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この人と結婚するのだ、と考える度に七海の胸の底には温かな灯が燈る。
それは心臓が跳ねるような特別な瞬間にだけ訪れるものではなかった。
隣を歩く湊が、何でもないことで声を立てて笑うとき。夕食に何が食べたいかと訊ねれば、決まって七海の好物を挙げてくれるとき。話の途中で言葉に詰まっても、急かさずに続きを待ってくれるとき。
そうした小さな瞬間が、砂時計の底に砂が降り積もるように静かに重なって、七海の中に少しずつ未来の形を作っていた。
今日にしても特別な日ではない。記念日でも誕生日でもなく、二人で買い物をした帰りに少し遠回りをして、家でゆっくりしてるだけだ。
それなのに七海は、どうしようもなく幸福だった。
「ねえ、七海。新居なんだけどさ」
「うん?」
「やっぱり、リビングは広いほうがいいと思うんだよね」
「どうして?」
「二人でだらだらするため」
「……今と変わらないじゃない」
「今より広い場所でだらだらするんだよ」
あまりに真剣な顔で言うので、七海は吹き出してしまった。湊もつられて笑う。
二人分の笑い声が、夕方の街のざわめきに溶けていった。
「でも、いいね。広いリビング」
「でしょ?」
「ソファも大きいのがいいな。二人で座っても窮屈じゃないやつ」
「寝転がれるやつがいい」
「絶対にそこで寝るでしょう」
「七海だって寝るよ」
「私は寝ません」
「じゃあ、俺が寝てたら起こして」
「やだ。放っておく」
「ひどいなあ」
そんなやり取りをしながら、七海は湊の腕に自分の腕を絡めた。一緒に歩いている時も彼は当たり前のように歩幅を緩めて、七海の足取りに合わせてくれる。その何気ない優しさが、いつまで経っても好きだった。
何かをしてもらうたびに感謝しているし、好きだと思うたびに口に出して伝えたいとも思う。けれど一緒に過ごす時間が長くなるにつれて、言葉にしなくても通じるものが増えていった。
疲れた日は、無理に話さなくていい。嬉しいことがあった日は、帰り道で同じ話を何度繰り返してもいい。不安で眠れない夜には、理由をうまく説明できなくてもただ隣にいてもらえる。
この人となら、きっと大丈夫。
根拠があるわけではなかった。これから先、喧嘩をすることもあるだろうし、思い通りにならないことなどいくらでもあるはずだ。それでも湊となら、その度に話し合って、仲直りして、また並んで歩いていける。
七海にとっての幸福とは、つまりそういうことだった。
「七海?」
「ん?」
「何、にやにやしてんの」
「してない」
「してるって」
「してません」
「そっか」
湊はそれ以上追及せず、七海の手を取った。指が絡まり、ぎゅっと握られる。七海も握り返した。
左手の薬指で、婚約指輪が夕陽を弾いた。何度見ても、まだ少し不思議な気持ちになる。緊張した面持ちの湊が小さな箱を差し出してくれた日のことも、手触りまで思い出せるほど鮮やかだった。
あの日、七海は泣いてしまった。嬉しくて、どうしようもなく嬉しくて、上手く笑えなかった。湊は困ったように笑いながら「泣かないでよ」と何度も繰り返していたけれど、そう言う彼の目の縁もほんのり赤くなっていた。
思い出すだけで、頬が緩む。




