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短編:婚約者と幸せな未来を歩むはずだった私が、彼を救う条件として異世界転移して魔王討伐を命じられました)  作者: 佐武ろく


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「ねえ」

「今度は何?」

「結婚式、楽しみだね」


 そう言うと、湊は一瞬だけ目を丸くして、それから照れたように笑った。


「うん。楽しみ」

「緊張する?」

「するよ。人前であんなことするんだよ?」

「あんなことって?」

「誓いのキスとか」

「今さら?」

「今さらだよ。大勢に見られるんだよ?」

「ふふっ。じゃあ、目を瞑ってれば?」

「それ、意味ある?」

「ないかも」


 二人でまた笑った。笑いが収まったころ、湊がふと何かを思いついた顔で、七海を覗き込んだ。


「……じゃあ、練習しておく?」

「え?」

「キス。結婚式の予行練習」

「なにそれ。そんなの練習するものじゃないでしょ」

「そうかな。ぶっつけ本番っていうのも、ちょっと緊張するし」

「ただしたいだけでしょー」

「いやいや。練習、練習」


 湊は大真面目な顔で言った。そのくせ、繋いだ手には少しだけ力が籠っている。照れているのは、どうやら七海だけではないらしい。


「……別に、いいけど」

「いいの?」

「何度も聞かないで」


 そう言ったとたん、湊の顔がぱっと明るくなった。あまりに嬉しそうなので、七海はほんの少しだけ後悔する。そんな風に喜ばれたら、こちらまで恥ずかしくなってしまうのに。


「じゃあ、目を閉じて」

「……そっちが閉じるんでしょ」

「あ、そっか」


 顔を見合わせて笑い、それからどちらからともなく目を閉じた。

 唇が触れたのはほんの一瞬だった。離れた後も、七海は暫く目を開けられずにいた。瞼の裏に、あの日の煌めきがまだ滲んでいる。


「……どう?」


 湊の声がすぐ近くから聞こえた。


「どうって?」

「練習の成果」

「一回で分かるわけないでしょ」

「じゃあ、もう一回?」

「調子に乗らないで」


 そう言いながら、七海は笑っていた。湊も笑っていた。もう一度手を繋ぎ直して、寄り添う。さっきよりも、ほんの少しだけ近い距離で。

 結婚したら、こういう時間はもっと増えていくのだろうか。出かける前に、帰ってきた時に、眠る前に。何度も顔を合わせて、何度も手を繋いで、何度もキスをして、その度に今日のように照れたり笑ったりするのかもしれない。

 そう思うと胸の奥がくすぐったくなって、七海は湊の肩に頭を預けた。


「ねえ」

「ん?」

「結婚式、早く来ないかな」

「さっきまで、緊張するって言ってたのに」

「……それとこれとは別」

「そっか」


 湊は笑って、七海の手を握った。七海も握り返す。

 この先、何度でもこうしていられる。今日のような何でもない日も、特別な日も。二人で笑って、ときどき喧嘩をして、それでも最後には隣に戻ってくる。

 そんな日々が当たり前のように続いていくのだと、七海は疑いもしなかった。


「ねえ、七海」

「今度は何?」

「これからも、よろしくね」


 不意打ちだった。さっきまであれほどふざけていたくせに、湊の横顔は真面目だった。


「……なに、急に」

「いや、なんとなく言いたくなって」

「いやって言ったら?」

「婚約破棄するの?」

「したらどうする?」

「嫌だ」


 湊は笑った。


「これからも! よろしくね!」


 湊は強調するようにハッキリとした口調で言った。


「愛してるよ」


 胸の奥が、じんわりと熱を帯びた。ずるい、と思う。そんなふうに言われたら、何度だって好きになってしまう。

 七海は湊の手を握り直した。


「……こちらこそ。これからもよろしくね」

「うん」

「ずっと一緒にいようね」


 口にしてから、急に頬が熱くなった。けれど、湊は笑わなかった。繋いだ手に、ほんの少しだけ力が籠る。


「もちろん」


 その一言が、何よりも嬉しかった。

 今夜は何を食べよう。週末には家具を見に行こう。新しい家には観葉植物を置きたい。湊はきっと、水やりを面倒くさがるだろうけれど。そんなことを数えていると、未来はいくらあっても足りない気がした。

 もっと一緒にいたい。もっとたくさんのことを話したい。これから何度も迎える朝も、何でもない休日も、少しずつ増えていく思い出も、全部この人と分け合いたい。いつか年を取って、今よりずっとゆっくり歩くようになっても、今日のことを二人で笑って思い出せたらいい。

 だって、これから結婚するのだ。ずっと一緒にいるのだ。

 繋いだ手の温かさを確かめるように、七海は湊の手を握り直した。湊も、握り返してくれる。それだけで十分だった。何も特別なことは起きなくていい。この人が隣にいて、明日もその先も同じように手を繋いで歩けるなら。


 ***

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