、やはり何ひとつ動かない。


「……誰か、助けて」


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

 そのとき、――コツ、と硬い音が静寂を打った。

 七海はびくりと肩を震わせた。コツ、コツ。音の消えた世界で、靴音だけが規則正しく近づいてくる。

 振り返ると、道の向こうから、ひとりの男が歩いてくるところだった。黒いスーツに、ツバのあるハット。片手には古風な杖。まるで古い映画から抜け出してきたような紳士で、歩き方にも杖をつく仕草にも、慌てた様子がまるでない。止まった世界を、散歩でもするように横切ってくる。

 男は横断歩道を悠々と渡り、七海の前で足を止めた。


「こんばんは。突然お邪魔して申し訳ありません」


 帽子のつばへ指を添えて、丁寧に会釈する。七海は答えられなかった。この人は誰だろう。どうして普通に動いているのだろう。どうして、こんな状況でこれほど平然としていられるのだろう。


「あの……」


 ようやく絞り出した声は、やはり掠れていた。


「ここ、どうなってるんですか……?」

「おや。やはり、かなり驚かれていますね」

「驚くに決まってるじゃないですか! だって、車が……人が、みんな……!」


 声が裏返った。男は取り乱した七海を咎めるでもなく、止まったトラックへ静かに目を向けた。


「ええ。ご覧のとおり、時間を止めております」

「……は?」


 あまりにもあっさりと告げられて、言葉の意味が頭に入ってこなかった。


「じ、時間を……止めた?」

「はい」

「そんなこと、できるわけ……」


 言いかけて、七海は唇を噛んだ。できるわけがない。そんなことは分かっている。けれど、目の前の光景をほかにどう説明すればいいのだろう。

 男が手品を仕掛けているのか。自分は気を失っていて、これは夢なのか。それとも事故の衝撃で頭がおかしくなってしまったのか。どれも馬鹿げている。それでも時間が止まったという話よりはまだ信じられる気がした。


「……あなた、誰なんですか」


 男を睨むようにして尋ねる。警戒を込めたつもりの声は、情けないほど細かった。


「これは失礼。まずは名乗るべきでしたね」


 男は胸元に手を当て、優雅に一礼した。


「私《わたくし》は――」


 男の唇が、確かに何かを紡いだ。

 聞き取れない言葉ではなかった。むしろ、ひとつひとつの音は不自然なほど鮮明に鼓膜へ届いた。七海の知らない外国語というわけでもない。聞いたことのない音の連なりでありながら、聞き取ること自体には何の不自由もない。

 なのに。


「……えっ?」


 名前が、理解できなかった。今たしかに聞いたはずなのに、どんな名だったのか思い出せない。忘れた、というのとは違う。

 そもそも意味として頭の中に入ってこなかったのだ。


「……すみません。もう一度、お願いします」

「もちろんです」


 男は先程とまったく同じ調子で名乗った。七海は今度こそと耳を澄ませる。

 やはり、聞こえる。けれど分からない。

 音は届いているのにそれが名前の形を結ばない。頭のどこかで、その言葉にだけ意味を持つことを拒まれているようだった。


「……何て?」


 思わず聞き返すと、男は僅かに首を傾げた。


「おや。これは珍しい。人間の方に私の名をお伝えしても、なかなか理解していただけないことはありますが……」


 ひとり合点したように頷く。


「まあ、今はよろしいでしょう。呼びにくければ、好きなように呼んでいただいて構いませんよ」

「いや、そういう問題じゃ……」


 七海は困惑したまま、せめて顔だけでも覚えておこうと男を見上げた。そして、違和感に気づいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。